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迷宮レストラン  作者: 悠戯
いつか何処かの物語

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ナポリタン名誉回復運動

 ナポリタン。

 「ナポリ」の名を冠するものの、かの伊太利亜の都市とは全く関係ない、日本生まれ日本育ちのパスタ料理。トマトケチャップを用いた独特の甘い風味が日本人の舌に合っているのか、本格的なレストランのみならず喫茶店などでも広く提供され、ナポリタン専門店も存在するほどの人気料理である。







 ◆◆◆







 ここは魔王のレストラン。忙しいランチタイムも無事に終わり、いつものようにゆったり平和な時間が流れている……かと思いきや、



「まあ、たしかに邪道っていえば邪道かもしれないですけどー……」



 珍しく、本当に珍しいことに、リサが不機嫌そうに愚痴を零していました。

 今日は店員ではなくお客として来店しているのですが、昼過ぎに来てから何を注文するでもなく、独り言をブツブツ呟いています。先日、大学受験が無事に終わってからは毎日上機嫌で過ごしていただけに、現在の状況との落差が余計に大きく感じられました。

 彼女も当然人間なので、それは当然怒ったり悲しんだりすることもありますが、そういった感情はどちらかというと我慢して内側に溜め込むタイプです。だから、限界まで溜め込んで爆発するなら話は分からなくもありませんが、こんな風にストレスを小出しにするのはとても珍しい姿だと言えます。


 緊急性のある要件ならリサのほうから言うはずですし、他人に絡んだりはしていないので実害なしと判断され、さっきまで忙しかったアリスや魔王からは放置されていましたが、仕事が落ち着いてしまったら流石に話を聞かないわけにもいきません。



「さっきから邪道がどうとかって言ってましたけど、料理の話ですかね?」


「ええと、何があったか聞いてもいいかい?」



 親友のアリスと恋人の魔王(この時点ではまだ家族にも秘密の交際ですが)に尋ねられては、リサも答えないわけにはいきません。いえ、わざわざこの店に来ている時点で二人に愚痴を聞いてもらうつもりではあったのでしょうけれど、根がお人好しの彼女は店が落ち着いてゆっくり話せるようになるのをおとなしく待っていたようです。 



「それが、昨日の話なんだけど……」



 そうしてリサはイライラの原因について話し始めました。

 まあ、そう長い話でもありません。


 昨日、リサは実家の洋食店の厨房で料理に勤しんでいました。

 まだギリギリ高校生という若さではありますが、小学生の頃から店の手伝いを始めた彼女は、父や祖父には及ばずとも厨房では一線級の戦力として数えられています。アルバイトのウェイターやウェイトレスが取ってきた注文の品を素早く次々と作り上げる、忙しいながらも充実した時間を過ごしていたのですが、



「ナポリタンみたいな邪道を出す店なんて大した事ない、なんて言うんですよ!」



 リサが直接面と言われたワケではありませんが、一人の客が厨房にまで届くような大声であれこれ文句を言っていたのだとか。

 まあ、客商売をしていれば困ったお客というのはどうしても一定数いるものです。

 何気にバイオレンス感あふれる「こちらの世界」であればまた違った解決法もありますが、日本ではどうしても穏便に対応しなければなりません。

 まあ、そういう困った客というのは案外に小心なもので、相手が下手に出ざるを得ない店側には際限なく強気でいますが、そうではない相手には弱いのが常。店中の常連から殺気のこもった視線で睨まれると、逃げるように出て行ってしまったということなのですが、



「それで、店を馬鹿にされたのが許せないということですか?」


「ううん、そっちはどうでも……あ、いや、どうでもよくはないんだけど、それよりもナポリタンの名誉を傷付けられたことが許せないの!」



 また、随分と面倒臭い怒り方をしたものです。

 リサが問題としているのは、店ではなくナポリタンという料理そのものの名誉。

 好きなモノを貶されたら誰でも面白くはないでしょうが、彼女の怒るポイントがあまりに意外だったのか、質問をしたアリスもどう返していいか分からず困った顔をしています。それはそうでしょう。いくら元魔王と現魔王が揃っているとはいえ、パスタ料理の名誉回復運動に携わった経験などありません。



