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灯り屋のリサ

今作はナツ様主催「共通プロローグ企画」http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/388527/blogkey/1013145/参加作品です。






 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。

 一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。

 音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。

 男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。


 急がなければ――。


 力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。 


 :

 ・

 *

 ・

 :


 *



 温かな春の夜はほんのりと甘い匂いがする。開いた窓に向かって、リサはすん、と鼻を動かした。

 彼女が座る机の前には商品であるランプやカンテラが等間隔に置かれた階段式の棚があり、右横の見せ棚には蝋燭や火打石、灯心を入れる油器といったこまごましたものが並んでいる。左横には木枠の大窓、後ろには帳簿付け用の作業台と、狭いながらもなかなか気に入っている環境だ。


 町の端からさらにもう少しだけ離れた場所にある『あかり屋』は、古いつくりなうえにどっさり絡んだ蔦のせいで昼間はさほど目立たない。

 だがいったん陽が落ちてしまうと、開いた窓からランプやカンテラの明かりが零れ落ち、まるで店そのものが一つのともしびのようにも見えた。


「こんばんは、リサさん」

「あら、こんばんは夜警さん」


 ふうふうと淹れたてのお茶を冷ましていたリサは、慌ててカップを作業台に置いた。


「やあ、そのままそのまま。代わりに私にも一杯おくれ」


 赤い警帽から覗くのは頬を覆った無精髭。ほんの少しだけリサの位置が高いせいでつば下の瞳の形までは分からない。

 半地下に貯蔵庫を持つ灯り屋は一階が高い場所にある。そのため普通の背丈であれば中が見えないはずなのだが、こののっぽの夜警に限ってはこうして窓から覗かれてしまう。


「もう、そうやっていつもお茶時に来るんだから!」


 リサは笑いながら立ち上がった。

 すっぽりと頭を覆ったカーチフに白い立て襟のブラウス、洗いざらしのエプロン。地味ながら清潔な服装で、接客は明るく爽やかだ。

 おかげでへんぴな場所にあるこの灯り屋は、リサが店番をする夜の間でもぽつりぽつりとだが客足があった。


「夜警さん、今夜の町はどうだった?」

「特には何も。いつもと一緒、いたって平和、暇そのもの」


 夜警は歌うように言いながらカンテラを足元に置き、淹れたてのお茶を受け取った。


「ぅあっち!」


 揺れた拍子に持ち手に茶がかかったらしい。ガシャン、とカップとソーサーがぶつかりあい、夜警は手を振って熱を冷ました。


「あらあら大丈夫? 少し冷めるまでは、ほらここに」


 リサは突き出た窓枠をつつくと、奥から濡らした布を持ってきた。


「夜警さん、手を見せて」


 差し出された右の手を濡れた布で押さえながら、リサは窓枠に焼菓子を乗せた小皿も置いてやった。


「胡桃のスコーンを作ったの。木苺のジャムをつけてどうぞ」


 ぶすぶすと炭化しかけた物体にねっちりと煮詰めすぎた焦茶色のペーストはお世辞にも美味しそうには見えない。だが、


「やあ、ありがとう!」


 リサがジャムを塗ってやると、夜警は空いた手でスコーンを受け取り大口開けてかぶりついた。


「旨い!」

「――ほんと、味音痴で助かるわ」


 リサは苦笑いしながら呟いた。

 料理や菓子作りは好きなのだが、何故か成功する方が稀だった。常連客に手作り菓子をあげようとしたところ、「人様に毒を盛るんじゃない」と店の主人であるおかみさんに叱られてしまったくらいだ。

 故郷では両親や兄達、それに近所の人までもが「リサの料理は本当に美味しいね」と褒めてくれていたというのに。

 きっと、かまどの勝手が違うせいねとリサは思っている。だから慣れるまでは何度でも挑戦しようとせいをだすのだが、失敗作を捨てるのはしのびない。困っていたところに、先月より赴任してきたこの夜警が、夜毎寄っていっては食べていくようになった。

