コスモスと怪しい粉
とある夏の日のこと。
「ふふふ、ようやく手に入れました、ふふふ」
迷宮都市の街中でコスモスが怪しげな笑みを浮かべていました。
いえ、ある意味彼女は怪しげなのがスタンダードな状態なのですが、今日はまた一段と怪しげ。その手には厳重に包装された紙の包みが握られています。
「コスモスさん、こんにちは。何を手に入れたんですか?」
「おや、リサさま。こんなところで奇遇ですな」
と、あまりに怪しげだったせいでしょう。
街の大通りで抜き足差し足で歩いているのだから、それはもう目立ちます。たまたま散歩中だったリサが見つけて声をかけてきました。
「いえいえ、この荷物は全然怪しくありませんとも。どこの法律にも一切抵触しない、そう言わば、合法的で脱法的なブツなのです」
「は、はあ? よく分かりませんけど……」
「なにしろまだ貴重な物ですから、たったこれだけの量でずいぶん高くついてしまいましたが。ふふふ、私も少し味見しましたがこの粉の中毒性は確かですからね。街の皆様にこの味を教え込めば、すぐに高値で売り捌けるようになるでしょう」
怪しさが一気に増してきました。
粉。中毒性。高値。
今の発言を衛兵に聞かれていたら、それだけでしょっ引かれても文句は言えません。元とはいえ、世界の平和を守る勇者としても……。
「おや? リサさま、意外とリアクションが薄いですね」
「だって、コスモスさんは本当に悪いことはしませんよね? もう付き合いもそこそこ長くなってきましたし、わたしをビックリさせようとしてわざと変な風に言ってるのは分かりますもん」
「……おおぅ、なんという善人オーラ。こういう方向でのボケ殺しは想定していませんでした」
勇者としての眼力は別に関係ありませんが、今回はコスモスの予想外の方向から一本取られてしまいました。コスモス的には本気で怒られるよりダメージがありそうです。
「それで、その包みは結局何なんです?」
「ああ、リサさまも多分ご存知だと思いますよ。これはもう粉に挽いてますので、ちょっと味見をしてみますか」
「それじゃあ遠慮なく。ふむふむ、この香りは……へえ、コレってこっちの世界にもあったんですね」
◆◆◆
場所を移して魔王のレストラン。
コスモスは客席のテーブルで紙の包みを広げました。
「前に一人で日本にお邪魔した時に頂いたのが気に入ったもので、こちらでも似たような植物が存在しないか調べていたのです。やっと最近になって辺鄙な田舎で薬として少量だけ栽培されているのを見つけた次第で」
花椒。
日本語での読みは「かしょう」。
中国語では「ホワジャオ」。
あるいは四川山椒や中華山椒などとも呼ばれる調味料。
むくみの改善や咳止めの効果がある薬としても用いられます。
「地球から種や苗を持ち込んで栽培してもいいかと思ったのですが、土や水の違いですかね。同じような植物でもどうも上手くいきませんで」
「ははあ、それは大変でしたね」
「まあ、すでに予算と人員を現地に送って、こちら産の花椒の大規模栽培に着手しておりますので。そう遠くないうちに一般の市場に流通させられるかと」
「そ、それはまた……」
コスモスの行動力にはリサも感心するやら呆れるやら。ここまで言い切るからには、新しい調味料が市場に並ぶ日も近いことでしょう。
「そうそう、リサさまもお昼はまだですね? ご一緒にいかがですか。ちょっと厨房と食材を借りてコレで何かこさえてきますから」
「それじゃあお言葉に甘えさせてもらいますね。何を作るんですか?」
「ふふふ、それは出来てからのお楽しみということで。ああ、リサさまは辛いのは大丈夫ですね?」
「ええ、わたし結構激辛には強いですよ」
辛さという味覚にもいくつかの種類があります。
唐辛子に代表される舌が熱くなるような辛味は「辣」。
一方、花椒は舌がビリビリと痺れるような「麻」。
