新時代のミソ
ある日の午前中。
開店間もない魔王の店に、いつものようにシモン王子が訪れました。
「なんだ、今日はアリスはおらぬのか?」
「やあ、いらっしゃい。アリスだったら今日はリサちゃんと出かけてるよ」
本日アリスはリサの案内で日本まで出かけているのでお休みです。
アリスは普段から趣味の裁縫であれこれ作っているのですが、今度は和裁に挑戦してみたくなったとかで着物用の布や道具一式を揃えに行ったのです。リサは料理はともかく裁縫に関しては家庭科の授業で習った程度の知識しかないのですが、それでも土地勘のないアリスが一人で日本の街をうろつくよりは幾らかマシというものでしょう。
「まあ、この際魔王でもよい。ほれ、土産をやるからこれで何か作れ」
「へえ、お土産なんて珍しいね。開けていいかい?」
アリスがいないと知って露骨にがっかりした顔を見せたシモン少年ですが、別に彼女がおらずとも本日の目的に支障はありません。ちょうど彼の頭くらいのサイズの陶器のツボを肩掛けカバンから取り出すと、それを魔王に押し付けました。
これで何か作れ、など言うからには何かしらの食品であろうと魔王にも想像は付きましたが、お土産の正体は少しばかり意外なものでした。
「これは、味噌だね?」
「うむ、ミソだ。うちの国で作っていたのが、ようやく形になったからと送ってきた。ほれ、お前のところで色々やっておるだろう?」
味噌や醤油といった発酵調味料の数々は、近年の魔界式料理の人気も相まって人間界各国でもなかなかの人気を博しています。そうなれば自分達のところでも作ってみようかという発想が出てくるのも自然なことでしょう。
とはいえ流石に素人が一から調味料を手作りとなると、レシピを参考に料理をするのとは難度の高さが桁違い。かつて旅をしている最中に味噌を自作すべく試作を繰り返していたリサも、結局日本に戻って詳しく調べるまでは成功しなかったのです。
とはいえ、そこで話が終わっていたのなら、こうしてシモンがG国産の味噌を持ってくるはずがありません。希望する国へ魔界の醸造職人が技術指導をしに行ったり、人間界側の人員に魔界の知識を教えるのと引き換えに、希望する魔族が人間界の国々で興味ある分野を勉強できるようにする交換留学制度を実施したりと、まあ色々と手広くやっているのです。
「商売にできるほどの量を作れるかはまだ分からんそうだがな。まあ、分かったらさっさと何か作ってこい」
「うん、いいよ。どうせなら味噌の味がよく分かるやつが良いよね」
幸いと言っていいかはさておき、朝のこのくらいの時間に他のお客は全然いません。それを知っていたからこそシモンも開店直後の時間帯を選んで来たのでしょう。
味噌のツボを受け取った魔王は一旦厨房に引っ込み……そして、僅か数分で完成した料理の皿を手に戻ってきました。インスタント食品並みのスピード調理です。
「なんだ、やけに早かったな。それがミソ料理か? 何やら妙な形をしているようだが……ふむ、匂いは美味そうだが」
味噌の実力がよく分かる料理。
そんなリクエストに応えて魔王が作ってきたのは……。
「焼き味噌だよ。こう、味噌に刻みネギと砂糖をちょっと混ぜてね、しゃもじに塗って焼くっていう。シンプルだけど、これがお酒に合うんだよ」
「いや、渋いわ。自分で言うのもなんだが、おれのような子供に出す品ではなかろう」
焼き味噌。たしかにリクエスト通り味噌の味わいがよく分かる料理ではあるのですが、これはシモンが言う通り明らかに子供ではなく大人の酒飲み向けのメニューでしょう。それでも頼んだ物を残すのは気が引けるのか、お冷の肴として残さず食べてはいましたが。
「魔王よ。リテイクだ」
「リテイクかぁ」
案の定、シモンからリテイクの要求が出ました。美味しいことは美味しかったものの、流石に焼き味噌だけで満足とはいかなかったようです。
魔王はまたもや厨房に引っ込むと、再度メニューを考えました。
注文は味噌の真価が分かり、なおかつ子供の舌に合う物。
クライアントからの要求に従い、魔王が出してきた答えとは……。
「はい、今度は味噌味の焼きおにぎりと豚汁だよ」
「ほう、やればできるではないか」
これならば子供の味覚でも、そうそう外れはないはずです。
味の印象こそ似ていますが、お酒の肴ジャンルに属する焼き味噌に比べると、こちらはだいぶお食事ジャンル寄り。味噌の甘じょっぱい味と焦げた風味がお米とよく合います。
「この豚汁もうまいな」
豚汁の具材はオーソドックスに豚肉、ニンジン、ゴボウ、コンニャク。一味唐辛子やバターを入れて味変しても美味しいのですが、今回は味噌をよりよく味わうために追加の調味料などは使わない方針で。
「なるほど、前にこの店で食べたミソ料理とは味がかなり違うようだ」
試食した印象としては、G国産の味噌は水や麹菌による差異なのか、この店の料理に使われている魔界産に比べて渋みが弱く、やや甘め。どちらが好みかは人それぞれの味覚や使用する料理の種類にもよるでしょうが、まだG国で作り始めてから何年も経っていないだろうに、なかなか見事な味噌ができているようです。G国の職人に才能があったのか、魔界側の指導員の腕が良かったのか、恐らくはその両方でしょう。
この調子で大量生産が軌道に乗ったら、いずれはG国から魔界に味噌を輸出するなんて話も出てくるかもしれません。他の国々でも同じく試作を重ねているはずですし、上手いこと土地ごとの個性が出てきたら各国の新しい特産品にもなりそうです。
「色々取り寄せて食べ比べなんかも面白そうだね」
「うむ、その時は必ずおれも呼ぶように」
この料理にはどこの味噌が一番か、などと皆であれこれ試食しながら考えるのは実に楽しそうです。実現が何年後になるかは分かりませんが、魔王とシモンはそんな男同士の約束を交わすのでした。





