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灯り屋のリサ


 町の中央にある共同井戸から水を汲み上げ瓶に入れ、天秤棒を背負って運んでいく。昼より随分涼しいとはいえ、夏の夜の力仕事に身体がかっかと熱くなる。

 リサはいったん立ち止まると頭を覆っていたカーチフを剥ぎ、ぱたぱたと仰いだ。

 高台にある灯り屋までの道のりはまだ随分と長い。

 灯り屋の扉には『すぐに戻ります』と張り紙をし、石階段の横には念のため丸椅子とランプを置いてきた。鍵をかけるだけでも支障はないが、こんな夜更けに訪れてくれるお客さんに店休日だと思われては申し訳ない。

 天秤棒の両の先から下がった鎖に水瓶の持ち手が繋がっている。そこに紐付けた白鑞(びゃくろう)のカップでリサは水をすくって飲んだ。


(水って不思議ねえ……)


 ふう、と息をつきながらリサは思う。無色透明で変幻自在、火をかければお湯に、天に戻れば雨雪に、冬の地に落ちれば氷となる。

 ――まるで魔法みたい。

 そんなことを考えてから、くすりと笑う。


 魔法といった不確定なものを彼女はあまり信じていない。こうして自分の手足でしっかりと動いて糧を得ることがリサの世界を作る全てだからだ。

 ふわふわした実態のないものを信じるよりも、ムラのない海藻粉のジェリーの作り方を覚える方がよほど大切なことではないか。

 たとえば今もいると言われているリンツァーバルトの森の魔女も、子供向けのの教訓に使われる御伽話の人物にすぎない。

 

「おや、珍しい。こんなところで」


 すぐ後ろから聞こえた耳馴染みのある男の声にリサはびくりと肩を揺らし、のろのろと振り返った。


「――こんばんは。夜警さん」


 赤い警帽と制服は暗い夜道でもよく見える。夜警が掲げたカンテラが、リサと天秤棒と水瓶を順繰りに照らした。


「こんばんは。こんな夜更けに水運びだなんて、何かあったのかい」

「……ちゃって」


 一度はもごもごと口ごもってはみたものの、ん? と首を傾げられ、リサは誤魔化すのを諦めた。


「柄杓を取ろうとしたひょうしに、ペンを水に落としちゃって。インクが溶けてしまったから、おかみさんが起きてくる前に入れ替えておこうと思ったんです……」


 小声でリサは説明した。譜面書きに夢中になるあまり、半ば無意識にペンを持っていたのを忘れていたのだ。

 失態を隠そうとして見つかってしまうのは、何とも情けなく恥ずかしい。


「よし。ではここからは私が持っていこう」


 夜警は天秤棒に水瓶を引っ掛けると、軽々と背負った。すたすたと歩きだしたその後を慌ててリサが追っていく。


「あのっ、とっても助かります! ありがとう!」

「いえいえ、どういたしまして。町の人へのお手伝いも、仕事のうち仕事のうち」


 先程までの苦労はなんだったのかというほどに、夜警はさっさと水瓶を運び、あっという間に灯り屋に着いた。外に裏返して出していた台所用の瓶に汲みたての水が注がれる。ついでに元の位置に運ぶのも全て夜警がやってくれた。


「本当に、何度お礼を言っても足りないわ……」

「大げさ大げさ、こんなものは朝飯前」


 笑う夜警のこめかみをひとすじの汗がつうっと流れた。リサは拭き布を取ると背伸びをしながらそれを拭った。


「夏だというのにそんな格好では暑いでしょう。よかったら服と帽子を脱いで、そこにかけておいて。すぐにお茶をいれますから」


 リサは調理台でぱたぱたと準備をした。夕刻に作り置きして覚ましておいた花の実のお茶を二つだけあるガラス製の器に注ぐ。透き通った緋と橙が合わさったこの色を彼女はとても気に入っていた。そのままでは酸味があるため、秘蔵の蜂蜜をぽってりと贅沢に落として匙を添える。くゆる蜂蜜玉が落日色のお茶の中でもやをだしながらとろけていった。


「やあ、これはなんとも夏らしい。雨上がりの夕暮れのよう」


 器を受け取った夜警は店に運んでいきながら、ランプの明かりに茶を透かした。

 男の人でもそんなふうに楽しんでくれるのねと、リサはちょっぴり嬉しくなる。


「あら、脱がないんですか?」


 夜警は赤い警帽と制服をかっちりと着込んだままだ。


「お暑いでしょうに」

「いやいや今は勤務中。そういうわけにはいきません」


 カウンター傍にある丸椅子に足を組んで座り、木匙で茶をくるくるとかき回してから夜警はぐいっと飲み干した。覗いたあご下から喉仏が見え、春の頃より伸びた栗色の髭は灯りに照らされてつやりと光った。

 

(思っていたよりも柔らかかったわ……)


 汗を拭おうとした際に指の腹で触れてしまった髭の感触を思い出す。なんとなく自分の髪質と比べてみようとして、リサはカーチフを取ったままであることに気付いた。

 人前ではあれほど取らないようにと気を付けていたのに!


