料理革命③
偉大な先人達から受け継がれてきた伝統。
数多の失敗を教訓に作り上げられたしきたり。
それらはきっと素晴らしいものなのでしょう。
大切に守り、そして次代へと受け継いでいく価値がある。
とはいえ、何事にも程度というものがあります。
薬も過ぎれば毒となる。
長い年月の中で何故それらが大事にされているかという理由は二の次となり、いつしか盲目的に従うことが是とされ、疑うことさえ許されなくなる。それはおかしいと誰かが疑問を口に出そうものなら、四方八方から非難が殺到してしまう。
そんな権威の毒が王城の厨房にも存在していたのです。
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「まあ、要はアレだ。代々受け継がれてきた“由緒正しい”レシピ以外の料理を城で出したりしたら、他人の足を引っ張るしか能がないクソお貴族サマ野郎どもがケチを付ける格好の口実になっちまうってわけだ」
「料理長、だいぶ本音が漏れてます」
料理長の正直すぎる物言いはさておき、長い歴史を持つA国ではそういった価値観が非常に重視されているのは事実です。流行っていて人気があるからと、目新しい料理を安易に出したら後からどこからどんな文句が出てくるか分かったものではありません。
「そういう連中のことを抜きにしてもだ、長く残ってる伝統ってモンにはそれぞれちゃんと理由があるわけよ」
例えば、この厨房のレシピではスープを作る時に、たっぷりの肉や野菜をくたくたに柔らかくなるまでじっくり煮込み、しかしアクを取ることをあえてしません。アクが溶け込んだスープは見た目も濁るだけではなく雑味も強くなりますが、このレシピが考案された四百年以上前は食材の品質が今より遥かに悪く、こうでもしなければ旨味がほとんど感じられないお湯モドキにしかならなかったのです。
「当時はアクも味わいのうちと考えられてたわけだな。ほとんどお湯みたいな薄いスープが当たり前だった当時は、さぞや画期的だったろうぜ。他にも色々あるぞ」
肉を焦げるギリギリまでじっくり焼くのは食中毒防止のため。
噎せ返るほどキツいお酢で魚や野菜を長時間漬けるのも同様。
塩漬けや砂糖漬けの食材がやたらと多いのは、街道の整備が未発達で産地からの輸送に時間がかかっていた時代に、それでも少しでも美味しい物を届けようとした工夫から発していました。
「そういう先輩方の知恵やら工夫やらに、今のワシらが敬意を忘れちゃあいかんだろ」
もちろん使う素材についても拘り抜いています。
肉類は王家に卸す食材だけを作る御用牧場から、野菜は同じく王家直轄の荘園から。育てる際の餌や肥料の種類にも厳密な決まりがあり、故意にせよ偶然にせよそのルールから外れてしまった食材が貴人用の料理に使われることは絶対にあり得ません。
食材の種類についても、例えばイワシやウナギなどは下魚とされており、どれほど新鮮だろうが味が良かろうが使用食材の候補から弾かれてしまいます。こうした上等・下等の区分は当然魚以外にも細かく定められており、それらを全て暗記するのが王城の厨房で働く者が真っ先に覚えるべき仕事なのです。
ついでに言えば、料理長が今の役職に上がる際に授爵したのもルールのため。
貴人用の大事な皿を仕上げる担当者には、一定以上の地位がなければなりません。
これも元々は他国の間者が料理人に化けて厨房に紛れ込んでも、貴人用の重要な皿に不用意に担当者以外を近付けない、見慣れぬ誰かが近付いてもすぐ気付けるようにするための制度でした。まあ今では元の理由は薄れて、長年の忠勤に対する褒美としての意味合いがほとんどになっていますが。
これらの工夫の多くは、現代では不要、あるいは逆効果になっているものもあるのでしょう。
しかし、それでもごく最近までは特に問題となることはありませんでした。
何故なら、この王城での食事こそが世の「美味」の基準になっていたから。ここで提供される味を基準に、人々の味覚がチューニングされていたと言い換えてもいいかもしれません。
味覚という感覚は、その人がどういう物を食べてきたかという経験によって大きく左右されるもの。時代遅れの古いレシピでも、つい最近までは多くの王侯貴族や城勤めの人々も、実際に美味しいと思って食べていたのです。ついでに言うなら「王家の権威」や「長年の伝統」という情報、言うなれば見えざる調味料がその味を一段と引き立ててもいたのでしょう。
しかし、ここへ来て伝統に匹敵する新たな権威が現れました。
違う世界から入ってきた、まだほとんど食べた者のいない珍しい食材や斬新な料理の数々。こうした情報のインパクトは旧来の価値観や、それを元に形成されてきた人々の味覚を揺るがすに十分な破壊力があったようです。
それにより、これまでプラスに働いていた「伝統の味」は「食べ慣れた古臭い味」へと無意識のうちに変換され、それに伴い王城の食卓を実際以上に美味しく思わせていた見えざる調味料の威力も失われた、と。
「――と、まあ大方こんなこったろうぜ」
「そこまで分かってるなら、なおさら……なんなら国王陛下に直訴してでも変えないと!」
「いやぁ、いくら陛下でも今日明日でどうにかってのは難しいんじゃねえか? 最近の催しで、わざわざ行幸って小細工を弄してまで外に食いに行くくらいだ」
ぶっきらぼうに見える料理長も、まだ十代前半の見習いだった時分から、複雑怪奇な政治が支配する城の中で半世紀も過ごしてきたのです。助手の青年よりは貴族社会の面倒な機微についても知っています。
そしてこれは言葉にこそ出しませんでしたが、たとえ古臭い時代遅れの料理だとしても、料理長はその味に並々ならぬ愛着がありました。見習いの小僧として日々ヘトヘトになるまで雑用に明け暮れ、毎日のように怒鳴られて先輩からゲンコツをもらい、何人もの同僚が過酷さに耐えかねて逃げ出していく中で必死に喰らいついて味を覚えてきたのです。
それほどの思い入れがあるレシピの数々を、急に時代遅れになったから全部忘れろ。明日からは別の料理を作れ……なんて言われても受け入れがたい。貴族の横槍やら何やらと御託を並べてきましたが、結局はそれが嫌だったという一点に尽きるのかもしれません。
「……とはいえ、だ」
料理人は食べる人を喜ばせるのが本懐。
それは王城の厨房でも市井の食堂でも変わらない絶対原則です。
個人的な思い入れと料理人としての本懐を天秤にかけた時、果たしてどちらを取るべきか。料理長が決断するまで、そう時間はかかりませんでした。
「……おっし! まあ駄目で元々。ちょっくら陛下に聞いてくるぜ。もしその場で免職んなったら後は頼んだ!」
「え、ちょっ、料理長!? 料理長―っ!?」
思い立ったら即決即断。
助手氏が止める間もありません。
老体とは思えぬ健脚ぶりで、料理長は謁見の間へ向けて城内を駆け抜けていきました。
メインキャラが全然出てこないけど、書いてるうちに何だか楽しくなってきちゃったのでもう少し続きます。この一連のエピソードが一区切りついたらいつものキャラ達の話もやりますね。





