厄を落とす
大いに盛り上がった忘年会も、日付が変わる頃ともなれば次第に穏やかな雰囲気になってきます。
おねむの子供たちとその保護者はすでに帰路に着き、大人たちの半分もお酒に酔って夢見心地。ちなみに残りの半分は飲み過ぎで悪夢見心地……どんな値段のお酒もタダで飲み放題という状況で自制心のタガが緩んでしまったようです。
レストランの店内は、もうすっかり静かなもの。
魔王やアリスが食器を片付ける音だけが時折カチャカチャと響く程度です。
名残は尽きませんが、そろそろお開きの頃合でしょう。
忘年会はこれにてお終い。
色々なことがあった今年は、これでお仕舞い。
日付が変わるまでは三十分あるかないかというところです。もう、このまま何事もなく年が終わるかと誰しもが思っていると、
「シメの一品くらいはまだ入りますか?」
そんな頃に、嬉しいサプライズが訪れました。
少し前から厨房に引っ込んでいたリサが、丼の乗ったお盆を持ってフロアに戻ってきました。丼の中身は温かいツユに浸った蕎麦。どうやら年越し蕎麦を作ってきたようです。
地球とこの世界には少しばかり時差があるので、日本での大晦日にはまだ早いのですが、この年の暮れ独特の空気の中で、日本人のDNAに深く刻まれたナニカが蕎麦の香りを求めたのでしょう。
散々飲み食いした後なので丼のサイズは小さめ。
蕎麦の上には小ぶりなかき揚げが乗っています。
「年越しのお蕎麦には色んな意味があるんですよ」
細長い形はそのまま長寿の祈願を。
細工師が練った蕎麦粉を金粉を拾い集める用途に使った事から転じて、金運向上の願掛けに通じる。
蕎麦には内臓の毒を抜く薬効があると信じられていた事から、健康祈願の意味もある。
「それから、蕎麦って他の麺類に比べると切れやすいでしょう? 年末に食べればそこで今年の厄を切って、翌年に持ち越さずに済むそうですよ」
日本式の願掛けが異世界で有効かどうかは不明ですが、こういう豆知識があるとないとでは不思議と味わいが変わってくるものです。リサの解説を、残った皆は興味深そうに聞いてから食べ始めました。
まずは蕎麦をスルスルと一すすり。
次いで丼の端に口を付けて、温かいツユをズズッと一すすり。
蕎麦の香りがふわりと鼻腔をくすぐる感触が、なんとも言えずに心地良い。
胃の腑に落ちる熱の、なんと優しげであることか。
満腹だと思っていたのに、口に運ばずにはいられません。
そうして食欲が蘇ってくると、蕎麦の上に鎮座する黄金色のかき揚げが気になってきます。
かき揚げの種は薄切りのタマネギと三つ葉だけの単純な物。
ですが、食事のシメとしてならば、海老天だの穴子天だのでは力が強すぎてしまいます。二口か三口分程度しかない小ささも、この場合は逆にありがたいというものです。
ツユに浸って少し経っている為に、かき揚げの下面は汁気を吸って少しばかりもったりとした感触です。上面はサクサクのままですが、下部分からはその軽さは既に失われていました。
しかし、そのツユが染みて柔らかくなった部分こそが天ぷら蕎麦の肝なのです。
上面のサクサク部分と下の柔い部分。
一口かじればその両方の感触をいっぺんに楽しめるというのは、考えようによっては実に贅沢。
蕎麦にしろうどんにしろ、汁気の多い麺料理にあえて揚げ物を乗せるのは、この食感の妙を味わいたいからこそなのでしょう。
◆◆◆
「それじゃあ、そろそろ帰りますね」
シメの年越し蕎麦も食べ終わり、いよいよお開きという雰囲気になってきました。
リサも実家住まいの高校生という身分ゆえ、あまり遅くまで居残ることはできません。食器の片付けや掃除やらを手伝いたい気持ちはあるのですが、そういうわけにもいきません。
途中で一度抜け出して家に戻り、早めに寝ると伝えるアリバイ工作はしてあるのですが、何かの拍子に無人の自室を見られたりしたら、とても厄介なことになってしまいます。
「と、その前に……アリス、ちょっといいかな?」
「なんですか、リサ? 時間は大丈夫ですか?」
「うん、多分すぐ終わるから……あのね、ちょっとお願いがあるんだけど」
「ええ、はい……え? ……正気ですか?」
「もちろん、アリスが良ければなんだけど……」
リサがアリスに何かを耳打ちしました。
それは、とても意外な内容だったようで、アリスは目を白黒させています。
「私は、まあ構いませんけど……知らぬ間に二人きりでされるよりはいいですし……でも、それでいいんですか?」
「うん、いいよ。そうじゃないと公平じゃないし……それに、ほら年が明ける前に厄を、というか心残りを消しておこうと思って」
「リサって変なところで度胸があるというか、実はすごく頑固ですよね」
「わたしってそんなに頑固かな?」
アリスは関心と呆れが入り混じったような苦笑を浮かべています。
けれど、最後には納得したようで、首を縦に振りました。
◆◆◆
「魔王さま、いまお時間よろしいですか?」
「あれ、二人ともどうしたの?」
アリスとリサは、厨房で食器洗いをしていた魔王の下へとやってきました。
何故だかリサ一人だけが顔を真っ赤にしています。
「ええと……じゃあ、本当に私が言っちゃいますよ?」
「ええ、どうぞ!」
アリスが最後の確認をするも、リサの決意は変わらないようです。仁王立ちをして歯を食いしばり、何かに耐えるようにしています。
そして、アリスが魔王に告げました。
「では、僭越ながら……コホン、魔王さま」
「うん、どうしたの、アリス?」
「いえ、私ではなくリサさんが、リサがですね」
そうして、アリスは伝えました。
「魔王さま、リサも貴方のことを好きなのです。私と同じように、貴方を愛しているのだそうですよ」
「え? ……え?」
魔王が戸惑うのも無理はないでしょう。
その言葉が本当だとしたら、こんな回りくどい手段で伝える意味が分かりません。こうして本人に代わって告白をした、そして告白されたアリスだって、こんな意味不明な形でのお返しは望んでいません。
魔王を譲る気はさらさら無いにしても、アリスは愛の告白というのはもっとロマンティックであるべきだと思っています。間違っても、いつもの厨房で皿洗い中の相手にするものではありません。
今日は本当に色々な事がありました。
リサも、普段はとても発揮できないような積極性を表に出し、その残滓が未だに残ってこんな非合理な行動を取らせてしまったのかもしれません。
心残りという厄を、無理矢理に切り落としてしまいました。
アリスの告白を横取りしてしまった罪悪感を解消する為には、この方法しかないだろうと愚直に思い込み、そしてあろうことか実行してしまったのです。正確には実行させた、ですが。
「じゃ、じゃあ、そういう事ですのでっ! それじゃあ良いお年を!」
とても回りくどい方法で告白を果たしたリサは、そんな時候の挨拶と共に転移で帰っていきました。
その瞬間、ちょうど日付が変わりました。
古い年は終わり、新しい年が始まります。
魔王にとっては、さぞや混乱と困惑に彩られた激動の年になることでしょう。
今回書いてる途中でデータが全部消えたせいで遅くなってしまいました。
やっぱり、こまめに保存しないといけませんね。
それはそうと、キャラが動くに任せた結果、何故かこのタイミングでこんな展開になってしまいました。
もうちょっとロマンチックな場面を用意する予定だったんですが、こっちの方がより「らしい」かと思ってそのまま採用してしまいました。後悔はあんまりしていない。





