祭りの種火
神子と街を散策した日の夜、リサはお土産用に購入した茶葉と花の砂糖漬けを渡すために魔王のレストランを訪れました。すでに営業時間は終わっていたので、花を浮かべた紅茶を楽しみながら、魔王とアリスと三人で世間話に興じています。
「なるほど、やけに街中に花が飾ってあると思ったらそういうことでしたか」
人間界の行事である花祭りのことをアリスと魔王は知らないようでしたが、街中に飾ってある花の理由が分かって納得がいったという顔をしています。
「ああいう行事とかって公的な届けを出してやるものじゃないんですか? いやまぁ、この世界でどうだかは知りませんけど」
魔王たちは迷宮都市の公的機関のトップであるはずなのですが、そういう立場の二人が街の行事を知らないというのもおかしな話です。気になったリサは二人に尋ねてみました。
「そういうのは大体ヘンドリックあたりに丸投げしてますので」
「優秀な部下がいるとラクが出来ていいね」
そもそも普段から為政者としての仕事をほっぽりだして趣味にかまけている彼らです。たまに上がってくる報告書に目を通したりはしますが、実務的なことをリアルタイムでちゃんと把握できているかというと、怪しい部分が多々あります。
今のところは上手く回っているので問題はないのですが、二人とも割とダメダメなタイプの権力者でした。
「そういえば今日やってたのとは別に、迷宮都市でもお祭りをしようっていう話が前になかったっけ?」
まだ春の初めの頃に、そんな話が出たことを魔王が思い出しました。その疑問にお茶のおかわりを注いでいたアリスが答えます。
「ええ魔王さま、たしかコスモスがそんな企画を立てていましたね。ですが、あの企画はコスモスが予算を私的に横領しようとしていたので、そのまま宙に浮いた状態で止まっていたはずですよ」
「ああ、そういえばそうだったっけ」
「コスモスさん、そんなことしてたんですか……」
残念ながら、その企画は立案者の不正が発覚したせいで、具体的に動き出す前に止まってしまっていました。コスモスの奇行はいつものことなので魔王は軽く流していますが、横で聞いていたリサはまだ慣れていないせいか軽く引いています。
それはさておき、
「ああいうお祭りって素敵ですよね」
「そうですね、魔界でも秋頃に収穫祭をやっていますけれど、毎回盛況ですよ」
「あれは、たしか五十年くらい前から始めたんだっけ?」
三人は祭りの話題に花を咲かせます。百年ほど前まで文化らしい文化がなかった魔界ですが、半世紀ほど前からはお祭りもやっているのです。
「魔界のお祭りってどんなことをするんですか?」
気になったリサが魔王たちに聞いてみました。つい最近まで宗教という概念自体が存在しなかった世界ですから、祭りとはいっても宗教色のない規模の大きな宴会のようなものなのですが、
「二十年くらい前にやった電流爆破金網デスマッチは盛り上がったね」
「十年ほど前に火山の火口でやった焼肉大会もよかったですね。怒った火竜が突撃してきましたけど、かえって食材が増えましたし」
「……それは本当に収穫祭なんですか?」
なにせ、前例とか慣習というものがないので、毎回その時々で誰かが思いついた面白そうなイベントをやるだけのバカ騒ぎに興じるばかり。
なまじ無駄に頑丈なメンツが多い上に大抵はアルコールが入っているので、イベントの方向性もどちらかというとバイオレンスな方に傾きがちです。
「去年は僕たちが参加できなかったから、収穫祭もおとなしめだったみたいだけどね」
「ちょうど会議の時期と重なってしまいましたからね」
「ああ、あの頃だったんですか」
残念ながら、昨年の収穫祭は人間界と魔界の会議をやっていた時期と重なっていたので魔王たちは不参加でした。
「その分、今年は盛大に盛り上げないとね」
「そうですね、もう少ししたら準備を始めないとなりません」
「死人が出ない範囲でお願いしますね」
魔法やらギャグ補正やらの見えざるパワーのおかげで、過激なイベントをやっても今のところ死者が出たことはありません。慣れていないリサは心配していますが、今後も多分なんとかなる、ような気がしなくもありません。多分、きっと、恐らくは大丈夫なのではないでしょうか。
◆◆◆
