神様の設計図
ある日のことです。
真っ白い神官服を身に纏った真っ白い髪の少女が、魔王の店の片隅で何やら難しそうな顔をしていました。外見からでは現在の中身が神子か女神かの判別は困難なのですが、これは表情や雰囲気からして恐らく女神のほうでしょう。
『うーん……うむむむむ』
また、これに関しては中身がどちらでも同じですが――なんとも珍しいことに今日はメニュー表に載っている料理を片っ端から注文して胃袋に詰め込んでいくようなこともなく、コーヒー一杯だけで何時間も粘っています。
「もしかして、国なり神殿なりから食費に制限をかけられましたかね?」
普段の食いっぷりと他の客より最低でも二桁は多い勘定の額を見慣れているアリスはそんな予想をしましたが、どうやらそういうワケでもなさそうです。
女神はテーブルの上に何枚もの紙を広げ、黒鉛の芯に革を巻いた鉛筆であれこれ図や数式を書き込んでは、ああでもないこうでもないと悩まし気に唸っています。
まるで数学分野の研究者や学生の如し。せっかく書き込んだモノの上からぐしゃぐしゃに線を引いて塗りつぶしているあたり、あまり順調とは言い難い状況のようですが。
「さっきから何をそんなに頑張ってるんですか? ああ、ただの興味本位なので答えたくなければ別にいいですけど。あと、コーヒーのおかわり要ります?」
『あ、はい、いただきます。お砂糖とミルク多めで。それと、そうですね……まあ、アリスさんになら別にこれくらい言ってしまっても良いでしょう』
女神としても行き詰まりを感じていたのでしょう。
気分転換を兼ねてアリスの振った話に乗ってきました。
『ほら、以前からアリスさんとリサさんに時々お仕事を頼んでるじゃないですか?』
「仕事? ああ、例の自然破壊ですか。アレも未だによく分かってないですけど」
しばらく前、アリスとリサがケンカしてうっかり世界を滅ぼしかけたことがありました。まあ結局は丸く収まって今となっては笑い話に……なるかどうかは微妙なところですが、その件で迷惑をかけたお詫びとして彼女達は時々女神の手伝いをしているのです。
しかし、肝心の仕事内容は不可解そのもの。
指示された通りに自然の山林を斬り崩したり、魔法で河川を逆流させたり海の一部を凍り付かせたり、無人の砂漠地帯で大爆発を起こしたり。他にも色々ありますが、あちこちの土地に赴いては何かしらの破壊活動に加担させられている形です。
女神の言をそのまま信じるなら、自然界の魔力の流れ――世の魔法使い達が霊脈や龍脈と呼んでいるモノ――に刺激を与えて意図的にその流れる向きを変えているらしいのですが。
『そちらはそちらでまだ続ける必要があるんですが、そろそろ次の段階に備えた準備でもと思って必要な神器の設計をしていたんですよ』
「神器ってリサの聖剣みたいなのですよね? これは……ここに描いてある図からするに杖ですか? 聖剣の例に倣うなら聖杖といったところですかね。それで、これは一体どういう調理器具なんです?」
『いえ、あの、聖剣も本来は武器であってですね。実は調理器具や食器や日常のお役立ちグッズではないんですけど……』
「ふふ、冗談ですよ。それにしても神器を創るのにいちいちこんな設計図を引くとは、意外と地味というか地道というか。なんとなくのイメージでしたけど、もっと神秘的なパワーとかで一息にできるものかと」
『十分なコストが有り余ってれば、そういうラクもできなくはないんですけどね。神様的な不思議パワーを使うのにも、こうやって何をどうするか明確な完成形をわたくし自身が理解してるかどうかで消耗の度合いが段違いなものでして』
「なるほど、そういうものですか」
『そういうものなのです』
何かといえば情けない面ばかりが目立って威厳を損なうことに余念のない女神ですが、こんなのでもリサの持つ聖剣の設計開発をしたり、天災やら疫病やらを未然に防いでいたり、能力面に関しては意外とすごいものがあるのです。
現に、魔法の知識に長けたアリスが書きかけの設計図を見ても、意味を理解できない箇所が少なからずある様子。アリスも魔法の道具や武器の制作は専門外ですし無理もありませんが、これでは技術面の助言をするのも難しいでしょう。彼女にできそうな手伝いといえば、せいぜい……。
「月並みですけど、一般的に頭脳労働の疲れには甘い物が良いと言いますよね。ちょっと休憩して甘い物でもいかがです?」
