迷宮に行こう②
そうして迎えた当日。
空は雲一つない冒険日和です。
「ええと、あの山が地図上だとここだから……」
迷宮都市から普通に歩いたのでは時間がかかりすぎてしまうので、今回はあらかじめ設定した目的地付近まで大胆にショートカット。聖剣で空間を切り開いた先には、人の気配などまるでない大自然の光景が広がっていました。
切り立った断崖絶壁に、目もくらむような大瀑布。
少し遠くを見れば、南方らしい植物が生い茂るジャングル。
ちょっと目を凝らすと極彩色の鳥が飛んでいたり、猿の一種と思しき動物が樹上で果物を食べている姿なども見えました。
「うむ、これだ! これこそ冒険だ!」
「ん!」
まだスタート地点から十歩も歩いていないのですが、普段の生活では決して見ることのない景色を前に、シモンとライムも興奮気味です。このままだと昂揚感に任せて勝手に走り出してしまうかもしれません。
「はい、ストップです。ちゃんと約束しましたよね?」
「う、うむ。勝手な行動は慎むように、だったな。もちろん忘れてなどおらぬ」
「……ん」
事前に注意事項をよく言い聞かせておいた甲斐がありました。
勝手にリサの近くを離れたり、魔物に無用の挑発をするような危険な真似をしたら、即刻冒険は中止。その時点で強制帰宅となります。
なかなか厳しめの条件ではありますが、勝手な振る舞いで自分のみならず仲間の命まで危険に晒すような者に冒険者を名乗る資格はない。そんな論法で二人を納得させました。
「それじゃあ、出発しましょうね。二人とも準備はいいですか?」
本日のコーディネートは三人お揃いの鎧にリュックサックを背負った姿。
防具についてはリサが現役で勇者をやっていた頃の鎧のデザインをベースに聖剣が様々な改良を加え、その上で子供二人の体格に合わせてサイズを調整しています。
元々、リサの防具は全て聖剣を変形させた物。
その気になればこうやって他者に武具を纏わせたりもできるのです。実行する機会はまずないでしょうが、その気になれば万軍を武装させることもできるでしょう。
勇者以外が触れたところで、イメージ通りに変形させたり各種能力を向上させたりといったことはできませんが、聖剣と同等の頑強さだけで防具としては十分以上。そこらの魔物から不意討ちを喰らった程度では、傷一つ付かないはずです。
「だが、色だけはもうちょっと何とかならなかったのか?」
「でも、コレ、周りから見えにくい柄らしいですよ」
昔のリサが着ていたような白銀色では自然環境下では目立ちすぎるので、色だけは緑色ベースのまだら模様。つまりは迷彩柄になっていたりします。滅多に使われることのない機能なので聖剣自身から提案されるまでリサも忘れていましたが、聖剣は形のみならず色や模様も自由自在に変更可能なのです。
勇者への憧れを持つシモン少年としては、実用重視の迷彩カラーよりも英雄が纏うに相応しい白銀鎧が好ましかったようですが、まあ安全には換えられません。
ちなみに、全身をライダースーツの如くピッチリ覆った上で、周囲の光景を体表に映し出して風景に溶け込んだり、光の屈折を魔力で操作して透明人間になったりもできるのですが、今回そうした機能が使われることはあるのかどうか。
そこまで安全対策が行き過ぎると冒険の興が削がれてしまいそうなので、ひとまずは迷彩柄で妥協しているという裏事情もあったりします。
「はやく」
「おっと、そうですね。お昼までには目的地に着いておきたいですし」
ともあれ、ようやく三人は移動を開始しました。
目標は、現在彼女達がいる山の頂上付近。そこまで高い山というわけではありませんが、なにしろ整備された登山道など望めない自然のままの環境です。
時には僅かな突起に指をかけて大岩を登り、また時には聖剣を変形させた聖ザイルや聖ピッケルでロッククライミングに挑戦し、またある時には聖吊り橋をその場で渡して空中を通過することも。
「……冒険って、楽しいものだったんですねえ」
リサが本気を出せば麓から頂上まで一度のジャンプで届くのですが、今回の目的はあくまで冒険らしい冒険を楽しむこと。勇者としての使命を背負っていた時には到底できなかったことです。
使命から解放されて以降も、こちらの世界に来る時はほとんど迷宮都市から出ることはありませんでしたし、考えてみれば今回は貴重な経験かもしれません。
そうして山の中を行くこと三時間ほど。
途中、野性のベリーが生っているのを見つけて摘んでみたり、巨大な鷲獅子の子育て風景を岩陰に隠れて観察したり、スマホのカメラで風景や自分達の写真を撮影したりなど。寄り道が多かったせいで予定より少し遅れてしまいましたが、それでも正午をやや回ったくらいで山頂に到着しました。
