ケンカする二人
「ふむ、ようやく身体が温まってきましたね」
「っていうか、動き続けてないと寒すぎるんですけどね」
なにしろ汗をかいたら途端に凍りつくような氷点下の環境。常時魔力での身体防御を行っているとはいえ、それでも寒いものは寒いのです。
しかし、それでも地形を大幅に変えるような戦闘を十分も続ければ、カラダもアタマもイイ感じに温まってきます。
「……こういうのも意外と楽しいかも?」
なんだか、リサが目覚めてはいけない方向に覚醒しつつありました。具体的に言うと戦闘の快感とか悦びとか、ソッチ方面に。
ですが、それも無理ないのかもしれません。リサにとって勇者の超人的な力を、誰かの迷惑や手加減を一切考えずに振るえる機会など、これまで一度もなかったのですから。
持て余していた力を全力で使える。
それが細かい理屈など抜きに楽しかったのです。
言うなれば、これまで公道で法定速度を律儀に守っていたF1マシンが、初めて全速力で走ることができたような具合でしょうか。
「ええ、私もイイ感じにアガってきました。ここからは少しペースを上げていきましょう!」
アリスもアリスで、なんだか妙なテンションになっていました。
思い起こしてみれば、彼女にとって対等な力を持つ相手と全力で戦う機会など何百年ぶりでしょうか。魔王は強すぎて戦いになりませんし、他の魔族たちからすればアリスが強すぎてこれまた勝負が成立しません。
勝っても負けても、得るモノも失うモノも何もない。
だからこそ、二人は純粋にこのケンカを楽しんでいたのです。
アリスが超音速でリサに突撃を仕掛けるも、空間転移によって回避され空振り。一瞬相手を見失いましたが、遥か上空から向けられる戦意に反応して空を見上げました。
攻撃を回避したリサの現在地は地上十五万メートルの超高々度。
すでに聖剣の変形は完了し、次の攻撃が始まっていました。
形状は剣。
しかしその全長は二百メートル、総重量は千トンを超えるでしょう。
この高度からならばただ落下するだけで着弾点付近の何もかもを破壊できます。超高々度からの大質量攻撃。元ネタである神の杖と称される衛星兵器にちなんで、神の剣とでも呼ぶべきでしょうか。
本家の神の杖は惑星の衛星軌道上1000kmからの落下を想定しているので高度は控えめですが、重量とサイズに関しては本家を大幅に上回っています。大気との摩擦で燃え尽きる事もありません。
長大な剣の柄の部分に立つリサは、地上のアリスと互いの戦意が交錯するのを感じていました。
「行きますよー!」
行きました。
落ちました。
着弾地点周辺の地面は一瞬にして吹き飛び、地面に大きなクレーターができました。大量の土砂が空にまで舞い上がり、黒い雲となって周囲一帯を覆いつくします。
衝撃に伴って発生した高熱で周囲の地面は一瞬にして溶解してガラス化。その次の一瞬にはそのガラス化部分も砕けて吹き飛びました。
どうやら着弾地点は大陸の北端付近だったようです。
クレーターの端の一部が海に面しており、ゆっくりと海水が流入しつつあるので、しばらくしたら新たな湾にでもなりそうです。完全に地形が変わっていました。
しかし、クレーターの中心に突き立った剣の柄に立つリサは首を捻りました。
直感的に予想していたよりも、随分と威力が弱かったからです。
クレーターの大きさも東京湾くらいにはなるんじゃないかと思っていたのですが、これではその半分にも及んでいません。
アリスが何かしたのだろうかと思った次の瞬間、黒いカタマリが剣の柄に立つリサに襲い掛かりました。
「やれやれ、無茶苦茶しますね! 最高です!」
高空からの質量攻撃に対しアリスが行ったのは、古死霊の七十二体同時召喚。
その造形は人・獣・魔物・魚・鳥・蟲、果ては太古の恐竜や極小の微生物に至るまで、幾億幾兆ものありとあらゆる生物の屍骸を、無理矢理接着して巨大な人型に押し固めたような不吉な姿。
それらは絶えず濃密な瘴気を纏っており、全身の屍骸が口々に怨嗟の嘆きを発しています。心の弱い者であれば視界の端に入っただけで恐怖のあまりショック死してもおかしくはありません。
この世の死と不浄とを凝縮したような存在。
その体躯は高層ビルほどもあるでしょう。
そんなバケモノが一度に七十二体。
アリスが空中に展開した複雑な紋様からなる立体型魔法陣。
そこから古死霊が次々と這い出し、巨体に似合わぬ素早さで落下する聖剣の軌道上に配置。高密度の屍肉がクッションの役割を果たして質量攻撃の威力を大幅に減衰したのです。
聖剣の落下を受けた衝撃で古死霊の半数は粉々になって消し飛びましたが、残り半数は未だ健在。
