閑話・閉店後
閉店後の店内にて。
「魔王さま、お身体の具合がよろしくないのですか?」
彼の身体の頑強さについては誰より熟知し、そんな事はありえないと知ってはいますが、目の前で呆けたように立ち尽くす彼に私は声をかけずにはいられませんでした。
先程来店した人間の中年男性と和やかな雰囲気で二言三言会話を交わしていたのですが、突然、何か強いショックを受けたように驚き、それから数十分も呆然としているのです。いくら魔王さまがオリハルコンの神剣で滅多斬りにしてもかすり傷ひとつ付けられない程に強靭であるとはいえ、流石に心配せずにはいられません。
先程の会話の中に彼の心を傷つけるような言葉があったのでしょうか?
ですが、隣で会話を聞いていた私には特におかしな点はなかったように思います。
そのまま、しばらく固まっていた魔王さまでしたが、やがてゆっくりと口を開くと私に向けてひとつの問いを投げかけました。
「ねえ、アリス。もしかして、なんだけど……この店の立地っておかしいのかな?」
「……はい」
私としても、最初に魔王さまがレストランをやりたいと言い出した時に、その場所が迷宮の奥であることを疑問に思いはしたのです、一応は。けれど、あまりにも彼が自身満々だったので、きっと私には計り知れない深謀遠慮があるのだろうと思ってそのままスルーしてしまいました。
「最寄の街から徒歩一分以内の近さなのに……」
その街からこの店まで、最短距離を進んで大体七十キロくらい。
旅慣れている人間が魔力で肉体を強化したとして、片道が丸一日で済めば相当に早いほうでしょうか。
「魔王さま、普通の人間は超音速で歩けません」
ちなみに魔族でも魔王さま以外に徒歩で音速を超えられる者は誰もいません。
私も魔族の中だと結構強いほうだとは思うのですけど、歩きで音速超えはちょっと無理。ダッシュであればいけますが。
魔王さまは周囲に被害を一切出さずに超音速で“歩ける”のですが、アレ一体どうやってるんでしょう。一度ならず説明してくれたこともあったのですが、本人以外には誰もまったく分かりません。
彼曰く周辺被害を気にせず全力を出せば光速も超えられるらしいのですが、それが冗談なのかどうか、試した瞬間に余波だけで世界が滅びるので確認のしようがありません。できれば将来的にも確認の機会が訪れないことを願いたいものです。
「楽しいアトラクションや可愛い動物とのふれあいも楽しめるのに……」
迷宮のトラップと魔物のことでしょうか?
「魔王さま、普通の人間が体長五メートル以上のトラやクマにじゃれつかれたら即死します」
そのトラやクマというのはこの迷宮にいる魔物の一例。
特殊な能力は持ちませんが、そのぶん身体能力はそれなりです。
それらを倒して攻略してきた先程のお客さん達は、恐らく人間の冒険者としてはかなり優秀な部類に入るのでしょう。
「そういえば、どうもお客さんが少ないなぁとは思ってたんだけどね。てっきり開店したばかりで有名じゃないせいかな、って」
「………」
魔王さまは人間はおろか魔族、それどころか神々さえも凌駕するほどの力を持っていますが、それゆえか常識に疎い所があります。ついうっかり自分の能力を基準に物事を考えてしまうせいか、時折こうした失敗をする事があるのです。
そういう失敗をするたびにこうしてヘコむわけですが、その姿もこれはこれでちょっと可愛いと思ってしまったり……おっと、話が逸れました。
「とりあえず間に合わせですが、普通の人間でも来店しやすいように私の方で空間転移の魔法陣でも設置しておきますね。立地に関して詳しいことはまたおいおい考えていきましょう」
「うん、ありがとうアリス」
こうして飲食店としては致命的な立地の悪さを改善すべく、迷宮の入り口近くに店までの直通ルートを設置したというわけです。この時点での私達には露知らぬことではありますが、マーカスさんの報告書により冒険者ギルドが公式に“レストラン”の存在を認めたことと相まって、少しだけお客さんが増えることになりました。