ある剣豪のはなし
むかしむかし、あるところに――――。
正確には百年以上前の魔界に、一人の剣豪がおりました。
物心つく前から剣を振り、思いつく限りの方法で技を磨き、ありとあらゆる鍛錬で己が肉体を虐め抜く。生半可な者であれば早々に逃げ出すか、正気をなくして狂死するであろう荒行を誰に言われるでもなく己に課す日々。
以前の持ち主達を倒して奪った四振りの名剣を狙って襲ってくる者を相手に、命懸けの実戦を重ねる毎日。剣豪の名が魔界全土に広まるのは必然だったと言えましょう。
「ほう、貴様が例の剣士か。どうだ、我々の味方になれば食い物も女も好きなだけくれてやろう。悪い条件ではあるまい?」
「断る。自分より弱い者の下につく気はない」
「なっ……貴様、ここから生きて帰れると思うな!?」
その腕前を求めて魔界の覇を競う諸部族に誘われることも数知れず。
しかし、どれほどの好待遇を提示されても剣豪が首を縦に振ることはありませんでした。
時には面子を潰された者が怒り狂って部族の総力を挙げて狙ってくることもありましたが、それらも一人残らず斬り伏せるのみ。戦意を失った者や戦う力のない老人や子供は見逃していましたが、決して優しさからではありません。本当に興味がなかっただけなのです。
剣豪が求めるのは更なる強さと心躍る戦いだけ。
そうした生き方に疑問を持つこともありませんでした。
「勝負あり、ですね」
「……そのようだ。この命、好きに使うがいい」
しかし、やがて剣豪にも敗北を知る時が訪れます。
亜音速にまで達する剣技の悉くを躱され、その隙に強大な魔法を撃ち込まれて完敗。当時、まだ魔王を名乗る前のアリスにより半死半生の重傷を負わされ、その軍門に下ることとなりました。
しかし、恨みはありません。
敗者が勝者に従うのは世の理。
トドメを刺されず命を救われたなら、大人しく従うのが彼にとって自然なことだったのです。以降、アリスが戦乱の魔界を統一し魔王と名乗るのを、剣豪はその配下として見守ることとなりました。
魔界中から名の知れた猛者が集められただけあって、魔王軍の中にいれば腕比べの相手に不足することもなし。一人で戦うのが当たり前だったのが急に何百何千という部下を与えられ、指揮や訓練を任せられたのには困りましたが、まあ命令に従うと決めた以上は仕方がない。これもまた敗者の義務のうちというわけです。不慣れな役割に戸惑いつつも、思う存分に剣技を磨ける日々は正直悪いものではありませんでした。
「ほう、新たな戦か」
小規模な反乱は各地でチラホラ起こっていたものの、魔界全てを統一してしまったからには大きな戦いなど最早起こり得ないはず。そのことに密かに落胆していた剣豪にとって、魔王アリスが人間界への侵攻を決定したのは良いニュースでした。
食料の生産や資源の分配が追いつかないとか、魔族の存亡がかかっているとか、そういった諸々は彼にとってどうでもいい些事に過ぎません。求めるのは強さと戦いのみ。食べ物など口に入ればどれも同じ。敵も味方も関係なく、弱い者は勝手に飢えさせておけばいい。数多くの仲間を得てなお彼の考えに変化はなかったのです……しかし。
大きな転機となったのは、次なる敗北でした。
それも剣豪一人ではありません。魔王アリスを筆頭に、一騎当千の強さを誇る四人の軍団長、それに近い力を持つ剣豪を含む幹部達。総勢十万にもなる末端の兵まで一人残らず、完膚なきまでの大敗北。
なにしろ相手はたった一人。その一人に全軍がかりで毛筋ほどの傷すら与えられず、しかも魔族に一人の死者も出さぬよう優しく気遣われてすらいたのです。これほどの屈辱は他にありません。
「くっ、殺せ……!」
「え? 嫌だよ」
潔く殺されることを望む声も少なくなかったのですが一律却下。
こうして新しく魔王を名乗る青年がアリスの次の王となりました。
なにしろ勝者に従うのが敗者の務め。剣豪の価値観は魔界では決して特異なものというわけでもないのです。多くの魔族達は色々思うところはあれど、新たな王に従うことを決めました。
それ以降の暮らしは以前までの日常とは大きく変わりました。
新たな魔王が与えた食料で飢える者はいなくなり、栄養状態や衛生面の改善により病人や怪我人が激減。これにより魔族が人間界に侵攻する理由が消えたのです。
生きるために誰かから奪わずともよい。
奪われる心配なく生きていける。
魔族でも力の弱い者達にとっては万々歳の状況でしょう。しかし戦う必要がなくなった世界に、全ての者がすぐ馴染めたわけではありません。
「魔王陛下、お覚悟を!」
「ああ、またかい? いいよ」
命を懸けない訓練では満足できない戦闘狂達は、毎日のように新魔王の首を狙って襲いかかっていきました。しかし全軍でかかっても敵わなかった相手に一人、あるいは少数の同志のみで勝てるはずもありません。
そして、そうした反逆者を魔王が罰することもなし。
相変わらず怪我をさせないよう気遣ってくる上に、武器の振り方や踏み込みのタイミングについて的確なアドバイスを送ってくるほどです。こんなことを何度も繰り返して心が折れないほうが無茶というものでしょう。
「陛下、せめて何か罰をお与えください……」
「罰? うーん、急に言われてもね」
剣豪の心が折れたのは、果たして何十回目の反逆でのことだったか。まあ、かなり長く持ったほうでしょう。戦う場を与えてくれないのなら、せめて反逆者に相応しい罰をと。そんな言葉が自然と口から出てきたのです。
