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灯り屋のリサ



 音のない雪原を、長い長い黒髪の女が歩いている。

 後ろ姿しか見えぬためその顔形までは分からないが、瞳の色は知っている。暑い日によく飲んでいた、あのお茶と同じ色だ。

 女は力無く歩きながら不気味な歌を歌っている。その旋律は赤子の泣き声。呟く言葉は不明瞭。

 やがてすうっと片手をあげると、女は宙に指を掲げた。



 そうして、肩の高さまで下ろしながら、ゆっくりとこちらを振り向――。



 リサは飛び起きた。

 じっとりと肌が汗ばみ、どっどっと早まる鼓動に思わず胸を押さえる。一瞬、ここがどこなのかを思い出せない感覚に陥ったが、木窓の隙間から漏れる光を見てすぐに現実に引き戻される。

 同じ夢は秋に入って3度見た。だがそれはいつも後ろ姿を見ていただけであり、今のように相手が振り向こうとしたことなど初めてのことだった。


 なんだか、ひどく気分が悪い。


 調子を取り戻そうと、リサはベッドを降りて部屋の窓を開けた。

 開いた二階窓からはすうっとした気持ちの良い秋の風が吹いてくる。だか夜着の下は汗でべっとりと濡れていたため、すぐに身体が冷えてしまった。ぶるりと身を震わせると、リサは夜着を脱ぎ捨て温かな服に着替えた。地味ながら丈夫な羊毛の服を重ね着し、伸びてきた白髪を梳いて一つに結ぶ。これまで短く刈っていた髪をなんとなく伸ばすようになったのは、別にたいした理由はない。断じてない。

 秋色に染めたカーチフを被ると、リサは階段を降りて店に出た。


「おはようございまーす!」


 だが店内におかみさんの姿は無かった。扉が施錠されているため、どうやら買い出しにでも出かけているようだ。


(そういえば、今日は秋祭りだった)


 リサは思い出した。昨夜お客さんとその話題で盛り上がったばかりだ。いつもは町の店先に出ないような菓子や、変わった素材の料理が並ぶらしい。縁起物の雑貨屋も出ると聞いていたので、夜番のリサも今年は見に行こうと決めていた。

 夜警に振舞っている手作りの茶菓子もそろそろ飽きがきている頃だろう。珍しい菓子があれば試食して、さっそく真似して作ってみよう。


(全く、店主様は気楽ですこと)


 店を放ったらかしで遊びに行くおかみさんの気ままさぶりが羨ましい。いつかは自分もこうやって好きにできる店を持ちたいものだ。

 代わりに店番をして待っていようかとも思ったが、結局リサもそのまま祭りに繰り出すことにした。



 高くカラリと晴れた空。町に入った途端、ごった返す大勢の人と音楽がリサの目と耳にいちどきに入ってきた。静かな夜の生活に慣れると、その賑やかさにくらくらする。よそ見をしながらあてもなく歩いていると、恰幅の良い人にぶつかってしまった。跳ね飛ばされかけたリサの背中に手が回り、そっと支えられる。


「――おや。リサさん」

 

 長い薄手の上着から覗く膝丈のブリーチェスと長靴。見上げると、目深に被った円錐帽の下から夏よりもますます伸びた毛むくじゃらの口元が覗いている。いつもの目立つ赤制服と違い、まるで鼠のような色合いであったため誰だか分からなかった。


