表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
182/382

秋の果実と真の勇者

一話で一万字超と長くなっちゃいました。

分割したほうが良かったかもしれませんね。

「びっくりしました」


 さて、シモンから突然の告白を受けたアリスですが、それはもう大層驚いていました。なにせ、自分がそのような好意を持たれているなどとは、まったく全然、これっぽっちも想像していなかったのです。


 恋愛関係の経験値の低さも、その驚きに拍車をかけました。

 これまでの長い人生の大半は恋愛などとは無縁に過ごしていましたし、恋愛感情というものをちゃんと理解してからも、それはあくまで自分から魔王に向けるものであり、誰かから好意を持たれるなどという事自体が想像の外側にあったのです。


 ついでに言えば、アリスが自分の外見に対して少なからずコンプレックスを抱いている事も、その遠因に挙げられるでしょう。

 アリスの考える魅力的な女性というのは、身体の凹凸がはっきりしていて、成熟した女性の落ち着きと色香を身にまとっているような人物を指していました。例えば、現在のリサを十数歳ほど成長させた姿などを想像すれば、かなり彼女の理想に近くなるでしょう。

 その理想から大きくかけ離れた低身長で平坦な自分が、異性に好意を持たれるなど絶対にあり得ない……とまではいかずとも、それに近いことは考えていたのです。対魔王に関する姿勢があれほど消極的だったのも、そのあたりの自信のなさが影響していたのは間違いありません。

 実際には個人の好みというものもありますし、アリスがわざわざ劣等感を抱くようなことではないのですが、悲しいかな、経験値の不足ゆえに客観的な判断ができないのが困ったところでした。


 話を戻しましょう。

 大勢の目の前で熱烈な愛を告げられてそれを断り、アリスの中には恥ずかしいやら申し訳ないやらという後ろ向きな感情もあったのですが、


「ふふ」


 総合的には、それほど悪い気はしていませんでした。むしろ、かなりの上機嫌になっていたと言っても過言ではありません。こうしている今も、鼻歌など歌いつつ開店前の準備をしています。


 告白してきたのが嫌いな相手だったり、あるいは告白を受けた側の根性がよっぽど捻じ曲がっていない限り、普通の人はストレートな好意に対しては好感を持つものです。

 老若男女の別を問わず、誰だって異性にモテて悪い気はしないでしょう。まあ、それを受け入れるか否かに関しては、また別の話なのですが。


 今回アリスにとって幸運だったのは、相手のシモンがまだ幼い少年だったことでしょう。幼稚園の保母さんが園児と結婚を約束する時のような、どこか微笑ましい気持ちがあったのは否定できませんし、そのお陰で充分な余裕をもって対応できたと言っても過言ではありません。

 もしも、シモンが一人前の立派に成長した青年の姿をしていたら、(魔王がいる以上、勝ち目ゼロなのは変わりませんが)アリスの動揺はもっと大きくなっていたことでしょう。


 それはシモンにとっては残酷なことに、対等な相手として見られていなかったことをも意味しますが、九十倍近くもの年齢差がある年齢一桁の少年を本気で恋愛対象と見ていたら、そちらのほうが問題でしょう。恋愛は自由であるべきですが、最低限の節度は守らねばなりません。



 そんな具合に、非常に珍しい体験をしてご機嫌だったアリスなのですが、それでも更に欲を言うならば、


「魔王さまが『アリスは僕のだ!』なんて言ってくれてたら……ふふふふふ」


 魔王が毅然とした態度でシモンの前に立ち塞がり、そんな風に断固たる物言いで婚約者たる立場を主張してくれたら……いえ、いっそのこと強引に抱き寄せてアリスの所有権を主張してくれていたら、アリス的には更にトキメキ度はアップしたことでしょう。


 ただ、「そうなっていたら」という言い回しから察せられるように、現実はそこまで都合よくは回りません。仕方がないので妄想でカバーしています。


 前述したような微笑ましさのためか、魔王は目の前で婚約者が口説かれたことに嫉妬の色を見せることもなく、事が終わってからもいつも通りののほほんとした態度を崩すことがなかったのです。

