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魔女ロザリア 1


 夜の帳が降りはじめ、蔦の絡んだ灯り屋にふわりと明るい灯がともる。

 コン、コン。

 小さな白い手袋が扉を軽くノックする。


「はーい!」


 元気のよい声と共に扉が開いた。

 カーチフを巻いた若い女性が顔を出し、瞬間、彼女は囚われた。


 漆黒の長い髪が店に絡む蔦のように、彼女の首に腰に、腕に、足首にと巻きついていく。女の瞳が驚愕に開き、次いで持ち主の顔を見て真っ青になる。


「ろ、ロザリア……」

「――長を殺したのはお前だな、リサエラ」


 ぎらぎらと瞳を緋色に染めながら低い声でロザリアは問うた。生き物のようにうごめく髪が女の身体を高く持ち上げ、キリキリと締めあげていく。


「命の鍵を盗めば居場所を知られぬとでも思ったか。お前は我々を裏切った。長を殺し、集落を捨て、鍵を盗んで逃走した罪、許されると思うな。その魂引き裂き業火にくべてやろう!」


 息ができずにリサエラが呻く。ぱらりと落ちたカーチフの下から白に近い銀髪が溢れ落ちた。


「裏切り者めが!」


 締め付ける細い毛先に呪いの炎が点火する。肉の焦げる匂いに悲鳴があがり、業火を与えようとする詠唱に、対象者は逃れようともがき狂った。

 リサエラは治癒魔法しか使えぬ魔女だ。魔法の鍵を使わずともこのまま裁きは終わるだろう。


「ロザリア様!」


 ランバルトの声と同時に、ガキィ! と金属の合わさる音がした。突き飛ばされた衝撃にロザリアはよろめき、尻もちをついた。どさりと落ちたリサエラがげほげほと咳き込む。ロザリアが顔を歪めて振り向けば、赤い制服姿の男の剣をランバルトが受け止めたところだった。


「リサエラっ!」


 制服男はランバルトが打ち返した剣の柄を持ち直して叫んだ。


「逃げろ! 今のうちだ!」

「……駄目……もう無理よ……」


 弱々しい声が涙混じりに呟いた。


「逃げたところで、また……ならば、もう……」

「諦めるなリサエラ!」


 男は叫んだ。疾風のようなランバルトの刃を避けようとして左の肩を切り裂かれ、赤い飛沫が散る。


「お前は毎夜私に語ってくれた! 世界中の歌が聴きたいと! 自由に生きたいと!」

「……だって、あんなに頑張ったのに……鍵を奪って、長まで殺して……なのに、駄目だった……」


 ぼろぼろと大粒の涙を零すリサエラに、


「お前は俺と生きるんだろう!」


 警帽を取ると男は叫んだ。

 リサエラはハッとしたような顔になると、ぼろぼろに傷んだ手を握り締めた。


「……そう、そうだわ……もう、一人じゃない」


 リサエラは右手を掲げると、斜め一線、横一線に指を払い、呪文を唱えた。軌跡が若葉色に光りだし、描いた形に魔楽器ハープが現れる。自身の髪を引き抜きながらリサエラは白銀の弦を張っていく。


「させるか!」


 飛びつこうとしたロザリアは、見えない壁に弾かれた。


「――さっきは油断していたから、気が弱っていたけれど」


 弦を張り終えたリサエラは縦一線に指先を繋ぎ、最後に支柱を付け加える。ポロン、とハープをかき鳴らしてリサエラは微笑んだ。


「長の魔力を取り込んで、そのうえ命の鍵を奪ったんですもの。今のわたしが本気になれば決してあなたにも負けないわ、ロザリア」


 ポン、ポロン。

 甘やかな旋律は僅かな間だった。結界に守られたリサエラは、足でハープを押さえながら座り込み、素早く両手でかき鳴らし始めた。おどろおどろしい不協和音は、聴く者の耳を腐らせ汚染させていく魔の旋律。呪文を唱えようとしたロザリアは強烈な吐き気に口元を覆った。次いで視界に紗がかかり、頭から一気に血が下がる。鼻から垂れ流れる生ぬるいものが錆びた味を伝えた。


「――わたしは攻撃魔法はできないけれど」


 呪いの曲を奏でながらリサエラが続ける。


「幼い頃から母と共に、音が人体に与える影響を調べていたの。わたしの音に癒しの力があるのなら、その反対もさもありなん、でしょう? 肉体が朽ちる音を研究するのはとても興味深かった。

 だから、ロザリア」


 ボロラン。一際不快になる音が魔楽器から溢れた。


「――死んで頂戴」


 低く響き渡る弦の音に、先の症状がますます強まり、頭・喉・胸・腹・腰といった様々な部位への痛みが一斉にロザリアの身体を蝕んでいく。ロザリアは頭を抱えて膝から崩れ、げえげえと吐瀉物を撒き散らしながら苦しみにのたうち回った。


