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迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
191/382

秋期戦線異常アリ③

 芳しい茶の薫り満ちる茶房にて。


 コスモスに連れられてリサが訪れたこの店は、通りに面したオープンカフェ風の席と店内のテーブル席、そして店の奥にある個室席とに分かれていました。


 今回リサが案内されたのは個室席です。明るい色調の調度品や窓から差し込む光のおかげで閉塞感はありませんが、分厚い樫の扉で店内の喧騒は遮られており、ここだけ別の店のようです。他人に聞かれたくない話をする密会場所としては申し分ないでしょう。

 リサは学校帰りの制服姿のままなので、あのまま人目に付きやすい場所にいたら無用の注目を集めてしまいかねません。そういう意味でも個室というのは好都合でした。


 ここまで強引に連れて来られてしまいましたが、コスモスは未だにどういう用件でリサに会いに来たのかを伝えていません。わざわざ日本にまで現れたくらいですから、大事な用件なのだろうとは想像できても、その具体的な部分はまるで見えてきません。

 それとなく聞き出そうにも、ここまでの道中では関係のない雑談ではぐらかされてしまいました。いつにも増して多めでキツめな冗談の数々も、こうして考えれば本命から気を逸らすための目くらましだったとも深読みできます。まあ、単なる趣味だった可能性もありますが。



「ええと」



 何から聞いたものかと、とりあえずリサが口を開こうとした瞬間、



「さ、何か食べたい物はありますか?」



 と、出端を挫くタイミングでコスモスが言葉を発しました。



「ここは小籠包がなかなかイケるのですよ」


「ああ、そういえば」



 リサは、この部屋に通されるまでの途中で他の客が食べていたのを思い出しました。

 小籠包に限らず、シュウマイやギョウザ、春巻やゴマ団子、蒸しまんじゅう等々も。ここはどうやら飲茶風に点心料理とお茶を楽しむコンセプトのお店のようです。



「……ごくり」



 コスモスの用件も気になりますが、美味しそうな点心にも興味を惹かれます。

 つい三十分前にコンビニの中華まんを食べたばかりですが、この状況で何も食べないというのも酷な話です。カロリー的には過剰摂取気味になりますが、リサは自分の食欲に素直に従うことにしました。



「じゃあ、オススメの小籠包をお願いします」


「ええ、それでは」



 コスモスが指をパチンと鳴らすと、扉の向こうで出待ちしていたと思われる店員氏が、熱々の蒸籠の乗ったお皿とお茶を運んできました。

 どうやら、リサの注文も、考えをまとめてから返事までに要する時間も全て先読みされ、逆算して調理を進めていたようです。道中の雑談には時間調整の意味もあったのかもしれません。



「ふふふ、一度やってみたかったのですよ。こう、指をパチンと鳴らしたらタイミング良く人が動く的なやつを。なんだか格好いいですからね」



 まあ、その手間は単なる格好つけのためだったようですが。



「ありがとうございました。お礼に例の融資の件は前向きに考えておきましょう」


「あ、ありがとうございます、オーナー! では、失礼いたします!」



 そして、このお遊びへの協力を頼んだ店員氏にもなんらかの対価が支払われているようです。リサとしては、店員氏からコスモスへの呼称も含めて色々と疑問が増えるばかりでした。



「さ、では冷める前に頂きましょうか」


「そうですね。では、いただきます」



 色々と謎はあるものの、こうして料理やお茶が出されたということは、それほど急を要するものではなさそうです。そう判断したリサは、まず温かいお茶で舌を湿らせ、それから熱々の小籠包に取り掛かりました。



 さて、ご存知ない方の為にご説明しておきますと、小籠包というのは点心の蒸し料理の一種です。日本でも昨今はこれだけを扱う専門店が出来るほどの人気メニューです。


 小麦の皮で肉や野菜の餡を包み蒸し上げた料理で、外見的には小型の肉まんのように見えるかもしれませんが、料理の種類としてはまんじゅうではなく、シュウマイや蒸しギョウザのほうがより近いでしょう。

 同じ小麦の皮でも、まんじゅうの類はパンのようなふかふかの皮。小籠包の皮はツルツル感やモチモチ感を楽しむタイプなのです。


 そして、小籠包の最大の特徴であり魅力であるのが、皮の中に熱々のスープが入っているという点です。箸やレンゲで持ち上げた小籠包を、中のスープがこぼれないように口に運び、火傷しそうな熱さと美味さを一度に楽しむのが醍醐味です。

 たまに蒸す過程で皮が破れてスープが漏れてしまっている物があったりしますが、そんなのが混ざっていたらとても悲しい気分になるでしょう。



 そして読者諸氏の中には、ここまで小籠包という料理の説明を読んで、不思議に思った方もいるかもしれません。

 いったい、液体であるスープをどうやって小麦の皮に閉じ込めているのでしょう?

 料理人が凄まじく器用で、スープをこぼさないように気をつけながら、一つ一つ素早く包んでいるのでしょうか?


