16. 登山①
「ぜぇ……ぜぇ……」
「平野ー、大丈夫かー?」
「だ、大丈夫じゃない……」
息も絶え絶えに、前方を歩く《吟遊詩人》になんとか答える。ただいま登山の真っただ中。去年と同じく、まだ夏が終わり切れない暑い時期に、何を思ったか私たちは山を登っている。なぜ山に登るかって?皆勤賞をもぎ取るためですよ。
「俺はこれ以上後ろに下がるわけにはいかないから、頑張ってくれよー」
「わ、わかってますー!」
担任である《吟遊詩人》と一緒にクラスの最後尾を歩く。去年と同じく、クラスの先頭は副担任が引っ張っている。今年は《吟遊詩人》が先頭を歩こうかって話をしてたらしいけど、それじゃ私が追いつけないからってことで急きょ予定を変更してくれたらしい。ありがたい話だ。今でもぎりぎりな状態の私の体力では先頭を歩き続けるなんて、絶対にできない。
「それにしてもびっくりしたな」
「はぁ、はぁ……何が?」
しばらく足を止めて私が追いつくのを待った《吟遊詩人》は横に並ぶように歩きながら、何かを思い出すような口調で言う。
こっちは一歩を踏み出すのに精一杯で話し相手になる気力なんてないんだけどね……、ペース合わせてもらってる身だから、相槌ぐらい打つのが礼儀だろう。もうろうとする頭で何とか返事を返すと、《吟遊詩人》は楽しそうに笑った。
「あの《暗殺者》が俺に直接お前を頼むって言ってきたことだよ」
「あぁ……そういえばさっちゃんがそんなこと言ってたような……」
「あいつのことをそんな風に呼べるお前にも驚くけどな」
「まったくだ」
《吟遊詩人》とは反対側から、男の声が返事を返す。誰だ?と思いながら声のしたほうを見ると、そこには《魔王》がいた。私と《吟遊詩人》と並ぶようにして歩いている。
いつの間に近くに来たのか、全然気づかなかった。登るのに必死で、それどころじゃないしね……。……え、っていうか、ちょっとまって!!
「なんで君がここに!?真白は!!?」
「心配しなくても、すぐそこにいる」
「あ……ほんとだ」
《魔王》に指さされたほうを見ると、2人分くらい前を真白がほかの女子と歩いていた。今回の登山では、《魔王》に徹底的に真白についてもらうようにお願いしてたから、私の隣にいるのを見て焦ったんだけど、この距離なら何か起こっても《魔王》ならすぐに対応できるはずだ。
ほっとして体の力を抜く。……なんか、今一瞬焦ったせいで無駄な体力を消耗した気がするな。くそー……まだ頂上まで30分は歩き続けないといけないのに!
「俺がずっとついてたら、他のやつとしゃべれないだろうしな」
少し前を行く真白を《魔王》は眩しそうに見る。相変わらず、ヘタレというか消極的というか……。まぁ、君も《暗殺者》ほどじゃないけど、みんなに遠巻きにされてるしね。その立場を自覚して真白と一定の距離を保っている《魔王》。昔はただただヘタレだと馬鹿にしてたけど、今ならそれが優しさなんだと痛いほどわかる。
「君は細かいところまで気が利いて優しいね。さっちゃんにも見習ってほしいよ」
《暗殺者》の顔を思い浮かべながら思わず薄ら笑いが漏れた。だって、《暗殺者》ったら、私が浮いたり遠巻きにされるのなんてお構いなしでガンガン引っ付いてきてたからさ。あとから力づくのフォローをしてくれたから、最初よりかは状況はよくなってるけど、最初から気を使っていただけるともっと嬉しかったと思わざるを得ない。
はぁ、と思わずため息をつくと、《魔王》はちょっと意外そうな顔をして私のことを見た。
「ん、何?私の顔になんかついてる?」
「いや……、あいつはお前のことをかなり真剣に考えてるぞ」
「まぁ、こっちは守ってもらってる身だから文句を言う気はないけど……」
「そうじゃない」
「ん?」
「あいつは、お前といて本当に楽しそうだ。それにお前のためにあいつらしくないことをたくさんやってる。俺はあんなあいつを見たことがない。生まれ変わってくる前も」
真剣な顔つきで言ってくる《魔王》。もともと冗談とかいう人じゃないから、全部本気で言ってるんだろうなーってのは何となくわかるけど、なんかその表情が真剣過ぎて思わずきょとんとなる。
あ、てか生まれ変わってくる前なんて言ったってことは、やっとさっちゃんが《暗殺者》の生まれ変わりって思い出したんだ。だから余計にこんな深刻な顔してるのかな?
