新人バイトと王子さま
「アリスよ、おれが来たぞ! ……む、誰だ?」
「いらっしゃいませ!」
ある日のお昼過ぎ、いつものようにシモン王子がオヤツを食べに魔王のレストランにやってくると、アリスと同じデザインの給仕服を着た見知らぬ黒髪の少女が出迎えました。
予想外の展開にシモンが戸惑っていると、店内で空いた食器を片付けていたアリスが彼に気付いて挨拶をしました。
「あらシモンくん、クロードさまもいらっしゃいませ。リサさん、お客さまのご案内をお願いします」
「はい、ではお客さま、お席までご案内します」
「なるほど、新しい給仕が入ったのか」
この店ではアリス以外にも時折コスモスや他のホムンクルスが働いているので、シモン王子もすぐに状況を飲み込みました。
「メニューをどうぞ、ご注文が決まりましたらお呼びください」
「さて、今日は何を食うとするか」
実家の洋食屋を小学生の頃から手伝っていただけあって、リサの接客は随分とサマになっています。シモンを案内した後も注文取りや会計、テーブルの片付けなどをテキパキとこなしており、新人とは思えない働きぶりです。
感心したシモンは注文を受けにきたアリスに言いました。
「アリスよ、なかなか良い給仕が入ったようだな。たしかさっきはリサと呼んでいたな、勇者さまと同じ名とは素晴らしい」
アリスはそれを聞いてくすくすと笑いながら答えました。
「ふふ、そうですね、私の方が教わることが多いくらいです」
実際、年季だけで言えばレストランで働き出してからまだ一年も経っていないアリスよりもリサの方が遥かにベテラン。ホムンクルスたちも知識はあっても経験が伴わないため、新人ながらも実質エースのような状態です。
「それにコスモスと違って奇矯な言動をすることもなさそうだしな」
「……はい」
アリスは重々しく頷きました。コスモスは能力的には優秀で仕事にソツはないのですが、奇怪な言動が多いのが玉に瑕です。
「アレも傍で見ている分には道化のようで面白いのだが、アリスに苦労をかけるのだけはいただけぬ」
「わかっていただけてなによりです……」
シモン個人としては見ていて面白いのでコスモスを気に入っているのですが、アリスをからかうのが趣味という点だけは困りものです。
「ところで話が変わるが、おれは最近じいに剣術を習い始めてな。これが中々面白いのだ」
「クロードさまに?」
「うむ、じいはこう見えて強いぞ? おれの父上や兄上たちもじいから剣術の手ほどきを受けたのだが、まだ誰もじいから一本とったことがないのだ」
「まあ、すごいのですね」
クロード氏はただの好々爺のようにも見えますが、老人の身ながら一人で王族の護衛を任されるだけの実力と実績があるのです。
こうしている今も一見丸腰のように見えますが、執事服の下には暗器を仕込んであり、また魔法の心得もあるので悪漢の十人や二十人程度なら容易く制圧することが可能です。
「いやはや、そんなに持ち上げられると照れてしまいますなあ」
話の邪魔にならぬよう静かにシモンとアリスの会話を聞いていたクロードは、自分に話題が向いたのを聞いても飄々とした調子で受け流しました。
「いずれ、おれがじいよりも強くなってアリスを守ってやろう」
「ふふ、たのもしいですね」
「若、それならば明日からは朝の訓練の量を倍にいたしますかな?」
「うむ! いや、倍では足りぬ、三倍でもいいぞ!」
真の強者というのは、他者の強さを見抜く眼力にも長けるもの。
クロードは目の前のアリスが自分よりはるかに強く、誰かに守られる必要などないことも既に察していますが、せっかく愛弟子がやる気を出したのだからそのやる気に水を差すような指摘はしません。何事もやる気がある方が成長するものなのです。
◆◆◆
勤務内容:接客及び調理業務。
勤務時間:気が向いた時。
賃金:言い値で欲しいだけ
リサが異世界での活動資金を得るため魔王にアルバイトができないかと聞いたら、こんなふざけた条件が提示されました。
「リサさん、なにか問題はありますか?」
「むしろ問題しかありません」
学校や家の手伝いもあるので勤務時間に関しては好都合ですが、いったいどこの世界にアルバイトに言い値で給料を払う雇用主がいるのでしょう? ここにいました。
最初、リサは魔王が冗談でも言っているのかとも思いましたが、どこからともなく取り出した大量の金貨がギッシリ入った布袋を“先払い”で渡そうとしたのを見て頭を抱えました。
袋のサイズは大まかに九十リットルのゴミ袋くらいです。それが十個以上も無造作に置かれたせいでお店の床がミシミシと軋み、今にも大穴が空きそうです。
ちょっとお小遣いを稼ごうかと思っただけなのに、とんでもないことになってしまいました。冗談抜きで城が買えそうです。
「魔王さん、こんなにたくさんは要りません。そうですね、このくらいで……」
結局、リサが魔王に言って常識の範囲内で、利便性を考えて異世界の通貨と日本円で半分ずつ給料をもらうことにしました。魔王とアリスは以前の旅行で使いきれなかった日本円を、まだまだ大量に所持しているのです。具体的には万札だけでスーツケース二個分はあります。
なお、給料を常識的な域まで減らしたとはいえ、普通の高校生アルバイトよりちょっぴり多めの金額に決めたあたり、リサもこれで結構ちゃっかりしています。
◆◆◆
「リサさん、あの席の男の子がシモンくん。向かいのご老人がクロードさんです」
「はい、あそこのお二人ですね。なにか注意事項はありますか?」
