表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷宮レストラン  作者: 悠戯
二つの世界編
54/382

閑話・神子

前回登場した新キャラの掘り下げ回です。

料理ネタは無し&読み飛ばして次回に進んでも多分話はつながります。

  

 むかしむかし、あるところに一人の女の子がいました。


 冬の雪のように白い髪を持つその女の子は、とある裕福な貴族の娘として生まれたのですが、その人生は決して平穏なものではありませんでした。


 女の子は貴族家の当主と愛妾の間に生まれた子だったのです。

 母親はその子を産んで間もなく体調を崩して亡くなってしまい、他に頼れる身寄りもなかったので、その子は父親の家で育てられることになりました。


 父親は女の子を可愛がってくれましたが、その正妻、女の子の新しい母親は大変に嫉妬深い人物でした。女の子が家に引き取られることが決まり、夫の浮気を知った時の怒りはまさに怒髪天を突くというばかりの有様。


 そんな嫉妬深い人物が女の子に良い感情を持つはずもありません。

 相手はまだ物心つくかつかないかという幼子ですから、さすがに直接危害を加えるようなことはありませんでしたが、使用人に命じて女の子の衣服を粗末な物に変えさせたり、食事の量を減らしたりなどは日常茶飯事。


 女の子の父親は妻の所業に気付いて時折注意はするものの、仕事で家を空けることも多く、そして浮気の負い目もあり、あまり強く出ることもできません。


 やがて、どんどんとエスカレートする妻の姿に危機感を抱いた父親は、このままこの家に残るよりは幸せであろうと女の子を修道院へと入れることを決めました。

 家から遠く離れた地方の修道院へと送られ、女の子は齢二歳にして親を失うことになったのです。




 ◆◆◆




 修道院での生活は、女の子にとって意外にも楽しいものでした。

 そこには同じように親の無い子供が何人もいて遊び相手には困りませんでしたし、修道院の院長は信仰に篤い優しい人物で、他の子供たちと分け隔てなく女の子に接してくれました。


 時折、イタズラをしたりした時には厳しく怒られたりもしたけれど、女の子には不思議とそれが心地良く感じられました。親の愛を知らぬ彼女にとっては、院長先生こそが親。周りの子供たちは兄弟や姉妹のように思えたのかもしれません。


 そんな環境で育ったせいでしょうか、やがて女の子は信仰の道に興味を示すようになりました。大人が読むような聖典は難しくて意味が分かりませんでしたが、院長先生が子供たちにも分かるように聖典の中のエピソードを噛み砕いて童話風に朗読するのを聴いたり、聖歌を皆で歌ったりするのはとても楽しく感じられました。


 院長先生の話してくれるお話の中でも、女の子の一番のお気に入りは女神さまのお話です。お話の中の女神さまは慈愛に満ち、いくつもの奇跡を起こしたり、知恵を授けたりして世の人々が幸せであるように尽くしていました。



「ワタクシは女神さまみたいに、みんなを幸せにできる人になりたいです」



 ある時、女の子は院長先生にそんな夢を語りました。



「あなたはとても優しい子ですね。大丈夫、あなたなら絶対になれますとも」



 院長先生は女の子の優しい心根にいたく感銘を受けました。この時は、まさか女の子が将来女神さまそのものともいえる神子になろうとは、夢にも思っていませんでしたが。



 やがて、もう少し成長した女の子は、治癒魔法の才能があることが分かりました。最初は小さな擦り傷を治すだけで魔力を使い果たしていましたが、修道院の書庫で独学で勉強したり、治癒の名手である院長先生に教わったりして、いつの間にか大人の神官顔負けの実力に。

 そして、この頃から女の子はしばしば修道院から抜け出すようになりました。とはいえ、魔法の才を鼻にかけて非行に走ったわけではありません。むしろ、その逆。


 というのも、修道院ではいくばくかの寄付と引き換えに怪我人や病人の治療をしているのですが、世の中には貧しくて寄付金が払えない人もいます。女の子は修道院をこっそり抜け出しては、そういう人々を無償で治療していたのです。


 それが規則破りなのは彼女なりに理解していたので、抜け出す時にはご丁寧に同室の子供たちにアリバイ工作まで頼んでいました。こういう規則破りの際の子供たちの団結力は、時に大人の想像を遥かに超えるものです。


 実のところ、院長先生はすぐに女の子の行動に気付いていたのですが、あえて叱ることはしませんでした。正規の寄付金を払っている人からすると面白くないかもしれませんが、なにしろ子供のすることですし、なにより困っている人を救いたいというというその心根を否定したくはなかったのです。





