忘却のカツサンド
カラッと揚げた分厚い豚肉にソースをたっぷり。
マスタードはお好みで。
バターを塗ったトーストに挟めば、持ち帰りの人気メニュー、カツサンドの出来上がり。
トンカツに付き物の千切りキャベツは、あえて無し。
作ってすぐに食べるならキャベツ入りも美味しいけれど、作ってから時間が経つと、キャベツからにじみ出た水分でソースの味がぼやけてしまいます。
美味しく食べるコツは、出来たてではなく、あえてしばらく時間を置いてから食べることでしょうか。これはカツサンドだけに限りませんが、サンドイッチの類は外側のパンと中の具の一体感こそが肝要。ここで慌ててはいけません。
ハンバーガーのように具が熱いほうが好ましい例外はありますが、冷めても美味しい種類であれば、パンと具が完全に馴染むのを待ったほうがより美味しく頂けるのです。
もっとも、ちょうど良い具合に仕上がるまでは、内なる食欲との戦いを強いられることになるわけですが。美味しければ美味しいほどに、誘惑の呼び声は強くなります。
我慢して待てば、もっと美味しく食べられる。
されど、舌と胃袋は早く寄越せと訴える。
ここで「一つだけなら」とでも妥協しようものなら、たちまち一つが二つに、二つが三つになってしまうのは想像に難くありません。途中で手を止めるには、それ以前に手元に置いた状態で我慢をするのにも、並々ならぬ忍耐力を要することでしょう。
いっその事、ちょうど良い状態に仕上がるまで、サンドイッチの存在を都合よく忘れることが出来ればいいのかもしれませんが――――。
◆◆◆
「あれ? もう朝か。ここは……」
すっかり太陽が高く上ったお昼頃。
迷宮都市のとある宿の一室でエルフのタイムは目を覚ましました。
「はて?」
迷宮都市に滞在している時にタイムが宿屋に泊まることは多くありません。
エルフ村と行き来する転移魔法陣が出来てからは、なるべく実家に帰るようにしていました。宿泊代もタダではありませんし、両親や妹もそのほうが喜びます。今回の滞在でも嵩張る旅装や荷物の大半は実家の部屋に置いていました。持ち歩いているのは、画材等を入れる為の肩掛けカバンと財布くらいのものです。
なので、あえて宿屋に泊まっているのには何かしらの理由があるはずなのですが、困ったことにタイム自身にはまったく覚えがありません。より正確には、昨日の夕方あたりからの記憶がこれっぽっちもありません。
「ふむふむ」
状況を推理する為の材料はこの部屋に揃っています。
昨夜のタイムは髪も解かず、着替えもせずにベッドに飛び込んだらしく、髪は寝癖でボサボサに、衣服は皺が刻まれた上にアルコールや汗や吐瀉物の臭いが染み付いています。
まあ酷い状態ではありますが、服も着たままですし、寝過ぎて気だるい点以外には身体にこれといった違和感もありません。どこぞで出会った誰かさん(彼、もしくは彼女)と一夜の恋を楽しんだという線は無さそうです。
単純に夜中まで飲み歩いて帰るのが面倒になったのか。あるいはそんな状態で実家に戻ったら親から小言を頂戴しそうだと警戒したからか。恐らくはその両方でしょう。
「なるほど……謎は全て解けた! 犯人は私だ!」
以前、行きつけの料理店でこっそり見せてもらった異世界の絵物語の台詞を真似てみましたが、無論この部屋にはタイム以外に誰もいません。まだ酔いが抜け切っていないのでしょうか。
「……お風呂でも借りるか」
幸い、客室の壁に掛けられていた宿の案内書きによると、この宿には宿泊客用の浴場があるようです。熱いお湯を浴びれば少なくとも今よりはマシな状態になることでしょう。
アメニティとして用意されていたタオルを手に取ると、タイムは意気揚々と女性用の浴場へと向かいました。
時間が時間であるために、広い浴場は貸し切り同然。
迷宮都市近辺の地下には良質の湯脈が存在し、この宿のような宿泊施設や街のあちこちにある共同浴場、多少裕福であれば個人の邸宅にも風呂があることは珍しくありませんが、これだけ広い湯船を一人で使える機会はそう多くありません。
駄目元で衣類の洗濯を頼めるかをフロントで尋ねてみたら、追加料金がかかるにせよ、それも請け負ってくれました。チェックイン時にそこまで考慮していたとは彼女自身も思っていませんが、記憶もなくなるほど酔っ払っていた割には、昨夜のタイムは良い宿を選んだようです。よくよく思い返してみれば、泊まった部屋も一人で使うには持て余すほど広々としており、なおかつ清掃も丁寧にされていました。