フロアの客数が減り手が空いたリサはアリスから常連客の名前や特徴などを教わっていました。好きな食材や苦手な食材、アレルギーの有無などを把握して接客に役立てるためです。
「注意事項ですか……、そうだ、シモンくんに出す料理には必ず旗を立ててください」
「旗? お子様ランチみたいなですか?」
「ええ、好きみたいなので。旗は厨房に作り置きがありますからそれを使ってくださいね」
今回は少々特殊な事例ですが、こういう細かな心遣いが喜ばれるのです。
「では、そろそろシモンくんの注文ができる頃ですから運んでもらえますか」
そうして早速、実践へ。
リサは完成した品を受け取って運びます。
「お待たせしました、ご注文のいちごパフェです」
「うむ、これは美味そうだ」
リサが運んだいちごパフェの頂上にはお子様ランチと同じ旗が立っていました。シモンはそれを見て満足気に頷きます。
「これは豪勢な菓子だな、どこから手を付けたものか」
パフェ用の細長いガラスの器の中には、いちごのシャーベット、バニラのアイスクリーム、生クリーム、カスタードクリーム、いちごのムースがギッシリと詰め込まれ、最上部には綺麗にカットされた生のいちごが放射状に飾られています。いちごの赤い実がキラキラと輝き、まるでバラの花束のように華やかです。
「魔王の奴は気に入らぬが、料理の腕だけはこのおれも認めざるを得ぬ」
生のいちごをフォークで突き刺して口に入れると、たちまち脳が痺れるほどに爽やかな酸味と甘みが広がります。
次に最上段のいちごの下にある生クリームをいちごの実にたっぷりと絡めて食べてみます。いちごの風味にクリームの柔らかな乳の味が加わり、そのまま食べるより更に美味しくなりました。
更にカスタードやアイスなどとも時に一緒に、時に単品で食べれば、終始『いちご味』だというのに味に変化と奥行きが生まれ、まるで飽きるということがありません。
「温かいお茶のおかわりはいかがですか?」
「うむ、もらおう」
全体的に冷たいお菓子なので食べていると口の中が冷えてきますが、温かい紅茶を飲みながら食べれば最後まで美味しくいただけます。シモンのカップが空になっているのを見たリサがポットからお茶のおかわりを注ぎました。
しかし、シモンが熱い紅茶の入ったカップを口元まで持ち上げた時、
「しまったっ!?」
うっかり手を滑らせてなみなみと紅茶の入ったカップを取り落としてしまったのです。
シモンには熱い液体が空中で広がるのがスローモーションのように見えました。このままでは身体に熱湯がかかり大きな火傷になりかねません……が、そうはなりませんでした。
シモンは熱さと痛みの予感に思わず目を閉じてしまいましたが、いつまで経っても熱さを感じず、カップの割れる音も聞こえません。
恐る恐る目を開けると、
「大丈夫でしたか?」
紅茶のカップを持ったリサの顔が視界に入りました。そして不思議と空中でこぼれたはずの紅茶がカップに収められていたのです。
「なっ!? ……ありがとうございました、リサさま。若、肝が冷えましたぞ」
なにやら酷く驚いた様子のクロードがリサにお礼を言いました。
「すまぬ、じい。心配をかけた」
見ればクロードの着ていた執事服の上着がシモンの身体にかけられていました。隣の席に座っていればシモンの身を引いて避けさせることもできたのですが、今回は対面の席に座っていたので少しでもダメージを軽減するために咄嗟の判断で着ていた上着を投げたのです。不幸中の幸いで無用の備えに終わりましたが。
「リサよ、かたじけない、おかげで助かったぞ。この恩は我が父の名にかけて必ず返そう」
「いえいえ、おかまいなく」
シモンもリサのおかげで助かったことを思い出し、頭を下げて感謝の言葉を送りました。
「しかし不思議だ。たしかにカップからこぼれたように見えたが気のせいだったか?」
改めて、今度は取り落とさないよう充分に気を付けてお茶を飲みながら、シモンは先程の出来事を思い返して不思議がっていました。たしかに空中に飛散したはずの液体が一瞬目を閉じた後には再びカップに入っていたのです。
普通に考えればシモンの見間違いということになるのでしょうが、
「いえ若、気のせいではございませぬ。あの給仕のリサ嬢、只者ではありませんぞ」
「なに? じい、どういうことだ?」
長年鍛えられたクロードの動体視力は、かろうじてあの一瞬に起こったことを捉えていました。
あの瞬間、リサは飛散する液体の軌道を一滴残らず見切って、空中で掴んだカップで刹那の間に全て受け止めていたのです。まさに神業と呼ぶに相応しい絶技です。
「そんな神業を軽々とこなす達人が人知れずレストランの給仕をしているとは、いやはや世の中広いものですなあ」
「じいにそこまで言わせる者が市井にいるとはな。しかも勇者さまと同じ名とは……本当に世の中は広い。うむ、おれも早く強くならねばな! じい、明日からの訓練は五倍、いや十倍にしてくれ!」
「はい、それでは遠慮なくビシバシいきますぞ!」
思わぬところで神業を目の当たりにしたせいか、シモンのやる気に火がついてしまったようです。クロードも愛弟子のやる気に感化されたのか、頭の中で早速翌日からの訓練の計画を練り始めています。
「じい、いつかおれも、あの救世の大勇者リサさまのようになれるだろうか?」
「ええ、きっとなれますとも」
シモンは目標とする憧れの英雄の名を呟き、改めて熱意を燃やしました。
世間的には元の世界に帰ったということになっている勇者と、目の前でテーブルを拭いている少女が同一人物であることを彼らが知るのはもう少し先のことです。





