閑話・夜食
「ただいまアリス、今戻ったよ」
「おかえりなさい、魔王さま」
もう日付が変わろうかという深夜。
人間界側の各国代表との会議、そしてその後のパーティーから魔王が戻ってきました。珍しくお酒が入っているのか、軽くアルコールの匂いがします。
「まだ起きてたんだ。先に休んでいてもよかったのに」
「いえ、好きでしていることですから気にしないで下さい」
会議が開始してから早一週間。会議そのものは円満かつ順調に進んではいますが、順調すぎて長引くことも少なくありません。特にここ三日ほどは魔王の帰りも遅くなっています。
「でも、明日から三日は休みだからね」
「ええ、お疲れでしょうし、ゆっくり休んでください」
底無しの体力を誇る魔王にも精神的な疲れはありますし、ましてや他の人間の参加者たちは言わずもがな。疲労が溜まりすぎると判断を誤る可能性も高まりますし、一週間続いた会議は今日までで一旦中断。明日からの三日間は休日とすることになっていました。
「バーベキューは明日のお昼からだっけ?」
「はい、もう食材の仕込みは済ませてあります」
折角の休日を寝て過ごすだけで終えてしまうのは味気ないですし、明日はBBQパーティーをすることになっています。肉や野菜を食べやすい大きさに切ったり、タレに漬けておいたりといった仕込みはすでに万端。あとは焼いて食べるだけの状態です。
「ところで魔王さま。お食事はもうお済みですか?」
「うん。パーティー料理を軽く摘んできただけだけど」
「よかったらお夜食などいかがですか? それとも、お風呂が沸いてますので先にお風呂にしますか? それとも……いえ、なんでも」
「ん? じゃあ、先に汗を流してくるから、その後で夜食を食べようかな。簡単な物でいいからね」
「はい、ではお風呂に入っている間にご用意しておきますね」
魔王が入浴のために店舗奥のプライベートスペースに入っていくのを見送ったアリスは、夜食を作る為に厨房へと向かいます。
「では、作りますか。材料は……」
アリスはあらかじめ作っておいたおにぎりを四つ取り出すと、その表面に醤油を塗ってバターを引いたフライパンで焼き始めました。おにぎりの中身は二つが昆布の佃煮、もう二つが沢庵を細かく刻んでゴマをまぶしたものです。
調理には特に難しい工程はありませんので、両面に軽く焦げ目が付く程度に焼けばバター醤油風味の焼きおにぎりの完成です。
夜食の準備を終えたアリスは、焼きおにぎりの載った皿と熱いお茶が入った急須、そして空のご飯茶碗を二つフロアのテーブルへと運びます。ちょうどそのタイミングで、入浴を終えて楽な格好に着替えてきた魔王も戻ってきました。
「へえ、焼きおにぎりか、美味しそうだね。じゃあ、いただきます」
「はい、召し上がれ。おにぎりの中身は右が昆布で左が沢庵です。それから、勇者さんに教わった食べ方なんですけれど、こっちの空のお茶碗に焼きおにぎりとお茶を入れてお茶漬けにして食べても美味しいですよ」
「それは美味しそうだね。じゃあ、片方はお茶漬けで食べようかな?」
アリスと魔王はまだ熱々の焼きおにぎりを一つはそのまま、もう一つはお茶漬けにして食べました。普通のご飯をお茶漬けにするよりも焼いてあるぶん形がしっかりしているので、箸で少しづつ突き崩すようにしながらゆっくりと味わいます。
決して派手な料理ではありませんし、驚くほどの美味というわけではありませんが、だからこそ食べやすくスルスルと胃の中に入っていきました。
大した量ではありませんので二人とも数分ほどで夜食を食べ終わり、食後のお茶を飲みながらお互いに今日あったことなどをのんびりと話しました。
「へえ、あの吸血鬼の子たちが来てるんだ」
「はい、どうせなので明日のバーベキューにも誘おうかと」
「うん、いいと思うよ。僕の方は今日は大変だったな」
「何かあったんですか?」
「それがさ、僕が独身だって言ったら、色んな国の王族や貴族の人たちが娘さんやお孫さんを結婚相手にどうかって売り込んできちゃって」
「な……っ!? そ、それで魔王さまはどうしたんですか!」
「あの人たちには悪いけど全部断ったよ。本人の気持ちを無視して勝手に結婚相手を決められるなんてその子達が可哀想だしね……アリス、どうかした?」
「ほっ……い、いえ何でもありません! 私もそういうのは本人同士の気持ちが大事だと思いますから。ええ、本人の気持ちが大事なのです!」
「さて、それじゃあお茶もなくなったし、もう遅いからそろそろ寝ようか」
「そうですね、食器は私が片付けておきますから魔王さまは先に休んで下さい」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。おやすみ、アリス」
「はい、おやすみなさい、魔王さま」
こうして二人だけの静かな夜は穏やかに更けていきました。
◆◆◆
「ふふふ、うふふふ」
魔王が先に眠った後、厨房で食器を洗っていたアリスは大層な上機嫌で、思わず笑い声を漏らしていました。
「さっきのやりとりはまさに仲睦まじい夫婦っぽかった気がします」
アリスは“妻である自分が疲れて帰ってきた夫を温かく迎える”という擬似的なシチュエーションを体験できたことにとてもご満悦でした。普段は同じ職場で働いているのでこういう状況は案外貴重なのです。
実際には妻でも夫でもなく上司と部下の関係なのですが、そのあたりの設定は脳内で都合よく変換していました。
「ですが、コスモスと考えた『“ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも私”作戦』はまだ私には早かったようです。もう少し段階を踏んでからでないと……」
この通り、魔王をねぎらう裏では割としょうもないことを考えていたのです。
「今度はどんなシチュエーションを狙いましょう。お姫さまだっことか素敵ですね。どうやってその状況に持ち込みましょうか?」
こうして、テンションの上がったアリスは明け方まで妄想を続けるのでした。
お茶漬けは出汁をかけるタイプより普通のお茶をかける方が好きです。





