冒険者になろう④
ともあれ、準備を整えて街を出るところまではどうにかいけました。
何故こんな段階で「どうにか」という表現が付いてくるのかを考えると、ここから先の道程にそこはかとなく不安が感じられなくもありませんが、そこについては深く考えてはいけません。
さて、それはさておき冒険です。
安全な街や村を一歩出れば、そこはいつどこから魔物が襲ってくるか分からない危険地帯であるというのが、この世界における常識。小さな子供でも当たり前に知っていることです。一瞬の油断が命取りになりかねません。
「平和だね」
「平和ですねぇ」
が、それはそれ。
迷宮都市近くの街道は、徒歩や馬車で移動する人の姿が朝から晩まで絶えることがありません。足元も剥き出しの土ではなく、平らに均された地面にピッチリと石畳が敷かれています。
迷宮都市周辺の道路の舗装は、公共事業の一環として街ができて間もない頃から、ずっと続いている仕事です。開始から一年以上経った今では、ずいぶん長く広く、立派な道が出来上がっていました。
単なる道と侮るなかれ。
足元が穴だらけでデコボコしていたり、雨が降るたびに泥濘があちこちにできるような悪路だと、いちいち馬車の車輪が引っ掛かっただの何だので頻繁に渋滞を起こし、物流の効率にも少なからず影響が出てくるのです。
また舗装の仕事には雇用の創設という側面もあります。
好景気に釣られて田舎から出てきたは良いものの、特にコネや技術があるわけではない。そうした若者でも手っ取り早く稼げる仕事の代表格と言えるでしょう。
ここで働いてある程度お金が貯まったら、街の中で商売を始める元にするも良し。郷里への仕送りに当てるも良し。はたまた、稼いだ端から賭け事やお酒に費やして目先の楽しさを優先するも良し。
いずれにしても今のところは上手く回っているようです。
このまま更に数年、十数年と経てば近隣にこれ以上舗装すべき道がなくなって、必然的にこうした事業が終了する時も来るでしょうが、まあその時はその時です。
今のところは交通における利便性と、そこから波及する経済面のメリットなど甘受するだけで問題はないでしょう。今後思うように稼げない魔族の冒険者が出た場合に、繋ぎの仕事として斡旋するのもアリかもしれません。
「へえ、道路工事。そういえば、そんな書類にサインをした覚えがあるような?」
「私達、普段はあまり街の外まで出ませんからね。あ、どうもご苦労様です」
アリス達はすれ違った兵隊に軽く会釈をしました。
この辺りの道は迷宮都市の衛兵が定期的に巡回をしており、これもまた治安の維持に一役買っているのです。これは流石に街からある程度近い距離までに限られますが、旅人に安心感を与えるという心理的効果、盗賊など寄せ付けない防犯効果も期待できるでしょう。
むしろ、効果がありすぎるためか事件やトラブルの類が滅多になく、退屈すぎて張り合いがないという現場からの悩みの声も上がっているほどです。
てくてく、てくてく。
そうして歩くこと数時間。
魔王達は本日の野営場所に到着しました。
道沿いの森が開かれただけの粗末な空き地。
そこが本日の寝床となります。
「お金があるなら、そこの宿に泊まってもいいけど、まあ今日のところはね」
ちなみに監督役の一人である魔法使いエリザの視線の先には、温かい寝床と食事を提供する立派な宿屋があったりもします。このあたりは昼頃に街を出た旅人が歩き続けて、ちょうど日暮れに差し掛かるくらいの距離。大抵の人間は空きっ腹や寝る場所が気にかかってくる頃合いでしょう。
そんな時にタイミング良く目の前に宿があれば、街中より少しくらい割高でも奮発したくなるのが人情というもの。歩き続けて腹が空いていれば、特別に腕や材料が良いわけではない並の料理でも、街中の店で同じ物を食べるより何倍も美味しく感じられることでしょう。なかなか上手い商売のやり方もあったものです。実際、街道を往来する客を相手にかなり繁盛しているらしく、すぐ近くの空き地まで食欲をそそる香辛料の匂いが漂ってきていました。
「泊まらなくても、お金を払えば水だけ売ってくれたりもするわよ。でも、一応今日は近くの川まで汲みに行きましょうか。魔法で水を出すのもナシの方向で」
アリス達にもエリザの意図は分かります。
その気になればここから一歩も動かず魔法で飲用可能な水を出したりもできますが、一般の魔族に同じことができるかというと、魔法に秀でた一部を除くと恐らく難しいでしょう。
