魔女ロザリア
木棺に長の遺体を入れ、見送りの呪文を唱えながら魔女たちがシナモンの粉をふりかけていく。甘く繊細な香りが立ちのぼり、貴重な粉は遺体全身にまんべんなく降りそそいだ。
燃えやすいようまじないをかけた枯木の山に棺桶を置き、点火する。聖なる香煙を身に染みこませつつ、魔女達は泣きながら愛する長との別れを惜しんだ。
葬儀の後、墓標を立て終えると、残された魔女達のうち特に若い娘がロザリアの前に集まってきた。
「ロザリア。私達の長になってほしいの」
意を決したような申し出に、ロザリアは静かに首を横に振る。
「私には無理だ。若過ぎる」
「いいえ、あなた以上の適任者はいないわ!」
「冷静で頼もしくて何より力が強いもの!」
「自分の力さえ持て余している魔女が人を導くことは無理だ。私自身、この先どうなってしまうのか把握できていないのだよ」
「これから何とかしていけばいいことでしょう!」
ロザリアの手を掴んで娘達は詰めよった。
「私達怖いの! 森にはどんどん男達がやってくるし、安全だと思っていたこの場所でも、よりによって長が殺されてしまった!」
「『魔法の鍵』を使えるあなたに私達を守ってほしいの!」
ロザリアは目を閉じた。確かに今のこの状況では不安にならない方がおかしい。だが、彼女達が知らないもう一つの事実をこのまま放置しておくこともできない。
「ありがとう、気持ちは嬉しい。だが私は長を殺した犯人を討たねばならない」
「それは、何もあなたでなくとも――」
「長が殺された相手だ。力を取り込んでいるならば私以外に太刀打ちはできない」
ロザリアの言葉に娘達は口をつぐんだ。
リンツァーバレットの魔女の現象徴であった長。誰よりも聡明で落ち着き、揺るぎない強い力を持つ女性であった。
その彼女を殺すとは、一体どれほど強い力の相手なのか。
「そういえばリサエラは?」
ロザリアは娘達の中によく知った顔がないことに気付いた。この面子ならばいつも後ろに混じっているはずなのに。
顔を見合わせた娘達は、皆揃って首を横に振った。
「昨日から見かけていないわ」
「私達、てっきり仲の良いあなたが呼びに行くものだとばかり思っていたの」
ロザリアは娘達を押しのけると集落の一点を目指し歩いた。
確かにリサエラと最も親しい間柄なのは自分だ、もっと早くに声をかけるべきであった。魔法の鍵を使用したことによる消耗と長が殺害された衝撃とで、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
リサエラの母親はこの集落を滅ぼそうとして処刑された魔女だ。
破天荒だった彼女は掟を破って外界を知り、そこで男と恋に溺れた。挙句、集落を滅ぼし血の呪縛から逃れようと企てた。
計画は直前に発覚し、裏切り者の魔女は業火に焼かれて最期を迎えた。その際、一人残されてしまった幼な子が彼女の娘であるリサエラだ。父親が外の男なのか集落の男なのかは分からぬまま。だが結果として彼女は集落中から冷たい目を向けられ、庵に閉じ篭る孤独な少女となってしまった。
ロザリアはそんなリサエラを気にかけ、何かにつけて声をかけては仲間の輪に入れていた。長い長い時間をかけて閉ざした心を少しずつほぐし、今ではロザリアにはにかんだ笑顔を見せる娘へと成長している。
リサエラは音の療法を研究していた。自身の髪を絃にして奏でる旋律は、音の波紋に含まれる魔力を重ねることにより聴く者の心と身体の症状を改善させる。それらは相手の具合に合わせて即興で作曲していくため、一つとして同じ曲がない。
リサエラが奏でる美しい音と控えめに溢れる穏やかな笑みは、魔法とは関係無しにロザリアにとっての癒しであった。
「リサエラ!」
集落の隅にある庵の扉をロザリアは叩く。返事が無いのがもどかしく勢いよく扉を開けば、目に映ったのは服や術具がほとんど無くなった空の室内。
立ちすくむロザリアの目の隅に何かが映る。近付いて摘まみ上げると、見覚えのある小さな鍵。ロザリアが良く知る『命の鍵』だ。
「何故だ……リサエラ!」
鍵を握り、ぐしゃりと顔を歪ませながらロザリアは唸った。