 その揺ぎ無い態度こそがアリスに対する信頼の証だとも言えますし、そもそも魔王の立場からすれば言いがかりに近いような要求ではありますが、


「もう少し……何か、こうですね」


 魔王にはもう少しだけ(ただし、彼女の心の準備に応じた過不足のない範囲で)、ガツガツ来て欲しいと贅沢なことを思うアリスなのでした。








 ◆◆◆







「びっくりしました」


 そして、物陰に隠れてシモンの告白を見届けていたリサも、アリスと同じような感想を呟いていました。ただし、アリスの言と違って、感動や尊敬などといった色もそこには含まれています。


 リサがどのくらい驚いたかというと、あの直後に日本に戻って一応はきちんと登校しているのですが、授業内容がほとんど頭に入ってこないほどです。


 根が真面目なので普段から成績はそれなりの位置をキープしているのですが(最初に異世界から戻った直後は一年超もの学業のブランクのせいで一時成績が下降していましたが、現在はちゃんと遅れを取り戻しています)、今日は誰が見てもはっきり分かるほどに上の空といった様子です。

 それでも教師に叱られるのではなく、体調不良を心配されるあたりはリサの人徳でしょうか。


 実際にどういう過程を経てあの場面に至ったのかを知る由もないリサにとっては、大勢の眼前で堂々と告白をするシモンは、彼女にはない勇気や覚悟を持っているかのように見えたのです。

 「それに比べて自分は……」などというネガティブなことも思わないでもありませんでしたが、それを上回る感銘を受けていました。


 現代日本では数々の映像作品や文学作品に気軽に触れることができ、愛の告白などもありふれた、見慣れたものに過ぎない……とはいえ、作り物ではない本物を目撃する機会などそうそうあるものではありません。


 一個の人間が葛藤を乗り越え、覚悟を決めて想いを打ち明ける場面の迫力は(実際にはリサが想像するほどに劇的なものではなく、単に行き当たりばったりの結果だったにせよ)彼女の頑なな心を動かすに足るものでした。



 もちろん、シモンとリサとでは事情が違います。

 完全に自業自得というか、これだけややこしい事態を招いたのはリサ自身なので文句を言う筋合いはありませんが、現状の問題の複雑さを考えると頭を抱えたくなるほどでした。


 とはいえ、このモヤモヤをこれからずっと抱えて生きていくというのは、想像するだけで恐ろしいものがあります。いつかは悲しみも薄れるだろうと後ろ向きな望みに縋り続け、これからの人生が一生「いつか」を待つだけで終わってしまうという可能性も、今のリサには荒唐無稽な妄想だとは断言できなくなってしまっていました。


 

「でも……どうしましょう?」



 問題があるのは確かなのに、肝心の問題文が未知の言語で書かれていて読む事ができないような気分です。これでは、どこから手を付けていいのかも判断できません。

 試験のタイムリミットは刻一刻と迫っているのに、解答を書き込むどころか問題が数学なのか、国語なのか、あるいは家庭科なのかも分かりません。問題用紙を穴が開くほどに見つめていても、いたずらに時間を浪費するばかりです。


 リサは一時間目から放課後に入るまで、授業中も休み時間も、ずっと考え続けました。

 帰宅してからも、家の手伝いや宿題をしながらも、ずっとずっと考え続けました。

 まあ結論から言うと、いくら頭を捻っても特にこれといった妙案は浮かびませんでした。まあ、長く悩んだだけでぽんぽん名案が浮かべば世の中苦労しません。かえって視野が狭くなってしまうのがオチでしょう。




 しかし、思いもよらないところに解決策が転がっているのも、また世の常というものです。

 長風呂でのぼせた頭を冷やそうと冷蔵庫の麦茶を取りに行った時に、思考に没頭しながら歩いていたせいで足下がお留守になってしまい、台所の扉の前に置いてあった重たいダンボール箱に思い切り足の小指をぶつけてしまったのです。



「あ痛ーーーっっ!?」


 

 魔力で肉体を強化していない素の状態だったものですから、強烈な痛みに悶絶してしまいました。その場でしゃがみこんでしまい、しばらく動けなくなるほどの強烈なダメージです。

 この時ばかりは流石に悩み事も頭から吹き飛んでいました。後から考えると、それがかえって良かったのかもしれません。ごく短時間とはいえ、痛みのお陰で平常通りのフラットな精神状態に戻ることができていたのです。


