オムライス戦線
「また来たぞ、アリス」
「失礼いたします、アリスさま」
「あら、いらっしゃいませ、シモンくん。クロードさまも」
前回訪れてから三日後の昼過ぎ、再びシモン王子がレストランを訪れました。お付きのクロード氏も一緒です。
「お席までご案内しますね」
「うむ、だがその前に……アリスよ、これをやろう」
シモンは持っていた花束をアリスに渡しました。
「お花? バラですか。綺麗ですね」
「前に来た時にアリスには世話になったからな、その礼だ。こういう時は花を贈るのがよいと兄上に教わったのだ」
花を贈る理由は決してそれだけではないのですが、真っ赤なバラの花束を受け取ったアリスは、特に断る理由もないのでありがたく受け取ることにしました。
「ありがとうございます。それじゃあ、お店に飾らせてもらいますね」
「うむ!」
アリスが喜んでいる様子なのを見てシモンは満足気に頷きました。
花束というのは案外重く、まだ六歳のシモンの細腕で持ち続けるのは大変だったのですが、意地を張ってクロードに運ばせず自分で運んだ甲斐があったというものです。
「(流石は女心に通じる兄上だ、助言の通りにして正解だった)」
シモンは心の中で、贈り物の助言をもらった兄に感謝しました。
外交官をしている上から三番目の兄は数々の浮名を流したプレイボーイとして有名なのです。シモンがそれとなくアリスのことを相談した時も適切な助言をくれました。
「じい、おれも将来は兄上のように人の心の機微が分かる男になりたいものだ」
「若様、それは止めておいた方がいいかと存じます」
「なぜだ?」
なお、国の恥として隠蔽されているのでシモンは知りませんが(だからこそまだ素直に尊敬しているのですが)、その兄は浮名を流しすぎて、常時三十人はいる恋人の誰かから週に一度は刺されそうになるのです。
誰がどう見ても男の側が悪いので、女性側が罪に問われたことがないのがまだしもの救いでしょうか。わざわざ外交官として志願し迷宮都市までやってきたのも、殺意を募らせた恋人たちから一時的に逃げてほとぼりを冷ますためだというのだから相当です。
そんな隠れクズな兄のことはさておき、シモンとクロードは席に案内されて料理を選びます。今の時間はランチタイムのピークを過ぎて他の客も少ないので、手の空いているアリスも交えて楽しそうに料理を選んでいます。
「むぅ、この前のお子さまランチとやらもよいが、他の物も捨てがたい。そうだな、アリスは何がよいと思う?」
「そうですね、オムライスはどうですか? この前のお子さまランチにもあったチキンライスを卵で包んだ料理なんですけど」
「ほう、美味そうだな、ではそれにするか。そのおむらいすとやらにも旗は立っているのか?」
「普通は旗は付かないんですけど……ふふ、じゃあシモンくんのには特別に旗を付けますね」
「そうか、おれだけ特別か! アリスはじつに気が利くな」
などと、楽しく和やかな雰囲気で料理を選んでいたのですが、そんな彼らを離れた席からじっと観察する怪しげな人影が。
「じー……」
雰囲気を出す為にわざわざ口で擬音を発しつつ見ていたコスモスは、見知らぬ少年とアリスが楽しそうに話すのを見て思うところがあったようです。
「……あの少年から何やらフラグの香りを感じますな。あと微妙に当て馬とか負け犬っぽい感じも。馬に犬……こういうのもある意味でケモノ属性と言えるでしょうか? そういえばその手のキャラはまだいませんでしたね」
微妙にメタっぽい独り言を呟くコスモスでしたが、特に身を隠していたわけではないので、視線に気付いたアリスに見つかってしまいました。
「コスモス、さっきからこっちを見て何をぶつぶつ言ってるんですか」
「おや、アリスさま。ケモノ属性の定義について考えていただけですので、お気になさらず」
コスモスが意味不明な言動をするのは今に始まったことではないので、アリスも深くは追求しませんでした。聞いても意味が分からないので聞くだけ無駄なのです。
「アリスよ、その女は知り合いか?」
アリスとコスモスが親しげに話すのを見たシモンは、関係が気になったのか世間話の延長のつもりで聞きました。
