閑話・リンゴと姉妹
「ほらライム、怖くないからついておいで」
「……やだ」
エルフの姉妹、タイムとライムは魔王のレストランの前でこんなやり取りをしていました。魔王に頼んで遠く離れた彼女たちの村と迷宮都市を往復するエルフ専用の転移魔法陣を作ってもらい、姉のタイムはこうして妹のライムを店の前まで連れてきたのですが、
「……しらないひと、こわい」
まだ幼く、人見知りする性格のライムは怖がって店に入ろうとしません。姉であるタイムには例外的に早く慣れましたが、家族以外の人に対してはまだまだ隔意があるようです。
「うーん、困ったな」
タイムとしては可愛い妹に美味しい物を食べさせてやりたかったのですが、あまり無理強いをして怖がらせてしまっては本末転倒です。
「そうだ、この前のお菓子はここで買ったんだ。あれは美味しかったろう?」
「……うん」
タイムはこのままでは埒が明かないと判断して切り口を変えました。
「他にも色んなお菓子を食べたくないかい?」
「たべたい」
会話をしながらもライムの手を引いてゆっくりと店の入口に向けて歩きます。
「このお店には美味しい物が沢山あってね、そういえばこの前食べたアップルパイは美味しかったな。ライムはリンゴは好きかな?」
「りんご、すき」
「美味しいリンゴのお菓子を食べたくない?」
「たべたい」
会話に意識を誘導しながらも歩を進め、店の扉に手をかけます。
「それじゃあ、お店に入ろうか」
「うん、わかった……あ!?」
巧みな話術によって、というよりは年相応の単純さと何気に食い意地の張った性格を利用され、ライムが気付いた時にはもう店内にいました。
「……ずるい」
「はは、ごめんごめん」
一瞬遅れて状況に気付いたライムはすぐさまタイムの背に隠れました。ですが、先程の会話で食欲や好奇心を刺激されたせいか、すぐに店から逃げ出すようなことはありません。
「いらっしゃいませ、タイムさん……あら? 今日は可愛いお連れさんが」
「私の妹のライムだよ、今日は何か美味しい物を食べさせてやりたくてね」
来店に気付いたアリスが二人を出迎えますが、ライムは姉の後ろに隠れたまま出てきません。
「人見知りな子でね。でも悪い子ではないから」
「よろしくお願いしますね、ライムちゃん」
「…………ん」
エルフの姉妹はアリスに案内されて店の隅の、近くに他のお客さんがいない席に通されました。周囲に人が多いとライムが落ち着かないでしょうが、この席ならば大丈夫でしょう。
「今日は何を食べようかな、ライムは何か食べたい物はある?」
「りんごのおかし」
先程の店に入るまでの会話でリンゴが食べたくなったライムはそう答えました。それを聞いたタイムは自分のオススメを色々と列挙していきます。
「リンゴのお菓子か、アップルパイとバニラアイスを一緒に食べるのもいいし、サッパリとしたゼリーもいいな。シナモン風味の焼きリンゴも美味しいし、キンキンに冷えたシャーベットも捨てがたい」
「……ごくり」
ライムの知らない名前のお菓子も挙がりましたが、それでも美味しそうな雰囲気が伝わったのかヨダレを垂らしそうになっています。
「おや、これは新メニューかな、リンゴのフルーツグラタン? ……グラタンって確かお菓子じゃなかった気がするけど」
メニューを見て気になった新メニューを発見したタイムはアリスを呼んで聞いてみました。
「一口大に切ったリンゴとサツマイモをお皿に入れて、上にカスタードクリームを乗せてからオーブンで焼いたデザートです。アイスクリームと一緒に食べても美味しいですよ」
「なるほど、それは美味しそうだ。私はそれにしよう、バニラアイス付きで」
「わたしも」
「はい、ではフルーツグラタンとバニラアイスを二つずつですね」
◆◆◆
「まだ?」
「もう少しかかるんじゃないかな、まだ頼んでから三分くらいだし」
「わくわく」
ライムは未知のお菓子が楽しみなのか、口数は少ないながらもいつもよりテンションが上がっているようです。
「……まだ?」
「きっともうすぐだよ」
店内に漂う美味しそうな匂いに空腹を刺激されたのか、ライムは注文した品が来るのを待ちきれないようです。
