幕の内弁当異世界事情
この日、魔王とアリスとリサは三人で芝居見物に来ていました。
最近の迷宮都市はちょっとした芝居ブーム。立派な劇場で楽しむ本格派から道端の一画で演じられる辻芝居まで、老若男女や身分を問わず、そこかしこで芝居見物に興じる人々の姿が見られます。
魔王の店でも食事の合間に感想を熱っぽく語るお客さんをちょくちょく見ますし、そういった様子を何度も見ていれば「そんなに面白いのかな?」と気になってくるのも自然なことでしょう。
「もう幕間かぁ。あっという間だったね」
「犯人は誰だと思います? 私はあのメイドが怪しいと思うんですよ!」
「そうかなぁ? わたしはあの仮面の人が犯人なんじゃないかなって」
魔王とアリスとリサも、まだストーリー半ばの幕間の段階ですっかり夢中。今回観ているのは謎めいた館で起きた謎解き要素の強いミステリーなのですが、周囲の観客達と同じくああでもないこうでもないと素人探偵さながらに自らの推理を披露しています。ある意味、明確な答えが提示される前のそういった時間が一番楽しいものなのかもしれません。
「おっと、こうして話してたら休憩時間が終わっちゃうね。早くお昼ご飯を済ませておかないと」
「そうでした。それと、お手洗いにも……」
とはいえ、お喋りに夢中になっていたら幕間の時間などあっという間に過ぎてしまいます。芝居の後編開始までは一時間。大勢の観客で近場の店が混み合うであろう点を考慮すると、食事や手洗いを済ませて席に戻るまでの時間にそう余裕はありません。もう十分近くをお喋りに浪費してしまった今となっては尚更です。
「どうしようか? 一度店に戻るのが一番早いと思うけど」
「でも、せっかくのお出かけですし、どうせなら普段と違うものを食べたくないですか?」
「そうだよねえ」
この三人であれば、走るなりワープするなりして自分達の店に戻るという手もなくはないでしょう。むしろ、どこかの店で順番待ちをするよりもよっぽど早いものと思われます。
なにしろ食べ物なら売るほどありますし、今日もコスモスやその弟妹に任せて店は営業しているので、厨房の片隅で出来合いのモノを摘まんだり邪魔にならないように簡単なものを作ったりすることもできます。
しかし、それでは面白みが足りない。
普段ならそれで良くても、今日のような日は食事にも若干の特別感が欲しくなるという気持ちがありました。
まあどこで何を食べるにせよ、簡単な飲み物かおつまみくらいしか売っていない劇場の建物内で悩んでいても好転することはないでしょう。ひとまず外に出てみて、それで周辺の店の混み具合やらメニューの内容やらを見てから決めるほうがまだしも建設的だろう、と。そんな風に考えた三人は建物の外へと足を運びました。
とはいえ、最初のお喋りとお昼の相談で、他の観客達よりもすでにかなり出遅れてしまっています。いくら美味しそうなお店があっても、行列の長さや回転率次第では諦めるしかないだろう……なんて思っていたのですが、ここで嬉しい誤算がありました。
「あれ?」
「道に屋台がいっぱい……来た時には全然なかったですよね?」
「幕間の時間に合わせてオープンするようにしてるのかな?」
劇場の外には屋台がズラリ。
入場時には見当たりませんでしたが、恐らくは芝居の休憩時間に出てくる客を見込んで集まってきたのでしょう。実際、どの屋台もかなり好調な売れ行きのようです。
パッと見ただけで品数も豊富。
焼きソーセージやフィッシュアンドチップスといったしょっぱい系から、クレープやドーナツのような甘い系。ジュースやビールなど飲み物系まで景気良く売れています。
「上手い商売を考えるものだねえ」
何が上手いかというと、いずれの屋台も迷宮都市内の同種の屋台よりもやや割高な値段。ですが幕間の休憩時間内に食事を済ませておきたい観客は、多少の安さよりも早さを優先したくなるというもの。高いといってもせいぜい二割かそこら割高なだけですし、これならば良心的とすら言える値付けでしょう。同じく飲食業を営んでいるものの、どうにも商売っ気が薄い魔王からはまず出てこない発想です。
