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迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
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迷える子羊たちと勇気のカケラ⑥

 空の端が薄らと白み始めた、朝と夜の境界とも言える頃。

 まだ秋に入ったばかりとはいえ、このくらいの時間は気温が低く、ひんやりとした肌寒さを覚えます。

 普通の感覚であれば、まだまだ温かい寝床の中で毛布に包まっていたいと思うのが人情ですが、こんな時間からでも活動を始めている人々はいるものです。市が開く前から準備を始める商人、依頼を受けて出発をする冒険者、そして旅を満喫し終えて帰郷の途につく旅行者等々。



 都市の中央を縦断するように南北に走る大通りを抜けた先。迷宮都市の南端に位置し、街の内外を区切る市壁の前には、これから街を出ようとしていると思しき馬車の一団が待機していました。


 それだけであれば、幾つもの馬車を所有している豪商や商会、複数の商人が徒党を組んだ隊商などと判断されたかもしれませんが、道行く人々はそうではない事を知っており、関わりにならぬように近づかず、遠巻きにその集団を眺めています。


 それらの馬車は貴人が利用するものであることを殊更に示すように、実用性度外視の紋章や装飾が飾られており、忙しく動き回って荷物を積み込む使用人や、油断なく周囲を警戒している護衛騎士などを見れば、どういう身分の人々が利用する馬車なのかは一目瞭然です。

 そんな場所に興味本位で近付いて、神経を尖らせている護衛に誰何されたくはありません。触らぬ神にたたり無しとでも言うように、その一団の周囲だけポッカリと不自然な空白地帯ができていました。



 使用人たちが多量の荷物や土産物などを苦労して馬車に積み終えた頃合で、ようやく彼らの主人と思しき人々が眠そうな様子を隠しもせずにやってきました。

 宿のフカフカのベッドから、侍女や執事たちがあの手この手で彼ら彼女らを引っ張り出して、身だしなみを整えさせてから連れてきたのです。

 男衆はつい先程まで飲んでいたせいで酒精の匂いを撒き散らし、フラフラと千鳥足のままですし、女衆は揃って朝に弱いのか誰も彼もが夢遊病患者のようにヨタヨタと歩いています。部下の苦労も知らずにお気楽なものです。

 まあ、この様子ならば馬車に乗せてしまえばしばらくは眠っているでしょうし、その間は配下の者たちも気を休めることができます。それを思えば早朝からの過酷な職務にもどうにか耐えることができました。



 主人たる貴人たちを複数台の馬車の客席に分散して放り込み、あとはもう一人が来れば、いつでも出発できるようになりました。

 そう、この街に半年近く留学していたシモン王子のことです。王子の世話役であるクロード氏が付いているので、寝坊して出発に遅れるということもないでしょう。とりあえず急いですべきことは片付いたので、シモンの到着を待つ間、使用人や護衛たちも交代で休憩や食事を取ることにしました。







 ◆◆◆







 さて、そのシモンですが、


「……若」


「……言うな」



 気合を入れて一世一代の問題に答えを出すつもりだったのに、ものの見事に寝オチしてしまっていました。


 夜明けと同時に様子を見に来たクロードが目撃したのは、着替えもせず、菓子の砂糖で手をベトベトに汚したシモンが、それはそれは気持ち良さそうに寝息を立てる姿。揺り起こされたシモンが目覚めと同時に発したのが「しまった!?」という一言だったというのが、現状を如実に表していました。


 とりあえずボサボサの寝癖を直し、顔を洗って服を着替えれば、もう出発の時間になっていました。朝食を食べる間もなく、手荷物の入ったカバンを持って大使館を飛び出すハメになりました。




「まあ、下手の考え休むに似たり、という言葉もございますし」


 クロードの、アドバイスなのかイヤミなのか分からない台詞に返事をする余裕もありません。

 見送りに来るはずのアリスや魔王、そしてわざわざ呼んだライムになんと言えば良いのか、結局まるで決まっていないのです。


 シモンの頭の中はもう真っ白です。

 脳ミソがカーッと熱くなったように感じ、何か考えないといけないのは分かるのに、言葉という言葉が意識から滑り落ちてしまい、考えをまとめるどころではありません。


 しかし、考えるための時間はもうほとんどないのです。

 クロードに手を引かれたシモンが、馬車の待機している市壁前まで辿り着くと、そこにはもうアリスと魔王が先に来ており、彼らもすぐにシモンに気付いたようです(ちなみにライムの姿はシモンから見える範囲には、どこにも見当たりませんでした)。


