閑話・お菓子の家
『こんなことで、ふたりおとっつぁんの小屋を出てから、もう三日めの朝になりました。ふたりは、また、とぼとぼあるきだしました。けれど、行くほど森は、ふかくばかりなって来て、ここらでたれか助けに来てくれなかったら、ふたりはこれなりよわりきって、倒れるほかないところでした。
すると、ちょうどおひるごろでした。雪のように白いきれいな鳥が、一本の木の枝にとまって、とてもいい声でうたっていました。あまりいい声なので、ふたりはつい立ちどまって、うっとり聞いていました。そのうち、歌をやめて小鳥は羽ばたきをすると、ふたりの行くほうへ、とび立って行きました。ふたりもその鳥の行くほうへついて行きました。すると、かわいいこやの前に出ました。そのこやの屋根に、小鳥はとまりました。ふたりがこやのすぐそばまで行ってみますと、まあこのかわいいこやは、パンでできていて、屋根はお菓子でふいてありました。おまけに、窓はぴかぴかするお砂糖でした。
「さあ、ぼくたち、あすこにむかって行こう。」と、ヘンゼルがいいました。「けっこうなおひるだ。かまわない、たんとごちそうになろうよ。ぼくは、屋根をひとかけかじるよ。グレーテル、おまえは窓のをたべるといいや。ありゃあ、あまいよ。」
ヘンゼルはうんと高く手をのばして、屋根をすこしかいて、どんな味がするか、ためしてみました。すると、グレーテルは、窓ガラスにからだをつけて、ぼりぼりかじりかけました。』
《グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』(【青空文庫】楠山正雄訳)より抜粋》
◆◆◆
「……こうしてヘンゼルとグレーテルは魔女の宝物を持って家に帰り、お父さんと一緒に幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。……たしかこんなお話だったと思いますけど、いかがでしたか?」
「はい、面白かったですよ」
ある日のこと、勇者は魔王さんとアリスちゃんを前に、うろ覚えの童話を暗唱していました。なんでまたそんなことをしていたのかといいますと、例の如くヒマ潰し。戦いがなければ勇者の仕事はありませんし、魔王さんたちも今日はレストランにお客さんが一人もおらず、仕方ないので雑談に興じていた次第です。
その雑談の中でお互いの世界にどういう物語があるのだろうかという話題になりまして、覚えている範囲内ですがいくつかの童話や漫画などのストーリーを語っていたというわけです。
『ヘンゼルとグレーテル』のような海外の童話以外にも、『桃太郎』や『一寸法師』などの日本のお話。他には七つ集めると龍が出てきて願いが叶う球(ストーリーの後半ではほぼ単なる回復アイテム扱いされていますが)を巡る某超有名漫画のあらすじなども語ってみましたが、どうも魔王さんはどちらかというと漫画よりも童話の方がお好みのようです。まあ、単に漫画のストーリーを口頭で説明するのに無理があっただけかもしれませんが。
「あの、今のお話についてなんですが、最後イジワルな継母はどこに行ってしまったんでしょう?」
魔王さんの隣で静かにお話を聞いていたアリスちゃんが、そんな疑問を口にしました。
「えーと、たしかいつの間にかお亡くなりになっていたかと」
たしかにこの場合ストーリーの本筋と全く無関係のところで退場していますし、勧善懲悪とも言いがたい気がします。
「そもそもお菓子を建材に使うというのも如何なものかと。お話だと家があるのは森の中みたいですし防虫対策とかどうなっているんでしょう?」
……わたしにそんなことを聞かれましても困ります。恐らくグリム兄弟だって、そんな設定まで考えてはいなかったのではないでしょうか。
「きっと魔女が魔法でどうにかしていたんですよ……多分」
アリスちゃんに悪気はないのは承知ですが、なんだか話の方向性が粗探しみたいになってきました。あまりそういう方向を追求したくはないですし、話の流れを変えるべく魔王さんに話を振りました。
「魔王さんは今のお話のどんなところが気に入りました?」
「お菓子の家かな。いっそのこと魔王城もお菓子を材料にして改築しちゃおうかな」
「あはは、それもいいかもしれませんね」
いいですよね、お菓子の家。
実にロマン溢れる代物です。魔王さんも魔王城をお菓子で改築するだなんて冗談を言って……えっと、冗談ですよね?
