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迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
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想いの萌芽


 わんわんわん。

 わんわんわんわん。

 何処からともなくそんな声が聞こえます。

 いえ、犬が近くにいるのではありません。これは鳴き声ではなく泣き声なのです。



「うわーん!」


「そんな全力で泣くくらいなら、なんでそんな事したんですか!?」


「だって、だって……わーん!」



 アリスは、出て行った数分後にコスモスの部屋に戻ってきて、それから全力で泣いていました。

 ガチ泣きです。

 子供のように泣いています。

 涙で床に水溜りができそうなほどでした。


 コスモスはそれを慰めようともせず、ただ見ているだけです。

 数々の苦労を台無しにされたこともあり、率直に言えば、憐憫よりも憤怒が上回っていました。怒りに任せてアリスを怒鳴りつけないので精一杯です。


 それにしても、どうしてそんなにまでして魔王との婚約を解消してしまったのでしょう?

 それには小さな、されど本人にとっては無視できない理由があったのです。


 アリスは泣きながらではありますが、ポツリポツリとそのワケを語り始めました。








 ◆◆◆








「アリス……どうしてなのか、聞いてもいいかな?」


 アリスが婚約の解消を提案した際、当然魔王はその理由を尋ねました。



「魔王さま」



 アリスは、もう何一つ隠すことなく、その問いに答えました。



「私の想いに応えて頂いて、ありがとうございました。私、本当に嬉しかったです」


「だったら……」



 だったら、今の状態を解消する必要なんてない。

 魔王の主張は正当なものなのでしょう。

 ですが、アリスは問いました。



「魔王さま、貴方が私を愛そうとするのはどうしてなのでしょう? それは、リサにそうするようお願いをされたから単なる義務感で……」


「アリス、僕はそんな事は」



 そんな事は無い、と魔王は言います。

 そうなのでしょう。

 アリスだって本当は分かっているのです。

 魔王は、彼なりに考えた上でアリスのことを愛そうと努めていると。もし動機が義務感だけならば、わざわざそんな事をせずとも、上辺の関係や態度だけを取り繕えば済む話です。



「――――なんて、いくら私が疑り深くとも、そこまでは思っていませんよ。でも魔王さま、貴方のその気持ちが完全に、一片の曇りもなく貴方自身のものだと、今この場で断言できますか?」


「……っ」



 魔王の沈黙は、むしろ彼なりの誠意の顕れなのでしょう。「違う」と一言伝えればそれで済むはずなのに、しなかった。できなかった。


 自分の想いが完全に自分の心だけに由来するか否か。

 そんな事、魔王でなくとも、誰にだって答えられるはずがありません。

 心というのは、日々の人間関係の中で育まれ、絶え間なく形を変えていくもの。どこからどこまでが自分だけのもので、どこからが他人由来かなど、そんなのは到底判別できるものではないのです。



「私は……私たちは、きっとそこから間違えていたんです。誰かに頼まれたから愛するとか、勇気が無くて怯えて竦んでいただけなのに、疑問に蓋をして与えられた愛を享受するとか……それではいけなかったんです」



 あの時のリサの告白の代弁は、それを口にした彼女自身のみならず、アリスの心にも暗い影を落としていました。すなわち、その愛の動機がなんであるかという影が。

 それは余人にしてみれば問題にもならないような、ほんの些細な思い過ごしに見えるのかもしれません。あまりに潔癖に過ぎると人は嗤うかもしれません。


 しかしアリスには、自身の中の僅かな疑念も見て見ぬふりはできなかったのです。彼女にとって一番大切な魔王への気持ちだけは、妥協も誤魔化しもできなかったのです。



「誰かに頼まれたから、ではいけないんです。貴方自身の意思で好いてもらわないと、そう確信できないと駄目なのです」



 昨日、リサの想いを知ったことがアリスにとっての契機でした。あの日のリサの真意を悟った以上、もはやこのままこの問題を捨て置くことはできません。一晩時間を置いたり、コスモスに相談したのは、それが覚悟を決めるために必要な事だったのでしょう。



「だから、これは私のわがままです」



 アリスは、あの日からズレ始めた歯車を直すことにしました。


 