「はい、こちらはコスモスと言って、私の……妹みたいなものですね」
「アリスの妹? 姉ではないのか?」
「う、やっぱりそう見えますか……」
長身で凹凸のはっきりしたコスモスと、小柄で平坦なアリスではそう見えるのも無理はありませんが、悪意のない少年の言葉はアリスの心に少々のダメージを与えました。
まだシモンの知らぬことですが、アリスは己の未成熟な身体をコンプレックスに思っているのです。ですが、その様子を見ていたコスモスがすかさずフォローを入れました。
「いえいえ、こちらのアリスさまはたしかにこの私が姉と慕うお方です。血縁関係はないので実の姉妹というわけではないのですが」
「成程、得心がいったぞ。コスモスといったな、おれはシモン、こっちの爺はクロードだ」
「シモンさまとクロードさまですね、よろしくお願いいたします。コスモスちゃん0歳です」
「0歳? はっはっは、面白い冗談だ」
年齢に関しては別に冗談でもなんでもないのですが、精神はともかく外見に関しては成熟した大人であるコスモスの言葉は冗談だと思われたようです。
続いてコスモスは精神に微ダメージを負ったアリスに声をかけました。凹んだままフォローせずに放置すると後が面倒なので。
「外見はどうあれ、アリスさまは私の大切なお姉さまです、自信を持ってください」
「コスモス……そうですよね。姉貴分としてしっかりしないと」
良くも悪くもチョロさに定評のあるアリスは一発で立ち直ったようです。コスモスはアリスが回復したのを確認すると続けて言いました。
「ふむ、もしかして私の方からも妹アピールとかすべきでしょうか? では僭越ながら……お姉ちゃん、お小遣いちょーだい♪」
「色々台無しですね!?」
色々と台無しでした。今まで築きあげたキャラを寸毫の迷いもなく投げ捨てています。いつもの無表情や淡々とした喋りとは正反対の媚び媚びの笑顔でした。
「はっはっは、コスモスは面白いな」
シモンは今のやり取りが面白かったのか、アリスとは別の意味でコスモスのことも気に入ったようです。この少年、何気に大物かもしれません。
「コスモス、こっちの席で一緒に食わぬか? じいと二人で食うよりも楽しそうだ」
◆◆◆
「む、アリスは幼く見られることを気にしているのか。さっきおれが妹と間違えたのを気に病んではいないだろうか……」
「私がフォローしたのでそれは大丈夫だと思います」
「そうか、それは良かった。コスモスよ、礼を言うぞ」
「いえいえ、お安い御用です」
アリスが注文を受けてその場を離れた後、シモンとコスモスはアリスの話題で盛り上がっていました。クロードはその様子を静かに見守っています。
「そういえばシモンさまは先程アリスさまにバラを贈っておられましたね」
「うむ、女への贈り物は花がよいと兄上に聞いてな」
「ちょっとだけ爪の垢をいただいてもよろしいですか。魔王さまに煎じて飲ませたいので」
「よく分からんが、魔王におれの垢を飲ませるとか気色悪いのでダメだ」
魔王が名状しがたい系の邪悪な存在だという誤解こそ解けましたが、シモンの魔王に対する好感度は依然低いままです。まあ、相手が誰であっても自分の垢を飲ませるなど気分が良くないでしょうが。
「爪の垢ではなく錬金術で作った媚薬やら惚れ薬ならジュースと偽って飲ませてみたことがあるのですが、魔王さまもアリスさまも無駄に薬物への耐性が高いのでなんともありませんでしたし」
「魔王はどうでもいいが、アリスに変な物を飲ませるでない」
世間話感覚で露呈していなかった犯行を自供しました。目的のためなら過程や方法などどうでもよかろうなのだ、とでも言いそうです。この分だと余罪もたっぷりあることでしょう。
「お待たせしました、オムライスです。お好みでこちらのケチャップを使ってください」
「おお、来たか」
世間話だか取調べだか分からない会話をしていると、注文していたオムライスが運ばれてきました。コスモスとクロードも同じ物を注文したので、アリスが持つお盆の上には三つのオムライスの皿が載っています。ですが三つの中に一つだけ違いがありました。
