料理革命⑤
料理長が国王との謁見を終えた二時間ほど後。
通常業務とメニューの改良とを同時並行で行っている厨房は、まるで戦場の最前線であるかのように、殺気立った料理人達が大忙しで立ち回っていました。
なにしろ、タイムリミットは誕生日パーティーが始まる明日の夕方。
もちろん通常の貴人用、使用人用それぞれの食堂で提供する食事の準備も必要です。時間のかかる仕込みや新しいレシピの習得にかかる時間を考えると、ほとんど猶予はありません。恐らく今夜は徹夜仕事になるでしょう。
「あのぅ……私、なんでここにいるんでしょう?」
そんな厨房の片隅に、女性が一人ポツンと所在なさげに立っていました。
名誉ある王城の厨房には、本来であれば部外者の立ち入りは厳しく制限されています。実際、事情を知らない料理人の中には彼女のことを訝しげに見る者もいました、が。
「おお、アンタが陛下が言ってた助っ人だな!」
「ええと、はい、多分? お城から人が来て呼ばれたんですけど……」
「なんせ陛下の推薦だからな。頼りにさせてもらうぜ、勇者様のお弟子殿!」
部外者の女性の名はアイリ。つい先日退職したばかりですが、それまではこのA国の騎士として勤めていました。かの大英雄、勇者リサの従者として旅の最初から最後まで付き従った人物でもあります。
料理長の大声が聞こえたのでしょう。
遠巻きに部外者を眺めていた者達が、サッと目の色を変えました。
勇者の弟子。
彼らがその言葉を聞いたのは初めてではありません。
旅の最中、野営時やどこかの街に宿を取った時などに、勇者に同行した騎士達はこの好機を逃すまいと幾度となく剣の指南を乞うていました。幸い、血を流すことなく魔界との和平が成立したため、彼らが道中で相手をしたのは弱めの魔物や粗末な武器しか持たぬ盗賊程度。せっかく磨いた技を本気で振るう機会は訪れなかったわけですが、それでもしっかりと腕は上がっていたようです。
ようやく彼らの鍛錬の成果が日の目を見たのは、国に帰ってから後の訓練でのこと。
以前は国で一番の達人とされた騎士団長を相手に、旅に同行した騎士達の一人一人が例外なく互角の戦いを、いえ明らかに優勢に試合を進めたことで「流石は勇者様の教えを受けた者達だ」、「こんなにも差が付くなら自分も志願しておけば良かった」と大層な評判を呼んだのです。
そんな彼らは通称「勇者の弟子」と呼ばれ、次代の幹部候補として騎士団や城内のみならず王都中でちょっとした有名人となって評判を得ていました。
そして今回呼ばれてきたアイリ女史もその弟子の一人。
結婚と転職を機に騎士団を退職こそしたものの、まだまだ腕は鈍っていません。そこらの男が束になっても勝てないくらいの実力はあるでしょう……が、今回呼ばれて来たのはもちろん武術の腕っぷしを買われてのことではありません。
「なんでも、勇者様直伝の菓子で店を始めるんだってな。貴族の坊ちゃん嬢ちゃんに人気の特別な氷菓子、たしかアイスクリームとか言ったか? ワシらは料理のほうで手一杯なんでな、期待してるぜ弟子殿!」
「は、はい、善処します……!」
そもそも国王直々の推薦とあっては断れるはずもありません。
こうして勇者の“アイス作りの”弟子アイリは、この世界におけるアイスクリーム作りの第一人者として巻き込まれることになったのです。
◆◆◆
「おっ、このスープはリサさんが作ってくれたやつに似てますね」
「ああ、懐かしいな。ポタージュだったか? 芋のやつ。まだそんなに経ってないはずなのに随分前のことに感じるよ」
巻き込まれたのはアイリ女史だけではありません。彼女の夫やその同僚、「勇者の弟子」達も味見役として駆り出されてきたのです。それも、またもや国王直々の命令で。
「この魚は少し塩が薄くないですかね?」
「いや、単品としてはやや物足りないが、コースの一皿としてならそれで正解だろう。味が濃すぎると次の皿の味わいを損ねるからな」
「なるほど、そういうモンですか」
なにしろ旅に同行している間は度々リサの手料理を食べていた者達です。
当時は手に入る材料が不足していたせいで常に作り手にとって満足のいく出来になっていたとは言えませんが、それでも魔界から入ってきたものによく似た、いわゆる新しい料理については王都のどんな美食家貴族よりも食べ慣れています。
「いやぁ、味見が仕事とかいいんですかね? こんな任務ならいつでも大歓迎ですけど」
「こらこら、陛下直々のご命令だぞ。気持ちは分かるが気を抜くなよ」
彼らの役目は、次々と運ばれてくる試作品を試食して率直な意見を言っていくだけ。最初のうちは騎士団の任務らしからぬ仕事に戸惑っていた彼らも、次第に肩の力が抜けて気楽に食事を楽しんでいるだけになってきました。
アイリのアイス作りを除けば、料理については素人の集まり。いくら新しい料理を食べ慣れているとはいえ、本職を相手に具体的なアドバイスを出すのはなかなか難しいのですが、これにもしっかり意味があるのです。
『勇者の弟子、監修』。
彼らが試食をするだけで、王家の権威にこの看板が重なるわけです。
『勇者直伝』のアイスクリームと合わされば、その威光は更に倍増するでしょう。
勇者の人気は今や各国の王家を遥かに凌ぐほど。それこそ明確に権威で上回ると言えるのは神様くらいのもの。下手にケチを付けようものなら、たちまち貴族社会で総スカンを喰らってしまうのは想像に難くありません。
「はい、あなた。あーん」
「あーん。うん、やっぱりアイリのアイスは最高だね。世界一美味しいよ!」
「うふふ。いやねぇ、皆の前で」
「……なんか、口の中が甘ったるくなってきた」
「……俺も。しょっぱい物で口直ししたいな」
最初は突然の状況に戸惑っていたアイリも、王城の料理人達に実演しながらアイスクリーム作りの工程を説明するうちに、そして愛する夫の登場によってだんだんと肩の力が抜けてきた様子。この調子なら失敗の心配もなさそうです。
「いやぁ、面白ぇ面白ぇ! 改良ってのもやってみると楽しいもんだ。アイデアがどんどん湧いてきて止まらんな!」
料理長率いる料理人達も次々と魔界式のレシピを覚えては、それらの手法から的確に要点を抜き出してこれまでの料理に応用していきました。流石は王城に勤めるほどの天才達。ひとたび方向性さえ明確になれば、その理解力や応用力にはいずれも並々ならぬものがあるのです。
試作と試食は明け方まで延々続き、そしてあっという間にパーティー本番の時間となりました。