 また、ある日のこと、女の子が突然倒れたことがありました。

 原因は栄養失調。女の子は何日もまともに食事をしていなかったのです。


 ですが、別に修道院の食事が少なかったわけではありません。

 流石にご馳走とは言えないまでも、毎日の食事に不自由しない程度の余裕はありましたし、女の子以外の子供たちは特に痩せている風でもなし。

 ならば何があってそうなったのかというと、彼女は自分の分のパンやスープをこっそりと持ち出しては、修道院の庭の片隅に匿っている子犬に与えていたのです。


 修道院ではペットの飼育は禁止されていました。禁止しないと子供たちがどこからか野良犬や野良猫を拾ってきては飼いたがり、収拾がつかなくなってしまうからです。


 この時ばかりは院長先生も女の子を本気で叱りました。

 弱い者を助けるのは善いことですが、自分を犠牲にするのは間違っていると強く言い聞かせ、子犬を捨ててくるように言いつけました。


 ですが、今までワガママらしいワガママを言ったことのない女の子も、今回ばかりは全力で泣き叫びながら抵抗しました。子犬は痩せ細っていて弱々しく、誰かが世話をしなくては遠からず死んでしまうのは明白。

 女の子は夜を徹して泣きながら抵抗し、しまいには犬を捨てるなら自分も一緒に修道院を出て行くとまで言い出し、最終的には院長先生が折れる形で特例としてその子犬を修道院で飼うことが決まったのです。



 こうして様々な出来事によって、女の子の信仰と愛は日々ますます大きく育っていきました。誰も、本人すらも、その歪さと異常性に気付かぬまま。


 誰かを救う為ならば規則や法など平気で破り、誰かの幸福の為ならば己がどんな苦痛を受けてもまるで意に介さない。そんな愛と信仰の怪物がいつしか完成しつつありました。




 ◆◆◆





『はじめまして。急で悪いのですが貴方の身体を貸してくださいね?』


 最初にその声が聞こえた時、女の子は空耳だと思いました。

 ですが、自分の身体がまるで自分のものでないかのように勝手に動き、自分の知らない知識を語るのを聞いてそれが幻聴などではないと知りました。


 自分の知らない知識……『魔物の群れが街に向かっていて、今晩にも到達する。避難しなければ大勢の犠牲者が出る』と、口が勝手に動いてそんな言葉が出てきたのです。


 その言葉を聞いた院長先生は女の子が夢でも見たんじゃないかと思いましたが、女の子は理屈ではなく実感としてそれが真実であると理解していました。


 必死の思いで院長先生や他の子供たちを説得し、女の子のあまりの剣幕に半信半疑ながらも院長先生が街の人々を近くの丘の上まで避難させました。街の名士である院長先生の言うことですから人々は渋々ながらも避難し、そして目撃したのです。


 街が無数のイナゴのような魔物に飲み込まれていました。

 街路樹や花壇、肉屋の軒先に吊るしてあった肉、木造の家、街の中にある物は石造りの建物以外は全て飲み込まれ瞬く間に食い荒らされていきました。わずかに街に取り残されていたブタやヒツジなどの家畜は、黒い濁流に飲まれた数秒後には、一滴の血も骨の一片すらも残さずにこの世から消えているほどの凄まじさ。


 もしも女の子の言うとおりに避難していなかったら、この街は夜明けを待たずに消滅していたことでしょう。世界の終わりのような光景を前にその事に思い至った人々は、恐怖に背筋を震わせました。


 そして一睡もできないまま迎えた翌朝。

 恐る恐る街へと戻った人々は被害の大きさを間近に見て改めて戦慄し、生き延びたことに改めて安心し、そして不思議に思いました。



「なんで、この子は事前に魔物のことを知ることができたのだろう?」



 それは女の子本人ですら分からないことでしたが、実は院長先生には一つの心当たりがありました。そして、それから一月ほど後。院長先生から知らせを受けて、王都の大神殿から大勢の神官たちがやってきました。

 神官たちは女の子に色々な質問をしたり、魔法で身体を調べたりして、女の子が神を降ろすことのできる素質を持つ神子であることが判明したのです。


 そして、女の子が神子であることが分かってから僅か三日後。

 女の子は王都の大神殿へと送られることになりました。

 家族のように思っている院長先生や修道院の子供たちとの別れは辛いものでしたが、「王都で神子としての修行を積めば、きっとこの街の修道院にいるよりも多くの人々を救えるでしょう」という院長先生の言葉を受けて、女の子は故郷を離れ、神子として生きる決意を固めたのです。





