春の話
前回から時間が少し飛んでいます。
時は流れ季節は変わる。
これは、冬の名残り雪もすっかり消えた頃の、ある春の日の話。
◆◆◆
「イチゴ狩りですか?」
「うむ、おれの国から便りが届いてな、今年は随分と豊作らしい。アリスたちなら距離は問題にならんしな。よかったら皆でどうだ?」
「へえ、なんだか楽しそうですね」
「うむ、あれは良いものだ。おれも国にいた頃はよく兄上や姉上とイチゴ摘みを楽しんだものだ」
先日七歳の誕生日を迎えたシモンが、アリスとそんな話をしていました。
少し背が伸びたシモンは、日々勉学や鍛錬に励み充実した毎日を送っています。まだまだアリスのほうが背が高いのですが、この調子ではあと数年のうちには追い越されてしまう事でしょう。
ちなみに余談ですが、彼が年を重ねた数日後にはライムも八歳の誕生日を迎えていました。見知らぬ相手には顔見知りをする性格は相変わらずですが、それでも最近はシモン以外にも同年代の友人ができたようです。
「では、リサの学校の休日に合わせて皆を招待するとしよう」
「わざわざごめんね、シモンくん」
「構わぬ、おれの都合で師の学業をおろそかにさせては申し訳ないからな」
リサも先日無事に進級を果たして高校二年生になりました。
ですが、進級したからといって、のんびりと遊んではいられません。学業に実家の手伝いにと忙しい日々を送っています。周囲ではそろそろ受験やら進路やらといった話も出てきており、彼女なりに色々と考えているようです。
「イチゴ狩りか、楽しそうだね」
「む、魔王か。まあ、貴様を仲間外れにするとアリスやリサが悲しむからな、特別に招いてやる」
「ありがとう、シモンくんは優しいね」
「勘違いするな、貴様にくれてやる優しさなどない。当日は雑用係としてこき使ってやるから、何かイチゴを使った美味い菓子でも拵えるがよい」
シモンの魔王に対する風当たりの強さは相変わらずですが、それでも多少は改善が見られたようです。
一方の魔王は、はっきりと何かが変わったと断言できるほどの変化ではないのですが、最近は前よりほんの少しだけ鈍感さがマシになった……かもしれません。なにしろナメクジが這うようなゆっくりとした変化なので、非常に違いが分かりにくいのです。
アリスやリサとの距離も縮まったのやらどうなのか。
彼女たちは年明け以降も非常に積極的な攻勢を仕掛け続けていますが、まだ決定打には至らないという具合です。アリスとリサの間の暗黙の了解で、不意打ち騙し討ちの類は禁じ手になっているので、幸か不幸か三角関係とは思えないような健全かつ良好な関係を維持できています。
まあ、そんなこんなで変わった部分も変わらぬ面も多々有りますが、彼ら彼女らは日々を楽しく幸せに過ごしていました。
◆◆◆
そしてイチゴ狩りの当日。
G国の王家が城の敷地内に所有する広大な果樹園に魔王一行はやってきていました。
この果樹園は作物の品種改良や実験を行うための試験農場も兼ねており、イチゴだけでも何十種類もの品種が育てられています。イチゴ以外の果樹や野菜や土壌の研究をしている区画を全部合わせれば、それなりの大きさの村や街が丸ごと収まりそうな面積がありそうです。
「魔王さま、シモンくんのお父さんへのご挨拶お疲れさまでした」
「いやぁ、偉い人に会うのって緊張するね」
と、イチゴ狩りを始める前にシモンの父、すなわちこの国の王様に挨拶をしてきた魔王が苦笑しました。彼も魔界で一番偉い王様のはずなのですが、仕事の大半を優秀な部下たちに丸投げしているので久々の堅苦しい雰囲気に随分と肩が凝った様子です。
まあ、一国の王が他国の王城の敷地内まで出向いて挨拶なしとはいかないので、これは仕方がありません。その話の流れで晩餐会や舞踏会に招かれたりもしましたが、それも彼には良い薬でしょう。いつも王様としての仕事をサボっている分、こんな時くらいは働かないといけません。
「明日もお店があるから泊まりは断ったけどね」
「まあ、仕方ありませんね」
魔王は気付いていませんが、その選択は英断でした。
もし王城に泊まろうとしていたら、まだ決まった相手のいない姫の誰かが深夜にでも魔王の寝室に送り込まれていたかもしれません。各国が魔界との関係強化に躍起になっている昨今、こんなチャンスを逃す手はないのです。
シモンが知らぬ間に築いていた魔王の個人的な友人という立場も得がたいものですが(そのお陰で交易の関税率や取り扱い品目において他国より少しばかり優遇されていたりします)、それ以上を目指さない理由はありません。
もっとも、仮に実行しても魔王は手を出さないでしょうし、どこかの怖いウェイトレスに城を跡形もなく破壊されかねないので、深追いしなかったのはこの国にとって賢明な判断でしょう。
ともあれ、魔王たちは果樹園の一角でイチゴ狩りを始めました。
粒の大きい物、小さい物。
赤色が濃い物、薄い物。
形が細長い物、丸っこい物。