手足をもがれようが首が取れようが、その程度のダメージなどものともせず、あるいは欠損箇所を瞬時に強化再生した悪霊たちが巨大剣の上に立つリサに殺到しました。
……が、強い浄化の性質を有する聖剣とはどうも相性が悪かったようです。
巨大剣の金属質な表面が液体のように波打った次の瞬間、古死霊の群れはウニかハリネズミのように伸ばされた無数の棘に残らず全身を貫かれてしまいました。
無数の棘はすり鉢状のクレーターの中心から端に至るまでを白銀色の輝きで埋め尽くすほどの数と長さ。巨大な古死霊たちは回避も防御も出来ず、穴だらけになって消滅してしまいました。
落下によって生じた衝撃そのものにはこれといった属性がなかったのでどうにか耐えられたのですが、直接聖剣に刺されたらこの通りあっけないものでした。
死霊を使役する為の魔力のラインを辿り、リサは約四キロ先にいるアリスの位置を正確に把握、すかさず攻撃に移りました。
使用するのは毎分七千発の150mm弾が発射される聖剣バルカン。魔力による爆発で火薬を要する機構を再現しており、弾速は秒速2000メートルに達します。
しかし、直接アリスを狙うのではありません。こんな距離がある状態からでは、弾丸を見てから避ける程度は難なくやってのけるでしょう。当てるには工夫が必要なのです。
弾丸は射出直後に銃口のすぐ前の空間穴に侵入し、アリスの上下左右前後三百六十度の至近全周に展開した転移先から撃ち込まれました。
これならばいちいち狙いをつける隙はなくなり、威力の面でも距離による減衰がなくなるという非常にえげつない攻撃です。
しかし、アリスは微弱な空間の揺らぎを感知して無詠唱の短距離転移をすかさず行使。ゼロ時間移動の連続によってこれらを全弾回避しました。
「ふふ、お返しです」
アリスが放ったのは、触れれば消滅する虚数エネルギーの魔弾。
マイナスの質量とでも言うべき存在自体が矛盾したソレは、同量の正エネルギーを削り喰らい尽くすまでは決して消えぬ死の猟犬。そんな極めて殺傷能力の高いシロモノが、千発ほど撃ち出されました。しかも全弾がホーミング性能とランダム軌道のオマケ付きです。
リサも最初は回避を選択しようとしましたが、すぐにその無意味を悟ったようです。
岩だろうが地面だろうが障害物を無視して向かってくる上に、転移で距離を取ってもすぐに向かってくる魔弾が相手ではとても逃げ切れません。
「何故か魔王さまには素手で普通にキャッチされるんですけどね、コレ。リサさんが相手でも……まあ、こんなものでしょう」
あらゆる物質を消滅させる魔弾も、イメージ次第でいくらでも体積・質量を増やせる聖剣が相手では分が悪い。避けきれないならば防ぐまで。普通なら防御は不可能なのですが、勇者とはそもそも普通という言葉とはかけ離れた存在です。
聖剣が変形した分厚く巨大な盾や壁はただ頑丈なだけではありません。
削られた端からその同量が瞬時に再生するので、結果的にはなんのダメージも与えられずに魔弾が力を失って消えてしまいました。
「今のはスリルがあって面白かったですよ。じゃあ、今度はこんなのはどうでしょう」
今度はリサのターンのようです。
選択したのは接近戦。
剣に、槍に、斧に、弓に、双刀に、戟に、流動的に変化し続けて先読みを許さない。
そんな聖剣本来の、女神によって製作された当初想定されたであろうオーソドックスな使い方も、今では更に進化を遂げていました。
アリスの正面にあったはずの聖剣の切っ先が突如空間穴に消え、斬撃が背後から、刺突が足裏に、打撃が頭上から、絶え間のない攻撃がどこからともなく襲い掛かってくるのです。
しかし、アリスはまたもや体術と短距離転移を駆使して全てを回避。
何度か危ない場面はあったものの無傷でこの局面を乗り切り、それどころか空振りの隙を突いて反撃を狙います。
「そこは寒いですからね、少し温めましょう」
アリスは先程の巨大剣の意趣返しとばかりに上空高くに長距離転移すると、魔力により太陽光を収束し熱エネルギーを圧縮。数秒の溜めを経た後、地上のリサに向けて大木を数十本束ねたような太さの熱光線が光速で降り注ぎました。
しかし、リサにとっては溜めに要する数秒があれば充分です。
光線が発射された時点で余裕を持って対応を終えていました。
直感に従って聖剣を拡大変形して巨大な四角錘に、白銀に輝くピラミッドを自らを中心に形成して守りを固めていたのです。
ピラミッドの頂点に落ちた光の柱はその形状に沿って威力の大半を四方八方に散らされ、焦げ跡を作る事も叶いませんでした。
◆◆◆
巨大剣の落下からここまで約五分間。
接近戦では武器のアドバンテージがあるリサが一枚上。
