勇者、「和」を渇望する
王国の一地方を治める貴族、カーン男爵家の屋敷。
その屋敷内の仄暗い一室で二人の男が密談をしていました。
二人のうちの一人、太ったほうの男が懐からズッシリ重そうな布袋を取り出して、もう一人の人物に差し出します。
「カーン様、こちらが例の物でございます」
「……うむ、確かに」
カーンと呼ばれた男は袋の中身の賄賂を、金貨や宝石類の数を確認すると己の懐へとしまい込みました。
「ふふふ、それでは例の件は……」
「うむ、まかせておけゴヤーよ。くっくっく、邪魔なネズミ共は我が手の者に命じて明日にでも始末するとしよう」
実はこの二人、この地を治める代官のオダイ・カーン男爵とこの地方で一番の規模を誇る商会の主人エツィ・ゴヤーは、共謀して禁制品の密輸や脱税、果ては商売の邪魔者を事故に見せかけて闇に葬るようなことまで常習的に行ってきた根っからの悪党であったのです。
数日前に王都から来たという十数人ほどの騎士の一団が、この町でゴヤー商会の周囲を嗅ぎ回っている動きを察知し、自分達の悪事がばれぬよう工作。必要とあらば子飼いのゴロツキに命じて消してしまおうと画策していたのでありました。
「くくく、エツィ・ゴヤー。おぬしも悪よのう」
「いえいえ、オダイ・カーン様にはかないませぬぞ」
憐れなネズミの末路を想像し、暗い笑みを浮かべる二人。
しかし、その時……!
「そこまでです! 話は全部聞かせてもらいました!」
一人の少女が扉を勢いよく開き、糾弾の声を上げたのです。
「ぬう、何奴!? 曲者だ、出合え出合え!」
男爵が声を上げると、屋敷内のいたる所から子飼いのゴロツキ達が出てきて少女とその仲間たちを取り囲みました。下卑た笑みを浮かべつつ少女達を睥睨するゴロツキ達。
しかし、そこで臆することなく少女の仲間の一人が一歩前へ出て言ったのです。
「ええい、控えおろう! 頭が高い! この御方をどなたと心得る。恐れ多くも魔王討伐の為、異世界より招かれし勇者様であらせられるぞ!」
その声に合わせて聖剣を具現化して、格好良さげな決めポーズを取る勇者と呼ばれる少女。仲間の口上といい、決めポーズといい、まるで皆で事前に入念なリハーサルをしてきたかのようなよどみのない動きでした。
「ゆ、勇者様!?」
聖剣を目の当たりにした下手人達は、その場で武器を捨てて地に頭をこすり付けるように平伏しました。各国各地で数多の犯罪組織や強大な魔物を退治した勇者の名声は、当然この町にも届いています。誰がどう考えても町のチンピラ風情が敵う相手ではありません。
そして勇者の仲間である騎士は、相手から戦意が失われたのを確認すると更なる口上を続けます。
「貴様らの悪行の証拠は全て確保した。潔くお縄につけい!」
そうして、どこからともなく現れた騎士達が手際よく下手人たちを捕縛していきました。まるで扉のすぐ外で出待ちをしていたかのような絶妙のタイミングです。
往生際悪く、この期に及んで抵抗したり逃げ出そうとする者もいましたが、たちまちの内に全員お縄になりました。
その様子を見届けた勇者が〆の一言……。
「これにて一件落着、です!」
世に悪の栄えた試しなし。
こうして、この町に巣食う悪は滅びたのでありました。
◆◆◆
ですが、実のところ勇者一行にとって本番はここからでした。
「ところで、この町が平和になったのは大変結構なんですけど……どうでした?」
事件後の雑務を終えて宿に戻ってきた勇者一行。
勇者リサは騎士の一人に問いかけました。
「隠し帳簿を調べたところ、奴らの悪行は男爵がこの地に代官としてやってきた頃から五年近く続いていたようです。魔族に操られてやったのではなく、あくまでも奴ら自身の意思でやったと見るのが妥当かと」
問いかけられた騎士はそう答えました。