「秋のお祭りのお願い……私の分、まだ叶えてもらってませんよね? 今、その権利を使います」



 アリスは告げました。



「あの時の、リサの願いを無効にする為に私の願いを使います」



 ここに、彼らの心を縛る戒めは解かれました。

 絶対に諦めない為に。

 今度こそ正しく、求めるものを得る為に。

 心の底から愛し、愛される為に。



「魔王さま、今度はちゃんと貴方の意思で誰かを好きになって、そして幸せになってください。幸せに、してください」



 アリスは最後に日向に咲く花のような笑みを浮かべて、こう言いました。



「私も貴方に好きになって貰えるように頑張ります、だから……」



 言葉の途中で涙が浮かんできたけれど、それを彼に見せない為に背を向けながら、



「私、待ってますから」



 アリスは、言い終えると同時に走り去りました。

 このままだと、この場を離れる前に泣き崩れてしまいそうだったのです。


 魔王は咄嗟にアリスの背に向けて手を伸ばしましたが、その手は途中で勢いを失い、虚しく空を切りました。







 

 ◆◆◆








「わんわんわん…………ふう、沢山泣いたらスッキリしました」


 泣きながら全部話したら落ち着いたのか、大泣きしていたアリスは早くもケロッとしています。



「いつまでも落ち込んではいられません。私はリサに勝てるくらいに、いいえ“あの”魔王さまが惚れるくらいにまで女を磨かなくてはいけないのですから」


「やれやれ、まあ前向きなのは良い傾向なのでしょうが」



 コスモスとしても完全に納得したわけではありません。

 未だに憤りの気持ちは残っていますが、それでもアリスなりに真剣に考えた結果であるならば、尊重せざるを得ないとも思っていました。そんな不器用な在り方こそが、コスモスの惹かれたアリスなのですから。



「さて、またお店に戻って新年会の準備をしなければ。コスモスも一緒に来ますか?」


「よくさっきの今で、すぐに魔王さまと顔を合わせる気になれますね!? いや、良い事ですけれど!」



 もしかしたら、アリスはあまりにも落ち込みと立ち直りを繰り返しすぎたせいで、なんらかの精神的な耐性を獲得しつつあるのかもしれません。



「そうだ、折角の新年ですから戻る前におめかしでもしていきましょうか。貴女の髪も結ってあげますよ」


「やれやれ、こうなったらトコトン付き合いますよ。精々頑張って魔王さまを惚れさせてみてください」



 長い、本当に長い回り道を経て、ようやく彼女たちはスタート地点に辿り着きました。

 ならば、あとは走り出すだけ。

 よく学んで己を磨き、如何に意中の相手の好意を得るかに知恵を絞り、ただ真正面から戦うだけ。

 ただそれだけの、何処にでもあるありふれた恋物語が、ここからやっと始まるのでしょう。








 ◆◆◆







 一方、その頃。

 魔王は、咄嗟に伸ばそうとして途中で止めた己の手を、いつになく真剣な顔で眺めていました。


 魔王は黙考します。

 ちゃんと、アリスの言う理由には納得した。

 いつかの願いを解消し、改めてしがらみの無い状態から関係の再構築を目指したい。

 完全に理解できたとは言い難いけれど、一応の納得はできた……そのはずなのに。



 それでもアリスに向かって咄嗟に手を伸ばしたのは、何故だったのだろうか?



 彼女も自分も納得の上での事ならば、わざわざ追う必要などないはすなのに。

 彼は自身の不可解な行動の理由を考えていました。



 アリスの決死の覚悟は、彼女の知らないところで、もう一つの成果を生んでいました。

 捨て身の選択は、結果的には正解だったのかもしれません。



 手を伸ばした理由。

 その時、魔王の胸中にあったのは、ある種の空虚さでした。

 本人にすら明確な自覚はなく、その喪失感が如何なるものなのか理解してすらいません。

 ですが、あの時魔王の中に不意に生じた「失いたくない」という願いこそは、誰かを求める気持ちの裏返し。

 広く万人に向けるべき好意とは隔絶した、特別な誰かに対する想いの萌芽。

 最終的に誰を示すのかは未だ不明なれど、彼の中で生じた「それ」は、ゆるりゆるりと確実に成長を始めました。




やっっっっっと、マトモな恋愛を始める下地ができたというか、前提条件が整った感じです。

スタートラインまで遠すぎんよ……!

今更だけど、うちの子たちは色々こじらせ過ぎだと思います。



でも、ここからゴールまでは案外早いかも……?

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