遠距離戦では豊富な魔法を操るアリスが一枚上手。
総合的には両者はほぼ互角といったところでしょうか。
どちらもダメージらしいダメージはありません。周辺の自然環境は回復不可能レベルのダメージを負っていますが、元々氷と岩山だらけの住人のいない土地なので多分セーフです。
上空から降りてきたアリスと、ピラミッド防御を解除したリサは、先程切断して随分と低くなった山の山頂で向かい合い、互いに充実感溢れる笑みを交わしました。
「ふふ、やりますね」
「そっちこそ」
そんなやり取りなど、恋を争う少女同士というよりも、河川敷で決闘する昭和の不良同士に近い風情すらありました。
正直、途中から「コレって恋敵同士のケンカとかそういうのではないのでは?」と、この二人も薄々勘付いていたのですが、なんだか楽しくなってしまったので仕方がありません。時として楽しさは全てに優先するのです。
しかし、その楽しい時間もそろそろ終わりが近付いていました。
「次が最後ですね」
「どうやら、そのようですね」
アリスもリサも、ここまで魔力の残量など気にせずにアクセル全開ででカッ飛ばしていました。こんな短距離のスプリンターのような戦い方はいつまでも続きません。自然界に存在する魔力を吸い上げて回復しようにも、大きすぎる消費量とはとても釣り合わないのです。
次の一合が最後の決着になるという事を、両者とも口に出すまでもなく悟っていました。
リサはスタンダードな剣の形にした聖剣に魔力を充填し、アリスもそれに応えるように魔力を集中していきます。
互いの集中が極限に達し、いざ激突……のその前に、アリスがちょっとした質問を口にしました。
「なんだか、リサさん前より強くなってませんか?」
アリスがリサの本気で戦う姿を見たのは、前に日本に帰る為に魔王と八百長試合をやった時以来。その時は迷宮内の地下空間だったので、壁や天井を壊さないよう加減していたにせよ、それを差し引いても今見せた実力とは大きな開きがありました。
「そういうアリスちゃんこそ、話に聞いていたより随分と」
リサがアリスの本気で戦う姿を見たのは今日が初めてです。
しかし、話に聞いていた魔王時代のエピソードや、今の魔王と出会った頃の戦いぶりとは随分と戦い方が違います。はっきり言って、リサが想像していたよりもずっと強かったのです。
お互いに相手の実力が思ったよりもずっと高いことに驚いていました。
それは果たして単なる錯覚なのでしょうか?
……否。
この二人、現役で魔王やら勇者やらをやっていた頃よりも、実際大幅に強くなっているのです。
リサが強くなった理由は明快です。
彼女が空間を渡る能力を得たのは一度日本に帰ってから。
それ以外にも、聖剣の趣味的な自己学習により、地球の現代兵器の能力を知らない間に取り入れていました。
普通ならばそれらの能力を使いこなすのには長い鍛錬が必要なのでしょう。
しかし、リサの場合はどんな武器や能力も無条件で使いこなせるという反則臭い勇者の特性によって、数々の強化要素を十全以上に操ることができていました。
一方、今の魔王に敗北して以降は戦いらしい戦いを経験していないはずのアリスが何故衰えるどころか強くなっているのかというと……それは、ある意味とても真っ当な理由によるものでした。
「魔王さまに色々教わったんですよ」
「えっ、ズルいです!」
その羨ましい理由には思わずリサも抗議してしまいます。
アリスに対しては好意を隠す必要がなくなったので、断固抗議しました。
「ズルくないです! 当然の権利です!」
アリスにもかつての魔王としてそれなりのプライドがあったのです。
強者としての矜持を曲げて負けた相手に教えを請い、少なくない時間を鍛錬に費やして習得した事をズルいと言われてはアリスだって面白くありません。毅然とした態度で言い返しました。
「でも、だって……そんなの羨ましいじゃないですかっ!」
リサの反論は、もう理屈も何もありません。
ただ感じたままの感情をぶつけているだけです。
「羨ましい……? 羨ましいですって?」
しかし、ここでリサが考え無しに発した「羨ましい」という言葉にアリスが反応しました。
相手の事を羨んでいるのは何もリサだけではないのです。
「羨ましいっていったら、そっちこそ! なんですか、その胸。さっきから動きに合わせてブルンブルンと、気が散るんですよ! なんで服の上からそんなハッキリ分かるんですか!? 私にもちょっと分けてくださいよ!」
「なっ、そんなの出来るわけないじゃないですか!?」
