勇者、やさぐれる
勇者リサがこの世界に召喚されて早くも一年が経とうとしていました。
その間、彼女とその一行は国内外を西へ東へと精力的に動き回っては八面六臂の大活躍。具体的には悪人を捕まえたり、魔物を倒したりといった活動です。
この一年で壊滅した犯罪組織は両手足の数では足りません。
国際的な大規模犯罪ギルドは軒並み壊滅状態。中小規模以下の犯罪組織や個人で活動していた者も、特に悪質性の高い連中から優先的に捕らえられていきました。逮捕された犯罪者の数は、どう数えても一万を下回ることはないでしょう。
有力な犯罪者は貴族や公的な役職者と密接に結びついていたり、既存の法では裁けないような者も少なからずいたのですが、そこは勇者の特権的立場がモノを言いました。
勇者とは、この世界において国家や法の枠組みの上位にある正義の象徴。
通常の司法では処断できない者だろうが、お構いなしに逮捕できるほどの強権が各国の王の連名により与えられているのです。
実のところ、当の勇者本人はその権限がどれほど凄まじいものなのかちゃんと理解してはいなかったのですけれど、各国の司法や犯罪捜査を担う人間達がその強権に目を付けました。
世の中、確たる証言や証拠があるにも関わらず、諸々の事情で捕まえることのできない悪人というのは少なくありません。
日々、そうした状況に歯がゆい思いをしてきた彼ら彼女らは各地を訪れた勇者を利用……もとい協力を要請し、偉大なる勇者様の名の下に長年国家のあちこちに巣食ってきた悪の撲滅に成功したのでありました。
各国の王達からしても、これは長年問題となっていた国の汚れを掃除できる格好の機会。逮捕された貴族の領地や財産を公然と没収できる口実にもなるので、勇者の活動を最大限支援しました。資金や捜査情報の提供など多少のコストはかかっても、それを大きく上回るメリットがあったのです。
勇者本人からすると、新しく訪れた町に着くたびに必ず誰かから頼みごとをされたり事件に巻き込まれるのを不思議に思わないでもなかったのですが、生来のお人好しな性格もあって深く考えることもなく請われるままに人助けを続けていました。
一応、勇者の名声と実力を政敵の排除など私欲のために使われないよう、仲間の騎士達がそれとなく情報の裏取りはしていましたが。
魔物の討伐は、人間の悪人退治に比べるとあまり多くはありませんでした。
たまに人里に出てきた野良の魔物を退治することはあったものの、魔物というのは基本的に山や森の奥地にいて人里に出てくることは少ないのです。
とはいえ、その稀な例外は人里だろうとお構いなしの強力な個体である場合がほとんど。本来なら軍隊が出動して多大な犠牲を払いながら戦うような大物を、いとも容易く倒していくことでまた勇者の名声は高まりました。
そんなことを幾度となく繰り返した結果、今では勇者の人気と名声は各国の王族をも凌駕するほどになっていたのです。
まさに世界一の有名人にして人気者。
道を歩けばお年寄りに「ありがたや」と拝まれて、気紛れでふらりと立ち寄っただけの商店は勇者御用達として大繁盛。各地で勇者特需とでも言うべき経済効果が巻き起こるまでになっていました。
勇者人気にあやかろうとする商人達は、勇者の噂に半ば意図的に大袈裟な脚色を加えて広め、吟遊詩人たちは日夜その活躍を歌い続ける。もはや勇者本人が聞いても自分のことだと分からないほど、噂に尾ひれが生えまくっていました。
各国の為政者も、その噂を訂正するどころか進んで利用するばかり。
実際、勇者の威光によって各地の治安や経済状況までもが急速に上向きつつあったのです。たとえ意図して作られたイメージだろうと、こうして実態が伴っている以上は虚飾であるとも言い切れません。
世界は勇者という生ける伝説に熱狂していました。
◆◆◆
それほどまでの人気を得て、いったい誰が言い出したのやら聖人や聖女とすら呼ばれ、いつしか信仰の対象にまでなっていた偉大なる勇者様は……現在、酒場で飲んだくれていました。
場所は、とある田舎町にある宿屋を兼ねた安酒場。もう閉店間際の遅い時間ですが、勇者は護衛を伴うこともなく一人で杯を重ねています。
「……うう、もう一杯おかわり」
「お客さん、それ以上は身体に毒ですよ」
酒場の女将さんがカウンター席で飲んでいた勇者を嗜めようとはしたのですが。
「いいから持ってきてください、はやく」
「……これが最後ですからね」
忠告に耳を傾ける様子もなく、空になった杯を突き出した。
女将さんも仕方なく杯を受け取って、次の一杯を作る準備をします。
程なくして新しい杯を勇者の前に差し出すと、勇者はその杯の中身をグイっと飲み干して席を立ちました。
