アリス先生のお料理教室 応用編③
前中後編の三話で終わるはずが収まりきらなかったので、後編ではなく③になってます。前話と前々話も①②に変更済みです。
冒険者の朝は一杯のコーヒーから始まります。
「お砂糖とミルクは使いますか?」
「あ、いただきます~」
砂糖とミルクを入れた温かいカフェオレで寝起きの頭と胃袋が目覚めたら、自然と空腹感がやってきます。
ちなみに現在彼らがいるのは、昨晩野営した森の中の拓けた空間です(昨夜、食事と入浴を済ませた後は、不寝番を立てることもなく安全な空間で全員朝まで熟睡したのが、果たして「野営」と言えるかは大いに疑問ですが)。
熱帯地方ではありますが、まだまだ早朝の朝靄の漂う時間帯。程よい涼しさが肌に心地良く、草木の清涼な薫りも気分をスッキリさせてくれます。ついでに言っておくと、朝食が始まる前にこの場の全員が一旦アリスに連れられて魔王の店まで行って洗顔や手洗いを済ませ、女性陣は朝風呂にまで入っていました。そりゃあスッキリしているでしょう。
そんな場所にピクニックで使うようなレジャーシート風の敷物が敷かれ、その上に皿やカップが並べられていました。
今朝のメニューは具沢山のサンドイッチ。
カリカリのベーコンとスクランブルエッグと新鮮なレタスを、粒マスタードとマヨネーズと一緒にバターを塗ったパンに挟み込んだ品です。
フワフワの卵とベーコンの塩気を含んだ脂が見事なハーモニーを奏で、パリパリとした食感が爽やかなレタスのお陰で舌に重さが残ることもありません。
「おかわりが欲しい方は言ってください」
アリスの声に反応して、誰も彼もが遠慮なく手を挙げました。
朝は食欲がなくて物を食べる気にならないという人は少なくありませんが、この場の面々はその例には当てはまらないようです。
そして、満足いくまでサンドイッチを食べたら朝食も終わり……ではなく、まだまだデザートが残っています。一口サイズに切った柿と梨、皮ごと食べられるブドウ、希望者にはヨーグルトも付いてきます。
「冒険中のご飯は美味しいね!」
「一応言っておくけど、これが普通じゃないわよ? ……ああ、なんだかダメになりそう」
フレイヤの言に一応エリザがツッコミを入れました。あまりにも快適な状況に冒険者としての価値観や常識が、現在進行形でガラガラと音を立てて崩れていっているようです。
「では、私はそろそろ戻りますね。また何かあったら呼んでください」
一同の朝食が終わると、アリスは食器と敷物を片付け、その場からフッと消えてしまいました。千キロ以上も彼方の迷宮都市にまで戻ったのでしょう。
それからほどなくして、アランたちプラスフレイヤの五人組は、本日の冒険を開始しました。
◆◆◆
出発から数時間が経過し、太陽が真上に来たあたりで一向はお昼の休憩を取ることにしました。
気分的に足取りが軽い上に、食料や水や野営道具も念の為の最低限しか持っていないので物理的にも軽くなっており、予想よりもだいぶ進行ペースが早くなっています。この調子ならば間もなく森林地帯を抜けて、夕方前までには目標の小山の頂上までも行けるでしょう。
「毎度どうも。お昼の出前に来ました」
今回来たのは魔王でした。
この為だけにわざわざ用意したと思しき岡持ちの中には、大きな海老天が乗った天ぷら蕎麦が人数分入っています。
「おっと、テーブルとイスがないと食べにくいですよね」
現在リサは日本の高校で授業を受けているので、異様に便利な聖剣は使えません。アリスが持ってきていた敷物もうっかり忘れていたようです。
まあ、冒険者なら地べたに座るくらいは普通なので、こうして食事を用意してもらえるだけでも充分すぎるのですが、
「これを使ってください」
と、魔王が肘から先をその辺の空間に適当に突っ込み、何やらゴソゴソと探したあとでテーブルとイスを次々と掴んで引っ張り出しました。どうやら、魔王城の物置にあったのを適当に取り出したようです。
「じゃあ、ごゆっくり。あ、水筒の水も入れときますね」
昼食が終わった頃には補充が済んだ水筒を受け取れるというわけです。軽くなった水筒を預かった魔王は一旦店に戻りました。