 シモンはゴチャゴチャとまとまりのない思考のまま、とにかく何か言わねばならぬと、アリスの前で足を止めました。

 



 馬車の周辺で待機していた使用人たちはシモンの姿を見て休憩を切り上げ、護衛騎士たちも装備や騎馬の最終点検をしています。彼らも、シモンが知り合いらしき男女の目の前で足を止めたのを見て、きっと別れの挨拶でもするのだろうと察したようです。邪魔をしないよう、距離をあけたままシモンのことを見守っていました。




 「寂しくなる」だとか「残念です」だとか「遊びに行く」みたいな感じの声が、魔王とアリスからかけられましたが、シモンはまるで言葉を解さない赤子に戻ってしまったかのように、それらの意味を受け止めることができません。



 何か言わなければ。

 何か、何か。

 ナニカ、ナニカ、ナニカ、ナニカ。


 思考の渦がグルグルと回転数を上げ、熱病にかかったかのように茹った頭のシモンにあるのは、もう「とにかく何か言わなければならない」という一事だけ。理屈も理性も全て置き去りにし、アリスの顔を見て最初に頭に浮かんだことを大声で叫んだのです。



「アリス!! お前が、好きだっっ!」








 ◆◆◆








 シモンの告白は、市壁前の広場にいた全員に聞こえるほどの大声でした。


 しかし、その大声の後に訪れたのは、圧倒的な静寂。

 一切の考えなしに、つい思ったことを叫んでしまったシモンにも「やってしまった」感が、今更津波のように押し寄せてきました。



「え、あの……ええと、シモンくん? その……」



 そして、鮮烈な告白を受けたアリスは、困ったように指をもじもじとさせています。

 いくらかの照れもあるのか、微かに頬を赤くしていました。



 その時、シモンの背を誰かがポンと押しました。

 後ろを振り返る余裕もないほどの混乱の極みにあったシモンですが、背中の感触で我に返り、そして目の前のアリスを見て腹が据わったようです。半ばヤケクソというか、ここまで来たら行くところまで行くしかないと覚悟を決めました。



「アリス、おれはお前が好きだ! 魔王ではなく、おれと一緒になってくれ、頼む!」



 シモンの一世一代の告白は、いくら鈍感なアリスであっても誤解のしようがないほどにシンプルかつ情熱的なものでありました。その熱にあてられたのかアリスは頬を赤く染め、それから……、



「ごめんなさい」



 と、一片の迷いもない即断で、シモンの告白を断りました。

 アリスも申し訳なさは感じているようで、困ったように苦笑してはいますが、シモンでは彼女の心は動かせませんでした。



「そうか」



 シモンは、アリスの顔を正面から見上げながら言いました。



「アリスは、おれではなく魔王を選ぶのだな」


「はい」



 またもや、アリスは即答しました。

 それは、年端もいかない少年に対する言葉としては残酷なものだったかもしれません。もっと優しく諭すように、あるいは傷が浅くなるように言葉を濁して言い包めることもできたのかもしれません。ですが、こうして不器用に、正直に答えることがアリスなりの誠意なのでした。



「そうか、残念だ」



 シモンは、誰に言うでもなくポツリと呟くと、天を仰ぎ見ました。上を向いていないと、熱を持った瞳から涙が零れてきそうだったのです。

 しかし、それも束の間。

 服の袖でゴシゴシと目元を強く拭ったシモンは、無理矢理に顔面の筋肉を動かして笑顔を作り、気まずそうにしているアリスに言いました。



「ところで、この街に帰って来た後のことなのだが、また店に行ってもよいか?」


「……はい! もちろん、いつでも歓迎しますよ」


「うむ、お子様ランチの旗を切らさぬようにしておくがいい!」



 それは、アリスに気負わせまいとする、シモンの精一杯の強がりでした。

 冗談めかして言いながらも、奥歯をギリギリと食いしばって泣きたくなるのを懸命にこらえています。涙が出てきそうになる度に何度も目元をこすり、服の袖は雨に濡れたようになっていました。