「そういえば、地球にはどんなお祭りがあるんですか?」
お祭りの話題つながりでアリスがリサに質問をしました。
「わたしが行ったことのあるのは近所の神社の夏祭りくらいですけど、小学生の時は毎年浴衣を着せてもらって屋台に行くのが楽しみで。ちょっとお値段が高めなんですけど、ソースの焦げる香りのせいでつい色々と買っちゃうんですよ」
「浴衣ですか。そういえば私も日本に行った時に買ったんですけれど、こっちの世界だとなかなか着る機会がないのです」
「まあ、それはそうでしょうねぇ」
異世界で浴衣が似合うイベントなどあるはずもありません。布地が傷まないように、時折手入れはしていますが、アリスの浴衣は現状ではタンスの肥やしになっている状態です。
リサが実体験として知るのは地元の神社が毎年やっている夏祭りくらいですが、それでも有名なお祭りはテレビのニュースなどで報道されることもあり、知識としては知っています。
「色々ありますけど、実際に画像を見てみた方が分かりやすいですよね」
リサはペーパーナイフくらいの大きさで具現した聖剣で目の前の空間を小さく切り開き、それからスマホを操作しました。裏技みたいな使い方ですが、日本に通じる穴を開けたことによりスマホの電波が届くようになり、異世界に居ながらにしてネットにアクセスできるのです。
「ほら、こんな風に大きなお神輿が出たりするんですよ」
「ほう、これは見事なものですね」
リサが見せたのは浅草の三社祭の画像です。法被姿の男性たちが神輿を担いで練り歩く様は勇壮の一語。画像越しに伝わってくる迫力がありました。
「それにほら、海外にも色々あるんですよ」
クリスマスやハロウィンなどの日本でも有名なイベントも一種のお祭りですし、オリンピックや各種スポーツのワールドカップなどもお祭り的な要素が少なからず含まれています。
「他に有名なのだとスペインの牛追い祭りとか、トマト祭りとか」
ちなみに牛追い祭りは疾走する牛から走って逃げる祭り、トマト祭りは生のトマトを雪合戦のように投げ合うという、かなりインパクトのあるお祭り。前者は牛の角に突かれて怪我人や死人が出たり、後者は街中がトマトの汁で真っ赤に染まるという、かなり過激なイベントです。
「地球には随分変わったイベントがあるんですね」
アリスはスマホ画面に次々と表示される画像を見ながら、感心と呆れが入り混じった感想を述べました。当事者たちは真剣であったとしても、奇祭・珍祭の類は理解に苦しむような種類のものも少なくありません。
「ヘンテコなのは否定しませんけど、こういうのはノリと勢いが大事ですからね」
実際、祭りの高揚というのは一種の狂気にも通じるものがあります。日常の常識から乖離した行為を集団で行う、言い方を変えれば皆でハメを外して馬鹿をやることで共犯者的な連帯感が強まり、所属する集団への帰属意識を高めることにもつながるのです。
◆◆◆
「でも、今日お祭りがあるって知ってたら行きたかったな……」
「そうですね、私も行ってみたかったです」
魔王は先程からの話題のせいでお祭り欲が刺激されてしまい、今日の花祭りを知らずにうっかりスルーしてしまったことを残念がっているようです。アリスは正直それほどでもありませんが、魔王と一緒に出かける口実を逃したことは残念に思っています。
「……よし、やろうか」
一瞬だけ落ち込んだ魔王ですが、すぐに気を取り直して言いました。
「そうですね、やりますか」
アリスも魔王の意を汲んで即座に賛成します。
「あのぅ、一応聞いておきますけど何をやるんですか? いえ、なんとなく想像はつきますけど」
魔王とアリスの端的なやり取りに対し、(薄々予想はついていましたが念のため)リサが疑問を呈しました。
「やろうか、お祭り!」
普通であれば、一個人がやりたいと言って簡単にやれることではないのですが、そのあたりの常識は説くだけ無駄だと魔王を知る者なら誰もが熟知しています。
魔界でも人間界でも、史上他に類を見ないほどの大祭。それはいつものように魔王の気紛れから始まるのでした。
◆◆◆
なお、アリスとリサはこの時に魔王を止めなかったことを、後でちょっぴり後悔することになるのですが、残念ながら今の彼女たちにそれを知るすべはありませんでした。