 いいえ、その答えは「ゼラチン」です。

 豚の皮や鶏の足などの、ゼラチン質を多く含む材料を使ってスープを作れば、それが冷えれば自然と煮凝り状に固まってしまいます。

 そしてゼラチンは熱で溶ける性質がありますから、煮凝りを他の具と一緒に皮で包んで蒸し上げれば、食べる時には熱々のスープに変身しているというカラクリなのです。



「ふう、ふう」



 リサは火傷しないように注意しながら、その味と熱さを楽しんでいました。ちなみに薬味は針のように細く切った生姜、タレは黒酢と醤油を混ぜた物。コスモスは薬味は使わずに黒酢だけで食べているようです。


 小籠包の上端の捩れた部分を箸でつまみ、皮を破らないように慎重にレンゲの上に乗せ、薬味とタレを付けてから一気に口の中へ。これほどまでに舌を火傷しやすい料理もそうはないでしょうが、冷めてしまっては台無しです。


 恐る恐る口に運んで最初に感じるのは、黒酢ダレのやや甘みのある風味豊かな酸味。そして歯の先端でモチモチした皮を突き破った瞬間、肉の旨味をたっぷりと含んだスープの洪水が溢れそうになります。


 旨味を悠長に楽しむ間もなく「ふうふう、はあはあ」と必死で熱を逃がしながら食べる。それこそが小籠包なのです。口内が熱で焼ける感覚すらをも楽しむ、ある種倒錯的な食の快楽がそこにありました。







 ◆◆◆







「ふう……ごちそうさまでした」


「ごちそうさまでした」


 小籠包を食べ終えた二人はお茶を飲んで一服していました。

 料理だけでなくこのお茶もかなり上等なようで、中国茶の鉄観音を彷彿とさせるような、桃のような甘い香りと嫌味のないさっぱりとした渋みを楽しめます。



「いいお店ですね」


「ええ、私もよく来るのですよ」


「そういえば、さっきお店の人に『オーナー』って呼ばれてましたけど」



 お腹と心が落ち着いたところで、リサも気になっていることを聞くことにしました。これは特に隠すようなことではないのか、コスモスもあっさりと答えます。

 


「ええ、ここの土地と建物は私の所有物です。経営への助言も少々していますが」


「はあ、なんだかすごいですねぇ」


「いえ、それほどでもありません」



 ちなみに、ここ以外にもコスモスが個人で所有している不動産は多数あり、それを見込みのありそうな職人や商人に貸し出すということを本業である魔王軍の仕事の片手間でやっています。才能があっても店舗を構えられるほどの財産がない相手や、事業の拡大を狙っている者に声をかけて貸し出しているのです。


 そして当初は貸すついでにやっていた経営への助言を「お金を払ってでもいいから」という求めに応じる形で経営コンサルタント的な事業も始め、更には金融業にも手を出してあちらこちらにお金を貸していたりもします。

 そんな事をしているうちに、勝手にコスモスの資産は膨れ上がり、今では迷宮都市全体の不動産の7%超が彼女の個人所有となっていました。しかも、その勢力は現在進行形で拡大中。もはや彼女のことを不動産王と形容してもまるで大袈裟ではない状態です。


 オマケに(これは魔王やアリスにも内緒なのですが)、先のお祭り中にギャンブルの負けが込んで借金漬けになった各国の要人たちと秘密裏に交渉して、借金の帳消しと引き換えにいくつかの国の免税特権状を獲得していました。どう考えても今以上に事業規模を拡大する気マンマンです。

 最初の元手は魔王からもらったお小遣いだったのですが、この調子だと総資産で彼を追い抜く日も近いかもしれません。





「なんだか、すごいですねぇ」


 まあ、そんなのは一介の女子高生には想像するのも難しい世界の話です。とりあえず、リサ自身には直接関係がなさそうな話だと判断し、軽く流しました。あまりそっち方面の事情に深入りしたくないというのが本音です。



「リサさま、お茶のおかわりはいかがですか?」


「あ、いただきます」



 こうしてお茶を楽しんでいると心が安らぎ、リサも身構えていたのがなんだか馬鹿らしくなってきました。



「お気に召したようでしたら、後ほどお土産に茶葉をお持ちください。ご家族の分もどうぞ」


「いいんですか? なんだか、悪いですね」


「いえいえ、大したことではありませんとも」



 途中まではコスモスの意図が読めずに不安でしたが、こうして美味しい物をご馳走になり、お土産までもらえるというのですから、きっとここから悪い流れにはならないだろう。リサがそんな風に思い、心のガードを少しばかり緩めてしまったのも無理はないでしょう。


 この後のコスモスの言葉に対してうっかり素の反応を返してしまったのも、だから、仕方のないことだったのかもしれません。



「ところで、リサさま」


「なんですか?」


「いえ、大したことではないのですが、実は、魔王さまが貴方のことを好きだって言ってましてね」


「へえ、そうなん…………」




 間。



 間。



 間。



 空気が凍りつくというのは、こんな状況を言うのでしょう。

 リサの思考が凍り付いて解凍されるまで、きっかり一分間かかりました。



「えええええぇぇぇぇぇぇっ!? え、だって、わたし、そ、そんな、ウソですよねっ!?」



 過去の人生で間違いなく最大の叫びを発したリサに対する、コスモスの返答は以下のようなものでした。




「はい、ウソですよ。ですが」


 その反応からするに、ウソ吐きはもう一人いたようですね、と。


 全てお見通しだと言わんばかりの余裕綽々の笑みを浮かべながら、コスモスは優雅にお茶のカップを傾けました。




小籠包に限らず、ギョウザやシュウマイなどのタレを付けて食べる料理は黒酢がポイント。

ちょっとお高いのだと香りが全然違います。

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