 ガタッ、と音をたてて立ち上がった彼女に「どうかしたのかい?」と夜警が尋ねる。


「あ、いえ……カーチフを忘れていたから。乱れた髪で恥ずかしいわ」

「やあ、そんなこと」


 ――そんなこと?


 リサは耳元に手をやると、くしゃりと髪を握り締めた。短めに自分で刈っているこの髪はそのほとんどが若白髪で、合間に黒い筋が覗いている。少女時代はこのせいでさんざん郷里の少年達にかわれたものだ。


『リサが可愛いから気を引きたいのさ』


 兄はそう言って慰めてくれたが、リサは自分の髪が大嫌いだった。昔は家族同様に黒髪だったらしいのだが、幼少時に大病を患い、以降すっかり色が抜け落ちてしまったらしい。染め粉を使って誤魔化そうとしても、髪が少しでも伸びてくればすぐに根元が真っ白になる。そのため今では大判のカーチフですっぽりと頭を覆い、人前ではひと筋も髪がでないように気をつけていた。


「リサさんの髪は綺麗だね」


 そんな、見え透いた褒め言葉など嬉しくない。


「お婆さんみたいでしょ」


 だからつい、いつもよりつっけんどんに言い返してしまった。


「いや。冬の夜に降る雪のようで、私は好きだよ」

「……ありがとう」


 リサは目を伏せ、グラスに匙を落としてかき混ぜた。

 なんだかいつもよりずっと優しい口調だった。僅かにどきりとしてしまったのが、顔にでてはいないだろうか。


 いつもの窓辺と違うせいか、座る距離が近いためか、二人のお喋りは自然と普段よりも親密な話題になっていた。これまでは夜警が町の出来事を面白おかしく話してはリサが笑いながら聞くような関係だった。だが今夜は故郷の話や家族に友人、幼い頃の失敗談といった、これまであまり人に語らなかったようなことまでリサは話してしまっていた。

 不思議とこの夜警が傍にいると、なんだか気が緩んでしまう。カーチフを取っていたことをすっかり忘れてしまったくらいに。


(仕事柄、人の話を聞くことに慣れているんでしょうね)


 そう考えてから、リサは気づいた。


「そういえば夜警さんって、少し兄に似ているわ」

「へえ、そうなのか」

「ええ。優しくて、細身で背が高くって。いつも私の傍にいてくれて、大好きだった……」


 子供の頃から遊びに行く時はリサの後ろを必ずついてきてくれた兄。口数は少なくとも危なっかしい目に遭えば助けてくれる、そんな頼もしい人だった。

 新年の休暇まで帰省はできないが、元気にしているだろうか。


「そういえば夜警さんのご家族は?」

「妻がいるよ」


 チリリンッ。扉の鐘が勢いよく鳴り、恰幅の良い中年男性が入ってきた。リサもよく知る常連なのだが今夜は顔が赤らみ上機嫌だ。


「いよっ、リサさん! ちょっくら灯心を3本ばかしくれないかね!

 外酒で盛り上がっていたんだが、足りなくなっちまった!」

「はいはい、ちょっと待っててね」


 苦笑しながら立ち上がるとリサは戸棚へと向かった。灯心を出し、油の残りはじゅうぶんにあるかと確認していたところで、チリリンと軽い音がした。見ると夜警が帰るところだった。


「毎度ありがとうございまぁーす!」


 何も買われはしなかったものの、手伝ってもらったお礼を兼ね、リサは大声で見送った。


 客は鼻歌を歌いながら上機嫌で出て行った。入口で手を振り見送ってから、さて記帳をしておこうと机に戻り帳簿を開く。インク壺にちょこんとペンを浸しながら、


「……奥さんがいたのね」


 と、リサは呟いた。

 何とはなしに言ったつもりが、急に静かになった店内の壁に妙に響いて残ってしまった。

 リサは慌ててパタパタと手を振ると、ついでに首も横に振った。途端につきりと痛みが走る。

 まただ。

 ここ最近、日に一度の割合でこうして小さく頭が痛む。これまで不調とは無縁な人生であっただけに僅かな痛みが憂鬱だ。

 はあ、と大きくため息をつき、リサは帳簿に額を落とした。


 木枠の窓から聞こえる夏の虫の音が、ちりっ、ち、ちり、ち、と小さな舞曲ワルツを刻んだ。


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