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迷宮レストラン  作者: 悠戯
勇者編
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勇者、食生活の改善のため料理をする


 卵、ミルク、お砂糖、バター、パン。

 昼食の準備のため市場で仕入れた食材をチェックします。


 材料はOK、傷んでいる物はないようです。あとは卵液を作ってパンによく染み込ませ、フライパンで軽く焦げ目が付くまで焼けばフレンチトーストの出来上がり。


 おっと、少々唐突だったかもしれません。せっかくなのでパンに卵液が染み込むのを待つ間、これまでの経緯を少し振り返ってみようかと思います。




 ◆◆◆




 わたし、勇者リサがこの世界に来てから早くも一週間が経ちました。

 その一週間の間にも色々なことがありましたが、旅に必要な準備を整えてようやく今日の朝に王都を出発できたのです。


 旅の準備とはいっても大半はお城の使用人さん達が済ませてくれたので、こちらはずいぶんと気楽なものでしたが。二頭立ての大きな馬車が豪華に二台。その中には全員分の着替えや野営道具、食料や水などが所狭しと詰め込まれ、その出番を待っています。



 わたしがこの世界に来てから一週間。

 意外にも平和な時間が続いていました。

 恐ろしい魔王が魔界からこの世界に攻めてきたなど、とても思えないほどです。とはいえ他でもないわたしが召喚されたということは、イコール魔王の出現を意味するわけなので油断は禁物……流石にないとは思いますけど、召喚の誤作動とかじゃないですよね?


 しかし、この世界の何処かにいるのは確実とはいえ、手がかりもなしにどこにいるかも分からない相手を探し出せるものなのか。例えるならば、砂漠の中から一本の針を探し出すようなモノ。とても現実的とは思えません。


 王様も国内外に放った密偵や外交官を通じて情報収集をしているそうですが、魔王の居所に繋がりそうな情報はまだ見つかっていないそうです。

 後手に回ることにはなりますが、現状では魔王が何か行動を起こすのを待ち、居場所が割れたら即座に勇者(わたし)がその場所へ向かう……という対症療法を取るしかありません。



 とはいっても、居場所が分かるまでの間ずっとお城で惰眠を貪っているわけにもいきません。いえ正確には、王様達はそれでも全然気にしなさそうなのですが、わたし自身が気にします。

 お城住まいというのは実際やってみると案外退屈だし、偉い人がやたらと多いので何かと緊張して肩が凝ります。そんな環境にわたしの小市民的なメンタルが耐え切れなくなりつつあったというのが本音でした。


 いやはや、お城暮らしなんて憧れているうちが花ですね。


 とにかく、何かそれっぽい口実を見つけてお城を出たかったのです。

 旅や戦いに慣れておくためとか、修行とか、見聞を広めるためとか、ソレっぽい事を思いついた端から色々言ってみたら、幸いにも王様は案外すんなり旅の許可をくれました。


 むしろ護衛や身の回りの世話役として、騎士団の大部隊を丸々貸し出そうとしてきたので、それを断る方が大変だったくらいです。何百人もの大人の人に指揮するなんて、責任の重さを想像するだけで胃が痛くなってしまいます。


 とはいえ、流石に自由気ままな一人旅は許可されませんでした。

 十数人もの仲間と一緒の旅です。

 

 厳密には、本隊である我々がこれから向かう土地に先行して現地の情勢を把握する情報収集専門の特殊部隊とか、有事に備えて以前から各国に潜ませていた諜報員の方々もいるそうですが、そのあたりは正直わたしもよく知りません。

 王様に頼めば詳細を教えてくれたとは思うのですけれど、下手に知ったわたしがうっかり口を滑らせたら大勢の人に迷惑をかけてしまいそうな気がしたのです。触らぬ神に祟りなし。


 まあ、わたしに直接同行している仲間の皆さんの詳細については、いずれ紹介できる機会もあるかと思いますので。なんにせよ頼りになる仲間が大勢いるというのは心強いものですね。



 おっと、ちょっぴり話が逸れました。

 とにかく、そんなわけでわたしはお城を脱出できたのです。

 これで、ようやくメシマズ生活ともオサラバできるかもしれません。


 初日にこの国の食事の酷さに打ちのめされたわたしは、次の日に自分で料理をしてみようと思い立って王城の厨房へ足を運んでみたのですが、料理人たちの仕事を奪うことになるから、とやんわり断られてしまったのです。