 どうにか痛みが治まってきたリサは、憎々しげな涙目でそのダンボール箱を見て、


「これって……?」


 その箱の中身はリサの従姉妹の家から送られてきた食品でした。

 箱の上部に貼り付けられているクール便の送り状によると、中身は旬の果物。リサの小指が当たっても小揺るぎもしなかった大きな箱の重量は、なんと十キロ以上もありました。

 幸いにも一晩くらいで傷むような物ではありませんし、日常使い用の家庭用冷蔵庫には入りきりませんが、営業時間が終われば下のお店にある業務用の大型冷蔵庫に移すこともできますし、一時的に箱のまま置いてあったのでしょう。


 仕事の関係先から色々と貰い物を送られる機会が多い割に、両親共に家を留守にすることが多いリサの従姉妹宅からは、時折こうして消費しきれない食材のお裾分けが送られてくるのです。

 一般家庭では多すぎる食材でも、飲食店を営んでいるリサの家ならば簡単に消費できるので、せっかくの食材を無駄にすることもありません。いわゆるwin-winの関係というやつです。



「美味しそう。あとでお礼の電話を入れないと……………………あ」



 箱を開けて中身の果物を確認していたリサの脳裏に、ちょっとした閃きが生まれました。



「お母さん! これ、ちょっと貰っていい?」



 全ての問題を打開するようなものではありませんが、この箱の中身を使えば現状をほんのちょっぴりマシにできる可能性はあります。


 アイデアは浮かびました。

 あと必要なのは勇気だけ。


 リサは、シモンの雄姿を思い出して心の中に残っていたありったけの勇気を奮い起こし、そしてようやく決断を下しました。







 ◆◆◆







 翌日の午後。



「どうぞ、親戚から沢山もらったのでお裾分けです」


「まあ、これはご丁寧に」



 リサはお祭りの最終日以来、実に一週間ぶりに魔王のレストランを訪れました。その手には大きなダンボール箱が抱えられています。



「へえ、柿か。美味しそうだね」


「ええ、何かお菓子でも作りましょうか」



 箱の中には、濃いオレンジ色をした柿の実が大量に入っていました。

 他の果実では感じられない独特の青い香気。

 やや硬い実の質感はずっしりと重く、魔王やアリスもこの贈り物を大層喜んでいました。



 ところで話は変わりますが、リサは実に一週間にも渡ってアルバイトを無断欠勤していたのですが、問題にはならなかったのでしょうか? そして、魔王たちはそれをおかしく思わなかったのでしょうか?

 結論から言うと、問題はまるでありませんでしたし、不審にも思われていませんでした。

 元々、気が向いた時だけ来ればいいという適当極まる労働条件ですし、そもそも人手に困っているわけではないので魔王とアリスだけでも充分にやっていけるのです。稀に混雑した時でも、コスモスや手空きのホムンクルスを呼べば充分に店を回せます。

 そして、リサが一週間も顔を見せなかったことについては「きっと祭の後で疲れたのだろう」とか「学業が忙しいのだろう」などと解釈されていました。実際、リサの学校が夏休みに入る前、一学期の期末テストの時期にもそれくらい休んでいたので、たまにはそういうこともあるだろうと思われていたのです。



 話を戻しましょう。

 こうして、大量のお裾分けを持って訪れたリサの思惑がどのようなものかですが、なんということはありません。単に、魔王たちの前に出てくる口実になればなんでも良かったのです。

 拍子抜けしそうなほどに他愛のない発想ですが、「お裾分けを渡すため」という口実に背を押されてこうして彼らの前に来ることができたのですから、効果は一応あったのでしょう。



 全部の問題をいっぺんに解決できないのは、リサも認めるしかありません。

 でも、絡まった糸を慎重に解すように、今のリサでもどうにかなる大きさにまで問題を細分化し、少しずつ消化することは決して不可能ではない(かもしれない)という事に、足の小指を打った痛みで思考が一時的に回復したお陰で気付けたのです。


