シモンとライムの辛口勝負
いつもは平和な魔王のレストランですが、この日は普段と違う険悪な空気が漂っていました。とはいえ、なんら深刻な話ではありません。
「ぐぬぬ……そろそろあきらめたらどうだ……むぐ!?」
「むぅ……ぜったいやだ……あぅ!?」
店の常連でも最年少に属する二人、とある国の王子である少年シモンと、エルフの少女ライムが、テーブルを挟んで向かいあっていました。テーブルの上には辛口のカレーライスが二皿、シモンとライムはそれを交互に一口ずつ食べていきます。
大人なら美味しく食べられるカレーも、子供たちの舌には辛すぎるようです。二人とも顔には汗をかき、目には涙を浮かべていました。
「この強情者め……!」
「それはそっち……!」
お互いに相手より先に音を上げてなるものかと意地を張り、手と口の動きを休めることなく、一口、また一口と食べ続けています。この場で行われているのはただの食事ではなく、ある種の勝負なのです。
ところでこの二人、そもそも何故こんな珍妙な勝負をしているのでしょうか?
◆◆◆
「アリスよ、おれが来たぞ! む、今日は混んでいるな?」
時刻はお昼頃。
シモンとクロードがレストランにやってきた時、店内はいつになく混雑していました。基本的にはヒマな時の方が多いこのお店にしてはかなり珍しいことです。
店の中を見る限りでは満席、その上シモンたちの前にも二人連れが順番待ちをしており、残念ながらシモンとクロードの順番が回ってくるまでにはまだしばらく時間がかかりそうです。
「珍しいこともあるものだな。おや、なにやら美味そうな匂いがするな?」
「若、ヨダレがたれておりますぞ。ですが、たしかに良い香りですな」
店内にはシモンたちが嗅いだことのないような、それでいてなんとも食欲を刺激するような香りが充満していました。午前中に鍛錬や勉学に励み、お腹が空いているシモンにはたまらないものがあります。
「見れば皆同じ料理を食べているようだな、あれが匂いの元か。だが、席が空かなくては肝心のおれが食べられん。これでは生殺しではないか」
店内の客はほとんどが同じ料理、本日のオススメであるカレーライスを食べているようです。昨今では少しずつ値下がりしてきたとはいえ、香辛料を使った料理にはまだまだ高級品のイメージが根強く残っています。その香辛料を大量に使った料理が安く食べられる、しかもそれが最高に美味いとなれば頼まない理由はありません。
魔王のカレーは、飴色になるまでバターでじっくり炒めたタマネギ、舌の上でほろほろと肉の繊維が崩れるほどに柔らかくなった牛肉、まるで果物みたいに甘くとろけるニンジン、煮崩れしないようにオーブンで焼いたほくほくのジャガイモが基本形です。
甘口か辛口かを選べるようにもなっているので、たとえ辛い物が苦手な人でも美味しくいただけます。
「いらっしゃいませ、シモンくん、クロードさま」
「おお、アリスか。今日は繁盛しているようだな」
「すみません、シモンくん。お席が空くまでもう少しかかりそうです」
忙しく動き回るアリスはシモンに挨拶をし、それから先に順番待ちをしていた二人連れの案内をします。
「お待たせしました、タイムさん、ライムちゃん。お席が空いたのでご案内しますね」
「うん、ありがとう」
「ん」
シモンの前に並んでいた二人連れ、エルフの姉妹のタイムとライムがアリスの案内に従って歩き出し、数歩を進んだところで何かを思いついたタイムが、後ろにいたシモンたちの方を振り向きました。
「そうだ、良かったら君たちも相席しないかい? この匂いの中で待つのはキツイだろう」
それを聞いたアリスがシモンに確認をします。今しがた空いた席は四人掛けなので、彼ら全員が座れるだけの広さはあるのですが、世の中には相席を嫌う人間も少なくありません。
「どうしますか、シモンくん?」
「相席か、うむ、おれはそれでかまわぬ。それに、この美味そうな匂いをこれ以上かがされては順番が来る前に飢え死にしてしまいそうだ」