 そういえば前に小説か何かで読んだ覚えがあるのですが、貴族などの高い身分の人は家事を「しない」のではなく「してはいけない」のだそうで。迂闊に気を利かせたつもりでそういう事をすると、本来その仕事をするはずの使用人の仕事を奪い、場合によってはその使用人の雇用や給金に悪影響が出る恐れがあるとかなんとか。


 そういう理由があるのならば、わたしのワガママで料理人の方々に無理を言うことはできません。そんなわけでお城にいる間は、ひたすらメシマズ生活を耐え忍んできたのです。



 が、しかし。

 お城を離れた今ならば、誰にも迷惑をかけずに料理ができるというものです。

 わたしが日本で学んできた調理技術が異世界の食材にどこまで通用するか分かりませんが、なんとか美味しいと思える物を作れるように頑張ります。





 ◆◆◆





 さて、そろそろパンに卵液が染み込んだ頃合いです。

 このパンはいわゆる酵母による発酵をさせていない無発酵パンなので結構硬いのですが、じっくり卵液を染み込ませた甲斐があって随分柔らかくなったみたい。

 日本にある有名ホテルのレシピだと一晩かけてたっぷり染み込ませるそうですが、いくら王家御用達の職人さんが手掛けた馬車とはいえ、冷蔵庫までは付いていません(お城の厨房には冷蔵庫に似た魔法の道具があったそうですが)。常温では衛生面の不安があるため、今回は短時間での簡易版です。



 ちなみに現在は朝に王都を発ってから数時間が経過した正午頃。

 ちょうど野営をするのに具合が良さそうな開けた場所があったので、護衛の騎士さん達と一緒にお昼休憩に入ったタイミングです。

 先述の卵液への漬け込みは王都を出発して間もなく馬車の中で済ませて蓋つきの容器に入れておいたので、あとは焼くだけという寸法です。


 普通の女子高生であるわたしにスムーズな火おこしなどできるはずがないので、ここは素直に野営訓練などで慣れている騎士さん達にたき火の準備をお願いしました。

 いえ、後になって考えたらわたしも聖剣の便利機能で魔法の火を出すとかできるようになっているはずなのですが、まだ不慣れなせいかどうもそういう応用法にまで頭が働いていなかったようです。


 ともあれ、大きめの石と枯れ枝を組み合わせて即席の(かまど)ができました。ここまで来ればしめたもの。あとはこちらの土俵です。


 熱したフライパンにバターを入れて、溶けたところにパンを投入。

 じゅうっ、と良い音がしてパンの表面が焼けていきます。

 フレンチトーストに焼きすぎは禁物、表面に軽く焦げ目が付く程度で十分……と、日本にいる時の感覚で考えていたのですが、ここでちょっとだけアドリブをば。


 この世界にサルモネラ菌がいるのかは不明ですが、卵の生食に関する不安に途中で気付いて気持ち長めくらいに焼きました。現代の地球であっても卵を生で食べられる国は決して多くないのです。

 この世界には回復魔法というのもあるそうですが、それがどういった病気に対応可能なのかも分かりません。ならば、ここは石橋を何度も何度もしつこいくらいに叩くが吉。


 急なレシピ変更にも関わらず焦げすぎにならなかったのは、我ながらなかなかの腕だったと密かに自画自賛しておきましょう。


 あとは焼けたフレンチトーストをお皿に移して完成です。


 欲を言えば粉砂糖やメープルシロップやバニラアイスがあればなお良いのだけれど、今回はトッピングに使えそうな物はないので、飾り気の無いシンプルなフレンチトーストで勝負です。


 早速、一口試食をしてみました。

 噛むと表面はサクッと、内側からはジューシーな優しい甘さが広がります。

 心配していたパンの硬さも大分マシになっていて、やや歯応えが強いものの、そこそこ美味しいと思えるものに仕上がっていました。


 とりあえず今後の課題はパンの改良ですね。

 うろ覚えですがドライフルーツから天然酵母を採る方法があったと思うので、記憶を頼りに近い内に発酵パンに挑戦してみようと思います。

 トッピング用に果物を煮て、ジャムやコンポートを作るのもいいかもしれません。近いうちに中を密閉できるガラス瓶を買わないと。あれ、そういえばこの世界に瓶詰ってあったっけ?