「罪人の子に情けをかけるのは、さぞや気持ち良かったでしょうね」


 美しく優雅な姿勢でリサエラは奏で続ける。


「『魔法の鍵』の呪いのせいで、わたし達は傀儡くぐつだった。

 知っていた? 本当はわたしだけじゃなく集落住民のほとんどが、逃げだしたくてたまらなかったのよ。

 だから、わたしが皆のために長を殺して鍵を盗んだ。忌まわしい枷を消すために」



『あなた以上の適任者はいないわ、ロザリア!』

『冷静で頼もしくて、何より力が強いもの!』



 ――聞くんじゃない、これは惑わしの言葉だ。


「わたし達は古の時代より代々退化し続け、今やできることといえばまじないの真似事程度。長は若かりし頃に数え切れないほどの魔女を殺し、その力を増していった。

 あなただけ。

 あなた一人だけが、純粋にいにしえの魔女そのままに魔法の鍵を使用した。

 『化物』だと、わたし達は皆あなたを裏でそう呼んでいた」


 ――違う。嘘だ。


「偽金をちらつかせて男達を雇っていたのも私。どうせあなたに敵わないと知っていたから、あなたを一時的に集落から追い出すことだけを目的とした。

 そうしてどんどん人数を増やし、あなたが力を集中させていたその間、いつもの治療と称して長の庵を訪れて、深い眠りの旋律を奏でた。それから、心の臓器と喉を呪術用の短剣で突いた」


 ぶるぶると震える指先をロザリアは胸元に伸ばしていく。ランバルトの呻き声が後方より聞こえてくる。あの警備服の男は呪いの回避法を知っていたらしい。何事か吐き捨てながらランバルトを蹴り付け、ざくざくと剣を肉に突き立てる音がした。


「あなたが出て行ったことで、皆が今頃せいせいしていることでしょうよ。

 命の鍵さえなければ皆が普通の生活を送れるの。外に出て町を歩き、種男じゃなく好きな人と愛を育み、生まれた男児を間引かずとも済むんですもの。

 だから、後はあなたさえ死んでくれれば完璧なの。

 さあアラン! この女にとどめを刺して!」

「……させるか」


 息を乱しながら胸の包みを引きちぎると、ロザリアはその指をリサエラに向けた。


「地獄に落ちるのはお前だ、リサエラ!」


 カチリ。施錠音と共に回ったのは、命の鍵。

 草庵の隅に落ちていた、小さな小さなリサエラの鍵。


「何で……それ……や、ああああぁぁぁがぁ……っ!」


 ぶるぶると弦が震えてちぎれだし、ハープが倒れた。ごぽり、と口から血泡を溢し、リサエラが胸を押さえながら崩れていく。


「や゛だぁ……ま、だ……っ」


 這いずり涙を流しながら、リサエラは片手を伸ばした。その先に駆け寄ってくるのはアランと呼ばれた制服の男。


「リサエラ! リサエラ!」

「あ……アラ、ン……」


 リサエラの瞳から光が消え、一拍の間を置いてその身体は霧散した。命の鍵の代償はあの世に旅立てぬ無の呪い。魔を持つ相手を殺す事で、その力は術者の血となり肉となる。

 ロザリアの身体に魔力がみなぎりだす。死にかけていた体力がみるみるうちに艶やかな光を放ち回復していく。


「化物が!!」


 絶叫と共にアランがロザリアに向かって飛びかかる。振り下ろされた切っ先は飴のようにぐにゃりと曲がった。くるくると刃を丸めながら煌々と輝く瞳で魔女は笑った。地響きのような詠唱と共に掌をアランの胸に当て、とぷりとそのまま沈めていく。


「アア! アッタ、アッタ。イノチ、イノチ ダァ」


 魔女はますます口角を上げ、ぐるりっと勢いよく腕を捻った。アランの心の臓器の中で命の鍵がこじ開けられる。宿る魂は一気に吸われ、男の身体は粉々に散った。


 リンツァーバルトの森の魔女はニタニタと笑う。ぎょろりと目を開き、その身体からゆらゆらと陽炎を立ち上らせながら赤子の鳴き声にも似た歌を細々と歌いだす。

 そんな魔女の後ろからランバルトが倒れこむようにして抱きついた。ぼろぼろに傷んだ身体を重しにし、押し倒しながら彼は魔女に口付ける。


 その行為に、欲もなければ愛もない。

 ただ果たすべき使命を忠実に執行するのみ。


 もがこうとした魔女から少しずつ力が抜けていく。幾度も唇を重ね合い、舌を絡めていくうちに、自然と緩やかに互いに呼応する動きになっていく。



 どれほどの時が経っただろうか。

 息をつき、ゆっくりと唇を離したランバルトは、目の前で見返す瞳が緋に燃えず落ち着きを取り戻したことを確認した。


「……あいつらの、言う通りだ」


 力無くロザリアは呟いた。


「私は化物だ。こんな力などほしくないのに、逃げることもできない。おまけに長の力まで取り込んだ今、いつまた暴走を始めるのかも分からない」


 ロザリアを間近に見下ろすランバルトの傷は、既に全てが癒えていた。


 彼が男でありながら、リンツァーバルトの集落で唯一女と同位置にいるその理由。

 魔力こそ持たねども、その受け皿はどの魔女よりも深い。

 ロザリアの魔力が暴走を始めれば、過剰な魔力を吸い取り抑える。そうして自身の内に蓄え、その熱量の影響で傷の全てが癒されていく。


「……分かっていたんだ」


 ロザリアはぼんやりとランバルトの瞳を見上げたまま呟いた。


「魔女でない、平凡な生活を味わってみたかったのは……私だって同じだ」


 それは、ロザリアが初めて告げた本心。


 ランバルトはロザリアを見下ろしたまま、しばらく黙っていた。だが、やがて身体を引き剥がすと、背に手を回して助け起こした。


「……一つだけ、叶える方法を知っています」


 その声は固く、僅かに掠れていた。


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