先程の接近戦の時など、アリスはついついリサの胸部を目で追ってしまい、そのせいで何度か回避が遅れそうになっていました。鎧を着込んでいたならともかく今回は普段着のまま戦っていたので、激しい動きをすると必然的に色々揺れてしまうのです。
しかし、負けじとリサも言い返します。
「そ、それを言ったらそっちこそ、食べても太らないとか、なんですかそれ! どんな体質ですか!? 物理法則ナメないでください!」
身体的な苦労やらコンプレックスやらは、どうやらお互いさまのようです。
「そんなの言われても困ります!」
「こっちだって困ります!」
頭は打っていない筈なのですが、些細なキッカケから二人とも頭がおかしくなったかのような低レベルの言い争いが始まってしまいました。ダメージは負っていないものの、激しい戦闘の影響でアドレナリンやらエンドルフィンやらが脳から分泌されてハイになっているのかもしれません。
この二人、普段は理性的な反面、ストレスやら言いたい事やらをとことん溜め込んでしまうようです。その為、一度タガが外れてしまえば……この通り、もう止まりませんでした。
「なんでわたしより先に魔王さんと出会ってるんですか! ズルいじゃないですか!」
「そっちこそ、最近会ったばっかりなのに、なんであんなすぐに仲良くなれるんですか! 私が魔王さまを好きになってからマトモに会話できるまでに何年かかったと思ってるんですか!?」
「知りませんよ、そんなの! っていうか、好きなら好きでもっと早く告白してればわたしがこんなに悩まずに済んだのに!」
「なっ、貴女がそれを言いますか!? 人の気持ちを勝手にバラしておいて……!」
二人とも、自分の言葉が理不尽な言いがかりである事は承知しているのです。ですが戦いで昂ぶった感情の前には、言葉の正否や妥当性など吹けば飛ぶ程度の重さしかありません。
ただひたすらに、気が済むまで溜め込んだ言葉を吐き出すしか解消の方法はないのです。
「諦めるつもりだったなら潔く諦めればいいじゃないですかっ!」
「だって好きなんだから仕方ないじゃないですか!」
「ああ、もうっ! 未練がましい勇者がいたものですね!」
「あっ、言いましたねっ!? そっちだって元魔王なのに魔王さんのストーキングしてるクセに! 捨てた下着をコレクションしてるとか何考えてるんですか!? 最初に知った時ドン引きしましたよ!」
「な、なんでリサさんがそれを知ってるんですか!? まさか私の部屋に入ったんじゃないでしょうね!?」
「あ、それならコスモスさんが教えてくれましたよ」
「あの子は後でおしおきです!」
この状況が一体なんなのか?
もう当人である彼女たち自身にも分かっていないのでしょう。
話題が二転三転し、感情の赴くままに言葉を吐き出し、終着点の見えない口ゲンカがひたすら続きます。
「むぅ……ア、アリスちゃんのバカーッ!」
「リサさんこそ、バカバカバカバカー!」
思考がヒートアップするのと反比例して語彙力が低下してきたようです。
言葉を覚えたての幼児だって、もうちょっとマシな言い争いをするでしょう。
「もう怒った、怒りました! 覚悟してください!」
「覚悟するのはそっちです! 一度痛い目を見ないと分からないようですね!」
途中まではケンカといってもある意味平和的な、純粋な力比べのようなものだったのに、どうしてこうなってしまったのでしょう。
今や二人の頭の中からは手加減の取り決めなど完全に消え去り、本気の武力衝突で決着を付ける気になっていました。
双方距離を取って構え直し、言い争いの最中に霧散した魔力を再度集め直していきます。
それぞれの筋繊維、骨格、神経、細胞の一片、血液の一滴に至るまでを極限以上に強化し、決着の時に備える。一秒が一分にも一時間にも感じられるような極度の集中。
これこそは、まさに武の極致。どちらか一人では為し得なかったであろう、対等な好敵手に出会えたが故に辿り着けた戦闘技術の到達点。
古来より無数の武芸者が夢想し、しかし道半ばで至らなかったその高みに、よりにもよってこんな痴話ゲンカ未満の下らない争いをする少女たちが辿り着くことになろうとは……世の武芸者たちがこの光景を見たら自信を失って泣いてしまうかもしれません。
――――――そして、両者が同時に動きました。
互いの距離はおよそ十五メートル。
二人が激突するまでの所要時間は零コンマ何秒か。
もはや不可避であるはずの決着は、
「やあ二人とも、迎えに来たよ」
……と、アリスとリサの中間に割り込み、左右の手指で二人の全力を難なく受け止めた魔王によって阻止される事となりました。
今回、書いててすごく楽しかったです。
最初は二話に分けようかとも思ったんですが、つい一気に書き上げてしまいました。