 ◆◆◆





 神子となった女の子でしたが、王都での生活は正直とても退屈なものでした。

 豪華な私室が与えられ、周りの神官たちからは王侯貴族にするような丁重な扱いを受けていましたが、神子の存在は国家機密であるために大神殿の決まった区画から出ることは許されずにいました。

 一度、修道院にいた時のように抜け出そうとしたのですが、すぐにバレて連れ戻されてしまったこともあります。


 修行には真面目に取り組んでいたので、程なくして自分の意思で女神さまを自由にその身に降ろせるようになりました。故郷の街でやったように天災や魔物の出没を事前に知り、それを人々に伝えるということを、今度は仕事としてやるようになったのです。


 自分の手を動かしていないせいか、あまり人助けをしているという実感は湧きませんでしたが、他の人にできない重要な仕事だということはちゃんと理解していましたので、大きな不満も満足もないまま神子としての義務を果たす日々がしばらく続きました。

 

 ですが、ある時転機が訪れます。



『もう間もなく、地図のこの一帯にある村々で疫病が流行します。致死率の強い病ですので多くの人が亡くなりますし、農業や牧畜を行う人々が少なくなることで食料品の価格が高騰し、数年の間は飢えに苦しむ人々が大勢出るでしょう』



 神子に憑依した女神さまがそんな言葉を放ったのです。

 その言葉を聞いた神官たちや知らせを受けた国王は、あまりの事態にどうすればいいのか分からず大きく取り乱しました。


 数日後、女神さまが新しい言葉を発しました。



『地図のこの村にある使われていない古い納屋、そこにいるネズミこそが病の発生源です。ネズミが子を産む前に納屋に火をかけて焼いてしまえば病の流行はなくなり、食糧難も起きなくなるでしょう』



 その言葉を聞いた王や神官は大急ぎで兵士をその村に向かわせ、指定された納屋を焼きました。王や神官たちは流行り病を未然に防ぐことができたことに安堵し、女神さまへと深く感謝しました。


 神子は多くの人が救われたことを他の人々と同じように喜んでいましたが、同時に些細な疑問を抱きました。そこで私室にカギをかけてから身体に女神さまを降ろして聞いてみたのです。



「どうして、最初にネズミのことを皆さまに教えなかったのですか? すぐに教えていれば皆様があれほど不安を感じることもなかったように思うのですが」



 女神さまは答えました。



『より多くの信仰を集めるためですよ。人は不安や恐怖が大きければ大きいほど、そこから救ってくれた相手に感謝の念を抱くものですから』



 神子はその言葉を聞いて、それまでに女神さまが発した言葉の数々を思い出しました。思い起こしてみれば、たしかに後で救う方法を授けてはいるけれども、まずは必要以上に不安を煽るような言い方をしていたことが多々あります。



「ワタクシは……それは善くないことだと思います。それに聖典に書かれている女神さまは決して見返りなど求めてはいなかったではないですか」


『信仰が増せば、わたくしの力も増してより多くの人々を救えるようになるのですよ? 聖典に関しては、わたくしとしても我ながら面映いくらいの美辞麗句が並んでいますが、まあ嘘も方便と申しますし。その方が信仰を集めやすいのですよ』


「……そうですか、聖典に書かれている女神さまと実際の女神さま(あなた)は違うのですね」



 この時まで女神さまは女の子が信仰に篤く慈愛に溢れた、まさに神子として相応しい人物だと評価していました。実際の女神さまの損得勘定で人々の不安を煽るような面に対しても、若さゆえの潔癖さから多少の反発はあれど、いずれは受け入れるだろうと楽観していました。



 しかし、その評価は次の瞬間に覆ることになります。



「ならば実際の女神さま(あなた)の方が間違っているのですね」



 神子はそう言うや否や、朗らかな笑顔を浮かべたまま、文机の上にあった羽根ペンを握り締めて自らの掌に突き立てたのです。



『ひ……!?』



 憑依している最中は、神子と女神は身体の感覚を共有しています。

 いくら自身の肉体を持たない神とはいえ、いいえ、肉体を持たず痛みに慣れていないからこそ、その激痛は女神に大きな衝撃を与えました。



「安心してください、女神さま。ワタクシがあなたを聖典に書かれているような理想の女神さまにして差し上げますから」


『な、何を……っ』



 自身も手を貫かれた痛みに苛まれているというのに、そんなのは些細なことだとばかりに神子は満面の笑みを浮かべました。


 そう、神子の信仰は聖典に書かれた架空の、美辞麗句で飾られた実際には存在しない理想の女神に向けられたものであり、神子の愛はその理想の女神が愛する世の人々に向けられたもの。