「さて、それじゃあ早速砂糖と小麦粉とか砂糖とか、あと必要そうな物を色々集めてくるね。とりあえず各百トンくらいずつあれば足りるかな?」
案の定、本気で魔王城を改築する気満々だったらしい魔王さんなのですが、わたしとアリスちゃんの二人がかりで説得して、何とか計画を実行に移す前に阻止することができました。
魔王城を魔王の魔の手から守るために奮闘する勇者って、異世界広しとはいえど恐らくわたしくらいのものではないでしょうか。
ただ魔王さんはすっかり好奇心に火がついてしまったようで、妥協案として規模を縮小してお菓子の家の実物を作ることになってしまったのです。
半端な物を作って魔王さんに不満が残れば、またいつ魔王城がクリームやお砂糖の脅威にさらされないとも限りませんし、わたしも協力して立派なお菓子の家を作り上げたいと思います。
◆◆◆
というわけで、できました。
まず建材として使うお菓子を決めてから、ひたすら作り続け、それらを組み上げたり塗り固めたりして、とうとう我々は一軒の家をお菓子だけで作り上げるという偉業に成功したのです。実際の作業工程は非常に地味な絵面だったので省きますが。
では早速、完成したお菓子の家の詳細をご紹介したいと思います。
・壁&床
どちらも強度が求められる部分ということもあり、建材として固焼き煎餅が採用されました。それも通常のお煎餅よりも固く分厚く焼き上げた物を更に水飴で何層にも張り合わせ、多少のことでは壊れない頑丈な作りになっています。
・ドア
わたしが子供の頃に読んだお話だと、お菓子の家のドアは板チョコをそのまま巨大化させたようなモノだったように記憶していますが、当然のことながらチョコレートには熱に弱いという弱点があります。そこで我々はチョコではなく多少の熱などものともしない羊羹をドアの素材として採用しました。
・窓
窓として使うのは、やはりガラスと同じように光を通しやすく透明な素材が望ましいと考えました。透明度の高いお菓子というとゼリー系や寒天系の物が考えられます。
その二つのうちどちらを採用するかで随分と悩みましたが、結局はドアと同じく熱への耐性がゼラチンよりも高い寒天を窓の材料にすることに。表面に酢醤油や黒蜜を塗ってあり、場所によって違う味が楽しめるようにしてあります。
・家具
いくら壁や床に強度の強い素材を使ったとはいえ、支える重量が多いと倒壊の危険が考えられます。そこでテーブルやイスやタンスなどの家具類は非常に軽い素材、ふ菓子で作ることにしたのです。
大きく見えてもそのほとんどが空気のふ菓子ならば、重量は最低限に抑えられます。限界まで膨らませたふ菓子を水あめで接着して家具類を製作しました。ちなみに黒糖味です。
・屋根
屋根の素材には一番頭を悩ませました。軽いに越したことはありませんが、床に置けばいいだけの家具と違い、ある程度の強度も求められます。
色々な素材を検討しましたが、最終的に芋けんぴと裂きイカのハイブリッド構造が採用されました。煎餅やクッキーなどの板状のお菓子の方が組み立てやすくはあるのですが、どうしても重量が増えてしまいます。
その点、細い棒状の芋けんぴと糸のように細く裂くこともできる裂きイカならば、藁葺き屋根のように組み上げることで軽さと強度の両立ができたのです。
「……とうとう、できちゃいましたね」
「うん、これが本物のお菓子の家なんだね!」
「魔王さま、おめでとうございます!」
こうして固焼き煎餅の壁と床、羊羹のドア、寒天の窓、ふ菓子の家具、芋けんぴと裂きイカの屋根によるお菓子の家が完成したのです。
お菓子の家って絶対こんなに『和』テイスト強めのイメージではなかったですし、全体的にちょっと塩気が強すぎる気もしますが、「ヘンゼルとグレーテル」の内容を詳しく知らない魔王さんとアリスちゃんは、この完成図に対して特に違和感を覚えてはいない様子。二人とも素直に完成を喜んでいます。
迂闊にダメ出しをして作り直しになったりしたら大変ですし、なにより勇者として魔王城の平和を守るため、わたしも本心を隠して二人に話を合わせ、共に完成を喜ぶフリをするのでした。
……なんだかもう、何もかもが間違っている気がします。