閑話・夜のオヤツ
日本国は関東某所。
すでに夜九時を回り、『洋食の一ツ橋』の厨房ではリサの父と祖父が、明日の仕込みと片付けをしていました。もう何十年と繰り返してきた作業であり、その動きには一切の淀みがありません。
そして、そろそろ作業も一段落した頃のことです。上階の居住スペースからリサが降りてきました。その手には何やら美味しそうな物が乗ったお盆を持っています。店の厨房とは別に二階には家族用の台所があるので、そこで何か作ってきたのでしょう。
「お父さん、お祖父ちゃんもお仕事お疲れさま。コレ作ってみたんだけど、良かったら食べて」
「ああ、ありがとうよ」
リサが実家のお店を手伝うのは今は週に二回か三回ほど。それも学校が終わってから閉店までの数時間に限られます。
リサとしてはもう少しシフトを増やして料理の修業をしたいところなのですが、学生のうちは学業や友人との時間を大切に、という家庭の方針でこの程度の回数で落ち着いています。
ちなみに家族であってもお給料はお小遣いに上乗せするという形で出ています。適正な報酬を貰うからこそ、仕事に真剣さや責任感が生まれるという考え方なのです。
そんな理由もあって、実家が料理屋だからといって好き放題に料理ができるわけではないのですが、リサは時折こうして家族への差し入れという形で何かしら作ることがありました。リサは修行の機会が増えますし、家族にも喜んでもらえるので一石二鳥。
父も祖父も可愛い子(孫)にはどうしても甘くなり、多少の材料のコストには目を瞑っています。本職のプライドがあるので味の評価だけは正直なものになりますが、それに関してはリサも望むところです。
「お、このお茶美味いな」
「うむ、ワシの好みの味だ。鉄観音に似とるな」
「良かった。それ、友達(?)からお土産に貰ったの」
「ほう、誰か旅行にでも行ったのか」
リサが出したお茶は、つい数時間前にコスモスからお土産で貰った葉で淹れた物です。つい「友達」という言葉に疑問符が付いてしまいましたが、散々セクハラを受けた後ですから、それも仕方のないことでしょう。
「それでね、こっちは皮から作ってみたの」
リサの視線の先には、ほかほかと湯気を立てている蒸しまんじゅうがありました。父と祖父にそれぞれ一つずつの計二個。大人の握り拳よりも大きな、食べ応えのありそうなまんじゅうです。
「そういえば、そろそろ肉まんの美味い季節だったな」
「うちではこういうのは作らんからなあ」
基本的に一日の大半を洋食屋の厨房で過ごす彼らにとっては、中華まんを食べるのも久々のことでした。コンビニで食品を買うということがまずありませんし、休日に家族で外食をするか、あるいは誰かからお土産でもらった時くらいしか食べる機会がないのです。
それに、考えてみれば洋食というジャンル自体があまり蒸し料理に縁がないのかもしれません。
洋食の花形といえばカツレツやフライなどの揚げ物、ハンバーグやステーキなどの焼き物、あとはシチューのような煮込み料理。蒸し物といえば、旬の魚介をワイン蒸しにするくらいでしょうか。
まあ、それはさておき。
「お母さんにも先に試食してもらったんだけど、美味しかったって。けっこう自信作なんだ」
「へえ、そりゃあ楽しみだ。じゃあ、いただきます」
と、折角のまんじゅうが冷めないうちに食べ始めました。
リサも皮から作るのは久々だったのですが、ちゃんと生地はふわふわに膨らんでおり、かぶりつくと小麦の甘い香りが湯気に乗って一気に噴き出してきました。
そして、その皮の下にある具はというと、
「ほう、なるほど悪くない。いや、美味い」
「そういえば、さっき取りに来ていたな」
リサがまんじゅうの具にしたのは、このお店でも出しているビーフシチューでした。
閉店時に残った料理は、自分たちや雇っている従業員のまかないとして消費するか、もしくは泣く泣く廃棄する形になるので、こうして料理に使っても問題はありません。
もちろんシチューそのままでは皮に包めないので、小鍋に移した後で弱火でことこと煮詰めて水分を飛ばし、野菜は木ベラで潰して、全体的にもったりした質感にしています。そうして液体から半固体とでも言うべき状態になったシチューを、発酵させた小麦の生地で包んで蒸し上げたのです。
そして特筆すべきは、シチューの主役である大きな牛のほほ肉がそのまま贅沢に包まれていることでした。舌先が触れるとほろほろ崩れそうなほどに柔らかく煮込まれたお肉が、一つのまんじゅうに一個ずつ入っているのです。
単なるビーフシチューまんならば、毎年コンビニ各社が工夫を凝らした変り種の中にあってもおかしくはありませんが、本職の洋食屋が本気で作ったシチューをベースにし、大ぶりのほほ肉がゴロゴロ入っている贅沢なまんじゅうとなれば、コンビニで大量に生産・提供するのは流石に不可能でしょう。
ビーフシチューと中華まん。
一見ミスマッチにも思えますが、その相性は意外なほどに良好でした。
野菜の旨味が完全に溶け込んだソース部分が甘い皮に染み、それが実に美味い。
ほほ肉の繊維を噛み締めると肉の旨味がじわっと溢れ出し、それが小麦の風味と合わさり、これがまた美味い。
かなり大きなまんじゅうでしたが、健啖家であるリサの父と祖父は、瞬く間にペロリと平らげてしまいました。
「リサ、美味かったぞ」
「ああ、美味かった。この調子で頑張りなさい」
「うん!」
尊敬する師匠たちに合格点を貰ったお陰で、この夜リサはとても安らかな気分で床に就くことができました。
コスモスからの「宿題」や、他にも色々な悩みを抱えたままですが、だからといって重苦しい雰囲気を纏っていればそれが解決するわけでもありません。むしろ、なるべく明るくなれる材料を探したほうが視野も広がり、解決までの近道になることでしょう。
リサは家族が相手だと喋り方がちょっとだけ幼い感じになります。