 そして目の前の問題を分析・解体して、これから何をどうするにせよ、まずは魔王たちに会わなければ何も始まらないということを認めるに至ったのです。


 ついこの間までは当たり前に出来ていたことにも、こういった口実や多大な勇気を必要としてしまいましたが、実際に来てみれば呆気ないものです。

 リサは、自分でも意外なほどにあっさりと、魔王やアリスといつも通りに接することができていました。


 まずは会って、そして話すこと。

 最終的にどういう結末に至るにせよ、それが出来なければ何も始まりません。

 目指すべき道程は遥か遠く、リサの抱えた問題の核心に迫るような深い話が出来るのは、まだまだ先のことになりそうですが、とりあえず最初の一歩を踏み出すことはできたようです。







 ◆◆◆







「ところで、何を作ろうか?」


 柿の実を手に持った魔王が、アリスとリサに問いかけました。



「柿って意外と調理の選択肢が限られますからね」


「ウチのお店でも、切ったのをそのまま食後のデザートに付けるくらいですかね」



 もちろん、そのまま食べるのが悪いというわけではありませんが、料理が趣味の者としては何かしら手を加えてみたくなるものです。


 ですが、柿という果物は、柑橘系ほどに味の主張が激しいわけでもなく、加熱してもリンゴやベリー系ほどに風味が立つわけでもなく、扱いが中々難しいのです。


 酸味がほぼ皆無だという、食用の果実にしては珍しい特徴。

 熟したらクリーム状に近いほどまでにトロリと柔らかくなるのに、そうなる前は硬いという可食時期における食感の振れ幅。

 美味しいことには間違いがないけれど、あまりにも独特すぎるので、他の果物と同じように扱うと失敗の危険があるのです。



「とりあえず、そのまま食べてみようか」



 魔王が一個を厨房に持っていって、すぐに皮を剥いて切ってきました。

 爪楊枝を刺してある実を三人で味わってみると、まだ硬めのカリッと音を立てる歯応えと、清涼かつ控えめな甘味が感じられます。このままでも食べられますが、これから数日ほど置いておくと柔らかくなって甘さも増すでしょう。



「うーん、干し柿でも作ってみようか」


「そういえば、天ぷら屋さんの中には干し柿の天ぷらを出すところもあるらしいですよ」



 魔王の言葉を聞いて思い出した知識をリサが披露しました。

 サクサクした衣の中から出てくる、ねっとりした甘さの干し柿。デザート天ぷらとしては、アイスの天ぷらと並んで定番の品ですが、魔王とアリスは知らなかったようです。



「へえ、美味しそうだね。作ってみようか」


「でも、せっかくの甘い柿なのに、全部干し柿にしちゃうんですか?」


「それもそうだね」



 渋柿ならばともかく、そのまま食べられる甘い柿を全部干し柿にするのはもったいないという意見がアリスから出ました。

 せっかくの生の柿なのですから、その良さを活かした用途を考えるべきだと考えた三人は色々なアイデアを出し合います。


 摩り下ろしてから寒天で固めた柿羊羹。

 トロトロになるまで柔らかくなった実を凍らせて作るシャーベットやジェラート。

 皮を剥いてから、ワインと砂糖で煮てコンポートに。

 細かく切った実を、生クリームやアイスと一緒に器に盛ってパフェに。

 小麦の生地の上に並べて焼き上げ、サクサクの土台と一緒に食べるタルトやパイに。


 どれも、悪くはありません。悪くはないのですが……、



「他の果物より美味しいか、って考えると微妙ですよね」



 リサの言うように、同じレシピで他の果物を調理したほうが美味しそうな気がするのも確かです。それなりに美味しくはなっても、柿ならではの良さを追求するのならば発想の転換をする必要がありそうです。



「うーん……」



 リサは頭を悩ませましたが、この悩みはここ最近の鬱屈したものとは正反対の、いわば楽しい悩みとでも表すべきものでした。いくら悩んでも辛いどころか楽しくなり、どんどんと気分が上向いてくるのです。