 そんなことを考えながらも休まず手を動かし続けて、数分後には仲間全員分のフレンチトーストが出来上がっていました。


 この世界には無いであろう初めて見る料理を前にして、皆さんの反応は期待と好奇心が七割、不安が三割といったところでしょうか。


 わたしがすでに試食をしていますが、この世界の人々の味覚の好みに合うかどうかは未知数です。味覚というのは生まれ持った素養に加えて、それまで何を食べてきたかという経験によって形成されるもの。

 わたしが白旗を上げた例のサラダや肉料理だって、普段から同系統の料理を食べ慣れている人達にとっては最上級のご馳走なのです。それを思えば、味覚そのものの基準が異なる地球の料理を彼らが好ましく思わないことは十分に考えられました。


 まあ、その時は仕方がありません。

 悲しくはありますが、勇者の権力に物を言わせて不味いモノを無理矢理食べさせるとか料理人の端くれにもおけないでしょう。ちょっとカロリー的に心配ではありますが、余った分はわたしの次回以降のご飯に回すということで……。


 なんて心配は、まったくの杞憂だったようですが。


 恐る恐るフレンチトーストを口に運んでいた仲間の皆さん。

 最初は小さく切った欠片を口にしてゆっくりと味を確認し、二口目からは切り分けるのももどかしいというように大口を開けて勢いよく食べ始めました。どうやらフレンチトーストは彼らの口に合っていたみたいです。


 ガツガツという擬音が聞こえそうな勢いで食べ進み、たちまち皿の上は空になりました。何人かは空になった皿を名残惜しそうに見ています。ここまで喜んでもらえると料理人冥利に尽きるというものですね。


 まだ出会ったばかりですが、何しろこれから一緒に旅をする仲間なのですから、わたしの作った料理が彼らと打ち解けるための一助になれば幸いです。






 ……と、これで終わっていれば綺麗にまとまっていたんでしょうけど。


 まだ食べ足りなさそうな彼らの様子を見たわたしは、パンや卵液の残量がまだあることを確認すると、皆におかわりをするかを尋ねました。後から思えば彼らがあまりにも喜んでくれるので、少々調子に乗っていたのでしょう。


 求められるままに作り続け、できた端から彼らは一人あたり五人前、六人前とどんどん平らげていきました。普段から肉体を動かすお仕事をしてるだけあって見事な食べっぷり。それを見て、こっちの料理人魂にもすっかり火がついてしまいました。


 当然、余っていた卵液だけで足りるはずもありません。

 馬車の中から追加の卵やパンをどんどん持ってきて、持ってきたそばから調理して消えていくといった繰り返し。


 これが市場や商店ですぐに食材を仕入れられる街中の料理屋であれば、商売繁盛で大いに結構。大した問題では無かったのでしょう。

 ですが、あいにく我々は旅の途中であり、すぐに食材を仕入れる事などできるはずもありません。旅の途中で消費ペースも考えずに食材を使い果たしたら、最悪飢え死にの危険さえあるのです。


 わたし達がそのことに思い至ったのは、すでに三日分以上のパンや卵を食べ尽くした後でした。冷静になって残りの食料から計算すると、このまま次の目的地である町へ向かうことは不可能ではないにしても、その間はかなりひもじい思いをすることになりそうです。



「……」


「…………」


「………………」



 なんとも気まずい沈黙が周囲に満ちていました。

 しかし、いつまでもこうして立ち止まっているわけにもいきません。

 

 わたし達は誰が言い出すともなく無言のまま荷物をまとめると、馬車の進路を反対へ向け、来たばかりの道を重い足取りで引き返しました。


 出発したのはまだ今朝のことで、時間はまだ昼食時を少し過ぎたくらい。

 きっと夕方頃までには王都に戻れるはずです。


 ふふふ、今日のお城の晩ご飯はなんでしょう?


 結局その日は王都で一泊し、翌朝市場で食材を仕入れ直してから再出発することになりました。出発から半日もしない内に、よりにもよってそんな理由で戻ってきたわたし達を見る王様やお城の皆さんの視線がとても痛かったです。



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