「こんにちは、夜警さん」

「やあ。昼に出会うなんて珍しい」

「ちょっと夢見が悪かったから、お祭りを覗いて気晴らしをしたくて」

「言われてみれば、確かになんだか顔色が悪い。よほど恐ろしい夢だったようだ」


 屈むようにして覗き込まれ、リサはどぎまぎして俯いた。


「いえ、あの、ちっとも。長い黒髪の女の人が後ろ向きで立っていただけですから。

 ……あら? 言葉にしてみると、なんだか本当にたいした夢じゃなかったわ、ふふっ」

「ああ、やっぱりリサさんは笑顔が似合う。そんな夢などすっかり忘れ、ゆっくり祭りを楽しみなさい。

 よければ私もお付き合いしよう、見回り時間はまだ先だ」

「まあ本当? 一人も嫌いじゃないのだけれど、やっぱり二人だと嬉しいわ!」


 リサは顔を輝かせ、両手を叩いて喜んだ。あんまり嬉しかったものだから、夢のことなどすぐに忘れた。


 祭りはとても楽しかった。

 広場で楽隊が演奏をするのに合わせて男女が手を組み踊っている。双方華やかな刺繍に縁どられた衣装のため、くるくると激しく陽気に踊る度、それぞれの何枚にも重なったスカートや切込の入った上着の裾が花のように広がった。わあ、と見惚れるリサに向かって長い指が差し出される。


「踊ろう、リサさん」

「いいえ……いいえ、こういうダンスって踊ったことがないから分からない」

「大丈夫大丈夫、音を知る君ならすぐ踊れる」


 え? と思う暇もなく手を取られると、リサは踊りの輪に飛び込まされた。


「ちょっと! どうやったらいいの!? できないわ!」

「手拍子に合わせて適当にステップを踏んでごらん、それっタララララッタラッ、タッタ」


 華やかな踊りの輪の隅で地味な二人は目立たない。それでもリサは頭から湯気が出そうなほど顔を赤くして、必死で足を動かしていた。手拍子のリズムに合わせてこの瞬間に足を付け、ステップ、ステップ、そうだ、音の一部に溶けて一つになれ……!


「やあ、上手上手」


 細長い足でステップを踏みながら夜警が褒める。そのくせ彼の踊りはたいして上手くはなかったため、リサは吹き出し、気楽になった。音はますます早くなり、リサの足の動きもそれに合わせてどんどん早まる。

 ああ、楽しい。音を探り、その本質を解したこの瞬間がたまらない。ぞくぞくする!

 この人と一緒にいると、なんて、世界は輝いているの……!


 ジャン!

 締めくくられた音と盛大な拍手に、踊っていた人々は息をきらしながら笑いあった。

 リサも笑いながら自然と周りと同じように夜警の胸に耳を押し当て、息をはずませながら目を閉じた。踊り終えたばかりでとくとくと早まっている相手の胸の鼓動が聞こえる。

 この音を、もっとずっと味わっていたい……。

 ゆっくりとした曲調に合わせて男性が女性の腰に手を回し、見つめ合って踊りだす。私もああされるのかしらとリサがぼんやり思った途端、身体が離れた。


「さて、そろそろ喉が渇いた頃合。飲み物でも買いに行こう」


 朝に摘まれたばかりという果汁は、甘くて少し酸っぱかった。



 高かった陽が傾きだし、互いに仕事の時間が近づいてくる。


「さてさて。他に買い忘れは?」

「勿論ないわ! こんなにたくさんありがとう!」


 山ほど両手に抱え、リサはにっこり笑ってみせた。

 露天をまわる間中、興味を持ったものを全て夜警が買ってくれたのだ。


「今日はとっても楽しかったわ! お祭りっていいものね」

「全く同感、私も楽しいひと時だった」

「ねえ夜警さん、今夜のお茶の時間にさっそく二人で味見をしましょ! そうして、美味しかったものから順に、私が明日から真似して作るの!」

「それは大変楽しみだ。リサさんの作るものなら、何だって美味い」

「それじゃあ夜警さん、また今夜」

「はいはい、今夜。おかしな男に引っかからないよう、気をつけてお帰りなさい」

「はーい、どうもありがとう!」


 高く荷物を掲げるとリサは町外れのその先を灯り屋に向かって歩き出す。

 小さくなっていくその後ろ姿を、円錐帽を押し上げて見ながら、


「――綻びだしたか」


 と、夜警は呟いた。


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