「そうですね。とりあえず、その文句を言った客の居所を調べて、証拠を残さず深夜に潜入してから脳を魔法でゴニョゴニョして『自分は生来のナポリタン好きだった。ナポリタンがなければ生きていけない』と洗脳……じゃなくて、説得するだけなら一応出来なくもないですけど」


「で、出来るんだ……」


「でも、リサが言ってるのは多分そういう事じゃないですよね?」


「うん、そうだよ。だから、間違っても実行しちゃダメだからね? ね?」



 アリスが極めて即効性の高い解決策を提示してきましたが、勿論求められているのはそういう方法ではありません。魔王時代のアリスの治世がどういうものだったのか少し気になるリサでしたが、聞かないでおいたほうが良さそうだと賢明な判断をして、今度は魔王に尋ねてみました。



「魔王さん、魔王さん、何か良いアイデアないですか?」


「うーん、そうだね……」



 いつも通りに呑気な顔をしていますが、魔王にも一発逆転の名案はなさそうです。

 そもそも、ナポリタンの名誉回復とは何ぞや? という、根本的な部分からイマイチ理解が及んでいないようです。まあ、それも無理はありません。日本国におけるナポリタンの立ち位置はあまりに特殊で、異世界人どころか外国人にも正確な把握は難しいでしょう。

 イタリアやその他欧米圏発の伝統的なレシピとは明らかに違い、日本発にも関わらず明太子や納豆を用いたいわゆる和風パスタともハッキリ違う。トマトケチャップの甘い味付けから子供向けかと思いきや、喫茶店などで周囲を見れば注文しているのは中高年以上の世代ばかり。ベーコン派とウィンナー派における仁義なき争い。粉チーズやタバスコは最初からかけるべきか、それともある程度食べ進んだ時点で投入し味の変化を楽しむべきか。

 パスタといえば麺の茹で加減が重要なはずで、他のメニューなら神経質にアルデンテにこだわるような店であっても、ナポリタン用の麺に関してはあらかじめ茹で置きしておいたモノをフライパンで炒めたりもします。その絶妙に伸びた麺がケチャップ味と上手い具合に馴染んで美味しく感じられたりと……パスタ料理としては特殊すぎて、真面目に考えれば考えるほどワケが分からなくなってきます。

 熱烈な愛好家も少なくありませんが、邪道と断ずる伝統的パスタの原理主義者がいるのも、だから中立的に見れば決して不思議ではないのでしょう。




「まあ、地道に良さをアピールしていくのが一番じゃないですか? そういう価値観って十年二十年でも結構変わるものですし」


「そうだね。ナポリタン系の新しいバリエーションを増やしたりするのもいいかも」


「やっぱり、その辺に落ち着きますよねぇ」



 最終的な結論は、特に名案というワケでもない当たり障りのない内容です。

 魔王とアリスがその気になれば、強引な手段を用いて日本国中の反ナポリタン派閥を容認派に転向させることも不可能ではないのですが、脳味噌をゴニョゴニョして精神に変な影響が出ても困るので、着地点としては妥当なところでしょう。


 ですが、溜め込まずに相談したのが良かったのか、珍しく目に見えて怒っていたリサのイライラもいつしか収まっており、帰る頃にはすっかりいつもの彼女に戻っていました。







 ◆◆◆







 後日談。

 それから何年も経ち、そんな話をしたこともすっかり忘れた頃。

 日本でちょっとしたナポリタンブームが起きました。

 別にリサや彼女の関係者が関与したワケではなく全くの偶然です。まあ、昭和ブームやら何やらで、特定の分野に注目が集まること自体は大して珍しくもありません。テレビや雑誌などで美味しいナポリタンを出す店などの特集が組まれたり、家庭で出来る簡単で便利なレシピが紹介されたりといった具合です。

 リサが料理人として働く『洋食の一ツ橋』でも、普段よりナポリタンの注文の割合が幾らか増えて、仕入れにも多少の影響がありました。


 そんな、ある日のこと。



「ご馳走さま、美味かったよ。……いや、ホントごめん」


「はい? ありがとうございました。またのお越しを」


「さっきのお客さん、すごい食べっぷりでしたね」


「よっぽど好きなんだな。あれ? そういえば、あの人どこかで見たような?」



 いつの間に主義を変えたのやら。何年か前にメニューにナポリタンが載っていることにケチを付けたお客が、大盛りのナポリタンを綺麗に平らげて行ったことに古株バイトのウェイターだけが気付いたとか。



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