観光客 -ザ・浮かれポンチーズ-
「色々と聞きたいことはありますけど……まずは改めて、ありがとうございました」
魔王とアリスがリサと再会した日の翌日。
魔王たちが宿泊しているホテルのラウンジにある喫茶店で、リサは本題に入る前に深々と二人に頭を下げました。
「どういたしまして。でも、僕たちは大したことはしてませんし気にしないで下さい」
「そうですよ、それに私たちも勇者さんのおかげで助かっているんですから」
ですが、魔王もアリスも勿論そのことで恩に着せようとなどするはずもなく軽く流しました。むしろそれを理由に気負われた方が心苦しいとでも思っているのでしょう。リサもそれは分かっているので食い下がることなく引きました。
「それと一つお願いが、わたしはもう勇者じゃないですし“勇者さん”っていう呼び方は止めにしませんか?」
「確かにそれもそうですね」
「では、これからはリサさんと呼びますね」
そこまで話したところで、喫茶店のウェイトレスが三人の座るテーブルにコーヒーを運んできました。芳醇な香りが辺りに漂います。三人はそれぞれ、コーヒーにミルクや砂糖を入れて好みの味に調整してからカップを口に運びました。
「あ、美味しい……流石は一杯八百円」
リサはコーヒーを一口飲むとやけに俗っぽい感想をもらしました。
彼女は今日の学校帰りにこの場に来ているのですが、メールで指定されて来た待ち合わせ場所、すなわち魔王たちが泊まっている近隣の都道府県でも屈指の名門ホテルにすっかり気圧されていました。学校の制服のままで周囲から浮いてはいないかと先程から内心ビクビクしています。
喫茶店のコーヒーは一杯八百円から。レストランで食事をしようとすれば軽く数万円は飛び、宿泊費に至っては言わずもがな。お小遣いを主な収入源とする一般高校生にとっては魔界以上の異世界がそこにありました。
「なかなか美味しいね、どうせだからケーキでも頼もうか」
「いいですね、リサさんはどれにします?」
「……わたしは遠慮しておきます」
ちなみにケーキのお値段もかなりのものです。
コーヒー代と合わせれば、わずか一回のお茶代でリサの財布は壊滅的な被害を受けることになるでしょう。国がスポンサーについていた勇者時代とは違うのです。
「そ、それよりも、色々と聞きたいことがですね!」
「それもそうですね、先に話を進めましょうか」
経済的な理由から強引に話を逸らしましたが、幸い魔王もアリスも特に不審には思わなかったようです。何か注文せざるをえない流れを変えられたことにリサは内心で安堵し、そしてその流れのままに本題を切り出しました。
「それで、結局なんで二人とも日本にいるんです?」
その問いに魔王が答えました。
「それはもちろん、リサさんに会うためですよ」
魔王は朗らかな笑顔を向けながら、そんな口説き文句にも似たセリフを口にしました。
「…………っ!」
「おや、どうしました?」
無論、魔王に深い意図などはありませんでしたが、魔王に対して色々思うところのあるリサは、それを聞いて嬉しいやら悲しいやら。もう会えないと思っていたからこそ割り切れていた気持ちとか、アリスに対する罪悪感やらで何とも複雑な心境になりました。
「いえ、なんでもありません……なんでもありませんよ?」
「そうですか?」
なんとも雑な誤魔化しかたでしたが、その手の感情については、魔王はもちろん、アリスの鈍さもかなりのものです。リサの心境などまるで気付くことなくあっさりとスルーしました。リサはそれを幸いと強引に話を進めます。
「……で、でも、住所なんて教えてなかったのによく場所が分かりましたね?」
リサは二人がまさか会いに来るなんて思っていなかったので、日本での住所などは教えていませんでした。
「リサさんの魔力を辿ったんですよ」
「日本という国だということは聞いてましたし、あちこち観光がてら探しました。この国には強い魔力を持った人は少ないようですし、探すのはさほど難しくもありませんでしたよ」
アリスはそう言うと、横に置いていたポシェットからデジタルカメラを取り出しました。そのまま慣れた手つきでカメラを操作して画面に写真を表示させます。
「ほら、これが沖縄の海で、こちらが京都の清水寺。東京だけでも色々行きましたし……、あ、こっちが北海道に行った時にヒグマと並んで撮った写真です」
「探すのは難しくなかったって……思いっきり日本縦断してますよね?」
ちなみにリサの家は関東にあります。端から探したにしても思いっきり通り過ぎています。どれだけ効率の悪い探し方をしたのでしょうか。
「いや、それが旅行が楽しくてついついテンションが上がっちゃって」
「お土産もたくさん買ってありますから、後で渡しますね。サーターアンダギーでも八つ橋でも雷おこしでもなんでもありますよ」
どうやら、二人とも途中からすっかり観光に夢中になってしまったようです。リサもアリスから受け取ったデジカメを操作して写真を見てみました。
「ほら、これは何故か千葉県にある東京ディ……有名なテーマパークでネズミのマスコットキャラと一緒に撮った写真ですよ……はて? なぜかその場所の具体的な名前を言ってはいけない気がします」