『そうですね、このまま難しい顔で唸っていて名案が閃くとも思えませんし。せっかくなのでお言葉に甘えさせてもらいます。メニューはアリスさんにお任せで。どうせなら、すっごく甘いのでお願いします』
「ふむふむ、すごく甘いの……それなら前に日本でリサと食べたのが良さそうです。細かいレシピは分かりませんけど、まあ大体見たまんまでしょうし。少し待っていて下さいね」
疲れて重くなった頭には一にも二にも甘い物。
神子に憑依している女神は自前の脳味噌を使っているわけではないので、糖分がエネルギー源としてどの程度有効かは未知数なのですが、美味しいモノを食べれば少なくともストレス解消にはなるでしょう。
アリスはアリスで、ちょうどリクエストにピッタリ応えられそうなメニューに心当たりがあった様子。彼女はたまに日本を訪れてはリサや魔王とデートを楽しんでいるのですが、その際に食べたモノを再現してみようと考えたようです。
食べたことがあるというだけで具体的なレシピは知りませんし、作るのもこれが初めてですが、恐らくそう難しい調理工程はないだろうと思われました。材料もこの店にある物だけで再現可能。魔王の手を借りるまでもなく、厨房に引っ込んだアリスが拵えてきたのが何かというと……。
「はい、ハニートーストです。とりあえずハチミツと生クリームとイチゴとバナナと、あとは適当に砕いたアーモンドとミントの葉っぱでそれっぽくしてみました。まだトッピングが足りないようなら、アイスクリームでもアンコでもリクエストがあれば好きに追加していく感じでどうでしょう?」
『いいじゃないですか! これこれ、こういうのを期待してたんです。わたくし、アリスさんには見どころがあるなと以前から密かに思っていたんですよ』
「はいはい、それはどうも」
アリスが作ってきたのは食パン一斤を丸々使ったハニートースト。
一度パンをくり抜いてカットしてからたっぷりのバターと一緒に詰め直し、焦げない程度にオーブンで焼いたら各種トッピングを盛りつけて出来上がり。レシピとしては単純なものですが、なにしろ一斤丸ごと使っただけあって見栄えがします。
その分、カロリーにも凄まじいものがありますが。
アリスはこれを日本のカラオケ店でリサとシェアしながら楽しく食べたのですが、翌日以降、しばらくリサはダイエットに勤しんでいたものです。
「まあ貴女や神子さんなら、そのあたりは問題ないでしょうし」
『ええ、むしろ何をどうやったら太れるのか不思議なくらいで……むむっ? なんだか早速、頭が回り始めた気がしますよ!』
「いくら甘い物が効くといっても、普通そこまで即効性ありますかね? たしかプラシーボがどうとか……いえ、効いたなら別にいいんですけど」
実際にハチミツの糖分や生クリームの脂質が借り物の肉体に何らかの作用を及ぼしたのかは不明ですが、たとえ思い込みだとしても効果があったならそれに越したことはありません。
『ご馳走さまでした! さあ、今の糖分を使い切るまでの間にジャンジャン進めますよ』
「ええ、ごゆっくりどうぞ……って、あら可愛い?」
気分転換に成功した女神は再び鉛筆を手にし、軽快に文字列や数式を書き始めました。アリスは邪魔をしないようその場を離れようとして……その前に、テーブルに広げられた設計図の中に少し気になるモノを見つけました。
「これは……女の子の絵? これも神器の設計図の一部なんですか? それとも単なるラクガキとか?」
『いえいえ、こちらは杖の神器とはまた別口でして。これも設計図といえば設計図みたいなモノですが』
設計図というには違和感のある可愛らしい女の子のイラスト。
それが一枚のみならず七枚も。
アリスはてっきり作業に行き詰った女神がラクガキでもしていたのかと思ったのですが、どうもそういう風でもなさそうです。
『まあ、詳しいことはおいおいと。そのうちアリスさん達にもご紹介しますよ』
「はあ、そうですか。よく分かりませんが分かりました」
アリスがこの時の疑問の答えを得るのは、ここから更に何年も先。
迷宮都市から遥か南の地に、聖なる杖が突き立てられた後のことです。
迷宮レストランの更新はこれで一段落。
次は迷宮アカデミアの完結後になりそうです。
できればあちらも読みつつ気長にお待ちくださいな。





