あの鍋のその後
オリハルコンという金属があります。
曰く、神の金属。
曰く、金属の王。
曰く、完全物質。
あらゆる物質より硬く、しなやかで、重く、軽い。
たとえば剣として振るったならば、使い手にとっては羽のように軽やかで、敵にとっては巌のように重く。まるで生物の細胞のように少々の傷など勝手に直り、どころか時間が経つにつれ、より強く鋭く研ぎ澄まされていく。
武器に限ったことではありません。
それが盾や鎧であれば綿の如く衝撃を受け流し、杖であれば魔法の威力を元の何倍にも強くする増幅装置として機能する。御大層な異名がいくつも付けられるだけのことはあるでしょう。
ただし、あまりに希少過ぎるのが玉に瑕。
この世界では迷宮都市より北の山脈地帯に位置するドワーフの地下帝国や、南洋にある人魚の王国の海底鉱床にて、ごく稀に砂粒ほどの量が発掘されるのみ。
いくつかの古い国家にはオリハルコン製の武具が現存していますが、いずれも国宝として厳重に保管されています。万が一の紛失の危険を考えると、とても実戦でなど使えたものではありません。
その貴重さゆえ金銭的価値は金やダイヤモンド以上。
ほんの小石ほどの大きさであっても大国の首都に土地付き使用人付きの豪邸がポンと買えるくらいの価格にはなりますし――――現実的にあり得るか、そして支払い能力のある買い手がいるかはさておき――――もし純オリハルコン製の全身鎧なんかが売りに出されたら、小国の二つや三つ買えるほどの値が付いてもおかしくはないのです。
さて、前置きはこのくらいでいいでしょう。
要は「オリハルコン本当偉大」ということです。
「ははぁ、ゲームとかだとレア扱いされがちですけど、やっぱり本物はすごいんですねぇ」
【我が主よ、ちなみに我の素材としても用いられているのだぞ】
「へえ、それは知りませんでした」
リサはいつもの魔王の店……ではなく珍しく魔界の魔王城、それも初めて入った宝物庫にてアリスからオリハルコンについての説明を受けていました。実は聖剣の素材にも使われていたらしく、自分が日常的にレア素材を便利使いしていたことも知りましたが、それについてはいいでしょう。本題は別にあります。
「で、魔王さん。なんでまたそんな貴重品を寸胴鍋に?」
「いや、その、一度にたくさん小豆を煮られる大きい鍋が欲しくて。どうせ誰も使ってないし別にいいかな~って。あっ、ちゃんと反省してます、はい……」
リサの目の前には、ちょっとした小屋くらいならすっぽり収まりそうなサイズの、特大の寸胴鍋が置かれていました。オリハルコン製の。
あれは魔王が迷宮の奥でレストランを開いて一年足らずの頃。
リサと出会う二、三か月くらい前のことになるでしょうか。
その時やたらと豊作だった小豆を見た魔王は、その場の思いつきと勢いだけで、宝物庫にあったオリハルコンで小豆を煮るための巨大鍋を製作してしまったのです。
魔界においてもオリハルコンの貴重さは人間界と大差ありません。
ほんの気持ち程度発掘量は多いものの、まあ微々たる差です。
先代の魔王であるアリスが治めていた時代や、それ以前の様々な部族や個人が魔界の覇を競っていた乱世の頃。更にその前のロクに記録も記憶も残っていないような時代から魔族達が僅かずつ掘り集め、奪い合い、同盟や臣従の証として納められ、管理しやすいようインゴットの形で現魔王城に収められていたオリハルコンは、何の因果か今やこうして寸胴鍋に。
在庫のほんの一部を使っただけ、なんてこともありません。その時点で魔界に存在していた発掘済みのオリハルコンは、影も形も残さずスッカラカンになりました。在庫なし。そこになければないですね。
基本的に魔王の言うこと為すことに全肯定のアリスですら、この件では彼にお説教をしたというのですから、よっぽどのやらかしようです。
「とはいえ、やってしまったものは仕方ありません」
アリスとしても済んだことをいつまでも掘り返す気はありません。
