とある勇者のクリスマス事情
日本時間にして十二月の二十四日のクリスマスイヴ。
そして、翌二十五日のクリスマス当日。
どこもかしこも浮き足立ったような雰囲気が満ち満ちていますが、そんな時だからこそ汗水たらして働かねばならない人々もいます。
それはたとえば、ケーキ屋さんであったり、おもちゃ屋さんであったり、飲食店であったり。
年に何度もない商機においては、「中の人」にはのんびりと祝祭ムードを楽しむ余裕などありません。
ですから、実家が洋食屋を営んでいるリサも、毎年クリスマス当日とイブには遊ぶ余裕などありません。調理の手伝いに配膳に会計に、やる事は山積みです。
『洋食の一ツ橋』は高級店というわけではありませんが料理の美味しさは近隣では評判で、毎年十二月のアタマ頃にはその二日間の予約は埋まってしまうほど。
お一人様あたりのお値段三千五百円(税別)で前菜、サラダ、スープ、パンorライス、ローストチキン、デザートまで付くミニコースは毎年大人気です。デザートのブッシュ・ド・ノエルだけは近所の懇意にしているケーキ屋さんに頼んだ物を出していますが、サラダもスープも前菜も、どれもこれも相当に手が込んでいます。
特にローストチキンは一年でもこの二日間しか提供していない限定品で、モツを抜いた鶏のお腹に、ガーリックバターで炒めた栗やキノコや小タマネギを詰め込み、鶏の表面に秘伝のタレを塗ってからオーブンで丸ごと焼き上げたという豪勢な逸品です。
甘じょっぱいコクのあるタレが染みた皮はパリパリに、中のお肉はジューシーそのもの、お腹の詰め物は鶏のエキスをたっぷり吸い込んで、それだけでドンブリ飯が食べられるような豊かな風味になっているのです。
手間がかかり過ぎるので断っていますが、常連から常設メニューにして欲しいと頼まれた事も一度や二度ではありません。
まあ、そんなワケで毎年大忙しなのですが、
「あ、忘れてた」
これはもはや毎年の恒例行事なのですが、リサの主観においては“去年の”クリスマスはもう二年以上も前の事。まだ勇者になる前の中学三年生の時以来になります。
きっと、そのせいでしょう。
クリスマスというイベント自体はもちろん覚えていたのですが、自分にはそのイベントを楽しむ自由がないという事はすっかり忘れていたのです。お陰で心構えも覚悟もできぬままに、戦場のような厨房に放り込まれるハメになってしまいました。
ちなみに忘れていた理由はもう一つあり、クリスマスを例の告白のタイミング候補として考えていて、他のことに気が回らなかったのです。結果的には忙しくてそれどころではなくなり、リサとしては残念なような安心したような複雑な心境でありました。
◆◆◆
「そうですか、それは大変でしたね」
「まあ、どうにかなりましたけど……疲れました」
日本時間にして十二月の二十六日の午前。
リサは魔王のレストランに来るや否や、テーブルに突っ伏して潰れた大福みたいになっていました。よっぽど疲れているのでしょう。その様子にはアリスも苦笑しています。
リサが中学生の頃も当然忙しかったのですが、今年の夏前あたりから調理を任される機会が増え、仕事量が一気に激増したのです。
慣れない作業に慣れないメニュー、オマケに直前まで仕事を忘れていたが故の覚悟の欠如で、疲労は倍々の更に二乗くらいに膨れ上がってしまいました。途中からこっそり魔力で体力を強化していなければ、過労で倒れてしまっていたかもしれません。
ちなみに本日『洋食の一ツ橋』はクリスマス明け恒例の特別休業なのですが、リサの祖父は早朝から仲間と海釣りに、リサの父は趣味のジム通いに向かい、それぞれ呆れるほどのタフガイっぷりを発揮しています。
「お祖父ちゃんたちは慣れの問題だって言うんですけどね」
純粋な体力ならば今のリサのほうが遥かに上のはずなのですが、やはり作業効率に大きな差があるのでしょう(今回の場合は心構えによる部分も大きいですが)。
ただ美味しく作る技術ではなく、無駄なく効率的に動くという意味での調理技術。その上達は決して容易ではありません。だからこそやり甲斐がある、とも言えますが。
「それは、大変でしたね」
