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迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
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迷える子羊たちと勇気のカケラ⑤


 応急処置が的確だったおかげもあり、後からやってきた薬師と治癒術師による診断・治療を受けたシモンの怪我は夕方までにはほとんど治っていました。

 刺激物を食べたら唇と口内を切った傷が少し染みるかもしれませんが、すでに鼻血も止まって、血で真っ赤になった服も着替え、外見的には普段と変わらぬ状態に戻っています。


 その一方で、ライムの怪我はそれは酷いものでした。

 両手の骨折と脱臼と裂傷、それらだけでも重傷なのに、気絶する直前に両手首を掴まれた状態で無理矢理頭突きなどしたものですから、両肩までも外れていたのです。

 部位が腕だけなので命に別状があるような怪我ではありませんが、いくら魔法でも一度の治療で治すことは無理でした(魔法を用いた場合に限らず、治療を受けるのにはかなりの体力が必要なのです。無理をして回復を急いではかえって患者が衰弱してしまいます)。


 とりあえず脱臼した箇所をはめて(気絶したままなのは幸運でした。脱臼の痛みというのは、関節が外れた時も、外れた部分をはめ込む時も、時に骨折以上の痛みとなるのです)、折れた箇所が歪まないように固定してあるのですが、両手の手首から先は木乃伊ミイラのように包帯でグルグル巻きになっています。これでは当分は両手を使わずに生活しなければならないでしょう。





 そんな具合で、両者の怪我に関しては一応の処置も済み、その場の一同は意識的に先送りしていた問題に向き合わねばなりませんでした。


 とりあえず大事にはならなかったとはいえ、事はケンカですらない、王族に対する一方的な暴行です。

 国によっては裁判なしで処刑されても文句は言えませんし、本人のみならずその類縁にまで責が及んでも不思議はありません。

 事が表沙汰になれば、たとえ被害者のシモンにそこまでする気がなくとも、犯人に重い罰を与えなければ王家の、そして国家の威信にも関わってきかねないのです。



「……若、どうされますか?」



 誰もが言いたくはないけれど、誰かが切り出さねばならない話題というものがあります。今回は、クロードがこの上なく苦々しい口調でシモンに判断を仰ぎました。

 シモンが望めば、ライムは捕らえられ重い罰を受けることになるでしょうが……、



「ここでは何も無かった。よいな?」


「かしこまりました。では、そのように」



 不幸中の幸いと言うべきか、今回の事件は密室の中で起こった為に、関係者に口止めさえすれば最初から無かったことにすることもできるのです。

 治療に当たった人員と数名の使用人、それとリサに他言を禁じれば問題はありません。問題を起こしたライム自身とその身内に当たるタイムは、口止めせずともあえて吹聴したりはしないでしょう。



「本当に済まない。まさか、この子があんなことをするなんて……」



 今回の原因の一端は、保護者でありながら妹の気性を把握していなかったタイムにあると言えなくもありません。実の姉妹であり、今や日課のように仲良く連れ立って歩いているとはいえ、タイムが妹の存在を知ってからまだ一年も経っていないのです。いくら家族とはいえ、知らない側面があるというのは、むしろ必然でした。



「なんのことだ。おれは知らんな」



 タイムが深々と頭を下げましたが、シモンはもう完全になかった事として扱うつもりのようです。



「リサも、よいな?」


「…………あっ、はい」


「どうした、考え事か?」



 続いてシモンはリサにも「何も無かった」確認をしましたが、リサは心ここにあらずといった様子で考え事をしていました。



「ちょっと……さっきライムちゃんが言ってた事が気になって」



 それに関しては、口には出さないもののシモンも気になっていました。

 特に「そうやって、たたかわずにずっとにげていればいい」という言葉が。


 「戦う」。

 そして「逃げる」。


 それを、己の身に当てはめて考えると、


「……魔王ではなくおれを選べとでも言えというのか。そんなこと……」


 もし、アリスに対して思いの丈を告白し、そのように言ったとしてもアリスが応じる可能性など万に一つもないということは、シモンも理解していました。アリスのことを好きになればなるほどに、彼女がどれほど魔王を愛しているのかがイヤというほどに伝わってきてしまうのですから。


 勝負に出ても勝ちの目は絶無。

 告白しても相手を困らせてしまうだけ。

 下手をすれば気まずくなって、今まで通りの付き合いすらできなくなるかもしれない。

 ならば、せめて相手の幸福を願い、黙って身を引くのが賢い選択というものだろう、とシモンには思えました。



 リサの場合は、似てはいますが更に事情が複雑です。なにしろ、魔王とアリスを婚約させたのはリサ自身なのですから。

 そうすれば秘めた想いを秘めたまま終わらせ、諦めることができる。

 その目論見は確かに甘かったようで、未だにこうしてズルズル引きずっていますが、だからと言って今更どの面下げて、アレは無しにして自分と付き合ってくれなどと言えるのでしょう。それは、もはや恥知らずという次元を通り越して、正気を疑うような所業です。



