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迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
222/382

冬のスープと教訓と


 本日の用事をとりあえずは完遂し、神子は久しぶりの食事を取る為に魔王のレストランにやってきました。



「ごきげんよう、アリスさま」


「おや、いらっしゃい。先程はどうもありがとうございました」


「はい? いえ、こちらこそ」



 神子が店内に入ると、何故か非常に上機嫌のアリスが出迎えました。

 お礼を言われるようなことをした覚えはない、というか逆に無礼を働いたはずなのにこの反応。神子は疑問を感じながらも、心身の消耗ゆえに思考が鈍っていたこともあり、その点を深く追求はしませんでした。



「ところで、今日は貴女用の特別メニューを用意してみたんですが如何ですか? 断食明けにいきなり重い物だと、胃腸に負担がかかりますから」


「まあ! お気遣いありがとうございますわ」



 アリスはよっぽど上機嫌のようで、神子の為に特別メニューまで仕込んでいたようです。

 常人であれば、しばらく断食をおこなった後に食事を再開する時は、消化力の弱っている胃腸に負担をかけないように、まずは柔らかいお粥のような消化しやすいメニューから慣らしていくのが常です。

 神子の胃腸の強靭さは軽く人智を超越しているので、その常識を当てはめる必要があるかは疑問ですが、まあ食べやすくて悪いということもないでしょう。



「では、すぐに運んできますね」



 その言葉の通りに、アリスはすぐに厨房から料理を運んできました。

 お盆の上には、クツクツと熱気を放っている、陶製のスープ皿が乗っています。

 深めの皿の中には、深い飴色のスープとバゲット、そして表面にはチーズ。提供する直前にオーブンで器ごと焼いたらしく、表面のチーズには軽い焦げ目が出来ていました。



「これはスープですか?」


「はい、オニオングラタンスープです」



 オニオングラタンスープ。

 よく炒めたタマネギをベースに作ったスープに具材であるパンを沈め、上にチーズを振りかけてから器ごとオーブンで焼いたスープ料理の傑作です。

 


「随分と熱そうですね」


「今日は冷えますからね。こういう日はこれに限ります」



 材料は通年手に入る物ばかりなのに、不思議と冬のイメージが強い料理でもあります。

 雪の舞うような寒い日に、冷えた身体を温めるにはもってこいでしょう。バゲットはスープを吸ってすっかり柔らかくなっていますし、胃腸の負担になりやすい肉の類も入っていません。



「おかわりは寸胴一杯に作ってありますから、ご自由にどうぞ」


「お気遣いありがとうございます」



 いくら消化に良いメニューでも量が大きな寸胴鍋丸ごととなると、もう胃腸に良いも何もあったものではない気もしますが、それはこの際忘れておきましょう。



「では、いただきます」



 神子は食前の祈りを捧げてから、スプーンで飴色のスープを掬い上げました。まずはバゲットやチーズは避けて、スープだけの味わいを確認するつもりのようです。



「ふう、ふう」



 火傷をしないように息を吹きかけて少しばかり冷まし、そしてタマネギの旨味がたっぷりと溶け込んだスープを口へと運びました。

 まず感じるのは甘さ。

 バターでクタクタになるまで炒められたタマネギの甘みです。

 まるで砂糖でも使ったかのような、しかし砂糖のそれとは明らかに異なる種類の甘い香りが、口から鼻へふわっと抜けていきます。このスープ部分だけでも一品料理として成立するであろう深い味わいが感じられました。



「さて、それでは」



 そして続く二口目。

 今度はスープ皿のど真ん中に沈むバゲットとチーズを、スープと一緒にスプーンで掬い上げました。

 硬めのバゲットは、たっぷりとスープを吸って随分と柔らかくなっていました。スプーンの先端が触れると、ほとんど力を入れずとも形が崩れるほどです。

 熱が入ったチーズはトロリと糸を引いています。乳脂肪の豊かな香りも熱で強くなり、味への期待感は高まるばかり。



「ふう、ふう」



 神子は一口目と同じように少々冷まし、そしてバゲットとチーズとスープをいっぺんに口に運びました。


 まずスープだけ食べた時には、最初にタマネギの甘さが強く出てきました。

 しかし、全部を一度に食べると、タマネギだけではなく、汁気を吸ってもったりとしたバゲットの小麦の甘み。チーズの持つ乳製品独特の甘み。それらの甘みが混ざり合ってお互いを引き立て、何倍にも美味しく感じられたのです。


 もちろん甘いだけではありません。

 塩気。旨味。かすかな酸味や苦味。

 注意深く味わうと、様々な味の要素が幾層にも折り重なっているのが感じられます。

 それでいて味そのものは澄んでいてくどさがなく、スープの滋養が細胞の一つ一つに優しく染み渡るような感覚がありました。







 ◆◆◆







 食事の最初こそはスローペースでしたが、神子はすぐにいつもの調子を取り戻したようです。次から次へと運ばれてくる大きな寸胴鍋一杯のスープを、瞬く間に前菜として飲み干しました。