 理想の姿とはかけ離れていた実際の女神に対して向ける信仰や愛など、神子の中には微塵も存在しなかったのです。


 そこから先は凄惨の一語。

  神子は部屋の中にあった文房具、家具、衣服などありとあらゆる道具を使って自身の身体を痛めつけました。普通なら早い段階で出血多量で死ぬか気絶するかしていたのでしょうが、得意の治癒魔法で気絶しないギリギリまで回復させ、延々と自傷を続けたのです。



『こ、こんなことが許されると思っているのですか!』 


『わ、分かりました、わたくしが悪かったです。だから、許して……』


『ひっく、ひっく……』



 女神さまも最初のうちは言葉で説得を試みたり、怒りを顕わにしたりしていましたが、やがて神子に対して許しを乞う声に変わり、最終的にはすすり泣くだけになっていました。


 なにしろ元々は神子の肉体なので、神子の意識がある状態では憑依の主導権は神子の側にあります。女神さまの方からは憑依を解いたり、身体の動きを止めることができないのです。女神さまは甘んじて痛みを受け続けるしかありませんでした。


 そんなことが一晩中続き……。



「おや、もう夜明けみたいですね。それでは『今回は』この辺りで止めておきましょうか」


『た、助かった……?』


「うふふ、分かっていますね。これからは無闇に人々の不安を煽るようなことはしないと約束して頂けますか?」


『はい、約束します! 約束しますから、だからもう痛いのはやめてください!』



 こうして丸一晩かけて女神さまを『教育』した神子は、女神さまが聖典に書かれているような理想の存在になったことに満足し、全身を自分の血に染めた壮絶な姿で晴れやかな笑みを浮かべ、女神さまはこの先何百年も消えそうにないトラウマを植え付けられたのでした。


 それ以降、神子に対して大きな苦手意識を持った女神さまは、必ず神子が寝ている時を狙って憑依し、目覚める前に憑依を解くようになりました。

 神子の側が女神さまを降ろす時は細心の注意を払って理想の女神を演じ、万が一にも神子の不興を買わぬように注意していたのです。が、しかし……。





 ◆◆◆





「うふふふふふふふふふふふふふふふ、女神さまったら、何年か前にワタクシが『説得』した時のことを、もうお忘れになってしまったみたいですね?」


 勇者が女神さまと話した際に大きなショックを受けて、部屋に閉じこもってしまったという話を国王から聞いた神子は、与えられた部屋に戻るや否や女神さまをその身に降ろしました。



「ああ、可哀想な勇者さま……ワタクシに出来ることといえば、精々、二度とこんなことがないよう女神さまを『説得』するくらいですが……」


『ゴメンナサイ! ゴメンナサイ! うっかり気が緩んで長年の癖が出てつい不安がらせるようなことを言っちゃったといいますか、とにかくわたくしが悪かったです、だから許して……!?』


「謝るのはワタクシにではなく勇者さまにでしょう? それにうっかり気が緩む程度で出る癖は元から断たないといけませんよね」


『ひぃ……っ!』


「ところで、この砂利とお塩。何に使うか分かりますか?」


『砂利はお庭に敷くんですね! お塩に料理に使う以外の用途なんてありません! そうですよね、そうであって下さい!』


「残念、ハズレです。この砂利を床に撒きまして……この上で五体投地(※)を三千回コースでどうでしょうか? 傷口にすり込むお塩もたっぷり用意しましたし、それでは始めましょうか。うふふ、おしおきです♪」


『いやぁぁ!』



※五体投地……祈りの一種。ここでは立った状態から手や足で勢いを殺さずに目の前の床に倒れこむ動作を指す。





 ◆◆◆





『この度は……誠に申し訳ございませんでした……っ!』


 光の届かぬ深海よりも深い愛と、すべてを飲み込む暗黒のクレバスのような底無しの信仰心。それらを併せ持つ神子の調教……もとい説得により、女神さまは見事に改心し、勇者に土下座をかますことになったというワケなのでした。



女神さまは黒幕とかラスボスではなく、ただ単にセコいだけでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 駄女神調教
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