そして、ここからが冒険の本番です。
「あっ、本当にありましたね」
山の頂上付近。地面が平らになっている辺りには石造りの塔がありました。
正確には、塔の一階部分と二階の半ばまで。建設途中で中止になったか、はたまた嵐か何かにやられて二階の高さでポッキリ折れたか。いずれにせよ、一見したところでは塔の残骸にしか見えません。土台部分の面積はテニスコート二面分ほどもあり、もし破損していなければさぞかし立派な外観だったように思われます。
「はじめてみた」
「うむ。おれも迷宮を見るのは初めてだ」
「一応、魔王さんのお店も迷宮なんですけどね」
「そういえば、そうか。ちゃんとした迷宮を見るのは初めてだ」
ですが、この塔はそもそも人工物ですらないのです。
自然界における魔力の流れが何らかの原因で滞るなどして、強い魔力が集中した場所に自然発生する存在。つまり迷宮です。
ライムやシモンも毎日のように魔王の店がある迷宮に通ってはいるのですが、アレは特殊すぎて何の参考にもなりません。ややこしいので今だけは忘れておきましょう。
この塔は、つい先日魔族の冒険者によって発見されたものでした。
ですが、まだ誰にも攻略されてはいません。発見した魔族氏も塔の“三階”の存在を確認すると、それ以上の深入りは避けて一度引き返すことを選んでいました。
そうした理由は、この迷宮の立地にあります。
マトモな道も存在しないような険しい山。今回のリサ達は空間転移と便利な聖剣のおかげで、ちょっとハードなハイキングくらいの気分で登頂できましたが、普通ならここまで来るだけでも大変でしょう。
件の冒険者が迷宮の発見に至ったのも、氏が鳥の特徴を備える獣人の一種であったからこそ。山中の障害物をほとんど無視して、一人だけ飛んでこれたというわけです。ついでに言えば迷宮発見は偶然の産物であり、本来の目当てはこの辺りの岩場で採れる宝石の原石だったのだとか。
未発見の迷宮というのは何かと旨味が多いものです。
魔力によって具現化した構造物の集合体である迷宮では、一度カラになった宝箱の中身がいつの間にか復活していたりもするのですが、次に中身が湧くのが明日なのか何十年後になるかは予測不可能。
空振りの心配なく多くの宝物を手に入れられるというだけで、新しく発見された迷宮に挑むメリットはあるでしょう。
とはいえ、もちろん危険はあります。
既知の迷宮なら安全なルートを記した地図なども出回っていますが、新発見の迷宮では当然自分の手で一から調べなければなりません。魔物や罠によって深手を負ったとしても、場所が場所だけに救助は期待できないでしょう。
仲間も連れずに一人だけで、どんな魔物がいるかも分からない迷宮に挑むのはあまりに無謀。そのあたりの判断をきちんと出来た件の魔族氏は、そういう意味では実に正しい判断をしていました。
迷宮発見の事実をあえて隠さず公表したのも、そうすることで一緒に攻略する仲間を募る狙いがあったのでしょう。人手があれば橋を架けたりして普通の人間でも通行可能な登山道を開拓できる目が出てきますし、宝の取り分が減ったとしても一緒に仕事をした相手とのコネを別の機会に活かせるかもしれません。
なかなかの計算高さが感じられます。
まあ、そうやって一旦引き返した隙を狙って、元勇者の一味に先を越されるなどというのは、流石に計算外だったでしょうけれど。
迷宮攻略は基本的に早い者勝ち。特定個人が所有する敷地内に発生したなどの状況でもなければ、第一発見者が別の人間の見つけたお宝の権利を主張できたりはしないのです。
「他に誰かいそうな様子はなし、と。思った通りでしたね」
まあお宝の権利云々はあくまでオマケ。
今回の目的地にこの迷宮を選んだのは、他人の目を気にする必要がないからです。まだ発見されて間もない未攻略の迷宮の中であれば、リサの正体がバレる心配もありません。
もうしばらく経てば攻略の準備を整えた冒険者グループが次々とやってくるでしょうが、とりあえず今日明日くらいなら余計なことを気にせず伸び伸びと冒険を楽しめるでしょう。
「じゃあ、早速……!」
「ああ、おれはもう待ちきれぬ!」
「わたしも」
三人は目を見合わせると、早速迷宮に乗り込む……ことはせず。
「お弁当にしましょうね。今日のは自信作ですよ」
「うむ。山登りをしたせいで、おれはもうはらぺこだ」
「わたしも」
迷宮の入口前にレジャーシートを敷き、リュックサックから取り出した弁当箱や水筒を並べてお昼ご飯の支度を始めました。山頂からの景色を眺めながらの昼食は、さぞや美味しく感じられることでしょう。
来週からちょっと忙しくなるので更新頻度が落ちるかもですが、なるべく週一ペースはキープしますので気長にお待ちください。