緑のお菓子
よく晴れた日のことです。
迷宮都市の中心から少し離れた所にある公園で、近所の子供達がいつものように元気に遊び回っていました。どうやら今日は皆で鬼ごっこをしているようです。
「わはは、追い詰めたぞライム!」
「むぅ」
鬼役を務めているのはシモン王子。激しく動き回っているうちに暑くなったのか、上等な仕立ての服を豪快に腕まくりしていました。
鬼である彼一人に対して逃げる側は当初十人ほどもいたのですが、俊敏なフットワークを駆使して既にほとんどの相手は捕まえています。
無論、子供同士とはいえ真剣勝負。
いえ、あるいは子供同士であるからこそ。
シモンの身分に忖度して手加減するなど無粋な真似をする子は誰一人いません。この結果はあくまで彼の実力。普段から鍛えている甲斐あってのことでしょう。
「残っているのはお前一人だ。どうやら今日はおれの勝ちのようだな?」
「まだ、これから」
逃げる側で残っているのはエルフの少女、ライム一人。
制限時間である三時の鐘までは恐らくあと一、二分というところ。そこまで逃げ切れば彼女の勝ちなのですが、ライムは公園内の大木を背にする形でシモンに追い詰められていました。
彼女の手が届く高さには素早く登って逃げられそうな枝もありません。
もちろん鬼に直接攻撃を仕掛けるのも禁止です。
逃げられるとすれば右か左か。シモンに触れられることなく素早く脇を通り抜けるしかなさそうですが、彼もそれは当然警戒しています。余裕たっぷりに間合いを詰めているように見えて、いつライムが動いても瞬間的に反応できるように備えている様子。
先に鬼に捕まった他の子供達も、この絶望的な状況を見て、もう半ば諦めた風に見守っていたのです……が。
「シモン」
「なんだ、降参か?」
「わたしのかち」
次の瞬間、ライムは右でも左でもなく、真上に向けての大跳躍。
追い詰められている間も後ろ手に隠し持っていた木のツル、あらかじめ木の高いところにある枝に結び付けた上で垂らしておいたソレをグイっと引っ張って、自身の跳躍力だけでは届かない高さにまで一気に跳んだのです。
そのまま空中で木の幹に渾身のドロップキックを入れて水平方向への推進力を獲得。唖然とするシモンの頭上で華麗なバク宙を決めながら飛び越して彼の背後に着地。慌てたシモンが振り向いた時には既に着地して走り出していました。
直後、鳴り響く三時の鐘。
この日の勝負は、なんかもう子供の遊びの範疇から逸脱気味のスーパープレイを魅せたライム擁する逃げる側の勝利となりました。
◆◆◆
さて、全力で遊んだ後はオヤツの時間です。
まあ別に小遣いが許す範囲でなら子供達が各々好きな物を食べてもいいのですが、なんとなく勝者の権利として本日のMVPであるライムにメニューの選択が委ねられました。
「ひんやり」
走り回って身体が温まったせいでしょう。
ライムはひんやり冷たい物をご所望のようです。
「いいな、冷たい物か。というと、やはりアイスか?」
「ん」
「アイスの気分ではないか。では、果物のゼリーとかどうだ?」
「ん」
「悪くはない、というところか。ならば他には……ああ、たしか前に食った水羊羹というのがひんやりして美味かった気がする」
「ん」
「うむ、決まりだな。ならば、アリスの所にでも行くか」
こうしてライムの希望で今日のオヤツは水羊羹に決定。
比較的新しく仲間に入った子は今の会話の意味が理解できずに首を傾げていましたが、まあ慣れてくれば自然と分かるようになるでしょう。
そうして友達を引き連れて魔王の店まで来たライムとシモン。無料サービスの麦茶を皆でゴクゴク飲みながらしばし待ち、いよいよお目当ての水羊羹がやってきました。
分厚く切られた水羊羹が一人二切れ。
一つは、普通の蒸し羊羹よりもやや赤みのある淡い黒茶色の小豆餡。
もう一つは、その時々の食材や魔王の気分で柚子味や黒糖味など種類が違うのですが、今日のは野の草木を思わせる爽やかな緑色の抹茶餡です。
まずは舌で楽しむ前に美しい見た目を目で楽しむ……なんて、遊んでお腹を空かした子供達がそんな悠長な真似をするはずがありません。我先にとフォークを突き刺して、勢いよく食べ始めました。