「わぁ、ミッ……誰でも知っている有名なネズミのキャラとアリスちゃんが一緒に写ってますね……あれ? わたしも何故か、誰でも知っているはずの有名なキャラクターの名前を急にド忘れしてしまいましたよ?」
世の中には何故か明言してはいけない物事もあるのです。
それから思い出話を交えながら何枚かの写真を見て、最後に浅草の雷門の提灯前でピースサインをしている魔王とアリスの写真を見ながらリサは言いました。
「でも、納得しました。だから二人ともそんな格好をしていたんですね」
魔王とアリスの格好。
魔王は“海人”という文字が大きくプリントされたTシャツを着て、アリスは全身フリフリの黒を基調とした本格派のゴスロリファッションです。魔王はまだしも、アリスの方は本人の容貌と相まって非常に目立っています。
「ふふ、この服は原宿という街で入手しました。資料になりそうな本も買いましたから、帰ったら自作にも挑戦してみます」
服が気に入っているのか、いつもは(表面上は)落ち着いた性格のアリスにしては珍しく若干のドヤ顔で言いました。どうやら旅行で上がったテンションは今も持続しているようです。
「あとは帰る前に四国にうどんを食べに行こうとも思っていて」
「魔王さま、湯豆腐を食べ忘れたのでもう一度京都にも行きましょう……と、その前に」
魔王もアリスも、はっきり言って浮かれまくっていました。
その姿は異国の地で浮かれきってハシャいでいる観光客以外の何者でもありません。というかリサに会うという本来の目的が観光のついでになっている感すらあります。
ですが、どうにか、かろうじて、危うい所で、一応は本題を忘れてはいなかったようです。アリスはポシェットから封筒に入った手紙と赤い宝石を取り出してリサに渡しました。
「女神からリサさん宛てに預かってきた手紙と手土産です。手紙の内容は聞いていませんが、リサさんへのご褒美だとか言ってましたよ」
「女神さまから?」
リサは封筒を開けて中の手紙を取り出し、文面に目を通します。
その内容は以下のようなものでした。
◆
『拝啓 勇者様におかれましては時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
ところで、一応確認しますが聖剣も一緒にそっちに行ってますか?
だったら、そのまま差し上げますので好きなように使って下さい。むしろ返さないでください、お願いします。当店では返品は受け付けておりません。
魔王たちに預けた宝石はわたくしが創った貴女へのご褒美です。
最近こっちでは勇者の人気がすごい事になっていまして、それに比例して貴女を召喚する仕組みを与えた女神への信仰までドンドン増えてウハウハです、寄付金だってガッポリです。おかげ様でわたくしが使える権能も増えて、こんな物も創れるようになりました、エッヘン!
この調子でもっと信仰を増やして最終的には全知全能系女子とか目指しちゃおうかと思います。
ちなみに、その宝石を使うと聖剣の機能が強化されて次元とか時空とか色々斬れるようになりますので、世界の壁に穴を開けてこっちの世界と自由に行き来できるようになります。
あと演出のオンオフが出来るようにしたので、この間帰った時みたいに無闇に光らなくなります。思いつきで音楽再生機能なんかも付けたのでよかったら使って下さい。こんな凄い物を創れるわたくしって凄くないですか? 褒めてもいいんですよ?
もしわたくしの勘違いで聖剣が手元に無いようでしたら、その宝石は記念に取っておくなり換金するなりして下さい。そちらの相場は知りませんが、たぶん最低十年くらいは遊んで暮らせる金額になると思います……考えてみれば、これはこれでアリですね。よっ、大金持ち!
それでは末筆ながら、勇者様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
追伸。そこにいる魔王たちに何か美味しい物をお土産に買ってくるように伝えて下さい。苦い物以外でお願いします』
◆
「…………」
手紙を読み終わったリサは精神的に酷く消耗していました。どうやら、浮かれているのは魔王たちだけではなかったようです。大して長くもない文章なのにまるで百科事典を読破したかのような疲労感が襲ってきました。
「どんな手紙でした?」
アリスが手紙の内容を聞いてきましたが、口頭で説明する気力の無かったリサは無言で手紙を渡します。渡されたアリスは手紙に目を通してから言いました。
「なるほど、この宝石は聖剣のアップデートをするための修正パッチみたいなモノでしたか」
完全に現代日本の文明に毒されきった感想が出てきました。
日本に来てからまだ間もないというのに、魔王共々、底無しの体力に物を言わせて全力で遊び歩いた結果なのでしょう。もはや魔界に帰ってからの生活に順応できるのか心配になるレベルです。
「要するに、今度からいつでも私たちの世界に来れるようになったということですか。それは良かったですね!」
「うん、良かった良かった!」
手紙の要点を簡潔にまとめたら一言で済みました。
魔王もアリスもその事を素直に喜んでいるようです。
「そうですかー……いや、嬉しいんですけどね?」
ちょっと前に決めたはずの諸々の覚悟や、大泣きしながらの別れは一体なんだったのか。周囲のテンションから一人だけ取り残されているせいか、どうにも釈然としない気分のリサなのでした。