「この旗が立っているのがおれのだな。うむ、美味そうだ」
一つだけオムライスの上にネコの絵が描かれた旗が立っていたのです。シモンは目の前に置かれた旗付きのオムライスに匙を突き立て、大きく掬って口に運びます。
「うむ、美味い」
卵の表面は固まっていますが、内側はとろりとした柔らかな食感で、それが酸味の付いた米と合わさり実に美味です。お子さまランチの時のチキンライスに似ていますが、比べると甘みが控えめで、鶏肉以外にもベーコンやコーン、グリーンピースなどがふんだんに入っています。
小さめのビンに入っているケチャップを上からかけてみるとトマトの酸味が心地よく、味が単調になるのを防いでくれます。
ですが、シモンが気分よく食事をしていると、テーブルの向かいから強烈な視線を感じました。
「じー……」
コスモスが自分の分のオムライスに手を付けず、口から発した擬音付きでひたすらシモンの皿を凝視しているのです。一度気付いてしまえば呑気に食事を続けるのは心苦しいものがあります。
「な、なんだ?」
コスモスはわなわなと震えながら言いました。
「そ、その旗は……?」
「これか、いいだろう。アリスに言っておれだけ特別に付けてもらったのだ」
シモンは「特別に」を強調して答えました。
その返答に対しコスモスは、
「シモンさま、折り入ってお願いがあるのですが」
「旗ならやらぬぞ」
質問を先読みした上での即答でした。
「お願いします。何卒、何卒!」
「やらぬ」
「なんでもしますから!」
「やらぬ!」
いったい旗の何がここまで彼らの心を引きつけるのか?
六歳児と0歳児の大人気ない争いは過熱するばかりです。
「仕方がないですね。旗は一個しか作ってないのでかわりに……」
争う二人を見かねたのか、アリスが仲裁に乗り出しました。旗のかわりにと言って、瓶から掬ったケチャップと匙を使ってコスモスのオムライスに手際よく絵を描き……、
「どうですか、ネコの絵です。コスモス、旗は一個しかないので今回はコレで我慢してください」
コスモスのオムライスの上に、シモンの旗と同じ図柄のネコの絵が描かれていました。
「「お、おお……!」」
コスモスとシモンは争いをピタリと止め、目を輝かせながらそのオムライスの絵に見入っています。
「あ、アリス、おれのにも絵を描いてくれ!」
シモンはアリスに頼みましたが、
「もう絵を描ける場所が残っていないですね」
すでに半分以上を食べていたシモンのオムライスには絵を描けるスペースが残っていませんでした。
「む、無念だ……」
シモンはガクリと肩を落としました。
「ふふ」
一方のコスモスは非常に上機嫌です。いつもの無表情ではない、かといって不自然に作ったものでもない自然な笑みを浮かべながらオムライスを食べ始めました。
旗とは違い食べればなくなってしまうものですが、端の方から少しずつ、なるべく最後まで絵を残すように、大事に嬉しそうに食べていました。
◆◆◆
オムライスの一件があった翌日のこと。
「アリスよ、また来たぞ! おむらいすを頼む、旗と絵も付けてくれ」
昨日のことがよほど心残りだったのか、シモンが再び来てオムライスを注文しました。
「アリスさま、私もお願いします。絵と旗付きで」
それを見ていたコスモスも対抗するかのように注文しました。
「コスモス、あなたはこれから仕事でしょうに」
昨日は非番で仕事が休みだったのでアリスも大目に見ていましたが、流石に目の前で堂々と仕事をサボるのは看過しません。コスモスはこれでも他のホムンクルスたちのまとめ役なので、あちこち見て回って仕事の監督や補助をしないといけないのです。
「はっはっは、コスモスよ、お前の分までおれが味わっておいてやろう」
「なんという、鬼畜の所業!? ……ふむ、鬼畜ショタ、これはこれでアリですね」
「何をまた意味の分からないことを言っているんです」
結局、アリスが後でコスモスにオムライスを作ることを約束し、どうにか仕事に行かせることに成功したとのことです。
※後日、『オムライスをご注文された十歳以下のお子様には無料で旗と絵のサービスをしております』という一文がメニューに加えられました。





