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迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
253/382

冬の話②


「……あら?」


 この日の朝、アリスは起床と同時に些細な違和感を覚えました。

 しかし、その違和感がなんなのかハッキリ分からなかったので、とりあえずいつもと同じように朝の支度を始める事にしました。


 いつものように身だしなみを整えて、魔王と一緒に朝食を済ませます。

 魔王も特に何も言わず、アリス自身も諸々の作業に集中していた為に、朝食が終わったあたりには既に違和感があった事すらも忘れかけていました。


 そして、開店の準備を始めた頃にリサがやってきました。どうやら今日は日本では日曜日だそうで、久々に朝からガッツリとアルバイトをするつもりで来たようです。


 しかし、リサは店に入ってくるなりアリスの顔を見て、いつもは見せないような怪訝な表情を浮かべました。



「……アリス」


「どうかしましたか、リサ?」



 アリスとしては、どうしてリサがそんな顔をしてくるのかが分からず、首を傾げるばかりです。理由が分からずにキョトンとした表情を浮かべるアリスに、真剣そのものの顔をしたリサが質問をしました。



「ねえ、いつもより調子が悪かったりしない? 熱があるとか、お腹が痛いとか」


「言われてみれば……そういえば、いつもより少し体温が高いようですね。あとノドと頭の痛みが少々…………あ」



 そこまで言って、ようやくアリスも起床時からの違和感の正体がソレであると気付いたようです。

 ソレとはすなわち、



「風邪だね」


「風邪ですね」



 風邪でした。

 正確な病名は風邪症候群。

 発熱や頭痛や腹痛や咳やクシャミが出たりするあの病気です。

 たかが風邪、されど風邪。

 万病の元とも呼ばれるように、本来は決して油断していい病気ではないのですが、



「私って風邪をひくんですねぇ」



 当のアリスはというと、そんな風に奇妙な感心の仕方をしていました。

 なにしろ齢五百と数年にして初めての風邪……と、アリス本人はそう思い込んでいますが、真実は少しばかり異なります。


 アリスだって風邪をひく時はひくのです。

 ただ、これまでは自覚がなかっただけで。


 なまじ病気や肉体的苦痛に対する強い耐性と回復力を持っているが為に、病原菌に感染する事があっても大抵は発祥する前に治ってしまう。あるいは軽度の症状が出ても単なる疲労と混同して病気になった事に気付かない。

 「ナントカは風邪をひかない」というのは本当に感染しないのではなく、病気になった事に気付かない愚かしさを意味する文言ですが、この件に関してはアリスはそのナントカだと言わざるを得ないでしょう。


 アリスは自分が風邪になったという事に一しきり感心し、それから開店作業に戻ろうとしました。



「……って、何を普通に働こうとしてるの!?」


「え? でも準備はしないといけませんし」


「それはわたしがやるから、早く! 部屋に! 戻る!」



 今もそれほど酷い症状は出ていないようですし、何もしなくとも勝手に治りそうなものではありますが、だからといって病気の時に働いていいはずがありません。そもそもアリス自身がどう思おうがリサがそんな事は許しません。



「言われてみれば確かに、お客さんにうつしてはいけないですからね。では、今日は部屋で書類仕事でもしています」


「そういう意味じゃありません! 今日は仕事禁止、ちゃんと休みなさい!」


「は、はい……」



 リサの剣幕にはアリスもたじたじです。

 あれよあれよという間に背中を押されて強引に部屋に戻され、服を剥かれて寝巻きパジャマに着替えさせられ、ベッドに放り込まれてしまいました。








 ◆◆◆







 病人は病気を治すのが仕事。

 その為にすべきは、まずは充分な栄養補給と睡眠なのですが、栄養に関してはきちんと朝食を食べたので、とりあえず問題はありません。

 しかし、アリスは早くも現状に苦痛を感じ始めていました。



「……退屈です」



 大して眠くもないのにベッドに居続けるというのは、かなりの苦行。長期の入院患者にとっては、時に病気や怪我以上に日々の退屈が苦痛となる事もあります。

 それとは比べ物になりませんが、ベッドに放り込まれてから三時間もしないうちにアリスは音を上げそうになっていました。


 

 「病気を治すために睡眠を取るべきである」という理屈は分かるのですが、昨夜は別に夜更かしをしたわけでもなく一晩キッチリ寝たワケで、眠くもなんともないのです。


 でも病人の義務だと自らに言い聞かせてベッドに横になって目を瞑り、身体を休めようと努めてはいました。

 ついでに全身に魔力を巡らせて新陳代謝を活性化していたら、もう発熱はほぼ治まり、頭痛やノドの痛みも意識しなければ気付かない程度にまで消えかけています。この調子ならば、完治まではあと一時間かかるかどうかというところでしょうか。


 でも、治ったからといってすぐに仕事をさせてはもらえないでしょう。


 アリスとしては丸一日のお休みは長すぎるように感じるのですが、お客さんへの伝染の可能性を考えると、レストランの仕事はできません。

 ならば、日頃から溜め込んでいる書類仕事でもしようかと考えかけましたが、



「でも、こっそり仕事をするのはダメなんでしょうね」



 そんな事をして見つかればリサに叱られてしまいます。先程の剣幕はアリスの胆力をして、なお怯むほど凄まじいものでした。わざわざ虎の尾を踏みたくはありません。

 

