「ただいま」
「ホントに帰ってきたんだ……」
日本に戻ってきた日の夜、わたしは自室のベッドに仰向けに寝て天井を眺めながら呟きました。まだ気が昂ぶっているせいか寝付けそうにありません。わたしはこの世界に戻ってからの半日あまりのことを思い起こしました。
異世界から戻った時、まず最初に感じたのは空気の違い。
空気の質、匂い、熱気など、一呼吸するごとに異世界の残滓が肺から零れ落ちていくかのようです。
続いて周囲の喧騒が耳に飛び込んできました。
場所は一日の授業が終わったばかりの学校の教室、これから帰宅する生徒や部活に向かう生徒などの話し声が聞こえてきますが、どうにも現実感がなく会話の内容が頭に入ってきません。
わたしは目を閉じて、落ち着く為に軽く頭を振って深呼吸をしました。大丈夫、わたしは帰ってきた。何も怖がることなんてない。
「リサ、どうしたの?」
そんなわたしに声がかけられました。
隣の席に座るクラスメイトが話しかけてきたのです。
「具合悪そうだけど、大丈夫? 保健室行く?」
「……ううん、それほどじゃないから大丈夫。えっと、今日はもう帰るね」
わたしとしては平静を装っていたつもりでしたが、どうやらそれでも不自然に見えていたようで心配されてしまいました。ですが、体調そのものは悪くありません。わたしは机にかかっていた通学カバンを手に取ると家に帰るべく教室を後にしました。
それから家に帰るまでの道のりがまた大変。
車道を走る車に驚き、電車に乗るのに戸惑い、家までの道を間違え……など、とにかく大変でした。大冒険です。昔のわたしはこんな大変なことをどうやって平然とやっていたのでしょうか。
とにかく見知ったはずの日本の光景に現実感が湧きませんでした。ファンタジー世界に一年以上も滞在した弊害というべきかもしれません。
それでも四苦八苦しながらもなんとか自宅まで辿り着きドアを開けると、そこにはわたしのお母さんがいました。
「あら、おかえりなさい」
「……っ! ただいま……お母さん……っ」
お母さんの顔を見て思わず涙ぐんでしまい、声が震えてしまいました。どうにか平静を保とうとしても、後から後から涙が出てきてわたしは玄関にしゃがみこんでしまいました。
「リサ、どうしたの!? 大丈夫、お医者さん行く?」
「……ううん、なんでもないの。……お母さん、ただいま」
それから、どうにか動けるようになるくらいまで落ち着いてから自分の部屋へと向かいました。そして自室に入ってからまた一人で泣き、夜になって仕事を終えたお父さんやお祖父ちゃんの顔を見て更にまた泣きました。わたしも随分と泣き虫になったものです、目元がヒリヒリします。
家族に嘘を吐くのは心苦しいですが、理由も言わずに泣いて心配させるのもなんですから途中からは仮病を使うことにしました。まさか本当のことを言うわけにもいきませんし。涙を流したのは風邪気味で頭やお腹が痛いせいだからそんなに心配しないで、と言ったら一応は納得してくれたみたいです。
おかげで明日は学校を休んで病院に行くことになってしまいましたが、この調子だとまたいつ泣いてしまうか自分でも分からないので、心が落ち着くまではこのまま何日か休んだ方がいいかもしれません。
お母さんが作った夕食を涙をこらえながら食べ終え、お風呂に入り(魔王さんの所の大浴場に慣れたせいか狭く感じてしまいました)、それから自室へと戻ってベッドに横になり、そして今に至ります。
「このまま寝て、目が覚めたらあっちの世界にいたりして」
とにかく現実感というものがありません。
実はこれはリアルな夢で、目が覚めたらまだあっちの世界で勇者をやっていると言われたら信じてしまいそうです。帰れたことは偽りなく嬉しいですし、これからだんだんと実感が湧いてくるのだとは思いますが。
「わたしはもう勇者じゃないんだから」
実感があろうがなかろうが、こっちの世界に戻ってきた以上はこちらの生活に順応していかなければなりません。わたしはもう勇者ではなくただの高校生なんですから。
わたしは仰向けに寝たまま天井に右手を伸ばし、もう失われた聖剣を想います。あれは本当に便利でした、できれば日本に持って帰りたいくらいに……。
「聖剣さん、出てきてくださ~い、なんちゃって……」
【む、何用だ我が主よ?】
なんか、出てきちゃいましたよ?
「あの、つかぬ事を伺いますが、聖剣さん? なんでまだいるんですか?」
【うむ、どうやら送還の術式に不具合があったようだ。本来であれば我は送還の際に主の魂から分離され次の勇者が召喚されるまで眠りにつくはずだったのだが、魂の分離が上手く作用しなかったらしい】
「……そうなんですか」
【恐らく死んだフリでは完全に術式を騙しきれなかったのであろう】
どうやらそういうことだそうです。
「でも聖剣さんはいいんですか? こっちの世界に来ちゃって」
【うむ、以前にも言ったが人生何事も経験だ。折角の機会であるし我もこの世界で見聞を広めるとしよう】
相変わらずのイケメンです。イケ剣です。大人物の風格を感じます。
「えっと、じゃあこれからもよろしくお願いします」
【うむ】
これから先、聖剣さんのおかげでわたしは一般的な女子高生とは大幅にズレた日々を送ることになるのですが、この時のわたしにはまだ知る由もありません。
こうして、わたしはちょっとしたお土産を手に日本へと帰ってきました。色々と大変なことがありましたし、これからの生活に不安もありますが、それでも頑張って生きていこうと思います。
◆◆◆
「魔王さま、旅行に行きませんか?」
「旅行?」
勇者が帰還して数日後、アリスが魔王にそんな話を切り出しました。
「勇者さんの件や会議のことも一段落しましたし、その……これから忙しくなる前に遊びに行くのも悪くないんじゃないかと」
「うん、いいね。じゃあ折角だし、四天王の皆も誘って……」
「あの!」
空気の読めない魔王はいつもの調子で深く考えずに参加人数を増やそうとしますが、その言葉を言い終える前にアリスが言葉を遮ります。そしてアリスは勇者のアドバイスを思い出し、顔を赤く染めながら言いました。
「あの……私と二人だけで行きませんか? あ、あまり人数が増えると先方にご迷惑かもしれませんし!」
「え? うん、それでもいいけど、もうどこに行くか決まってるの?」
「はい、きっと魔王さまも行きたくなると思いますよ、ふふ」
これで今章は終わり、次からは新章です
魔王たちがどこに旅行に行くつもりかはバレバレですか?