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迷宮レストラン  作者: 悠戯
小さな恋の物語
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迷える子羊たちと勇気のカケラ④


 呆然、という言葉がこれほど似合う状況もそうはないでしょう。

 出会い頭の蛮行に出たライムに対し、リサもクロードもタイムも、それどころか殴られた当人であるシモンも一瞬何が起こったのか分からずにいたほどです。


 しかし、そんな外野の反応など目に入っていないのか、ライムは再び固く握りしめた拳を振り上げました。


 シモンも鼻を強打したことによる生理的反応で視界が涙でにじんではいましたが、ドクドクと流れ落ちて服を汚す鼻血、そして遅れてやってきた痛みを自覚して、ようやく殴られたことを認識しました。



「な……何をするっ!」



 シモンは怒気と疑問が混ざった声を発し、周囲の面々もやっと我に返って追撃の手を止めようと動き出しましたが……その程度ではライムの憤怒を止めることはかないませんでした。







 ◆◆◆







「あら?」


「どうかした、アリス?」


 この時、事件の現場から離れたレストランの店内で、アリスが不思議そうに首を傾げていました。



「あ、魔王さま。いえ、大したことではないんですが、さっき補充したばかりのコショウの瓶が空になっていて」



 先程、エルフ姉妹とガルドが相席して大量の栗菓子を食べていたテーブルにあったコショウの小瓶の中身がいつの間にかカラッポになっていたのです。

 小瓶とはいっても卓上のコショウなんて普通は風味付けで少量ずつしか使わないので、そうそう無くなるような物ではありませんし、そもそもお菓子に振り掛けるような物ではありません。



「いったい、どこに消えたんでしょう?」







 ◆◆◆







 ライムは拳の中に握りこんでいたコショウを、怒声を発するシモンの顔面に向けて至近距離から投げつけました。


 しかも、続けてポケットに手を突っ込んで更なるコショウを握りこみ、ライムを捕まえようとする大人たちにも同じようにしたのです。先程、周囲の目を盗んで瓶の中身を失敬したコショウをそのまま直にポケットに入れて隠し持っていたのですが、まさかそんなことが予想できるはずもありません。


 どんな達人だろうと、目と鼻にコショウを思い切り喰らってはしばらく行動不能になってしまいます。ライムが部屋に入ってきてからわずか十秒で、誰もが目を開けることが出来ずに盛大に涙を流し、激しいクシャミの嵐が巻き起こるという、形容しがたい地獄絵図ができあがっていました。



 しかし、この程度ではライムの怒りはまるで収まっていませんでした。


 周りに投げつけた際に自分でもコショウを吸い込んだせいか、涙と鼻水を流しながらだというのに、目の痛みを全く意に介さずに鼻血交じりのクシャミを繰り返しているシモンの顔を再び殴りつけたのです。


 正常の思考が完全に奪われたシモンは、攻撃を防御することも、倒れる際に受身を取ることもかなわずに背中から床に倒れ込みました。

 倒れた時に「ぐえっ」とカエルが潰れたような息を漏らし、その一瞬後には身動きすら取れなくなっていました。倒れたシモンの腹にまたがるようにして、ライムが押さえ込んでいるのです。

 ライムに格闘の知識があったわけではありませんが、驚くべきことに、その燃え盛るような攻撃性が自然とマウントポジションの姿勢を取らせていたのです。

 


「や、やめ……やめろっ」



 激しく咳き込みながらどうにかそれだけ言えたシモンですが、それに対する返答は更なる拳撃でした。二発、三発、四発……と顔面を殴り続けるライムの小さな手は完全に赤く染まっていました。


 返り血のせいで分かり難いですが、よく見るとライム自身の手もドス黒く腫れ上がり、歯に当たったせいか小さな裂傷が何箇所もできています。


 人間の頭蓋骨というのはかなりの硬さがあり、下手な殴り方をすると攻撃した側の拳が壊れてしまうのも珍しいことではありません。

 実際、この時点でライムの左手薬指と小指の骨にはヒビが入っており、右の人差し指など根元から脱臼していました。シモンのほうは鼻血のせいで怪我が激しく見えますが、怪我の程度で言えばライムのほうが遥かに大きい状態です。

 ですが、そんなヒビが入り関節が外れた手で殴り続けているのです。自分の皮膚が切れた部分から血を撒き散らしながら、自身の骨を砕きながら。




「……ひっ……ひっく……ゆるし、て……」



 流石に怒りで痛みを塗り潰すのも限界だったのか、ライムがようやく攻撃の手を休めた時には、シモンの心は完全に折れていました。

 これが普通のケンカであったのならば、まだ多少はマシだったのでしょうが、どういう理由で攻撃されているのかすらも知らされず、ただ無言で延々と殴られ続けるのは相当な恐怖だったようです。

 もはや、いつもの尊大さや無理に背伸びした様子などカケラもなく、ガタガタと震えて泣きながら許しを乞うていました。実際には、シモンが殴られていた時間はほんの一分か二分程度だったのですが、よっぽど怖かったのでしょう。