どうやらシモン少年は相席に抵抗がないタイプだったようです。タイム、ライム、シモン、クロードの四人は、こうして無事に腰を落ち着けることができました。
「かたじけない、おかげで助かったぞ」
「なに、お安い御用さ」
相席を提案してくれたタイムにシモンがお礼を言いました。あのまま待っていてもいずれは順番が来たはずですが、よほどお腹が空いていたのでしょう。
全員がアリスに注文も伝え、今は料理の到着を待っている状態です。もちろん頼んだのはカレーライス、大人は辛口で子供たちは甘口を注文してあります。
「何度かこの店で見かけたことはあるが、ちゃんと話したことはなかったな。おれの名はシモン、こっちの爺はクロードだ」
「クロードと申します。よろしくお願いいたします、エルフさま」
「ああ、よろしくシモン、クロード。私はタイム、この子は妹のライムだよ。エルフといっても私たちは別に偉いわけじゃないから気軽にしてくれ」
このレストランの常連同士なのでお互いの顔を見かけたことくらいは何度もありますが、ちゃんと話したことはなかったので改めて自己紹介をしました。
「タイムたちはエルフなのだな、話には聞いていたが本当に耳が尖っているのだな」
「ああ、触ってみるかい?」
タイムが長い耳をぴくぴくと上下に動かすのをシモンは興味深げに見ています。
「おれの国にはエルフはいなかったからな。この街にいると色々と珍しいものを見られてよい」
「この街にあるものは私の目から見ても面白いものばかりだよ。森を出てからかれこれ百年くらいあちこち見て回ったけど、ここくらいヘンテコな場所はなかったね」
「なんと百年か! その見た目でじいよりも年上とは恐れ入った!」
タイムの年齢は二五〇歳、森を出てからだけでも百年は経ちます。老人のクロードよりも見た目が若いタイムの方が三倍以上も年上だということを知り、シモンは大いに感心しました。
「そっちの……たしかライムだったか? ライムもこう見えて年寄りだったりするのか?」
「…………」
シモンに話を向けられましたが、ライムは口を閉ざしています。ある意味でエルフらしい気質が強いライムは人見知りをする性格で、いわゆるコミュニケーション能力に少しばかり難があるのです。
「そういえば私もまだライムの年を知らなかったっけ。今、何歳かな?」
魔族もそうですが、エルフも長寿の種族なせいか人の年齢に無頓着な面があるのでしょう。姉であるタイムに聞かれたからか、今度はライムも答えました。
「……ななさい」
「なんだ、おれとほとんど変わらんではないか」
ライムの年齢は見た目通りの七歳です。
それを聞いたシモンは拍子抜けしたかのように言いました。ですが、その言葉の言外に込められた、いかにも「つまらない」的なニュアンスが、ライムには面白くなかったようです。
「……あなたはなんさい?」
「おれは六歳だ」
「ふっ……わたしのほうがおねえさん」
年齢が一つ上だということが分かり、ライムは勝ち誇りました。しかし、今度はシモンがそれに反発して言い返しました。
「お前もおれと一つしか違わないではないか!」
「それでもかちはかち」
「だが背はおれのほうが高いぞ」
「……むぅ」
微差ではありますが、二人が並ぶとシモンの方が僅かに背が高いようです。ライムは悔しそうな顔をして、しかし負けを認めるつもりはないようで言い返しました。
「わたしはひとりでおるすばんできる」
「む、やるな。城にはいつも誰かいるから留守番はやったことがない」
「ふふん」
当然といえば当然ですが、シモンが元々住んでいた城も、現在滞在している迷宮都市の大使館にも、常に誰かがいるので王子である彼が留守番をする機会などありません。ですが、シモンもむざむざ負けてはいません。
「おれは大人が持つ剣を振れるぞ、お前より力持ちだ」
「む……おもいものもてない」
じつはシモンちょっと話を盛っています。大人用の剣をどうにか持つことはできますが、普通はフラフラと剣を地面に下ろすことを「振れる」とは言いません。
「わたしはまほうがつかえる」
魔法といっても、どうにかそよ風を起こせる程度ですが。