「昔はひたすら殺し三昧の生活だったんだろうしな。【人族】側の重要人物や実力者が何人もあいつに殺された」
私がちょうど思っていたことと同じようなことを《吟遊詩人》が口にした。うん、やっぱりそうだよね。だってさっちゃん、《暗殺者》だったんだもんね。そりゃ、そんなお仕事してたら、生まれ変わってくる前に楽しく笑ってた時期なんてそうそうなかったと思うよ。
実際に当時の《暗殺者》の様子を知るわけじゃないけど、オタク知識のおかげで何となくアサシン職の人たちの生活の雰囲気は想像できる。湿っぽくて暗くて、そしてともかく孤独なイメージ。
「あぁ。あいつはあいつなりに【魔族】に有利になるようにと考えて動いてたんだ」
「じゃあ、さっちゃんは君に頼まれたからじゃなくて、自分で納得してそんなことしてたんだ」
「そうだな」
「ふーん……」
【セント・ファンタジア】の中でも、ひたすら《魔王》のために、《魔王》が治める【魔族】のために働きまくった《暗殺者》。《魔王》が頼まなくても、彼は自分で考えて自分で行動していた。そこはオリジナルの前世のさっちゃんをそのままモチーフにしてたんだな。確かに、さっちゃんの性格なら、命令されなくても《魔王》のためになりそうなことをすすんで考えて実行するだろうな。
「ただ、《冥王》がいなくなって、世界が平和になると、あいつは俺の前から消えた」
「え?」
「《冥王》を倒して【人族】の王国に帰る途中、あいつはいなくなったんだ」
「そうだったの?」
沈んでだ声で言った《魔王》の言葉を補足するように《吟遊詩人》が続けて言う。ゲームの【セント・ファンタジア】では《冥王》を倒した後の詳しい場面はない。それぞれの人生を謳歌した、的なシーンがエンドロールで流れるんだけど、確かにそこで《暗殺者》は1人世界を旅しているような風だった。
二次作品として色々と想像はされてたけど、まさか《冥王》を倒してすぐにパーティから離れていたのは知らなかった。
《暗殺者》が何を考えていたのは、何となく想像できちゃったけど。
「あいつのことは気がかりだったが、俺は【魔族】の長として色々とやることがあって、あいつを探してやる時間もなかった」
《魔王》の顔がゆがむ。確か《魔王》は《冥王》がいなくなったあとも【人族】と【魔族】が平穏に暮らせるように政治面でいろいろ奮闘した、と【セント・ファンタジア】では描かれていた。それもどうやら事実のことらしい。
「《冥王》が封印された後、あいつが何を考えてたのかはわからない。だが、前世で死ぬ間際、俺はあいつのことを思い出して、不安になったんだ。あいつはこの世界が平和になったことを後悔してるんじゃないかって。だから、この世界に生まれ変わってもバカみたいに喧嘩吹っかけて、うっぷんを晴らすように暴れまくってるんじゃないかって……記憶を取り戻してから、そんな不安がずっと付きまとってたんだ」
《魔王》の顔に後悔の色がにじむ。そういえば、最近ちょっと《暗殺者》によそよそしいかもなって思ってたけど……そんなこと考えてたんだ。
確かに、さっちゃんは「今世はつまらない」ってよく言ってる。だから喧嘩して憂さを晴らしてるっていうのは多分当たってる。だから、もしかしたら《冥王》が封印された後の世界も退屈だと感じてたのかもしれない。
……けど。
脳裏に、たまに見せる本当に楽しそうなさっちゃんの笑顔が浮かんだ。