「おいしい」
「うむ、この涼やかな感触がよい」
羊羹と水羊羹の一番の違いは、やはりあの滑らかな舌触りでしょう。
和菓子の中でも羊羹は割とどっしりとした重めの部類ですが、名前こそ似ていても水羊羹の印象はまるで別物。暑さで食欲が落ちている夏場でも、するりするりと滑らかに喉の奥へと落ちていきます。
温度が冷たいのはもちろんのこと、見た目も味も食感も、水羊羹というお菓子を構成する要素のどれもが、ひんやり涼しげであるかのようです。
中には初めて食べる子もいましたが、皆すぐに気に入った様子。たちまち小豆餡の水羊羹を食べ終えて、続いて抹茶味に取り掛かりました。ライムとシモンも、周りの友達に負けじと抹茶の水羊羹にフォークを伸ばしたのです、が。
「……むぅ」
「……むむ」
ここで、何故だか二人の手が揃って止まりました。
慌てて食べたので喉に詰まらせたとか、途中でお腹がいっぱいになってしまったのではなさそうです。他の子供達は美味しそうに抹茶味を食べているので、魔王が味付けを失敗していたわけでもないはずです。
なのに、ライムもシモンも急に手が止まってしまいました。
いったい、どうしてしまったというのでしょうか?
彼女らの様子を見ていたアリスも気になったようで。
「あら、もしかして苦かったですか? 結構甘めにしてあるはずなんですけど」
ズバリ、正解を言い当ててしまいました。
二人の舌には抹茶味はまだ少し早かったのです。
が、しかし。
それを素直に認めることは彼らのプライドが許しません。
他の皆が同じような反応をしていたのならその限りではなかったかもしれないけれど、ほとんどの子は強がって無理をするそぶりもなく楽しんでいます。この状況で自分だけ弱みを見せるというのは、とても子供っぽくて恥ずかしいような気がしたのです。もっとも、そんなところで意地を張ろうとすること自体が子供っぽいことには気付いていないようですが。
「そ、そんなことはないぞ! 好物だからじっくり味わって食べていただけだ。ほれ、この通り……ぐ、にが、うまい」
「おなじく……んっ」
シモンとライムは苦みに耐えながら頑張って食べ続けます。
自分一人なら我慢することもなかったのでしょうが、周りの子供達は特に苦にする風もありませんし、何より目の前のライバルに負けたくないという気持ちが大きいのでしょう。
一口、二口……と食べ進め、どうにか完食。
これで満足しておけば良かったのですけれど。
「ははは、あの緑のやつは実に美味かったな! もっと沢山食べたいくらいだ」
「うん。わたしも」
ついつい無用の見栄を張ってしまったのが良くありませんでした。
「あらあら、そんなに気に入ってくれたんですね。あっ、それなら――――」
シモン達の言うことを素直に受け取ったアリスが一旦店の奥へと引っ込むと、ほどなくして沢山の抹茶のお菓子を持って戻ってきたのです。
「はい、お代は結構なのでよかったら皆さんどうぞ。魔王さまがちょっと作り過ぎちゃって、お店で出し切れそうになかったんですよね。捨てるのももったいないですし。今食べきれなかったらお土産に包みますから」
アリスが持ってきたのは抹茶のお菓子のオンパレード。水羊羹のおかわりだけでなく、抹茶ケーキや抹茶ババロア、抹茶風味のビターチョコに抹茶アイス、抹茶クッキー等々。
緑、緑、緑!
抹茶のフルコースとでもいった光景です。
シモンとライム以外の子供達はもちろん大喜び。食べ過ぎて夕飯が食べられなくならないよう抑えつつも、無料の抹茶スイーツ食べ放題を満喫しています。そんな友人達を前にしては、一緒に食べないわけにはいきません。
「……おいしい。ほんとに」
「う、うむ。うまいな……うま、にが」
こうして意地っ張りなエルフ少女と王子様は、心ゆくまで“大好き”な抹茶のお菓子を満喫したのでありました。
◆今回のチビッ子二人が延々ラブコメやってた迷宮アカデミアの十章と番外編の十・五章が終わったので、またしばらくこっちを更新していきます。のんびりとお付き合いくださいませ。