「おれは算術ができるぞ」
まだまだ計算間違いが減らず、教育役のクロードが毎日苦労していますが。
「ぐぬぬ……」
「むむむ……」
お互いに相手に負けたくないのか、細かいことで張り合っています。ちなみに、二人の保護者であるタイムとクロードはその様子を面白そうにニヤニヤと……もとい、ニコニコと微笑ましそうに見守っています。
「お待たせしま……あら、どうかしましたか?」
そんな時にアリスが四人分のカレーライスを運んできました。大人の前には辛口を、子供の前には甘口の皿を置こうとして……その前にシモンが言いました。
「待てアリス、辛いほうをおれによこせ。これで決着をつけるのはどうだ?」
「のぞむところ」
これが、シモンとライムによる辛口カレー勝負のいきさつでありました。
◆◆◆
勝負のルールはいたって単純明快、『先にカレーを完食したほうの勝利』もしくは『先にギブアップしたほうの負け』の二つだけです。
「甘口のほうもイケるね。ほらライム、がんばれがんばれ」
「これは美味ですなぁ。若、もう少しですぞ」
子供たちと交換した甘口カレーを食べている大人二名は、料理を堪能しながら時折面白そうに声援を送っています。これが本当のケンカだったらともかく、平和的に競うだけなら止める理由はありません。
「この負けず嫌いめ……!」
「そっちこそ……!」
シモンもライムも、舌が燃えるような辛さに顔をしかめながらも、一向に負けを認めようとはしません。冷たい水をガブガブ飲みながら、どうにかこうにか食べ進んでいます。
一口食べるだけで口の中がヒリヒリと焼け、まるでマグマを飲んでいるかのような錯覚を覚えます。ジャガイモやニンジンのほのかな甘さだけが命綱で、とても味を楽しむどころではありません。
「ううぅ……」
「くぅ……」
二人とも涙や鼻水をぽろぽろこぼし、もはや相手にかまう余裕もなくなってきました。この勝負の本質は自分との戦い、ただ無心にスプーンを動かすことだけが勝利への筋道なのです。
もはや何杯目かも分からぬ水を飲み、朦朧とした意識で機械的に手と口を動かすことしか彼らの脳裏にはありません。どうしてこんな苦行を己に強いているのか、そんなことはとうの昔に忘れてしまいました。
「……あと一口……」
「これで……おわり……」
結局、最後の一口を食べたのは完全に同時。
勝負は引き分けに終わりました。
「なかなかやるな、ライムよ」
「シモンもすごかった」
激闘を終えた二人の間には奇妙な友情が芽生えていました。今は追加で注文したアイスクリームを食べて、口の中を癒しながら互いの健闘を称えあっています。
「うんうん、友情ってのはいいものだねぇ」
「ですなぁ」
今回、最初から最後まで面白がっていただけの保護者たちも、よく回る舌でテキトウな感想を言いながら、同じようにデザートを味わっています。
「む、じいのはおれのと違う味だな?」
「タイムのもちがう?」
子供たちが食べていたのはバニラのアイス、大人たちが食べていたのはミントのアイスでした。
「ちょっと食べてみるかい」
「若もどうぞ」
食べたことのない味に興味を惹かれたシモンとライムは、それぞれの保護者から分けてもらって一口食べてみましたが、
「「……っ!?」」
どうやらミント味はお気に召さなかったようで、二人そろって目を白黒させています。ですが、シモンもライムもライバルに弱みを見せたくないせいか、
「な、なかなか美味いじゃないか……無理はしてないぞ……」
「わ、わたしもそうおもう……すごくおいしい……」
などと、ついつい意地を張ってしまいました。
どうやら、それがいけなかったようです。
「おやおや、そんなに気に入ったのかな? じゃあ私のと交換してあげようか」
「さあ若も、遠慮なく召し上がってくだされ」
意地の悪い大人たちは、またもや面白がって食べかけのミントアイスを子供たちの前に差し出しました。こうして、シモンもライムも引くに引けなくなってしまい、勝負の第二ラウンドの幕が切って落とされるのでした。