「……ごちそうさまでした」
勇者はそれだけ言うとカウンターの上に数枚の硬貨を置いて、二階にある宿の部屋へとフラフラとした足取りで戻っていきました。
「やれやれ、大丈夫かねえ、あの子」
客のいなくなった店内で、勇者の飲んでいたハチミツ入りホットミルクの杯を片付けながら、女将は独り言を呟きました。ちなみに勇者、アルコールの類は全く摂取していません。酔った風だったのは酒場の空気に当てられての、いわゆる雰囲気酔いをしたのでしょう。
当然、女将さんも最近評判の勇者の噂は聞いていました。
その人物が自分の宿に泊まると聞いて、人並みに好奇心も抱いたものです。
しかし、実際に話した勇者は想像していたのとはだいぶ印象が異なりました。
どんなに大層な人物かと思ったら、その正体はどこにでもいそうな普通の少女。普通に悩み事もあるし、綺麗な部分も汚い部分も持ち合わせている。少なくとも世間で噂になっているような勇者像とはほど遠い。
本物の英雄なんていうのは案外こんなものなのか、と。
これはこれで本物らしいリアリティは感じられましたが。
そんな意外と普通だった勇者が悩み事があるというので、常連の酔っ払い共にするのと同じようにしばらく愚痴を聞いていたのですが、その内容だけは勇者らしく相当に変わっていました。
てっきり年頃の少女らしい色恋沙汰や将来の悩みかと思っていたのだけれども、なんとその悩みとは「家に帰りたい」というものだったのです。
それだけ聞くと単なる迷子みたいですが、もちろんそうではありません。
なんでも異世界から呼ばれて来たという彼女が元の世界に帰るためには、魔王を倒さなければならないらしい。だけど、この一年あちこち旅をして調べているにも関わらず魔王なんて影も形も、手がかりの一つさえも見つからない。
たしかに世の中にこれだけ勇者の名声が広まっているというのに、対であるはずの魔王の話は考えてみればとんと聞かない。それどころか世の中は治安も景気も良くなって、かつてないほどに平和な時代になったと思えます。
この世界に住む人々にとっては良いこと尽くめ。
が、平和の立役者である勇者本人にとってだけはそうではないのです。
なにしろ魔王が見つからなければ永遠に故郷に帰れない。
いっそ魔王が暴れて世の平和が乱れれば、などとは流石に彼女も口にはしませんでしたが。しかし女将が話を聞いた限りでも、内心ではそれに近い事を幾度も思い、その度にそんなことを考える自分に自己嫌悪を抱いている様子が伝わってきました。
要するに、ホームシックにかかっているのでしょう。
自ら望んだわけでもないのに突然この世界に呼ばれて、強制的に勇者という役割を押し付けられて、まるで進展のないまま丸一年。
考えてみれば、こんなに酷い話もありません。
もしかしたら魔王が姿を現さないのは、勇者をこうやって精神的に追い詰めて弱らせたところを叩こうとしているのかもしれない……なんて考えが浮かんでくるほどです。
実際のところ、そんな事実は全くないのですが、勇者と話してみて同情的な心境になっていた女将さんは、ついついそんな風に考えてしまいました。
なにか自分にできることはないか、とも考えますが。
「アタシがしてあげられることなんて愚痴を聞くぐらいだからねぇ……」
一介の酒場の女将にできることなど、たかが知れています。
仕事柄、旅人から色々な噂話を聞くことは多いのですが、あいにくと魔王の噂など聞いたことがありませんでした。
せめて何か元気付けられることはないだろうか?
人の好い女将はまだ彼女のことが気にかかるようです。
なんとか力になれないものかと頭をひねり、ようやく思い当たることが出てきました。とはいっても、魔王の居場所などではありませんが。
さっきの話によると勇者は食事に並々ならぬ拘りがあるらしい。美味い料理屋や珍しい食材についての話ならいくつか心当たりがある。明日にでも教えてあげよう。これで少しでも元気を出してくれるといいのだけれど……といった具合です。
そして、ついでにもう一つ。
料理屋繋がりで思い出したことがありました。
先日、この店に来た冒険者がおかしな料理屋の事を話していたのです。
どこぞの迷宮の中に料理屋があったとか何とか。酔っ払いのホラ話にしてはやけに具体的だったから女将の印象に残っていたのでしょう。
あの子が興味をもってくれるかは分からないけど、その話もついでに教えてやるとしよう。そんな風に考えながら、女将さんは人気の消えた酒場の灯を落とすのでした。
【ハチミツ入りホットミルク】
①マグカップに牛乳を適量
②電子レンジで温める
③ハチミツを小さじ1、無ければ砂糖でも可
冬場にオススメ
生姜のジャムか絞り汁を入れても美味しい