 勝ち目のない戦いに挑むのは、勇気ではなく無謀。

 リサもシモンも、どうせいつか傷つくならば、せめて傷を少なくしようと合理的に判断したつもりなのです。


 けれど、その判断が「逃げている」と言われれば、否定しきれないのもまた事実。逃避とは必ずしも悪いことではないけれど、自分は本来逃げてはいけない場面から背を向けてしまったのではないか、という疑問がライムの言葉をきっかけに生まれてしまいました。

 いえ、元からあった疑問に対し、それ以上見ないフリをすることができなくなってしまったというほうが正確かもしれません。



「じい、おれはどうすればよい?」


「私には分かりかねますな。この手の答えは、ひたすら悩んで悩んで悩みぬいて、自分の中から見出すしかないのですよ」



 シモンに問われたクロードは安易に返答することはしませんでした。

 他者に相談すれば、あるいはもっともらしい解答が返ってくるかもしれません。

 ですが、人生における重要な判断を他人に委ねれば一生後悔が残ります。真に自分の納得できる答えは、いつだって自分自身の中にしかないのです。

 シモンくらいの年齢で、その手の悩みをこれほどの深刻さで考えるのはかなりの早熟ではありますが、子供だからと甘く見ないで考えさせようとするクロードの判断はきっと正しいものなのでしょう。



「悩め、か」



 それは、相手に苦しめと言うのと同義です。

 問題が長引けば長引くほど、真剣であればあるほどに苦しみは増し、しかも苦労して辿り着いた答えが正解だとは限らないのですから。




 そのまましばらく気まずい沈黙が続いていたのですが、窓から差し込む日も暗くなってきたので、気絶したライムを背負ったタイムが申し訳なさそうに席を立ち、リサも「じゃあ、わたしも」と帰ることになりました。



「……それじゃあ、私たちはそろそろ失礼するね」



 ライムは少なからず血を失ったせいか、まだ意識が戻っていません。

 両手が木乃伊状態で固定されてはいますが、念の為包帯で両足首を結びつけ走れないようにしています。目が覚めても暴れないための処置ではありますが、そのせいで足を大きく開けないので、おんぶしているタイムは持ちにくそうに両手で支えてバランスを取っています。


 タイムが退室する間際、深く考え込んでいたシモンが思い立ったように呼び止めました。「無かった事」にはなりましたが、強烈な恐怖心はまだ残っているようです。シモンはライムの攻撃の間合いに入らぬよう気を付けて、少し離れた位置に立ったまま、



「タイムよ、一つそやつに伝言を頼む。明日、おれはこの街から離れる。だが、その前に、今夜中には必ず『答え』を出す。気が向いたら明朝見届けに来い、とな」



 そのように告げ、タイムもライムが目を覚ましたら必ず伝えると返事をしました。

 こうして客人たちは去り、少年の長い長い夜が始まったのです。








 ◆◆◆







 日付が変わる頃、いつもならばとうに夢の中にいる時間だというのに、シモンはまだ悩み続けていました。身体は疲れているのに目が冴えて眠気がやってこず、うろうろと部屋の中を往復しています。


 簡素な夕食を済ませてから、クロードも遠ざけて一人で部屋にこもり、もう何時間も考え続けているのですが、納得できるような妙案は一向に浮かんできません。むしろ、悩めば悩むだけ答えが遠ざかっていくようにさえ思えます。

 明朝というタイムリミットがあったので、今夜中には答えを出すなどと大見得を切ってしまいましたが、夜の半分が過ぎても、まだわずかな取っ掛かりすら掴めていません。



 自分はどうしたいのか。

 どうすべきなのか。

 シモンがその答えを見出すべく古代の哲学者のように思考に没頭していると、ぐう、という間抜けな音が腹から出てきました。

 口の中の傷に染みるので、夕食はぬるく冷ました粥を少し食べただけなのです。 

 夕食の粥は胃の中でとっくに消化されており、キリキリと胃を絞め付けるような感覚があります。一度意識すると空腹は耐えがたいものがありました。このままだと、とても落ち着いて考え事などできません。


 厨房に行けば何かそのまま食べられる物があるだろう、とシモンは部屋を出ようとして、扉のすぐ手前の家具の陰になっている部分に、見知らぬ紙箱があるのに気付きました。いえ、その箱自体は見慣れた形のものなのですが。