そして人間界の国々のように、まだ使える道具を貴重だからといって国宝扱いして眠らせておくのも趣味ではありません。本日リサと魔王を連れて宝物庫を訪れたのには、ちゃんとした理由があるのです。
「やっぱり、しばらく仕舞いっぱなしでしたからホコリが積もってますね。使う前にしっかり洗わないと。錆の心配がないのはいいですけど」
「あはは、このサイズだと運び出すのも大変だよね。というか大きすぎて持て余しそうなんだけど、こんな大きいので何を作るの?」
「あら、リサにはまだ言ってませんでしたっけ? 芋煮です」
「芋煮」
「ええ、芋煮です。魔界といえば芋煮みたいなところありますからね」
芋煮会といえば魔界の一大イベント。
それに備えて使う鍋のメンテはしっかりしないといけません。
一度に何千人分も調理する都合上、鍋にかかる物理的な負担もかなりのものになります。昨年まで使っていた鉄製の鍋は金属疲労のためか割れや水漏れが酷くなってしまい、いよいよ使用不可能なまでに状態が悪くなってしまいました。
別に血に飢えてはいない魔界の魔族達ですが芋煮の味には飢えているのです。道具の不備で中止にでもなろうものなら暴動に発展するリスクすらあり得ます。
そこで今年から使う新しい鍋を新調しようか……というところで、オリハルコン製のむやみやたらと頑丈そうな鍋が眠っていたことを思い出したというわけです。傷や劣化とは無縁の素材ですし、三人がかりでゴシゴシ洗えばすぐ使える状態に持っていけるでしょう。
「何日か続けてやりますからリサも楽しみにしてて下さいね」
芋煮会の日程は全七日。
味付けは味噌、醤油。
肉の種類は牛、豚、鶏。
人それぞれ好みというものがありますから、どれか一種類の味付けだけでは必ずどこかから不満が出てしまいます。そこで日程を延ばして毎日味付けと肉の種類の組み合わせを変えることで、どの味が好きな者でも楽しめるようになっているという寸法です。
自分の好きな味の日だけ来る魔族もいますし、毎日通って全ての味を制覇する芋煮ガチ勢も少なくありません。ちなみに最終日の七日目は余った肉や野菜の残りを全部使って具沢山のカレーにします。
「うん、なんにしても道具を無駄にしないのはいいこと、だよね?」
色々言いたいことはあるものの、いちいちツッコミ所に反応していたらキリがありません。リサは様々な言葉を飲み込むと、渡されたタワシを掴んで鍋の清掃に取り掛かりました。
◆◆◆
そして芋煮当日。
アリスとリサと魔王は件の鍋で煮込まれた芋煮を堪能していました。
「あら、今年のは心なしか味染みが良いような気がしますね」
「そうなの? 今年の食材の出来が良いとかかな」
「どうでしょう。普通に料理した時はいつもと違う感じはしなかったと思いますけど。調味料も一緒のはず。腕前の差が大きく出るような料理でもないですし」
「じゃあ、あの鍋の材質が、なんというか、こう……オリハルコンの神秘的なパワー的なやつで味が良くなったとか。一種のダシ的な感じで」
「……あり得なくもないのが怖いですね」
評判を聞く限り、どうやら彼女達だけでなく他の魔族達も例年より美味しいと感じているようです。この味の秘訣が本当にオリハルコン由来の神秘的パワーによるものなのかは不明ですが。
「もしかしたら本当にそんな効果があるのかもね。じゃあ、そのうちまとまった量が溜まったら今度はフライパンにでも……あ、なんでもないです」
「うふふ、魔王さま?」
「魔王さん、流石にそれはちょっとどうかと思いますよ。そうだ、そういう実験なら聖剣さんを鍋にすればできるかも?」
【それはどうであろうな。あくまで剣である我が形を変えただけでは、調理器具としての本質な概念まで再現しきれるかどうか】
結局、味の秘訣がオリハルコン鍋にあるかどうかは不明のまま。
ともあれ、今年からちょっと美味しくなった芋煮は、これからも魔界の定番イベントとして長く親しまれていくことになるのでした。