「リサさんの料理は何でも旨い」とのことだが、おそらく舌がちょっとおばかさんなのだろうとリサは踏んでいる。


 もさもさになった喉をお茶で潤すと、ふぅと夜警は息をついた。


「やあ旨かった、ごちそうさん」

「どういたしまして。さて、今夜のご入り用は?」

「そうだな、いつもの油とそれから白い長紐蝋燭を5本ばかしくれないか」

「はぁーい! 毎度ありがとうございます!」


 明るく元気に答えると、リサは椅子から飛び降りた。目の前のランプを一つ取り上げ、貯蔵庫に油を取りに行く。

 さして賑わう商売でもないため、なんだかんだでこの夜警とのやり取りはリサの楽しみの一つでもあった。




 灯り屋は日夜入り用があるために、昼の店番を家主のおかみさん、夜を下宿しているリサでまわしている。

 ただでさえへんぴな場所なうえ、皆が寝静まる夜当番。

 仕事を始めて3年目。「寂しくないか」とよく聞かれる。


「ちーっとも。だってほら、こうしてお客さんとゆっくりお話ができるでしょう。それに暇な時間にだって、いろんな楽しみ方があるんです」


 その『いろんな楽しみ方』の一つが、こうして今、作業台でリサが取り組んでいる譜面書きだ。

 生き物がすっかり寝静まった深夜。窓を開けると、木の葉が擦れあう音や重なりあう虫の音、流れる風の機嫌の違いといったささやかな音が耳まで届く。それらを眺め聞いているうちにリサは帳面を取り出して五線譜を書き、心に浮かんだ音符をすらすらと書き留めていく。子供の頃から音楽は好きで、駄々を捏ねて教室に通っていたこともある。

 奏でる楽器を持ちたいものの、書き上がった楽譜を眺めているうちにリサの中で音が飛び出し、くるりと踊りながら体に旋律を届けてくれる。

 瞬間、リサは葉擦れを起こした木に、恋を奏でる虫に、ふわりと舞う風そのものに溶けて混じり合う。それがたまらなく心地良いのだった。


(もし昼の店番だったら、ここまで集中できないでしょうね)


 ペン先をインク壺に浸しながら、ゆったりとリサは微笑む。

 ささやかで平和なこの日々を、彼女は心から愛していた。


「――何を書いているんだい?」


 ひょいと声がかかったため、リサは慌てて楽譜に覆い被さった。


「あら、夜警さん。いきなり話しかけるなんて淑女レディに失礼よ?」


 楽器を持たないリサにとって譜面を書くは秘密の趣味だ。茶化すようにして誤魔化すと、夜警は後退して頭を掻いた。


「それはすまない。どうも私は礼儀に疎い」


 申し訳無さそうに詫びる顔は相変わらず不精髭に覆われている。


「……ねえ夜警さん、お髭は剃らないの? なんだか最近伸び過ぎじゃないかしら。これからだんだん暑くなるし、すっきりさせた方がきっと凉しいと思うの」


 リサが前々から思っていた事を勧めてみると、


「やあ、それがどうも私は肌が弱くてね。昔はまだ良かったんだが、最近では剃刀を当てるとひどく腫れあがってしまうから、できるだけ剃らないようにしているんだ」


 と返されてしまった。


「まあ、そうだったの……」


 面倒臭がっているわけではなかったのか。

 失礼な事を言ってしまった、とリサは反省した。

 お詫びに、今夜は手作りクラッカーをどっさり持たせてあげよう。塩をほんの少し、いや結構入れ過ぎたような気もするが、焼き加減はうまくいった。味音痴の彼ならばきっと喜んで食べてくれるに違いない。


「いやはや、春の夜は良いものだなあ。リサさんの淹れてくれるお茶もきっと格別に美味いのに違いない」


 壁にもたれて長い手足を組みながら、夜警がしみじみといった調子で呟く。


「はいはい、ちょっと待っててね。すぐにお茶を準備します」


 リサは笑い、茶器に被せていた薄布を取った。

 

 町外れのそのまた外れにある蔦だらけのこの灯り屋は、たくさんの美しい花と緑に囲まれている。


(安全を守る夜警さんがこうして呆けていられるんだもの。ここは本当に平和な町ねえ)


 茶葉缶を開けその香りを楽しんでから、リサはたっぷりと木匙ですくった。



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