サービスの質が高い分、宿泊費も相応のようですが、それもまあ払えないほどではありません。特に急ぐ用事は……タイムの記憶にある限りでは……なかったので、洗濯物が乾くまでの時間はこの高級宿でのんびり寛ぐことにしました。
「あ~、生き返る……」
人目が無いのをいい事に湯船で潜ったり、素っ裸で泳いでみたり、そのせいでのぼせかけたりしましたが、浴場を出て部屋に戻る頃にはだいぶマトモな状態にまで戻っていました。
素肌の上にバスローブ一枚という危うい格好ではありますが、吐瀉物やらお酒の染み付いた服に比べれば、かなりマシと言えるでしょう。洗濯が終わるまでの間、一人で過ごすだけなら十分です。
さて、この段になるとタイムもようやく空腹を自覚しました。酒精と睡眠の影響で眠っていた胃腸も、ようやく調子を取り戻してきたようです。
とはいえ、今のままの格好ではどこかに食べに行くというワケにはいきません。
多少割高にはなりますがルームサービスで適当な食事を頼もうか、と彼女が考えていたその時です。部屋のテーブルに置いていた愛用のカバンが目に入りました。その不自然な布地の膨らみが気になって開けてみると、
「おお! よくやった、昨日の私!」
なんと、その中には魔王の店の持ち帰り用の紙箱が。
早速中身を見てみると、そこには好物のカツサンドがぎっしり詰まっていました。
きっと昨晩飲み歩いているどこかの段階で魔王の店にも寄って、購入していたのでしょう。今の今まで忘れていましたが、そのおかげでカツとパンはしっかり馴染み、ベストの状態に仕上がっています。
「流石、私! さすわた! さては天才か? 天才だった!」
昨日のタイムのファインプレーに対し、今日のタイムの自画自賛にも熱が入ります。
三、四人前もの量がありますし、もしかしたら購入した時点では家族へのお土産にするつもりだったのかもしれませんが、まあそれならまた後で新しいのを買い直せばいいだけです。そのカツサンドを朝食にすることに一切の迷いはありませんでした。もうお昼過ぎですが。
「ああ美味い、美味い」
一晩経っているのだから当たり前ですが、カツの衣のサクサク感は完全に失われ、すっかりフニャフニャになっています。料理屋で揚げたてを注文してそんな料理が出てきたらがっかりするところですが、ことカツサンドに関してはこれが正解。
柔らかくなったパン粉の衣には黒いソースが染みていて、これが冷えた豚肉やしっとりしたパンとの繋ぎ役として良い仕事をしてくれるのです。ツンとした辛味のあるマスタードも、嫌らしい刺々しさではなく、あくまで引き立て役として活躍してくれています。
揚げたて熱々のカツをサンドイッチにしても美味ですが、こうして時間が経って冷えたカツサンドには、出来立てとは別物の魅力があります。どちらが上かというと、それは食べる人それぞれの好みの問題になってくるのでしょうけれど。
お米を使ったおにぎりも、握ってから時間が経って海苔がしっとりした状態の物を好む人がいますが、それと似たようなものかもしれません。
「うーん、これは……」
そうして昨日の自分からの贈り物を堪能していたタイムですが、二つ目のサンドイッチを食べ終え、三つ目に取り掛かる前に手を止めました。まだ胃袋にだいぶ余裕はありますし、勿論食べ飽きたはずもありませんが……、
「よし、決めた!」
タイムはバスローブ一丁にサンダルを引っ掛けただけの姿で部屋を出ると、たまたま廊下の清掃をしていた従業員を呼び止めて言いました。
「ああ、すまないがそこの部屋までルームサービスを頼めるかい。とりあえず麦酒と、葡萄酒の銘柄は何があるのかな? いや、蒸留酒も捨てがたい……」
せっかく絶好の肴があるのだから、飲まないのは勿体無い。どうせ洗濯物が戻ってくるまでは宿から出られないのだから、一人で楽しんでも罰は当たるまい。
タイムはそんな適当な言い訳で自分を納得させると、大量のカツサンドを肴に、真っ昼間から一人で酒盛りの続きを始めるのでありました。
◆◆◆◆◆◆
《おまけ》
◆美人のお姉さんがだらしないのってイイですよね?
◆おまけイラストは自動着色ツールっていうのを使ってみました。AIが一瞬でこんな風に塗ってくれるとは凄い時代になったものです。
◆次回からしばらくは三百回記念で募集したお題でSSを書いていきます。
まだまだお題は募集中ですので、リクエストがあれば登場希望の『(料理名)&(キャラ名)』を感想欄か活動報告のコメント欄までお気軽にどうぞ。





