アリス先生のお料理教室 応用編⑤
天には星。
地には花。
日中の暑さもほどよく和らぎ、心地よい夜風が柔らかく肌を撫ぜている。
そして現在この場で起きているのは、自分と、密かに想いを寄せている相手の二人だけ。
よっぽど感性が狂っていなければ、十人中十人がロマンチックな風情を感じる状況と言えるでしょう。
周囲に邪魔者は……いるにはいますが、自分たち二人以外は泥酔して眠っているので放って置けば朝まで寝ているに違いありません。なので、障害になりそうな外野を考慮する必要はなし。なんなら少し歩いて近くの岩陰にでも移動すれば、視覚的にも気にならないでしょう。
ここまで絶好の告白シチュエーションというのは滅多にありません。いえ、「滅多にない」どころか今後二度と訪れないかもしれないと思えるほどの好機です。
(どうしましょう~?)
しかし、そんな状況下にあって、メイの心の中はその疑問で埋め尽くされていました。
いえ、最終的にどうすればいいかは彼女にも分かっているのです。これまで秘めていた想いを告白すればいいのですが、そこまで持っていく過程に不安がありました。
偶然転がり込んできたチャンスゆえに、心構えや覚悟というものが全くできていなかったのです。最初からその気であれば、それなりの計画や雰囲気作りの段取りを考慮することもできたのでしょうが、ある意味で不意打ちを喰らったに等しい状況では望むべくもありません。
「ん……あれ、ここは?」
そうこうしている間に、寝惚けて半覚醒状態だったアランがはっきりと目覚めてしまいました。もう悩む時間はほとんど残されていません。
(と、とりあえずは~!)
メイは意を決し、今すべきだと信じた行動を取りました。
「お、お水をどうぞ~」
「あ、ありがとう、メイ」
「いえいえ、どういたしまして~」
精一杯の精神力を振り絞っても、とりあえず持っていた水筒を渡すだけしかできませんでした。
まあ、話の導入としては意外に悪くないかもしれません。
酒臭い匂いを撒き散らしたままでは折角のムードも台無しですし、口内を濯いでさっぱりしたお陰でアランもはっきり目が覚めたようです。
◆ ◆
その時、すぐ近くの岩場の陰にて。
「あの、どうして私たち、覗きなんてしてるんでしょう?」
「いや、だって気になるじゃないですか?」
「まあ、それはそうですけど」
メイが目を醒ます直前のことです。
アリスとリサが、食事の後片付けと寝床の準備をしにきていました。
一回睡眠を挟んだせいでメイは現在時刻が何時頃か分からなくなっていましたが、実際に彼女が寝ていたのは二十分に満たない程度でしかなかったのです。
さて、冒険者一同が酔っ払って寝ていた時に来たアリスとリサは、彼らの食事が終わっている事を確認すると、食事の後始末をすることにしました。
生ゴミを処理する穴を掘る必要があったのですが、花が生えている部分を掘り起こすのが心苦しかったのもあり、少し離れた地面がむき出しになっている辺りを掘ることにしました。
そして二人が地面を掘り返して戻ってきたところで、何か思いつめた様子のメイがじっとアランの顔を見ているのを発見したというわけです。
この状況を見て何が起ころうとしているのか分からないようでは、恋する乙女の資格はありません。アリスですら(予備知識としてメイの気持ちを知っていたからではありますが)一目で現状の意味合いに気付いたくらいです。
声をかけて邪魔をしてはいけないという気遣いも一応はありましたが、それ以上の好奇心が彼女たちを突き動かし、こうして気配を消して岩陰から覗きをしているのでした。
◆◆◆
そして、まさかすぐ十メートルかそこらの距離から見られているなど想像もしていないメイは、次の一手をどう打つかに頭を悩ませていました。
「とりあえず、皆を起こそうか」
地面に転がって寝こけている仲間たちに気付いて、至極まともな判断をしたアランに対して、
「いえ、よく眠ってますし、寝かせておいてあげましょう。見張りはわたしたち二人で充分ですし~」
慌ててその行動を阻止しました。他に誰か一人でも起き出してきたら、もう完全にチャンスがなくなってしまうので必死です。幸い、アランはメイのその説得に「それもそうか」とすぐに引き下がったので今すぐに機会が潰えることはありませんでしたが、
「起こすのはリサさんが来た後でもいいか」
彼のその言葉を聞いて、メイは更なるタイムリミットの出現に思い至り、焦りを覚えました。予定通りならば、もういつリサやアリスが来るか分からないのです。あくまで彼女の主観としては、ですが。
眠っていたために現在時刻が何時頃かは分からなくなっていたのですが、メイがそれとなく視線を彷徨わせて調理に使った鉄板を見てみると、まだ完全に冷え切ってはいない様子。すなわち眠っていた時間は最初に思ったほど長かったわけではなさそうだと判断できます。