「……はい、大変でした……とても」
普段のリサであればむしろ周囲を気遣って平気なフリをしそうですが、今はその余裕もないのか、アリスの言葉にも素直に肯定を返しました。
◆◆◆
「それで新年会の件ですけど」
今日ばかりはカロリーの摂取を無制限に解禁してケーキや甘い物を食べまくり、ようやくリサも回復してきたようです。やっと建設的な話ができるまでになりました。
リサは最初、こちらの知り合いを集めてクリスマスパーティーをやろうと思っていました。
しかし、そもそもこちらの世界にクリスマスを知る者がほぼいない事、この世界にも新年会を行う風習があるらしい事などを鑑みて、新年会でクリスマス料理を作って振舞うことにしたのです。
この時期に集まって楽しむ口実になればなんでも良かったので、それならばこの世界の人に分かりやすい理由のほうが良いだろうという判断でした。
と、ここでアリスが一つ疑問に思いました。
どうして新年会がある“らしい”という伝聞形なのか。
「たしか、こちらの世界で新年を迎えるのは初めてではないのでは?」
「ああ、それがですね……」
まだ勇者稼業をやっていた頃にもリサは一度この世界で新年を迎えましたが、ちょうど人気の無い寂しい山道を馬車で進んでいた最中で、まともな新年会などできるはずがありませんでした。
その一週間前か後だったならば、それなりに大きな街で幾分マシな気分で新年を迎えられたはずなのですが、タイミングが悪かったのです。
「次の街が港街だったのがまだしもの救いでしたね……どうにかカマボコだけは自作して食べられましたから……」
おせち料理を自作しようにも当時は調味料も食材も不十分。
かろうじて魚のすり身を蒸してカマボコだけは作れましたが、日本人的感覚からすると、なんとも侘しいお正月でした。リサはうっかりその時の悲しい気持ちを思い出してしまったようで、遠い目をして黄昏ています。
「だ、だったら、今回はその時の分を取り戻して有り余るくらいにしないといけませんね!」
「……そうですね。うん、落ち込んでる場合じゃありませんでした!」
アリスの励ましは見るに見かねたが故の場当たり的なものでしたが、リサも明るい気持ちを取り戻したようです。ポケットから何枚かのメモを取り出してアリスに手渡しました。
「そういえば今日はこれを渡しにきたんでした」
「これは?」
「レシピです。うちのお店の秘伝のやつを写してきました。今度作る時にあらかじめ目を通してあったほうがいいと思って」
リサの渡したメモは例のローストチキンやその他諸々の秘伝のレシピでした。
数日後には皆で新年会の準備をすることになりますが、その際に未知のレシピをいきなり試すのと、あらかじめ手順を把握しているのとでは効率が大きく異なります。
なので正しいといえば正しいのですが……アリスには当然あることが気になりました。
「え、秘伝って……いいんですか? 秘伝なんですよね?」
「別に大丈夫だと思いますよ。そもそも、ココとウチとじゃ商売敵になりようがありませんし」
「それもそうですね」
「それに、友達に教えていいか聞いたら『別にいいぞ』ってお祖父ちゃん言ってましたし」
「言ったんですか!?」
孫娘に甘いにもほどがあります。
いや、この場合聞くほうも聞くほうですが。
まあ、実際のところリサの祖父にそのレシピを本気で隠す気はなく(学生バイトでも簡単に見れる位置に貼ってあったりします)、単に「秘伝」という言葉の響きが格好いいから箔付けでそう呼んでいるだけだったりします。
「じゃあ、レシピも渡しましたし、今日はこの後用事があるからもう帰りますね。学校の友達が、わたしに合わせて一日遅れでクリスマスパーティーやろうって言ってくれたんです」
そう言い残し、リサは来る時とは打って変わって軽い足取りで帰っていきました。
本日はせっかくのカロリー解禁日。エネルギーを回復させるために色々食べましたが、胃袋にはまだまだ余裕があります。
この後に待ち受けている一日遅れのクリスマスパーティーでも、その食欲は遺憾なく発揮されることでしょう。
普段からしょっちゅう解禁してるように見える事には触れないように