 更には肉料理・魚料理・サラダ・パスタ・甘味等々を、空になった皿が積み重なって天井に届いてもなお止まらずに食べ続けました。


 明らかにいつも以上、というか普段はきっとあれでも遠慮してセーブしていたのでしょう。今回は断食による空腹のせいで食欲のタガが完全に外れていました。


 最終的に神子が食べた食材の総量は、恐らくは三桁キログラムに収まるか、トンの大台に乗るかどうかといった境目のあたりでしょうか。

 それだけ食べても体型にも体重にもほとんど変化がないのは……まあ、深く考えるのは止めておいたほうが賢明です。きっと質量保存の法則にだって、たまには仕事を休みたい時くらいあるのでしょう。変わり映えのしない日常に疲れたOLみたいな感じで。



「ごちそうさまでした」



 兎にも角にも、食事を終えた神子は久々に明るい心持ちになっていました。

 やはり、人間誰しもお腹が空くと気分が下向いてしまうものです。



「相変わらずすごい食べっぷりですね」



 ようやく注文も止まり、手の空いた魔王が神子の様子を見にきました。

 彼も彼で、思う存分に沢山の料理を作ることができて満足しているようです。作り手としての欲求をこれほど満たしてくれる相手もそうはいません。

 そのお陰で、もしくはそのせいで、魔王は神子にこんな事を言いました。



「僕、そんな風に美味しそうに沢山食べてくれる貴女が好きですよ」


「な、なっ!?」



 このセリフがアリスの耳に入っていたら修羅場直行コースでしたが、不幸中の幸い、彼女は大量の食器を片付けるのに追われてそれどころではありませんでした。


 魔王としては、つい数時間前に神子と約束したことを守り、単に思ったままを言っただけなのです。

 ですが、こうもストレートに異性から「好き」と言われると、お互いにその気がないと分かっていても、それでもなお動揺してしまうのは無理がないことでしょう。



「と、突然、何を言うのですか!?」


「え? でも僕、貴女のことも好きですから。さっき言われた通りに思ったことを言ったまでで」


「いちいち言葉にしなくてもいいのですっ! というか、やっぱり全然分かっていませんね、貴方!」



 果たして、こんな魔王が愛を理解する日など本当に来るのでしょうか?

 






 ◆◆◆







《オマケ》


 レストランからの帰り道。

 既に雪は止んでおり、雲の切れ間から星が見え隠れしています。



「まったく、魔王さまにも困ったものですわ」



 神子は、今回ずっと沈黙を守っていた女神と心の内で会話をしていました。

 こういうのもガールズトークというのでしょうか?



「あの方は、まるで人懐っこい子犬みたいです」


『それは言い得て妙ですね』


「ふふ、それも、ちょっとだけおバカなワンちゃんです」



 逆説的ではありますが、魔王が人に好かれるのは、きっと彼が人を好きだからなのでしょう。

 そして、好意を伝えることに抵抗が全くないのです。 まるで、尻尾をブンブン振って懐いてくる子犬のように。


 これまでも、わざわざ言葉にすることは少なくとも、ちょっとした仕草や表情や他の諸々で周囲の人々に好意を示していたのでしょう。恋愛的な意味ではありませんが。

 そんな風に下心皆無の好意を示してくる相手がすぐ近くにいれば、よっぽど根性が捻くれていない限りは好ましく思うものです。



「アリスさまやリサさまも、きっとそれで絆されたのでしょうね」


『も、ですか? おや、もしかして貴女も魔王に惚れましたかね?』


「いいえ、まったく。友人としては好ましく思いますが」


『それで正解だと思いますよ。アレは無自覚に女を泣かせるタイプです』



 実際には他の要因も無数にあるので一概には言えませんが、アリスやリサが魔王に惹かれた理由の一つではあるのでしょう。



「それにしても、今回は多くの事を学ばせて頂きました。お節介を焼きにいったつもりが、話せば話すほどに自分の未熟が見えてきて」


『まあ、世の中そんなものです。それともう一つ、最後にわたくしからも教訓を授けましょう』


「なんでしょうか?」


『それはですね』



 お腹が空いていると気分が落ち込んで、思考も鈍ってきます。よって、考え事をする時は充分な食事と休息を取るようにしましょう。

 その神様からのありがたいお告げを、神子はしかと胸に刻みました。







 ◆◆◆







《オマケのオマケ》


 各国の大使館が立ち並ぶ閑静な通りにて。 

 現在の住居である大使館の目前で神子は足を止めました。



「あら? あの子は確か、あのお店でよく見る……」



 その視線は数十メートルほど先の、別の国の大使館の門前に向けられています。

 そこには、見覚えのある栗毛の少年と白髪の老紳士の姿がありました。


 

オニオングラタンスープ大好きマン参上!

冬場はこれに限ります。

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