何か予想外の事態が起こって来れなくなったのではなく、予定通りにこれからこの場に出現するのはほぼ確定。
これにはメイも困りました。
転移というのはここまでの道中でも何回か見ましたが、本当になんの予兆もなく突然その場に現れるので、最悪の場合は告白の最中に目の前に出てくる可能性もあるのです。
◆ ◆
まあ、実際にはメイの想定する最悪よりも、ずっと状況は悪いのですが。
「邪魔をしたら悪いですからね」
「ええ、事が済むまでは決して気配を悟らせませんとも」
他人の恋愛は蜜の味。
自分のことだとあれほど悩んでも、完全に外野の立場からであればこんな風に楽しめてしまうようです。
いえ、彼女たちにもそれが悪い事だという自覚はあるのです。
その罪悪感がちゃんと仕事をしているからこそ、撮影や録音などはかろうじて実行に移すことなく自重できているのですが……それでもセーフかアウトかで言ったら完全にアウトでしょう。
◆◆◆
「少し、歩こうか」
再びメイたちの状況ですが、なんとアランの方からそんな誘いをかけてきました。単なる眠気覚ましの散歩ですし、眠っている仲間たちの安全のためにもあまり遠出はできませんが、メイとしては望外の僥倖です。
場所を移せばアリスやリサに決定的な場面を目撃される危険は減りますし(実際は手遅れなのですが)、周囲に漂う酒臭い匂いが気になってきたり、ダンがガーガーと大イビキをかき始めたせいで、この場に留まっていてはせっかくのムードが盛り下がる一方だったのです。
この幸運を無駄にしないように、メイは精一杯の勇気を出して言いました。
「あの、アラン……手、つないでもいいですか?」
◆ ◆
「わっ、大胆!」
「ちょっ、リサさん、声が大きいですって!?」
さて、こちらの覗き魔二人ですが、メイの大胆な誘いに大いに驚き、リサなど岩陰から身を乗り出す勢いです。比較的冷静さを保っているアリスにしても興味津々なのは否定しようもありません。
まあ、二人のこの様子も無理はないかもしれません。
酒精の影響かメイの白い肌には朱みが差して目も潤み、更には周囲のロマンチックなムードも手伝って、非常に色っぽい雰囲気になってしまっているのです。
眠っている仲間が近くにいるので流石にそこまではないでしょうが、もしも二人きりであったならば、これからの展開次第ではそのまま行くところまで行ってしまっても不思議はないような空気さえありました。
そんな“オトナ”の雰囲気漂う状況に、色々とこじらせてしまっている小娘二人(実年齢はともかく恋愛経験的に)はすっかり目が離せなくなってしまっていたのです。
「って、二人がこっちに歩いて来ますよ!?」
◆◆◆
アランもまた、長い付き合いの少女の見たことのない一面に動揺していました。
彼とて健全な心と身体を持つ青年です。異性や恋愛といった物事に対する憧れもそれなりに持ち合わせています。
そして彼はどこかの魔王と違って、人並み程度には他人の心の機微を読み取る感性も持ち合わせていました。手を繋いでくれと言われた時点で「これはまさか?」と思ってしまったのも無理はないでしょう。
ですが、心の準備ができていないのは彼も同じです。あらかじめ相手のことを恋愛の対象として意識していなかった分、より困惑の度合いは深かったと言えます。
もし全部が自分の勘違いで、何か早まった真似をしてしまったら、明日からどうやってメイと接すればいいか分からなくなってしまう……みたいなことを考えていました。
とりあえず求められるままに手を繋いだはいいものの、何を話せば分からなくなってしまって、とりあえず無言のままなんとなく目に付いた岩に向けて歩き出しました。
「……静かですね~」
「……うん」
あまり元の場所を離れることもできないので、その岩の周囲を二人手を繋いだまま、ゆっくりと歩き続けます。
この時よく見れば、地面に自分たち以外の靴跡があることに気付けたかもしれませんが、幸か不幸かこの時点ではそれに気付けるような注意力を維持することは不可能でした。
◆ ◆
で、不埒な覗き魔共ですが、ヒソヒソ声で何やら会話をしていました。
(……そ、そっち、ちょっと詰めてください……)
(……これ以上近付くと、流石に気付かれちゃいますから……)
吃驚仰天。
なんと覗き見ていた二人が自分たちの隠れていた岩のほうに向かって来るものですから、さてはバレてしまったかと一度は覚悟したのですが、存在に気付かれたわけではないと知ると、ふてぶてしくも再び監視を続行しました。