パッと見で分かる違いを挙げていくだけでもキリがありません。
実際にはそれらに加えて病害への耐性や生産性の違いなどの要素もあるので、専門の植物学者でもなければこの場に何種類あるのか判別するのは不可能でしょう。
「たしか、魔界から輸入したヤツも育てているはずだぞ。ほら、あれだな」
シモンが果樹園の一角を指差しました。
この果樹園では魔界から輸入した品種の種苗も実験的に育てているようです。同じ作物でも土や水が違うと味や形がまるで違ってくるので、その確認のためなのですが、
「うん、元気に走り回ってるね」
「ええ、たしか魔王さまが色々いじって動けるようにした種類ですね」
この国においても魔界産のイチゴはすくすくと育ち、元気に土の上を走り回っていました。
魔王が樹人という動く樹木の魔物に着想を得て、一時期片っ端から農作物を改造していたのですが、根や葉を足のように動かして移動する植物というのは見慣れていないと実にシュールです。
自力で鳥や虫を追い払ったり、土が肥えた場所に勝手に移動したりと利点もあるのですが、時折収穫前に畑から脱走しようとする点は要注意です。
あと、支配される立場に不満を持って反乱を扇動しようとしたりだとか、何故か過激な共産主義カルトに染まる特殊個体が出ることもありますが、所詮は野菜や果物の浅知恵なので大抵はすぐに捕まって収穫されます。畑の世界では農家こそが正義、慈悲はない。
まあ、そんな世知辛い事情はさておいて、一行はイチゴ狩りを始めました。
魔王も先程まで着ていた礼服から身軽なシャツ姿に着替え、他の皆も一様に動きやすい格好や髪型にしています。
リサは早速、活きのいいイチゴ(※走り回るほどには良くない)を一つ摘むと指で軽く汚れを落とし、そのままパクリと一口で食べました。
甘酸っぱい味と香りが実に濃厚。
普段店で扱うものとは違う、摘みたてならではの鮮烈な味わいがあります。
「美味しいっ」
「ええ、見事なものです」
すぐ隣では珍しくパンツルックにポニーテールという身軽な姿のアリスが、同じように摘みたてのイチゴに舌鼓を打っていました。普段は幼く見られることを嫌がって活動的な格好はあまりしないのですが、いつものスカート姿だと畑の中では動きづらく汚れやすいために今日は妥協したようです。
「こんなに可愛らしいイチゴを食べるのは、なんだか可愛そうな気もしますけれど」
とはいえ、食欲旺盛な彼女らが一粒で満足するはずもなく、二粒三粒と手が止まりません。
折角の機会に色々な種類を試そうとしているのか、小まめに場所を移動しては色々な種類を味わっています。
そんな彼女たちから少し離れたあたりで、魔王はコスモスと二人きりで話をしていました。
今日はコスモスが子供サイズになっているので、一見すると若い父親と娘のようです。まあ、一見するとも何も実際その通りなのですが。
親子水入らずのとても微笑ましい光景に見えますが、その会話には少々不穏かつ面白おかしい気配が漂っていました。
「魔王さま、いいですか? この容器の練乳をアリスさまに勧めてくるのです」
「うん? ああ、練乳を付けても美味しいからね」
魔王は言われるがままに容器を受け取ると、アリスたちに渡してからコスモスの下に戻ってきました。彼女たちは特に疑問を持つこともなく練乳を付けた場合と付けなかった場合を食べ比べて楽しんでいる様子です。
「では、魔王さまはここにいてください。ステイです、ステイ」
「うん、わかったよ?」
魔王は全然分かっていませんが、とりあえず言われたままに待機しています。
そして今度はコスモスがアリスたちの近くへ気配を消して近寄り、突然彼女たちの耳元で囁きました。
「ふふふふ、魔王さまの白くてドロドロしたミルクをそんなに美味しそうに……! こいつはとんだド変態共ですね!」
かなり最低なギャグでした。
わざわざ魔王に渡させたのは、これをやる為だったのでしょう。
アリスもリサも顔を真っ赤にして口に含んだイチゴを噴き出し、思いっきり咳き込んでいます。
「げほっ、けほっ……」
「くっ……コスモス、あとでお仕置きですからね……!」
「二人とも大丈夫?」
尋常ではない勢いで咳き込んだ二人を心配して、魔王は彼女たちの背をさすっています。コスモスのセリフが聞こえていなかったのもあって、何があったのかは相変わらず理解していませんが。
「ははははは、いやはや愉快愉快」
イチゴ畑にコスモスの心底楽しそうな笑い声が響きます。
その様子は見ようによっては純真で可愛らしい少女のようにも見え……いくらか隠し切れない邪悪さを感じるかもしれませんが、人生が楽しいのは良い事です、きっと。そのうち一線を越えて収監されるかもしれませんが、コスモスならば賄賂や裏工作でどうとでもするでしょう。
まあ、こんなやり取りもいつもの事です。
大いに笑い、たまに怒ったり悲しむ事もありますが、彼らの春はこんな調子で楽しく賑やかに過ぎていきました。