「や、やめなさい、ライム!」



 と、ここでようやく目を開けられるようになったタイムが、シモンに馬乗りになったままのライムの両手首を後ろから掴んで拘束しました。ですが、ライムはそれすらも眼中にないかのように、泣きじゃくるシモンを見つめ、ここでようやく口を開きました。



「こしぬけめ」



 殴る手が動かせなくなってからようやく発した言葉は、この上なく辛辣でした。

 言葉数が少ないのはいつも通りですが、聞いた者の心に刺さって抜けなくなるような、かえしの付いた針のような重く鋭い響きがありました。



「そうやって、たたかわずにずっとにげていればいい」


「な……!」



 結局、全てが終わった後になっても、この時のライムがどうしてこんなに怒っていたのかは本人以外には、いえ、ライム自身にも正確には分かりませんでした。

 しいて理屈を付けようとするならば、好敵手であり友人であると認めていたシモンが、腑抜けて逃げ出そうとしたのが気に入らなかったのでしょう。



「いまのシモンは、つまらない」



 ライムは、両手首を掴まれていて殴れないので、その頭を振り下ろしてシモンのおでこに向けて思い切り頭突きをかまし、



「さようなら」



 両手の激痛と出血による貧血、そして頭突きの反動による脳震盪で気絶する間際にそれだけ言って、そのまま意識を手放しました。







 ◆◆◆







「わ、若、大丈夫ですか!?」


「シモンくん、大丈夫!?」


 すぐ間近にいたのにライムの蛮行を止められなかったクロードとリサは、鼻血とライムの手から流れた血で顔面を真っ赤に染めるシモンに駆け寄りました。


 気絶したライムは既に引き剥がし、タイムが怪我の様子を見ながら拘束していますが、小さな手は普段の倍近くにも腫れ上がって青黒く染まっており目を背けたくなるような痛々しさです。


 使用人を呼んで清潔な布と水、そして薬箱を持ってこさせ、治癒術師が来るまでの繋ぎに皆で協力して二人の手当てをしていると、シモンもようやく泣き止んで落ち着きを取り戻してきました。

 丸めた布切れを鼻に詰め、唇が少し切れているので不恰好になってはいますが、歯も鼻も折れてはいませんでしたし重傷というほどではなさそうです。


 その一方、ライムの両手は、とりあえず血を洗い流して消毒はしているものの、とても素人の手に負える怪我ではありません。ヒビが入っていた手で人を殴ったりしたものですから、箇所によっては完全に折れ、無事な部分のほうが少ないほどです。

 そんな状態ではありますが、先程の鬼気迫る様子を見た面々は、気絶から目覚めたらまたシモンに襲いかかりかねないと判断し、タイムが責任を持って包帯を使ってイスに縛りつけていました。治療をするのも座らせたままです。



 一体、どうしてライムはあんな蛮行に及んだのか?

 その場の全員が疑問に思ってはいましたが、その話題に触れるのが妙に恐ろしく感じ、黙々と治療や部屋の片付けをおこなっていました。

 奇妙に思えるかもしれませんが、先程の、静かでありながらも深く凄絶な怒りを目の当たりにして、シモンのみならずリサやクロードやタイムといった歴戦の面々すらも、僅か七歳の少女に底冷えのするような畏怖を抱いていたのです。



 シモンは、消毒用の強い酒精が染みた綿が切れた唇を撫でる痛みに顔をしかめながら、先程のライムの数少ない言葉の一つ一つを思い返していました。



『こしぬけめ』

『そうやって、たたかわずにずっとにげていればいい』

『いまのシモンは、つまらない』

『さようなら』



「くそっ、おれにどうしろと言うのだ……」


 言葉が頭の中でぐるぐると渦を巻き、シモンは答えの出ない問いの答えを考え続けます。それはさながら、出口の見えない迷宮で、地図も手がかりもないままに彷徨い続けるかの如きでした。




新ジャンル【バーサーカー幼女】って新しくないですかね?


今回の犯行動機は、バトル漫画のライバルキャラが不調時の主人公に向かって「今の貴様には殺す価値も無い」とか「どうした、貴様の実力はそんなものじゃないだろう」とか言っちゃうようなアレと似て非なるものだと思っていただければ(アバウトな解説)。「これで潰れるなら、しょせん奴はその程度の器だったという事だ」みたいなのも混ざってますね。いずれにせよ、ライム自身が動機を明確に言語化できず内なる怒りに従って暴れただけなので、細かい部分はご自由に想像してください。


ただライム自身は、そういうものがあるとは知っていても恋愛感情をまだ理解していないので、「実はシモンのことが……」みたいなのは(まだ)ないです。というか、男前すぎる性格上、その手の感情を自覚したら次の瞬間には相手や周囲の都合などお構いなしに公言して勝ち取りにいくので「実は……」とはなりません。


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