隠れている岩は高さ二メートル強、直径が三メートルほどの歪な円筒形に近い形状をしているのですが、アランたちの移動速度に合わせてちょうど角度的に見られない位置になるように歩みを進め、時折背中側からチラチラと直に目視していました。時には気配を消して一メートル以内の至近距離まで近付いていたくらいです。
この二人が本気で気配を消そうとしたら、野生の虫や動物ですら手を伸ばせば届く至近距離にいても決して気付けないというレベルです。その無駄に高度な隠形の技術が日の目を見るのが、こんな場合しかないというのが色々な意味で残念でした。
客観的にはほとんどコントのような状況ですが、これも良い場面を見逃さない為の止むを得ない処置なのです。限りなく有罪寄りの処置でもありますが。
◆◆◆
そのまま、なんとなく岩の周囲を何周もぐるぐる歩いていましたが、メイの中には次第に焦りが生まれてきていました。
彼女としては、どうにか良い雰囲気を作るのには成功したけれど、それに時間を費やしてしまったせいで、もういつアリスやリサの邪魔が入ってもおかしくないと考えているのです。
実際には背後ニメートルの地点にいるのですが、それには全く気付いていませんでした。
「…………」
「…………」
雰囲気そのものは悪くない、むしろこれ以上はないほどに温まっているのを感じているのですが、アランもメイもお互い何を言っていいのか分からず、意味深な沈黙が続くばかりです。
ですが、周回も十周目に達しようというところでメイが突然足を止め、隣に立つアランに向き合ったのです。
◆ ◆
「わ」
「きゃ」
今のは危ないところでした。
突然前を歩く二人が足を止めたせいで、不自然な姿勢で前のめりになっていた身体が倒れそうになり、リサもアリスも二人まとめて転びそうになったのです。
体勢を崩した際に小さい悲鳴が漏れてしまいましたが、奇跡的に気付かれてはいないようです。完全に二人の世界に入り込んでいるせいで、周囲の雑音に対して鈍くなっているのでしょう。
とりあえず二人して岩の反対側に退避しましたが、このままだと一番良いシーンを見逃してしまいかねません。
先程まではメイたちの背を追う形だったので気付かれずに済んでいましたが、現在は岩を横手に向かい合っているので、どちらから覗き見るにしても高確率で気付かれてしまうのです。
折角、罪悪感を押し殺してここまで見たのだから、どうせなら最後まで見守りたい。
そんな、毒を喰らわば皿まで的な思考を巡らせたリサとアリスは、どちらが言い出すということもなく、二人のやり取りがよく見える特等席へとよじ登り出しました。
◆◆◆
「あの……昼間の話ですけど」
「えっと……?」
「ほら、将来はこんなところに住みたいな~、とかの」
「あ、うん」
メイとアランのやり取りは、もうクライマックス目前でした。
昼間の何気ない雑談を切り口に選んだお陰で、身構えていたアランの緊張も少し解れたようです。
彼の記憶だと、その時の話題の結論は「安定した老後の為の貯金を頑張る」というものでしたから、もしかしたら全ては自分の自意識過剰で、思ったような色気のある話ではないんじゃないかという疑問が生じ(たとえば、本当は「お金を貸して欲しい」みたいな話なんじゃなかろうかと)、残念や安心が入り混じった複雑な感情に身体の力が抜けてしまいました。
「それで……あの……」
ですが、そうやってできた精神の緩みを一気に突くことがメイの作戦だったのです。如何に頑強な鎧でも、継ぎ目を狙えば脆い物。心の防壁が無防備に緩んだ隙を狙って、一気に勝負を決めるつもりでした。
具体的にはその老後の話から派生させて、自分もその人生を隣で共に歩みたいとか、そんな風に言うつもりでした。
そう、そのつもりだったのです。
この時、メイの目線はアランの顔に向かっていましたが、二人の身長差の関係上、彼女は斜め上を見上げる格好になっていました。
そして、視界の端に映る岩の上から見覚えのある金と黒の髪が垂れ下がっているのに気付かなければ、きっと未遂ではなく全てを言い切ることができていたのでしょう。
◆◆◆
「ええと……お二人の姿が見当たらなかったもので、探しに来てですね……あ、私たちはちょうど今来たところなんですが」
「そ、そうなんですよ……それで、お取り込み中みたいだったので、邪魔したら悪いなぁって」
岩の上からすごすごと降りてきたアリスとリサは無様な言い訳を口にしますが、一体どういう理由があれば息を潜め、気配を殺して岩の上に二人で隠れている状況を正当化できるというのでしょう。
メイもそんな言葉を信じるほどお人好しではありませんでしたが、
「そうなんですか~、じゃあ仕方ありませんね~」
と、この場では騙されたフリをするしかありません。
この空気の中で告白を続行するのは不可能ですし、ここで迂闊に怒りを顕わにすれば、その過程で告白を経ずにアランに対する気持ちが明らかになってしまうかもしれません。それは、なんとしても避けたいところでした。