 きっと彼は、この後の帰路でも、あるいは帰国してからも何度も泣くのでしょう。

 一人で、もしかしたら人前でも。

 シモンの胸中にはそれほどの欠落感がありました。


 ですが、ずっと抱えていたことを吐き出したせいか、不思議な解放感も同時にありました。

 気付かぬ間に手足に付けられていた枷が外れたように感じるのです。

 それは、心の中を春の風が吹き抜けるかのような爽やかで奇妙な気分でした。


 その心の在り方を整理し、納得のいくよう飲み込むのには、まだしばらくの時間がかかることでしょう。ともあれ、こうしてシモンの初恋は終わりを告げたのです。







 ◆◆◆







「シモン」


 傷心のシモンに、幼い少女が声をかけました。

 もちろん、両手を包帯でぐるぐる巻きにしたライムです。



「おれは、悲しい」


「そう」



 自身の感情を確認するようなシモンの独り言を聞いて、ライムはいつもと変わらぬ素っ気ない返事をしました。



「これで、よかったのか?」


「しらない」



 これで良かったのかと問うシモンに、無責任とも取れる短い答えが返ってきました。



「かってにきめて」



 それが正解だったのかどうか?

 そんなことは自分で勝手に決めろという、実に手厳しい言葉でした。



「ああ、そういえば、さっきおれの背を押したのはお前か?」


「それが?」


「いや、なんでもない」



 先程、勢いで告白して硬直してしまったシモンが再起動できたのは、背中を押す柔らかい感触のおかげでした。それが勇気付けようと励ますつもりだったのか、不甲斐なさを見かねた苛立ちによるものだったのか、シモンはあえて確認しようとは思いませんでした。

 彼自身にも上手く言葉にはできませんでしたが、それはなんだか無粋なことのように思えたのです(下手に聞くと、今度は蹴りが飛んできそうな予感がしたという理由もちょっぴりあります)。



「若、そろそろ」


「ああ、もうそんな時間か」



 名残は尽きませんが、もう出発の時間が迫っていました。

 シモンが最後に何を言うべきかと悩んでいると、



「またね、シモン」



 と、ライムが言い、



「ああ、またな、ライム」



 と、シモンも応じました。

 実のところ、昨日ライムが気絶する直前に言った「さようなら」の一言には、これっきりもう一生会わないくらいの意味合いがこめられていましたし、今日も最初から物陰で様子を見守ってはいたけれど状況次第ではそのまま姿を見せずに立ち去るくらいのつもりでした。

 ライムの言葉数は少ないけれど、その一言一言にこめられた意味と重さは、それはそれは凄まじいものなのです。その意味をきちんと解読できるのは彼女の両親くらいのものでしょう(それすらも精度は不完全ですが)。

 昨日、大怪我をしたライムを担いで帰宅したタイムも、あの事件の際に発されたライムの言葉が実際にはこれこれこういう具合の意味合いだったのではないか、という両親の解説を聞いて絶句していました。


 幼女だからと侮るなかれ、ライムはそれはもう『重い』女なのです。方向性は違えど、その『重さ』はアリスをも超えるかもしれません。

 そんな彼女が「さようなら」ではなく「またね」と言った以上、再会はもはや確約されたようなもの。もっとも、その意味合いを知るのは、この場では彼女本人しかいませんでしたが。







 ◆◆◆







 こうして、友と再会の約束を交わしたシモン少年は迷宮都市を離れ、帰国の途に付きました。きっと、彼が再びこの地を訪れた時には、一回りも二回りも大きく成長していることでしょう。



「……わたしは……」



 そして、近くの建物の屋根上に隠れて事の一部始終を見ていたリサは、シモンの告白に何を思ったのでしょうか?




この話のポイントは「リサからはどう見えたか」でしょうか?

実際には行き当たりばったりの告白でしたが、そんな内情は外野には分からないワケでして……

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