花椒を使ったレシピの代表格である麻婆豆腐や担々麺は、この「麻」や「辣」の特徴を巧みに組み合わせた傑作料理。あえて「辣」を抜いて「麻」の痺れる辛さを味わいたいなら、花椒を肉や野菜と一緒に炒めたり、ごく普通に揚げたり焼いたりした肉にそのまま振りかける手もあります。
さて、今回コスモスが選択したメニューはというと。
「はい、麻婆豆腐です。あとは白いご飯とお漬物を適当に貰ってきました」
「王道で来ましたね。たしかにこれは辛そう……」
花椒多めの麻婆豆腐の特徴は、イカスミでも入れたかのような真っ黒の見た目。豆腐や豚挽き肉など食材はごく普通のものですが、味の決め手となる花椒や豆板醤はかなりの量を入れたようです。まだテーブルに皿を置いただけで一口も食べていないのに、もうすでに目や鼻に刺激がビリビリきています。
「そ、それじゃあ、いただきます……」
「はい、召し上がれ。さて、それでは私も。どれどれ、作っている時に味見はしなかったのですが……」
リサとコスモスは意を決して食べ始めました、が。
「あれ、意外と?」
「なんだ、普通に美味しいではないですか」
口内が焼け爛れる覚悟をして食べたというのに、その刺激は意外にマイルド。いえ、たしかに辛いは辛いのですが、常識的な激辛料理の範疇に収まる程度です。
「これこれ、この舌が痺れる感じがいいんですよ」
「暑い夏にあえて辛い料理というのもオツなものですな」
恐れることがないと分かれば、後は普通に食事を楽しむのみ。
なにしろ味の強い料理なので、相方の白ご飯もどんどんと減っていきます。元より痩せる必要がないコスモスはもちろん、体重計を恐れるリサもついつい白米のおかわりに手を出してしまいました。
「ふう、ご馳走さまでした」
「はい、お粗末さまでした」
そして、二人が食事を終えた頃。
「ふう、やっと落ち着きました。それで二人で何を食べてたんですか? コスモスが厨房で何か作ってるのは見ましたけど」
ようやくランチタイムのピークが終わって手が空いたアリスが話しかけてきました。来た時に軽く挨拶はしたものの、珍しく店が忙しかったせいで身内の様子まで詳しく見ている余裕がなかったようです。
「ええ、今日は麻婆豆腐を」
「あら、いいですね」
アリスの質問にコスモスが答えました。激辛とまではいかない万人向けのマイルドな味付けですが、麻婆豆腐はこの店のメニューにも載っています。
「そして、今日はこの秘薬を加えまして」
「秘薬……って大袈裟な。なんですか、その粉?」
コスモスが見せたのは花椒の残り。
しかし、ここであえて妙な言い方をしました。
リサに目配せをしているのは、黙っているようにという合図でしょうか。
「ふふふ、アリスさま。これを聞いてもまだ大袈裟と言えますかな。これこそは一発キメれば誰でも巨乳になれるという神秘の霊薬!」
「なっ、そんなものが!?」
「ほら、その証拠に私もリサさまも大きいでしょう? 実は世の巨乳は密かにこの秘薬を服用しているからこそ巨乳なのです」
「た、たしかに筋は通りますね……!」
もちろん筋は通りません。
単にコスモスがアリスをからかっているだけ。
先程のリサ相手のボケが不発に終わったのを地味に気にしていたようです。
ちなみに、リサは苦笑しながら「アリスは時々可愛くなるなぁ」などと思いつつ、二人のやり取りを温かく見守っています。
「もう残り少ないのですが、他ならぬアリスさまの望みとあらば無料でお譲りしましょう。こう、丸めた紙とか使って鼻から一気に吸引するのです。そのほうが口から摂取するより高い効果がですね。さあ、スーっと一気に!」
「はい、分かりまし――」
流石にそれは色々な意味で危ないので実行直前にリサが止めました。ネタバラシの後でアリスとコスモスがどうなったかは、あえて語るまでもないでしょう。
◆書いた後で「もしかしたら、これまでの回のどこかで花椒を出してたかも」とも思いましたが、まあ出てたら出てたで小規模なパラレルとかIFとかそういう感じのアレで納得しておいていただけると助かります。