ここでは、アランとメイの二人が、特になんの変哲もない単なる世間話をしていただけだった。
アリスとリサは、つい先程この場に来て二人の姿がないことに気付き、辺りを探していた。二人のやり取りは何も見ていないし聞いていない。
何もおかしい事はなかったのだから、何も言うべき事はない。今回の件は一切他言無用。あと、なるべく早く忘れるべし。
色々とツッコミ所はあるものの、この場にいる面々の中では、今回の一件はそういう事として扱うことになりました。
とはいえ、下手人二人に関してはこれでお咎めなしとはいきません。
彼女たちを見ているメイの表情は一見すると穏やかに微笑んでいるように見えますが、その目は全く笑っていません。地獄の悪魔も尻尾を巻いて逃げ出すような鋭い視線を受けて、元魔王と元勇者の現覗き魔たちは完全に震え上がってしまいました。
アリスたちが今回作った借りを返そうと思ったら一筋縄ではいかないでしょう。まあ、それに関しては完全に自業自得なので同情はできません。
まあ、絶交されても文句は言えないのに、それほど怒りが長続きすることなく二人を許したあたり、メイの器はかなり大きいようです。
もしかするとそれは、今回のことがどうでも良くなってしまうほど嬉しいことがあったお陰かもしれませんが。
◆◆◆
《後日談。そして今回のオチ》
無人島の冒険から戻った数日後。
アランは珍しくダンだけを飲みに誘いました。男同士でしかできない相談があったからです。
「実はさ……最近なんだかメイのことが気になって」
「え、お前あいつに惚れたの?」
「惚れたっていうか……まあ、そうなのかな?」
あの晩の告白は結局不発に終わってしまいましたが、アランの中にはメイをこれまでとは違う意味合いで見た記憶がはっきりと残っていました。具体的には、ただの「仲間」ではなく、恋愛対象になり得る「女の子」として。
ただ意識し始めてから日が浅いために、その感情が男女の愛情のソレなのかがまだはっきりせず、オマケにその時の良い雰囲気が単なる自意識過剰だったんじゃないかという疑問もあって、こうして信頼できる親友だけに相談しているのです。
「そうか、じゃあさっさと告れ」
ですが、その親友も男女間の機微などまるで分かりませんでした。ついでに言えば、あまり頭が良いほうでもありませんでした。
ダンにできることといえば、このような直接的な促しか、もしくは、
「お前が言わないんなら『アランがお前のこと好きだって言ってたぜ』ってメイに言っとこうか?」
「……それをやったら絶交だからな?」
自分で言う勇気がないから友達に代わりに言ってもらうなど、男としては情けなさすぎて精神的に再起不能になってしまいます。まあ、どこかのヘタレなウェイトレスが最近似たような流れで婚約者をゲットしたのですが、それは今は置いておきましょう。
「まあ、とりあえず相談したかっただけだし、言ったら気が楽になったよ」
「そうか、よくわからんが、それなら良かった」
この夜、アランはダンに「メイに伝えること」に関しては口止めしましたが、「それ以外の人物に伝えること」を禁じなかったのは、結果から見れば正解だったのか否か、判断が難しいところです。
この翌日には、ダンは親友の助けになりたいという純粋な気持ちから、アランのことをエリザに相談しました。彼は自分の頭の出来がそれほど良くはないという事を知っていましたし、恋愛関係ならば女性のほうが詳しいだろうという思い込みもありました。
で、元々メイの気持ちを知っていたエリザは当然ながらその朗報を親友に教え(ダンから口止めされていましたが、この状況でそんなの守るわけがありません)、結果的にはパーティーの女性陣だけが、両者が両想いであると知っている奇妙な状況が生まれてしまったのです。
こうなったらメイも変に焦ることはありません。
早く交際をしたいという気持ちも勿論ありますが、勝利が約束されているという余裕のお陰で現状の微妙な関係を楽しむ気持ちすら出てきました。ついでに言うと、どうせなら告白をする側よりも受ける側でいたいという欲もありました。
想い人からロマンチックに愛の告白を告げられたいという乙女チックな願望を抱きながら、もうしばらくは今まで通りの「仲間」の関係を楽しもうと、そんな風に考えるメイなのでした。
※
この話はとりあえずここで終わりです。アランとメイに関しては、勝利が約束された上での現状維持という感じで。
サブタイの「お料理教室」は半分以上無関係でしたね。
島に着いてからは別題にしたほうが良かったかもしれません。
※
リサは良くも悪くも自分に正直になり始めているようです。
まあ、今回のは完全にアウトですが。





