度胸と根性とドリンク
その日、魔王とアリスは二人で日本の東京都心部を歩いていました。
なんとも珍しいことに、日本国内だというのにリサはいません。学校の試験が間近で、残念ながら時間を取れなかったのです。
「すみません、魔王さま。荷物持ちをお願いするような形になってしまって」
「ううん、気にしないでいいよ」
本日の目的はお買い物です。
アリスの趣味は洋裁。以前に入手した電動ミシンも見事に使いこなせるようになっており、思いつく端から次々と新作を作っているのですが、ミシン用の糸や針などは流石にあちらの世界では手に入りません。
また、デザインの参考にするためのファッション雑誌、布地やリボン、ボタンやファスナーなどなど興味深い品物はいくらでもあります。
結果、あれもこれもと手を出して、気付けば大きな紙袋三つ分もの荷物を持って歩くことになっていました。もちろんこの二人のことですから、仮にこの百倍の重さだろうと疲れたりはしませんが。
「あっ、魔王さま。そこに喫茶店がありますよ。ちょっと休憩していきませんか?」
時刻は午後三時ちょっと前。
体力の消耗はさておき、気分転換がしたくなる頃合いでもあります。魔王としても特に断る理由はなく、二人はたまたま見かけた喫茶店へと足を向けました。
「たまには他のお店に入るのも参考になるね」
「そうですねえ。ここは、うちのお店に比べると若いお客さんが多めみたいですね。それに、なんだか男女の二人連れが多い……ような?」
案内された席に着き、荷物を置いてから周囲を見渡したアリスは些細な違和感を覚えました。店内の客はアリス達を含め男女の二人連ればかり。次いで目に入ったポスターには『本日カップル割引デー』なる文言が。
「なるほど、そういうのもあるんだね。勉強になるなあ」
と、魔王は素直に商売上の手法に感心しています。
「カ、カップルですか? はっ! もしや、私達もそう見られて……」
一方、アリスは急にそわそわと落ち着かない様子を見せ始めました。
現時点での魔王とアリスとの関係は将来を約束した婚約者。つまりは交際関係にある恋人同士なわけで、この店で展開されているキャンペーンの対象であることに間違いはありません。間違いはないのです、が。
「い、いや、なんと言いますか。改めて、カップル、とか言葉にするのは、その……気恥ずかしいものがあるというかですね。あ、別にイヤだとかではなく」
告白までしておきながら、このヘタレっぷり。
周囲の不特定多数から恋人同士と見られることに対し、正体不明の恥ずかしさを感じているようです。顔を赤くしたまま、どこを見るともなくアリスが視線を彷徨わせていると、
「あれは、一つのジュースを二人で……なな、なんて羨ま、人前で破廉恥な!」
近くの席のカップルが、一つの大きなグラスに二本のストローを差し込んで仲良く飲んでいる姿が目に入ってきました。昨今では衛生意識の高まりもあってか、その手の商品を提供する店も減ってきましたが、この店ではまだまだ現役のようです。
他の席でもパフェやケーキの食べさせ合いっこをしていたり、全体的に浮ついたような空気が店内に満ち満ちています。
「アリス、あれ飲みたいの?」
「い、いえっ、そんなことは……無くも無くも無いといいますか」
「それってどっちの意味? まあ、いいや。すみませーん」
アリスの葛藤を知ってか知らずか。
良くも悪くも空気を読まない魔王が「あちらと同じ物を」と、アリスの視線の先にあったカップル用ドリンク(ストロー二本付き)を注文してしまいました。
「パイナップルとリンゴとオレンジのミックスジュースだって。美味しそうだね」
「そ、そそそっ、そうですね!」
ほどなくして運ばれてきたドリンクを前に、アリスは緊張で頭が真っ白になっていました。いえ、彼女とて魔王と恋人らしくイチャつきたい気持ちがないわけではないのです。むしろ、大いにあると言っても過言ではないでしょう。
「ああやって二人で飲むみたいだね。はい、ストロー」
「あ、ありがとうございま……ち、近い! 顔が近いですよ!?」
「うん? そうしないと飲めないからね」
ストローをくわえた二人が向かい合うと、当然ながら互いの顔がすぐ目の前に来る形になります。アリスの顔は緊張と興奮でますます赤くなるばかり。
「ええと、アリス。もしかして」
ですが、一向にストローに口を付けようとしないアリスの様子を見て、流石の魔王も何かを察した様子。一応、最近は彼も己の鈍さを自覚して周囲に気を遣うよう努めてはいるのです。
「もしかして一緒に飲むのはイヤだった? 勝手に頼んでごめんね。それなら何か別の物を」
が、こんな風に困った顔で謝られてしまってはアリスとしても黙ってはいられません。
「い、いえ、イヤではないというか、むしろアリ寄りのアリというか…………ええい、女は度胸と根性です!」
ここで退いたら女が廃る。恥ずかしさが無くなったわけではありませんが、覚悟を決めてストローを口元にスタンバイしました。
「魔王さま、そちらをどうぞ」
「う、うん?」
「はい、せーのっ」
ドリンクを飲むだけのことに度胸と根性を持ち出してくるアリスも大概ですが、ともあれ二人は想定された仕様通りの飲み方でストローに口を付けました。
半ばヤケっぱちになったアリスは、極力動揺を抑えようと心を無にしたまま意識を吸い込むことだけに集中。少しでも雑念を鎮めようと荒行に励む修行僧のような心持ちでカップル専用ドリンクに臨み、そして。
「全然、味が分かりませんでした……」
喉の渇きが癒えた二人は、何事もなく帰途に就くのでありましたとさ。
迷宮アカデミアの八章が終わったので次の章を始める前にまたこちらを何話か書いていきますよん