適当にその辺の空間を掴んでグイッと引っ張ると穴が開き、その向こうにはレストランの店内が見えています。
「転移って、一応はものすごく高度な術なんだけど……」
魔法に関する知識が浅ければ「そういうもの」として意外とすんなり受け入れられるのですが、なまじ知識が深いエリザは目の前の現実を簡単には受け入れられずにいました。最近はすっかり感覚が麻痺してきていますが、たまにこうして常識と現実との乖離にエラーを起こしてしまうようです。
「魔王さまのする事をイチイチまともに考えても仕方ないから。それより早く食べないと、お蕎麦がのびちゃうよ?」
まあ、その手の悩みは何十年も前に大抵の魔族が通った道でもあります。
最終的には考えるのを止めて現実を受け入れるしかないと分かるのですが、彼女たちがその域に達するのはもう少し先のことになりそうです。
今は達観して呑気に蕎麦を啜っているフレイヤも、一度ならず魔王を本気で焼き殺そうと挑みかかって、しかし全く通用しなかったという過去があってこそ、現在の心理状態にまで至ったのですから。
◆◆◆
少し、昔話をしましょう。
もう百年近く前の話です。
魔王が、アリス率いる旧魔王軍を一人も殺さず手加減した上で壊滅させた後、当然ながら全ての魔族がすぐに彼に忠誠を誓ったわけではありませんでした。
食料の供給源として機能していた魔王を殺すのはマズイという判断もあり(できるかどうかはさておき)、大半はその存在を面白く思わずとも手を出さずにいたのですが、そういう現実的な判断よりも自己の感情を優先させて強行的な排斥に出ようとする者もいたのです。
そして、その代表格こそが当時のフレイヤでした。
今でこそ、こんなアホの子になっていますが、当時はまだ強者としてのプライドや意地や自負といった気持ちがちゃんとあったのです。
魔王本人が自分の存在が気に入らなければいつでも殺しに来い、と公言していたので誰からもお咎めを受けることもなく、何度も何度も挑みかかりました。
これが、アリスに負けた時のように分かりやすくボコボコにされていれば、フレイヤも早くに敗北を受け入れられたのでしょうが、魔王が攻撃することは一切ありません。
「おはよう、魔王! 死ねぇ!」
「おはよう、フレイヤ。今日もいい天気だね」
その頃は、大体こんな感じのやり取りが毎日繰り返されていました。
当時はアリスもまだ魔王に惚れていなかったので、フレイヤの暴挙を止める者は誰もおらず、魔王は毎日されるがままに彼女の炎に焼かれていました。
ですが、なにしろ魔王は魔王なので、周囲の建物が蒸発するような炎を浴びても火傷一つすることなく、何故か服すら燃えることなく、フレイヤの気が済むまで炎の中で退屈そうに欠伸をしている始末。
たまに真剣なフレイヤに気を遣って、効いているフリをしたこともあったのですが「ウワー」などと棒読みの悲鳴とヘタクソな演技で、それがますますフレイヤの自信を傷付ける結果になりました。
最終的に、魔王がただ燃やされているだけなのも暇だからと、炎に襲われながら芋を焼いたり焼肉をしようとしたりした時点で、彼女の心が完全に折れました。
火精である彼女にとって炎とは自分の身体の一部のようなもの。それが、いつの間にか魔王の周囲の炎だけ制御を奪われて調理に適した温度にまで下げられており、美味しそうな匂いが漂う中で殺意を維持するのは不可能だったのです。
「フレイヤも焼き芋食べる?」
「…………食べる」
そして、そんな屈辱と共に彼女が教訓として学んだのが「魔王に関する理不尽な物事を深く考えてはならない」というものだったのです。
◆◆◆
「そんなことがあったんですか~」
「人に歴史あり、ね」
「うん、だから魔王さまのやる事をあんまり真面目に考えても損するだけなんだよ」
出汁を吸って衣が少しばかりふやけた海老天をかじりながら、フレイヤはしみじみと語りました。
まあ、その教訓が勢い余って、魔王の事に限らず物事をちゃんと考えない悪癖が身に付いてしまい、現在のようなアホの子になってしまったのですが、彼女自身にその自覚は一切ありませんでした。
一応は「お料理教室」なので次回はちゃんと料理をします。多分。