地道に手作業で水汲みをして、いずれ魔族の冒険者達がするであろう苦労をあえて先取りすることで、より活きた情報が得られるはず。不慣れゆえに失敗したとしても、その失敗談そのものが有用な教訓となるのです。
「なかなか大変ですねえ」
「でも、キャンプみたいでちょっと楽しいね」
水汲み、火起こし。
まあ、このあたりに関しては然程手こずることはありません。
いくら手段に制限を付けようが素の体力が有り余っていますし、周囲を見れば他にも野営の支度をしている旅人が何組もいます。水場の場所もエリザ達に尋ねるまでもなく、周囲の人々に付いていくだけで簡単に分かりました。
冒険者ギルドで武器や防具と共に借りた大鍋に川の水を汲み、同時に薪代わりの枯れ葉や枝なども集めてきました。エリザ達からいわゆる弓ぎり式の火起こし器の作り方も教わって、自然の中から集めてきた蔦や枝だけを材料に作成。不慣れゆえに手こずった部分もありましたが、さして長い時間もかからず火起こしに成功しました。
普段使っている魔力を用いて発火させる仕組みのコンロと比べると火力が弱く、湯沸かしだけでも予想以上の時間がかかってしまいましたが、こうした苦労も済んでしまえば良い経験です。
そうして本日の晩餐は以下のようなものとなりました。
安物の茶葉を大量のお湯で煮出した薄いお茶、というか色付きのお湯。
塩気の強いチーズがほんの一欠片。
口内の水分が猛烈な勢いで失われる感覚が印象的な堅焼きパン。
味を楽しむというより栄養を摂取するためだけの食事です。
量だけはあるパンをお茶で無理矢理流し込み、合間にチーズで味気の無さを紛らわす。
日常的な美食に慣れた身には、なかなか厳しいものがありました。
「もうちょっと量を減らしてでも質を上げたほうが良かったかもしれませんね」
アリスも思わずかつての魔王時代を思い出すような食事内容です。
まあ当時の魔界に比べたらこれでも相当なご馳走なのですが、百年以上かけてじっくり肥えさせられた舌からすると、どうしても物足りなく感じられてしまいます。
「おや、アリスさま。何やら物足りなさそうですな」
「はいはい、今度は何をやったんですか、コスモス?」
と、そんなところに単独行動をしていたコスモスがやってきました。
またもや何かしらの奇行に及んでいたのだろうと、アリスも慣れた風に受け流すつもりだったのですが……。
「私は食べられる物がないか探しつつ、そのあたりの森を適当にブラついていたのですが」
「ああ、食べられる野草を摘んできたりとかですか」
「そこで手に入れたのが、このカレーです」
「なんで?」
コスモスの手の中には、ホカホカと湯気を立てる温かなカレーライスの皿がありました。ご丁寧に福神漬けまで添えられています。まさか、この森にはカレーライスの実がなるカレーの木でも生えているというのでしょうか。
それよりはコスモスが皆の目を盗んで、カレーの材料を密かに持ち込んでいたという可能性が濃厚に思えましたが……意外にも真実は違いました。
「森の中をブラついておりましたら、偶然にもそこの宿の女将さまがキノコ狩り中に腰をヤッて動けなくなっているのを見つけまして。放っておくわけにもいかず宿までお送りして、ついでに痛みを和らげる按摩などしましたら、お礼に食事でもどうぞと。ほら、断るのも悪いですから」
「意外とマトモな理由で逆にびっくりしましたけど……困っている人に親切にするのは良いことです。偉かったですね、コスモス」
「ふふふ、それほどでもありますが。それで、宿の方々がお連れさまも一緒にどうぞと言っておられたので呼びにきたのですが。宿泊についても一晩サービスしてくれると。どうしますか?」
これはなかなか強烈な誘惑です。
刺激的なスパイスの香りもそれを強烈に後押ししてきます。
今回の冒険の主旨を考えると、ここは誘いを断って貧相な食事だけで我慢すべき場面なのかもしれませんが……、
ぐうぐう、と。
皆の腹の虫が仲良く合唱を始めました。
どうやら答えは明らかなようです。
“情けは人の為ならず。迷うことなく人に親切にできるのも、お礼を素直に受け止められるのも、どちらも人の器量というものではないかしら”
これは決して監督役としての責任を放棄しているのではないのだと、誰にともなく心の中で訴えながらエリザは手帳に書き込みつつ、他の皆と一緒にカレーの匂いに引き寄せられていきました。
◆漫画版『迷宮レストラン』一巻発売中。ピッコマでの連載も始まりました(活動報告欄にURLあり)。単行本のkindle版や他サイトでの掲載情報に関しては続報をお待ちください。