 リサは、柿を入れていたダンボール箱を何気なく見て、その中に柿の葉っぱが一枚入っているのに気が付きました。どうやら、一枚だけ実と一緒に紛れ込んでいたようです。



「そういえば、柿の葉寿司っていうのもありますよね」



 酢飯と具材を柿の葉で包んで、葉の殺菌作用によって保存性を高め、その清涼な風味を付けたお寿司の一種です。

 とはいえ、たったの一枚の葉っぱでは流石に作るのは無理ですが、



「そうだ、こんなのはどうでしょう?」



 リサは実に楽しそうに、思いついたアイデアを魔王たちに伝えました。







 ◆◆◆







 使うのはメインとなる酢飯に甘酢漬けのレンコン、同じく酢漬けの生姜ガリ、しめ鯖、錦糸卵、スモークサーモン、干し椎茸等々のチラシ寿司の材料に先程の柿です。


 そう、リサが思いついたのは、柿入りのチラシ寿司でした。

 柔らかくなる前の柿は、大根と合わせてなますにしたり漬物にしたりと、意外にもお酢との相性が良いのです。

 普通の果物だと甘すぎてお寿司の具にはなりませんが、風味が主張し過ぎない柿だからこその使い道です。刻んだ柿のシャキシャキとした食感が面白く、寿司酢によるものとは別種の甘味を楽しむことができます。


 寿司飯は最初から他のメニューに使う分があったので流用し、刻んだ材料を混ぜて、しめ鯖とサーモンを綺麗に盛り付けるだけで、あっという間に完成しました。



「一品だけだと寂しいですから」



 と、魔王がチラシ寿司を作る横でリサも一品作っていました。

 柿と白菜を食べやすい大きさに切って、お酢とオリーブ油と塩コショウのシンプルなドレッシングで和えた柿サラダです。どちらかというと和風の食材と見られることの多い柿ですが、こういう洋風のドレッシングとも相性が良いのです。

 こちらも切って和えるだけの簡単な品なので、すぐに完成しました。



「ふふ、楽しいな」 



 皆で美味しい物を作ったりレシピの相談をしたり、つい先週までは同じようにしていたことがリサには楽しくて仕方がありません。

 特別なことなど何もしていないのに、魔王が隣にいて一緒に過ごしているだけで、これ以上ないほどの幸福感が湧き上がってきて、思わず笑い出したくなるような気分でした。


 幸せというものは、失ってから初めてありがたみが分かると言いますが、リサにとっては今がまさにその状況でした。当たり前に身の回りにあった幸せの価値を、このややこしい状況に陥ったことでようやく正しく測ることができるようになった、と言い換えることもできます。

 人は、他人はおろか自分自身のことすら正しく認識できない不完全な存在です。

 今のリサの状況も、彼女が「自分がどれだけ魔王が好きか」という気持ちを過小に見誤っていたことが原因だとも言えます。諦めてもどうにかガマンできるものだと、自分の想いを甘く見ていたのです。







 時間はちょうど夕食時の手前くらいで、店内はまだカラッポです。

 今回作ったのは試食用の少量だけなので、三人はお客さんが来る前にパッと食べてしまうことにしました。



「うん、この甘さがいい感じだね」


「魔王さま、このサラダもイケますよ」



 モチモチした米とシャキシャキした柿の取り合わせが面白く、独特の芳香と甘味のお陰で妙に後味を引きます。サラダのほうも、ドレッシングの味で個性が薄れることなく、柿の味が存分に楽しめました。


 今回は試食ということで、一人当たりご飯茶碗一杯分くらいの少量しか作らなかったのですが、それが失敗だったと思えるほどに良い出来でした。



「これなら、メニューに載せてもいいかもしれませんね」


「新鮮な柿がない時期は、干し柿を刻んだのを入れても美味しいんですよ」


「へえ、それも良さそうですね。魔王さま、あとで試してみましょうか」



 アリスは特に柿サラダがお気に入りのようです。

 リサの話した干し柿サラダにも興味津々で、後で試してみようと魔王に相談しています。







 ◆◆◆








 魔王と仲睦まじく話すアリスを見て、リサの心の中には、一瞬黒いものがぎりました。

 それが嫉妬という感情なのだと理解するのに時間はかかりません。

 その黒い怪物はリサに向けて囁きかけます。

 アリスの手から魔王を奪ってしまえ、と。

 恥知らずだと罵られようが、友情を失うことになろうが、それを許容できるほどの愛情がお前の中にはあるのだろう? と、嫉妬という怪物はリサの心を巧みに操ろうとしてきます。