長の庵で管理されていたはずの大量の命の鍵束は、ロザリアが遺体を発見した時には既に消えていた。
考えたくない。
だががらんとした室内と落ちた鍵を見る限り、認めざるを得ない。
長殺しと命の鍵の盗難に、リサエラが関わっている。
「ロザリア、大丈夫?」
「顔が真っ青よ」
庵より出てきたロザリアに、娘達が心配そうに声をかけた。一度開きかけた口元をロザリアはもう一度引き締める。
集落の住民は皆、長により少しずつ命の鍵を取られている。それらの鍵は、普段の生活や魔法の使用においては何ら支障をきたさない。だが集落より脱走を図ったり裏切るようなことがあれば、遠隔でも裁きを与えることが可能な寄り代となるのだ。
もしここで鍵を盗まれたと教えてしまえば、彼女達は必要以上に怯えて過ごすことになる。状況を見る限り、鍵束を取り返すまで自分が管理を引き継いだと思わせておくのが吉だろう。
「リサエラはここにいない」
ロザリアはできるだけ落ち着いた口調で事実のみを教えた。
「だが彼女を探すのは後だ。要事の順に片を付けていく。
私は長の仇を討つため、これから旅に出よう」
「待って、ロザリア」
「それは今の状況が落ち着いてからでもいいじゃない!」
「いや、長を殺した相手がもし魔女ならば、そのまま長の力を渡してしまうことになる。
森を汚す奴らの目的はお伽の魔女を殺すことだ。今回の件と関わりがあるのかはっきりさせねば、ここで終わりか、それとも更に襲ってこられるのか分からない。だから私は長を殺した犯人と対峙し、その真意を知り力を奪い返す必要がある。
お前達を守るためにも」
ロザリアが一人一人の頭を撫でながら優しく諭すと、娘達は渋々といった様子でようやく頷いたのだった。
旅には腹心の部下であるランバルトだけを連れて行くことにした。複数人の魔女で出歩き万が一のことが起これば、どこかに集落があると教えてしまうことになる。長が自身を柱としていた結界が失われた今、できる限りその存在を知られてはならない。
残された魔女達は力の強い者同士でめいめいに結界の魔法を張り巡らせていく。ロザリアは女達にもしも森を荒らす輩が出ても決して出てはならないと教え、男達にはいざとなれば女が逃げる間の盾となるよう誓わせた。命の鍵を取られていると思っている間は、皆規律を守って生活することだろう。魔女の裁きは死よりも怖い。
万が一に備えて数組に分かれての避難訓練を終えると、ロザリアはランバルトを連れて出発した。
魔女のローブではなく動きやすい旅装束に荷物を背負い、徒歩で移動する。馬を調達すれば早いが、リサエラを追う魔法は集中する必要があるため馬を操ることはできない。手がかりは彼女の部屋を探しに探して見つけた、柱のささくれに引っかかっていた一本の銀髪。これを薄紙に包み首から下げて探査する。
非常に微弱な気の糸は、常に意識を集中せねばあっという間に見失う。
だがロザリアにはリサエラを必ず見つけだす自信があった。
「――ああ、どこかで魔法を使っているな」
探りを終え、ロザリアは森を抜け出し明るい世界を踏みしめながらフードを被る。
雲隠れできたという自信が、リサエラに魔法を使わせている。
そう。どんなに押さえ込もうとしたところで使わずにはいられない、それが魔法というものであり魔を持つものの性なのだ。
リサエラは、ロザリアが命の鍵を持たずとも追跡魔法を使えることも、彼女が魔法を使う毎に正確な位置を教えてしまうことも知らぬままだ。
ロザリアはランバルトと共に延々と歩き、旅をした。
細い絹糸のようだった魔力は、その場所に近づくにつれて太く確かなものになっていく。
蒸し暑かった季節は、いつの間にか涼しい風を運んでいた。
見晴らしの良い山の中腹から町を見下ろし、「やっとだ……」とロザリアは呟いた。
町から離れたその先に小さな古い建物が見える。そこからまるで灯りのように魔法の力がきらきらと溢れ落ちていた。
「――逃げられるとでも思ったか、リサエラ」
漆黒のマントを翻し、ロザリアはランバルトを連れて山道へと戻る。
その顔と足取りに迷いは無かった。