 どうやって時間を潰そうかとアリスが思案をしていると、



「アリス、入っていいかな?」 



 魔王がアリスの部屋のドアをコンコンとノックしました。



「はい、どうぞ」


「お邪魔するよ」



 部屋に入ってきた魔王は手にお盆を持っています。



「具合はどうかな?」


 

 魔王が持ってきたのは温かい甘酒が入った湯呑み。

 どうやら、魔王は仕事の合間にアリスのお見舞いにきたようです。 



「わざわざ、ありがとうございます」


「どういたしまして。それと、ごめん」


「どうして謝るんです?」



 アリスには魔王が頭を下げる理由が分からず、不思議そうにしています。そんな彼女に対し、魔王は謝罪の理由を告げました。



「実は、さっきリサさんにすごく叱られて……『一緒に暮らしてる相手なんですから、体調を崩したら一番に気付いて、ちゃんと気遣ってあげてください!』……ってね」



 この件については、自分の体調について深く頓着せずに、いつも通りに振舞っていたアリスの責任でもあるのですが、魔王もリサのお叱りを受けた様子。たしかに、アリス自身が気付かずとも顔がいつもより赤くなっているとか、いくらでも気付きようはあったはずなのです。



「あれは怖かった……」


「分かります……」



 アリスも先刻の強引なリサを思い出して、コクコクと頷きました。

 普段怒らない人ほどいざ怒った時は怖いと言いますが、どうやらリサもその言葉の例に漏れないようです(今回のケースは「怒る」ではなく「叱る」なので厳密には少し意味合いが違いますが)。



「だから、ごめん」



 魔王も叱られて反省しているようで、もう一度頭を下げました。



「いえ、そんな……」



 アリスとしては、そんな風に謝られると逆に心苦しさを感じるくらいなのですが、ここで魔王の謝意を受け入れないのは、かえって礼を失すると思い直したようです。



「分かりました、魔王さま。その謝罪を受け入れて貴方を許します」


「ありがとう、アリス」



 魔王が謝って、アリスが許しました。

 だから、この話はこれでおしまいです。


 話題は別のことに移りました。



「それにしても、ずっと寝ているのがこんなに退屈だとは思いませんでした」



 寝る事ができれば二、三時間程度はあっという間なのでしょうが、生憎と目は冴えたまま。このままなら風邪はすぐにでも治りそうですが、退屈さのあまり心のほうが参ってしまいそうです。

 アリスは苦笑しながら、魔王が運んできた湯呑みを傾けました。



「この甘酒美味しいですね」


「うん、生姜のジャムが入ってるんだ」



 麹とお米で作ったノンアルコールの甘酒は、生姜のピリッとした風味も利いていて栄養満点。

 砂糖を使っていないとは思えないほどに甘く、優しく柔らかい口当たりが特徴です。

 お米の粒々感は人によって好き嫌いが分かれる部分ではありますが、アリスはその感触も好ましく思ったようです。



 甘酒は飲む点滴と呼ばれるほどに栄養豊富で、病人にはもってこい……、



「うん、甘酒のおかげで元気が出てきたみたいです。もう風邪が治っちゃいました!」 



 とはいえ、これはいくらなんでも効き過ぎです。

 アリスは甘酒のおかげと言っていますが、いくらなんでも数秒では効果は出ません。

 これは単に時間経過による自然な体調回復でしょう。いや、それにしたって常人に比べると早すぎますが。



「でも風邪がぶり返すといけないからね、今日は一日休んでいるんだよ」


「はい」



 退屈ではありますが、それはもう仕方がありません。

 アリスも観念して、今日は病人らしく過ごすことにしました。



「コホン」



 と、アリスが一つわざとらしい咳払いをしました。

 あきらかに風邪による症状ではなさそうです。



「魔王さま、一つお願いがあるのですが」


「なんだい?」


「これから一眠りしようかと思うのですが……」



 アリスは持ち上げていた上体をベッドに下ろし、再び熱が出たかのように頬を赤く染めながら伝えました。



「私が寝るまでですね……その、手を繋いで貰っていてもいいですか?」








 魔王は、そっと彼女の右手を握ることで返答の代わりとしました。

 アリスは右手に感じる熱を想いながら、その体温の主に伝えます。



「魔王さま」


「なんだい、アリス?」


「ふふ、こんな事を言ったら、またリサに怒られてしまうかもしれませんけれど……たまには風邪をひくのも悪くありませんね」



 握った手から伝わる深い安心感と温かさ。

 それによりアリスの意識はいつしか融けて、甘やかな眠りへと落ち―――――――。






 暖かく、温かく、彼らの冬はポカポカと和やかに過ぎていきました。


近頃は全国的にものすごく寒くなっていますが、読者の皆様も体調にはご注意を。

充分な栄養と休息を日頃から心がけるだけでも病気への抵抗力は大幅に上がります。いや、それだけの簡単なはずの事が結構難しいんですけどね。

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