表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
195/382

こんなに幸せでいいのでしょうか?


 嗚呼ああ……こんなに幸せでいいのでしょうか?







 ◆◆◆







 ここ最近のアリスは、念願かなって魔王との交際が始まり、結婚の時期も決まり、それはそれは頭の中がお花畑になったかのような浮かれぶりを……見せてはいませんでした。意外なことに。


 もちろん、嬉しくないわけはありません。ここ数十年、ずっとこうなることを夢見ていたのですから、その喜びといったら大変なものです。


 だというのに、頭はずっと冷静なまま。


 本来であれば人目も憚らずに歌い出したり踊り始めたりしてもおかしくないというのに、アリス自身にも不思議なほど頭の芯の部分が冷えていました。

 いえ、不思議という言葉には語弊があるかもしれません。何故なら、その原因の何割かはとても分かりやすいものだったのですから。


 それというのも、魔王とアリスの関係が、交際を始める前後でまるで変わっていなかったのです。人前ではおろか二人きりの時ですら、以前と全く変わりがありません。


 アリスとしては交際に際して、それなりの心の準備や覚悟はできて……いたとは言い難いですが、もっと甘い雰囲気になるものなんじゃないかと想像していたのに、まるで拍子抜けです。


 実を言えば、婚約の時期を決めた時だって、厨房で仕込み中トンカツ用の豚ロースに衣を付けながら、


「ねえ、アリス。結婚式って普通は何月くらいにやるもんなのかな?」


「そうですねえ、別に決まった季節はないんじゃないですか? あ、でも春だとケーキ用のイチゴが美味しくていいかもしれませんね」


「そっか、じゃあ春でいいかな」


「え、誰か結婚するんですか?」


「え、僕たちだけど?」


「え」


 と、魔王がごく普通の雑談の中に極めて重要な話題をいきなり放り込んできたからこそ、逆にすんなり決まったようなものです(ちなみに、その直前の話題は「落ちたギンナンと納豆のどっちが臭いか」でした。この流れで急に話題の変化についていけというのは流石に無茶でしょう)。

 まあ、アリスの心の準備が整うのを待っていたら、今度は婚約状態のままで何十年待たされるか分かったものではありませんから、これに関しては結果オーライだったかもしれません。


 コスモスたちには、つい見栄を張って「二人で相談して決めた」などと言ってしまいましたが、実際にはこんな具合でした。

 万事が万事こんな調子では、それは浮かれそうな頭も冷えるというものです。







 ◆◆◆







 頭が冷えている要因の二つめは、ここ最近のアリスの周囲での人間関係の変化です。


 まず、その筆頭は先日劇的な告白と玉砕をしたシモンでしょう。

 アリスとしては極力真摯な姿勢で対応したつもりでしたが、それでも彼を傷付けてしまったことに違いはなく、空間的な意味だけでなく精神的にも距離が離れてしまったと言えるかもしれません。再会が待ち遠しくはありますが、同時に少し後ろめたくもありました。


 逆に、そのシモンと仲の良い(本人たちは否定するかもしれませんが)ライムとの距離は、ごく最近になって急に近付きました。

 なんでそういう事になったのかはアリスも未だに理解しかねているのですが、彼女の師匠となって色々な護身さつじん術を教えています。

 ライムがほとんど感情を表に出さないので、はっきり断言しかねるのが悩ましいところですが、まあ以前より仲良くなったと言っても問題はないでしょう。


 もう一人の、料理の生徒であるメイとはアリスの自業自得というか、ちょっとした好奇心の代償として一時期気まずくなっていたのですが、意外とすんなり許してもらえました。最近は以前のような四人パーティーではなく、アランと二人きりで来店することが多いので、きっと何か良いことがあったのだろう、とアリスは見ています。


 他にも、一時期はすっかり真面目になって更生したと思っていたコスモスが、いつの間にか以前の調子を取り戻して日課のようにアリスで(アリスと、ではなく)遊びに来たり、常連筆頭のガルドがちょくちょく街を離れて武者修行兼世直しの旅に出ていたり、お祭りが終わって以降一回も神子が来店していなかったり(驚くべきことに、他の飲食店にも姿を見せていないようです)等々。ここ最近になって急に周囲の人間関係が揺れ動いていました。だからこそ、アリスも自分の事だけに気を取られてはいられなかったのです。




 そしてアリスとしては、周囲のほかの面々と比べて具体的に分かりやすい変化があるわけではないけれど、どうしてだかリサのことが一際気になっていました。


 いえ、はっきりとどこが気になるのかは、アリス自身にもよく分かっていません。

 しいて言えば最近は何か考え事をしていることが多く、妙に明るく活動的になることが多いかと思えば、突然ごく短い時間だけ暗い雰囲気を発することもありました。

 リサ本人が何も言わないのに真正直に聞きに行くのも憚られ、アリスとしてはなんとなくモヤモヤした感じを抱え込む羽目になっています。


 それに、はっきりしないといえば、あの日の劇場艇での告白もそうです。

 どうしてリサがあんな真似をしたのか、それを知りたい気持ちはあるのですが、なんとなくずっと聞けずにいました。

 その質問は一度口にしたが最後、全てをぶち壊しかねない爆弾です。あるいはそれは、アリスの危機察知能力の高さゆえに(恋愛能力はともかく、こちらの勘は非常に優秀です)、彼女の無意識が回避させていたのかもしれません。







 ◆◆◆







 そして、アリスが素直に浮かれ切ることの出来ない最後の、そして最大の理由は、彼女の中にずっとある不完全燃焼感とでも言うべき感情でした。


 これは、先述のリサの行動への疑問とも密接に関係しているのですが、アリスはあの時、自分の意思力の全てを振り絞っても魔王に告白することができませんでした。

 単に気持ちを伝えるという意味でなら確かに後から言いましたが、それは先にリサが暴露してしまい隠す意味が消失したからこそ。あのままリサが動かなければ、アリスだけの力では告白できなかったかもしれない。そんな風に思えてしまいます。



 大一番で為すべきことを為せなかった。

 自分の力では欲しいものを勝ち取ることはできなかった。

 なのに、今こうして幸せを手にしている。



 その奇妙な状況が、はっきりと言葉にできない収まりの悪さをアリスに与えていました。

 何もしていない、何もできなかった自分が、こんな風に幸せになってしまっていいのだろうか、と。


 そんな疑念は、圧倒的な喜びの前では確かに些細なものです。

 ですが、まるでコーヒーに一滴だけ落としたミルクのように、その異質な色はアリスの心全体にゆっくりと、しかし確実に無視し得ない影響を及ぼしていきました。


 だからでしょうか、いつの日からかアリスはこんな独り言を呟くようになりました。

 毎朝、眠りから目覚めた時に、これが夢ではないと確認するかのように。

 純粋な喜びと、そして僅かな疑問を込めて。



嗚呼ああ……こんなに幸せでいいのでしょうか?」





今章はここまでリサを軸に進めてきましたが、ここからしばらくはアリスのターンになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