「これは、あの店の……」



 それは、魔王のレストランで、持ち帰りの菓子や料理を入れるのに使っている紙箱でした。

 先程の騒動の際、コショウ攻撃を喰らったタイムがたまらずに手から取り落として、その後はお土産どころではなかったので、そのまま存在を忘れていたのです。



「中身は……菓子か、ふむ」



 箱自体は派手に落としたせいで少し角が潰れていましたが、中身は無事のようです。

 忘れ物とはいっても、モノが食べ物ですから落とし主に返す前に傷んでしまうかもしれませんし、何よりお腹が減っていたので、シモンはその菓子箱の中身を迷惑料ということにして頂いてしまうことにしました。

 こんな夜中に、しかも食器も使わずに手づかみで直食いをしては、普段であれば行儀が悪いとクロードに小言を言われてしまうところですが、幸い今は一人きりです。人目を気にする必要はありません。



「うむ、美味い」



 かつてないほどに頭を使っていたせいか、お菓子の糖分が脳細胞の隅々にまで染み渡るようです。一つ一つの大きさがそれほどでもないという事もあり、思わず二つ三つと手が伸びてしまいます。


 箱の中に入っていたのは栗のお菓子です。

 鬼皮と渋皮を剥いてから下茹でをしてアクを抜いた栗を、たっぷりの砂糖と焼酎、そして隠し味のごく少量の醤油で長時間煮込んで作った、和風マロングラッセとでもいうようなシロモノ。もしくは、栗で作った豪華版甘納豆でしょうか。


 栗の表面に吹いた砂糖のジャリジャリという感触も楽しく、煮る時に刻んだ柚子の皮を加えているので、ほろ苦く爽やかな柑橘の香りもしています。黄色い栗の中身はほくほくしっとりと柔らかで、見た目のサイズ以上の満足感がありました。



「くくっ」



 つい先程まで答えの見えない問いに頭を悩ませていたというのに、真夜中に人目を気にせずお菓子を貪っていると、シモンの中にちょっぴりワクワクした気分が湧いてきました。

 なんだか悪い事をしているようで、その罪悪感がスパイスになって菓子の味を引き立てるように感じるのです。真夜中のラーメンやカロリーの高い揚げ物が、異様に美味しく感じてしまうのと似たようなものかもしれません。


 しかも、そのお菓子が本来はライムの物だったというのが、また痛快です。しこたま殴られた意趣返しをしているかのような気分でした。

 シモンの中には、あれだけ理不尽なことをしたライムに対する怒りは不思議とほとんどなかったのですが(単に恐怖が怒りを塗り潰しただけかもしれません)、それはそれとして、こうして遠回しな方法で復讐をしているうちに、だんだん気分が晴れてきました。

 なにしろ、ライムが気絶から目覚めてお土産の行方に気付いた頃には、彼女が楽しみにしていたお菓子は残らずシモンの胃袋に消えているのです。

 それを知った時のライムの顔を想像すると、なんとも愉快な気分になりました。まあ、ちょっとだけ怖くもありましたが、そちらの感情は黙殺しました。



 大きな箱の中身を全部食べ終わる頃には、空腹どころか胃袋がパンパンに膨れて苦しいくらいになっていました。

 ライムの家族や近所に配る予定だった分までを、シモン一人で全部食べてしまったのですから当然です。最後のほうなど、もう満腹で食べるのがキツくなっていたのですが「復讐」の為だからと自分に言い聞かせて、無理をして全部を胃に納めてしまったのです。



 砂糖でベタベタになった手を舐めていると、お腹が満たされたせいか、はたまた気分が良くなったせいか、だんだんと眠気がやってきました。

 休憩を終えてからまた思索に戻ろうと思っていたシモンは、精神力を振り絞って睡魔に抗おうとしましたが、意思に反してまぶたは重さを増すばかり。

 心身共に深く消耗していたせいか、それとも栗菓子の酒精が飛び切っていなかったのか、



「どうせ考えても答えが見えないのなら、いっそ何も考えずにその場の勢いでどうするか決めればよいか」



 ……などと適当極まる事を薄れゆく意識の中で思いながら、どうにかベッドまで辿り着き、シモンは温かい泥のような眠りへと沈んでいきました。







 ◆◆◆







 同時刻。

 迷宮都市から遠く離れたエルフの里のとある民家。



「…………」



 ようやくライムが目を覚ましました。

 拘束はすでに解かれ、自分のベッドに寝かされています。

 ベッドの隣には、彼女の様子を看ていたらしい父親が、イスに座ったままこくりこくりと船をこいでいました。


 両手の激痛は、それはそれは酷いものです。このまま、ずっと意識が戻らなかったほうが幸せだったかもしれない、なんて思ってしまうほどに。

 その痛みは大の大人であっても泣き叫びそうな激しさで、絶え間なく彼女の意識をかき乱そうとしてきましたが、



「……シモンのばか」



 それだけポツリと呟くと、彼女は一切の泣き言を口に出さずにまぶたを閉じ、ただじっと痛みに耐え続けるのでした。



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