そう、どうして勇者が某暴れん坊な将軍様や某ちりめん問屋の御隠居の真似事をしていたのかといいますと、魔族の活動の痕跡を探すためであったのです。
王都を旅立ってから早三ヶ月。
王国内の各都市や諸外国にも足を運んで魔王の情報を収集しているものの、未だに何一つとして音沙汰がありません。今回のように人間の犯罪者を捕まえては魔族に操られた痕跡がないか調べたり、各地に出没する魔物を退治しては裏に魔族の影響がないかを調査したりしているものの、現状まるで成果が出ていませんでした。
無論、彼女達だけでは調査に限界があるので、王国内の諜報機関や協力関係にある諸外国とも密に連携をとって情報のやり取りをしているのですが、それでも空振りが続いています。
その調査の過程で今回のように各地の治安が回復しているので、完全に無意味というわけではないものの、目的に近付いている実感が湧かず最近では徒労感を感じ始めている勇者一行なのでした。
「一体どこにいるのやら……世界のどこかにいるのは間違いないはずなんですけど。まさか魔王ともあろう者が、悪事も働かずに平和に暮らしてるなんてことはないですよね?」
「ははは、流石にソレはないでしょう」
冗談のつもりで言った言葉が実は的を得ていたのですが、無論そんなことに気付くはずもない一行。
そして、話題は別のことへと移っていきます。
「そういえば、この町の市場に大豆が売っていたので買ってありますよ。また挑戦するんでしょう? ミソとショーユでしたっけ?」
「わっ、ありがとうございます!」
リサの仲間である女性騎士が買ったばかりの大豆の袋をカバンから出すと、それをそのままリサに手渡しました。もちろん食材である以上は食べるために購入したわけですが、そのまま茹でたり煎ったりして食べるわけではありません。付け加えるなら、食べられる物になるかすら定かではありません。
「どっちもニホンの調味料なんですよね。リサさんが何度も失敗するなんて、そんなに難しいんですか?」
「はい、正直まったく成功の目処が立ってないです……」
リサは大豆から味噌と醤油を自作すべく、ここしばらくヒマを見ては実験を繰り返していました。日本にいた頃は家業の影響もあってどちらかというと洋食派だったのですが、この世界で過ごすうちに味噌と醤油への渇望はどんどんと大きくなる一方。ついには自作を志すまでになっていたのです。
「やっぱり私も日本人という事ですかね。ああ、豆腐のお味噌汁が飲みたい……」
しかし、当然すんなり成功するはずもなし。
味噌や醤油の原料は大豆。
流石にそれはオーケー。
茹でたり蒸したりした大豆を細かくする。
ここまでも問題はありません。
そうして砕いた大豆に適切な麹菌を付着させて、容器の中で発酵させる。
はて、肝心の味噌麹や醤油麹はどこからどうやって調達すればいいのでしょう?
リサはこの段階で完全につまずいていました。
そもそも異世界に、その手の菌類がいるという確証すらもないのです。
これが醸造学を専門的に学んだ人間だったならやりようもあったのかもしれませんが、人より多少料理ができるとはいえリサは一般的な女子高生。
専門的な醸造知識などあるわけもなく、今のところは実験を繰り返しては腐った大豆(納豆にあらず)を量産するだけに終わっていました。
農家の皆さんへの罪悪感に押し潰されそうな気分を何度も何度も何度も味わい、しかし、それでも日本の味を諦めることができなかったのです。
和食以外の料理は工夫をしてそれなりに食べられるものが出来てきているだけに、反動で和テイストへの飢えが洒落にならないレベルになっているのでしょう。
夕食の席でパンと焼き魚の組み合わせをうんざりした気分で見ながら、一日も早い和食の実現に向けて誓いを新たにするリサなのでした。
後日、海辺の町で昆布をゲット。
海水からにがりを作って豆腐の作成にも成功。
しかし、味噌と醤油の成功の目処は立たず。