「それじゃあ折角ですし私達も」
たまには屋台メシだけでお腹を満たすのも悪くありません。
どれにしようかと見渡すと、屋台の並びの真ん中辺りに構えている店が目に付きました。迷宮都市ではよく見かける使い捨ての安価な紙容器に、肉系や野菜系など何種類かのサンドイッチに肉や芋の揚げ物、野菜の酢漬けなどを詰め込んだ品を売っている店。つまりは弁当屋であるようです。
店主と手書きと思しき看板にもヘタクソな字で『ベントウ』とだけ一言書かれています。ヘビかミミズがのたくったような味のある字からは幾ばくかの不安を感じなくもありませんが、見た限りでは売れ行き好調。下手をすると今にも売り切れてしまうかもしれません。
「やあ、三つ貰えるかい?」
「あいよ! ちょうどラスト三つだ、運が良かったなお客さん」
実際、魔王達が買ったのでちょうど品切れ。
かなりギリギリのタイミングだったようです。
他の屋台がまだまだ商品を残している中で一番に売り切れ。よっぽど味が良いのか、それとも何か他に秘密があるのでしょうか。
魔王達のそんな疑問を表情から読み取ったのか。
それとも同じような疑問を持った他の客から、同じような質問をされたことがあるのかもしれません。話し好きの店主は快くその秘密を教えてくれました。
「なに、隠すことでもないがね。この劇場の前で幕間に合わせて商売をするのを一番に考えたのがウチってわけよ。どんな分野でも『元祖』とか『本家』ってのはそれだけで強いもんだろう?」
魔王が感心していた商売上手は目の前の店主であったようです。
そのおかげで後から真似をしてきて参入してきた同業者からも一目置かれ、いつの間にやら真ん中の一番良い位置が定位置という風になっていたのだとか。
「へへっ、もちろん味が良いせいもあるけどな」
たしかに言うだけのことはありました。
できたてを提供する料理屋とは違い、ある程度冷めることを前提とした濃いめの味付け。具材の水分でパンや揚げ物の衣が湿気らないような工夫など、派手さはないもののよく考えられています。添えられている楊枝か手づかみで簡単に食べられるので、手が汚れる心配もないでしょう。
芝居の幕間に食べることを前提とした弁当。
リサの知っているそれと比べると内容は大きく違いますが、これはつまり。
「ははぁ、要は幕の内弁当ってわけですか」
現代日本では単にバラエティ豊かなおかずが詰まった豪華な弁当を指すことが多く、実際に芝居見物をしながら食べるケースは少ないでしょうが、元々は舞台の幕間、つまり幕が下りている内に食べる弁当という意味。
ご飯でなくパンであっても、意味としてはこちらのほうが本来の幕の内弁当に近いかもしれません。
「マクノウチ? なるほど、幕が下りてる内ってことか。お嬢さんそりゃ良いネーミングだね。ウチも幕間弁当とか芝居弁当とか考えてみたけど、どうにもしっくり来る名前が浮かばなくてね。その名前、使わせてもらってもいいかい?」
「え? はい、多分大丈夫なんじゃないかと……」
そしてリサの呟きを耳ざとく聞き付けた店主氏により、幕の内弁当というネーミングが採用され広く定着。やがて日本と同じような流れで芝居見物を伴わずともサンドイッチや揚げ物主体の弁当そのものが幕の内弁当と呼ばれるようになる……かどうかまでは分かりませんが。
「ところで、お客さん達。もう他のお客さんは皆戻ってったけど、そろそろ幕が上がるんじゃないかい?」
「「「あっ、いけない!?」」」
三人は異世界式の幕の内弁当をロクに味わう間もなく口に詰め込むと、大慌てで劇場へと戻っていきました。
本年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
なんとか年内更新間に合った……!