「…………まだ?」
「多分、もうちょっとだと思うよ」
なんだか締め切りを過ぎた作家と編集者のやり取りみたいになってきました。
「お待たせしました。熱いので気を付けて下さいね」
何度か同じやり取りを繰り返し、ようやくフルーツグラタンとバニラアイスが運ばれてきました。
タイムとライムは早速フォークをグラタンに突き入れました。フォークを引き上げると熱々トロトロのカスタードクリームの海から、これまた熱々の湯気を立てているリンゴが出てきます。
「火傷しないようにちゃんと冷まして食べるんだよ。うん、これは美味し……熱っ」
「ふぅふぅ……おいしい!」
どうやらタイムは妹に注意がいって、自分のリンゴの熱さまで気が回らなかったようです。舌を小さく火傷してしまいました。
「まあ、気を取り直して食べるとしよう……うん、これはいい!」
「もぐもぐ」
ちょっとしたアクシデントはありましたが、今度は二人ともゆっくりと火傷に気を付けながらフルーツグラタンを食べ進みます。
メインのリンゴは酸味の強い品種を使っているので、加熱しても味がぼやけるようなことはありません。甘みの濃いカスタードと合わさることで更に風味が引き立ち、主役としての存在感をはっきりと感じさせます。
「これは……そういえばサツマイモも入ってるって言ってたっけ」
「もぐもぐ」
リンゴが主役なら、一緒に入っているサツマイモは主役を引き立てる名脇役といったところでしょうか。あらかじめじっくりと蒸かしてあるので、甘さもしっかりと引き出されています。
それにサツマイモのホクホクとした食感がまた良いのです。
加熱したリンゴの生より幾分柔らかくなったジャクジャクとした歯ごたえ、そしてサツマイモのホクホクした食感、最後にトロトロのカスタード。かなり味の濃いお菓子なのに、三種の食感のおかげで最後まで食べ飽きることはありません。
「そうだ、アイスを乗せるのを忘れてた……うん、これこれ! ライムもこうやって食べてごらん」
「ん……おいしい!」
トッピングとしてアイスを乗せると、食感だけでなく温度の変化も楽しめるようになりました。熱いグラタンの上にアイスを乗せると、当然すぐに溶けていってしまうのですが、まだ冷たさを保っているうちに熱々の具と一緒に食べれば一口で熱さと冷たさを同時に楽しむことができるのです。
「あついのにつめたい? ……もぐもぐ」
ライムは初体験の味覚に不思議そうな顔をしながらも、食べる手を止めようとはしません。ぼんやりしていてはせっかくのアイスが溶けてしまうのですから、正しい判断と言えるでしょう。
「もぐもぐ」
「もぐもぐ」
エルフの姉妹は次第に言葉少なくなり、目の前のグラタン皿だけに集中していきます。背丈や容姿は大きく違うのに、真剣に食べる様子は姉妹らしくそっくりでした。
◆◆◆
「ああ、美味しかった」
「おなかいっぱい」
食べ終えて店を出たタイムとライムは満足気にお腹をさすっていました。こんな仕草も姉妹らしくそっくりです。
「そういえばライム、途中からアリス嬢のことは怖がらなくなったみたいだけど?」
「おいしいものくれるのはいいひと」
「その判断基準はどうかと思うよ?」
タイムは世間知らずの妹に若干の心配を覚えました。
顔見知りだらけのエルフの村ならそれでも大丈夫ですが、大勢の人がいる街ではそうもいきません。家に帰ったらちゃんとそういうことも教えておかねばなりません。
それに、お金はちゃんと払っているので「くれた」というのも間違いです。エルフの村から出ずに過ごす分にはあまり必要ありませんが、これからも街に来るなら貨幣経済についても教えないといけません。
「まあそれはさておき、今度は父さんと母さんも連れて一緒に来ようか」
「うん」
年の離れた似た者姉妹は、仲良く手をつないでエルフの村に通じる魔法陣へと歩き出しました。
リンゴとサツマイモはかなり合います
リンゴを加熱する場合は紅玉とかの酸味が強い品種を使うのがポイント
もし売ってなければレモン汁で酸味を足してください