いっそ、強者の手により斬り捨てられるなら本望。
この甘い魔王にそこまでは望めずとも、石打ちでも鞭打ちでも何でもいいから、せめて何か罰してほしい。そうでなければ、いよいよ戦う者としての誇りすら保てなくなってしまう。
そんな気迫が魔王に通じたのでしょうか。
望んだ通り剣豪には反逆の罰が与えられることになりました。
「じゃあ、野菜の皮剥きでも手伝ってもらおうかな?」
「か、皮剥き?」
「うん、手伝ってくれる人は多いに越したことは無いからね」
予想外の内容でしたが、罰は罰。
かつては剣豪としてその名を魔界に轟かせた大男が、手伝いの女子供に混じって芋の皮を剥く様子はさぞや滑稽であろう。何もなく許されるよりは、そうした恥辱を与えられるほうがまだマシだと、そんな後ろ向きな気持ちで調理場へと足を運びました。
料理など野の獣を適当に切って焚き火で炙るくらいしか経験のなかった剣豪です。当然、最初のうちは失敗して包丁で指を切るわ、皮を分厚く剥きすぎて指導役の老婆に叱られるわと散々な結果でした。
しかし、その屈辱がある意味では心地良い。一度は折れかけたガッツを奮い立たせ、翌日にはまた魔王の首を狙って襲撃をかけにいったのです。
「じゃあ、今日はお肉の解体をお願いするよ。生き物を斬るの得意でしょ」
「くっ、承知した……!」
まあ気力が復活したところで勝敗に影響が出るわけではないのですが。
この日は食材に使う動物の解体を頼まれました。魔王に言われた通り、生き物を斬るのは手慣れたもの。その手際の良さを周りの女子供に褒められたのには戸惑いましたが、正直悪い気分ではありませんでした。
「それじゃあ、今日は鍋の番をお願いするよ。中身が焦げ付かないように様子を見ながら混ぜてもらえるかい」
「ぐぬぬ、仕方あるまい」
次の日も。
「今日はキャベツの千切りを頼むね。こんな感じで細切りに」
「ふむ、このような具合だろうか?」
「うん、上手い上手い。才能あるんじゃないかな?」
「野菜を切る才能と言われてもな……」
そのまた次の日も。
来る日も来る日も魔王の首を狙っては、調理の手伝いをさせられる日々。
炊き出しの手伝いをしている女子供、かつての剣豪なら戦う力のない弱者として眼中にすら入れてなかった者達とも、いつしかすっかり顔馴染みになっていました。
「え? このシチュー、最初からキミ一人で全部作ったの?」
「うむ、見様見真似ゆえ上手くできたか分からんが……」
「いやいや、ちゃんと美味しくできてるよ」
「そ、そうか?」
やがて剣豪は簡単な手伝いだけに留まらず、調理の重要な工程を任されるようになっていきます。長年の剣の修業により刃物の扱いに慣れていたり、火を恐れない度胸が養われていたのも良かったのかもしれません。種族柄、四つも腕があるのでどんな作業もスイスイ捗ります。
「あれ、今日は最初からこっち来てたんだ?」
「あ、ああ、童らに包丁の使い方を教えると昨日約束してしまってな。何かマズかっただろうか?」
「ううん、すごく良いと思うよ。どんどん教えてあげてよ」
反逆の罰としてではなく、自発的に調理場に来るようになるまで時間はかかりませんでした。メキメキ上達していくのが分かるにつれ、料理自体が楽しくなってきてしまったのでしょう。
元々、上達のためならどれほど厳しい修業も厭わない性分です。炊き出しの手伝いをしていた女子供は元より、魔王の腕前に追いつくのも時間の問題と思われました。
苛烈な戦いや罰を求める気持ちが消えていたのを自覚したのはいつの頃だったか。
長年の習慣で染み付いた剣の鍛錬は続けていますが、進むべき道を見失ったがゆえの焦燥感に駆られて彼が浅慮に走ることはもうないでしょう。
「ふっ、剣ではなく料理の道で世界に名を轟かせるか。それもまた一興よ」
「うん、応援してるよ、料理長」
◆◆◆
そして現代。
「あらっ、魔王さまじゃなぁい! 相変わらずイイ男ねぇ」
「やあ、料理長。そっちこそ元気そうで何よりだよ」
何十年も前から変わらず、今日も料理長は魔王城の厨房で楽しく働いていました。まあ、ほんの少しばかり違ったところもあるかもしれませんが。
「あれ、エプロン新しくしたんだ?」
「あらぁ、分かっちゃう? このフリルがとっても可愛いのよぉ。ピンクのウサちゃん柄もキュートでしょ」
「うんうん、料理長によく似合ってるね」
「うふふ、ありがと。そうそう魔王さま、それより恋バナしましょ、恋バナ! 先代さまとはどこまで行ったのかしら? それに、あの黒髪の可愛いコともいい感じなんでしょ? お城の皆の間で余計な手出し無用なんてうっかり約束しちゃったもんだから、先代さまと上手くいくまで何十年もお預け食わされてたんだもの。その分たっぷり楽しませてもらわなきゃ!」
「あはは、そうだったんだ。お手柔らかにね……」
ピンクのエプロンを着けた四本腕の巨漢、かつての剣豪にして現魔王城の料理長は昨日も今日もこれから先も、一切迷うことなく己が信じる道を驀進するのでありました。
◆今回まで書いてひとまず満足したので本作はまた一旦一区切り。またアカデミアのほうが一段落するか、急に書きたいネタが降ってくるまで気長にお待ちくださいませ。
◆まだちゃんとアイデアを形にできるか分からないので予定は未定と言っておきますが、もし上手くまとまりそうだったら久々に新作出すかもです。迷宮シリーズ二作ともチョイ関わってくる感じで。