 以前のリサならば、そんな誘惑に耳を貸すことはなかったでしょう。

 何かの気の迷いだと思って、早く忘れようとしたはずです。


 しかし、今のリサは、その怪物もまた自分の一部、偽らざる本音だということに気付いていました。人として善くあろうとするばかりに、自己の幸福を諦めるのが間違いだということにも。

 それは一見すると正しいかもしれませんが、実際は問題から逸らしてただ逃げているだけ。表面上は似ていても、尊い自己犠牲などとは正反対の自分勝手な振る舞いに過ぎません。「良い人」でいたいという虚栄心もそれを助長していたのでしょう。



 ですが、そこまで分かっていてなお、リサは嫉妬の感情を笑顔の裏で封じ込めました。

 何かするにしても、それは今ではありません。

 例えば今この場で、あの時のお願いはなしにしてくれと言って、そのまま告白してしまえばラクにはなれるかもしれませんが、それはただヤケになっているだけで結局は安易な道に逃げているだけ。


 リサは、幸せになりたいのであって、ラクをしたいわけではないのです。

 そのことに、やっと気付けました。

 幸せになるために必要なのは、納得することです。

 自分の綺麗な部分も汚い部分も直視して、ひたすら悩み続けることです。前は後者の部分に気付かず、いえ、気付かなかったフリをしてしまったせいで状況が拗れてしまいましたが、まだ失点を取り戻す機会はあるはずです。

 リサは、これから何度も何度も魔王やアリスと話して、そしてその何百倍も何万倍も自問を繰り返して、納得できる答えを探すのだと、密かな覚悟を決めていました。







 ◆◆◆







 勇者とは勇気ある者。

 では、勇気とはなんでしょうか?


 世で勇敢だとされる者は、普通人が怖がる危険な状況に平気な顔で飛び込んだり、強大な敵に立ち向かったりしますが、そういう人物を支える強固な意思力こそが勇気なのでしょか?

 正解だとも言えますし、間違っているとも言えます。


 もしも、その人物が現実を直視せずに平気なフリをしているだけならば、それは勇気ではありません。


 もしも、その人物が幾多の修羅場を潜った末に精神が磨耗し、恐怖に対して鈍感になっているだけならば、それも勇気とは言えません。


 ですが、恐いものを恐いと認め、己の弱さや力不足を自覚し、それでもなお大事な何かのために震えながら立ち向かっていく者がいれば、その人物こそが真に勇気のある者。勇者だと言えるでしょう。


 なにしろ、功績の表面上からは行動の動機など見えませんので、その人物を支えるのが勇気であったかどうかは本人以外には分からないのです。



 そういう意味で言えば、これまでのリサは真の意味で勇者ではなかったのでしょう。


 世間でどう言われているか、他者からどのように評価されているかは関係ありません。

 勇者とは、単に強いだけの人物ではなく、その称号に相応しい勇気がなければならないのですから。


 でも、長い長い回り道の末に彼女は己の弱さや汚さを認め、それを乗り超える勇気を持とうと思えるまでに成長しました。

 まだ最初の一歩を踏み出したばかりですが、リサはようやく真の意味での勇者になるための道を歩み始めたのです。



作中の柿サラダはオススメです。ポイントは硬めの柿を使うこと。

合わせる葉物はレタスやキャベツよりも白菜のほうが相性が良いと思います。鍋物や漬物の印象が強い白菜ですが、生でサラダにしても美味しいですよ。


今話のラストで入れた勇者や勇気の定義ですが、アレはあくまで作者の考えです。他の解釈をされる方がいても否定する気はありません。

そして、私の考えで言うならば、ただ強いだけのリサはまだ本当の意味での「勇者」ではありませんでした。これから彼女が「真の勇者」になれるかどうかご期待ください。


というか、この考え自体が、チートで無双してるタイプの作品に出てくる「勇者」の中のそれなり以上の割合に対して「お前は勇者じゃない」とケンカ売っているようなものかもしれません。

まあ『貰い物の力で安全圏から一方的に敵を蹂躙してる奴が「勇者」ってどうよ?』と、全く思わないとは言いませんが(煽り)。

異論は認めます。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